2019年1月1日

三流国民の名誉獲得競争

原発の外部不経済、公害を少しも法的に内部化できない、三流で勉強不足の自由民主党と、その馬鹿政党を頼る三流国民。虚栄心ばかり肥大化した京都市民や東京都民の様な、醜悪な自己愛で、同国民を虐げて恥じない有害な自称愛国者の群れ。吐き気がする下衆な邪教国、政教分離すらできず、貧者から奪った大金で殺人教祖の愚かな儀式に浪費。罰当たりども。経済弱者を虐げる為には手段を選ばず、国内外への侵略戦争での大蛮行を自慢ばかりする脳科学者が当代の知識人ぶっている。
 成るほど、この様な愚劣で悪業に満ちた国民であるからには、勘違いした外人の賞賛が喜ばしいわけである。それは道化に泥を塗る様なものだから、恥の上塗りに有頂天になっている愚民は、自分達が何で褒められているかすら認知していない。外人は何も褒めてなどいない。正真正銘の三流国民を、さも優れた面があるかの如く、歪んだ情報で勘違いしているのだ。
 寧ろ現実はこれら三流外人の妄想癖の正反対にあるのだから、他人から賞賛を受けた時こそ、最も恐るべき災いがあるのは自明である。何も知らない外人だの無知な人が低俗な虚構のアニメ経由で憧憬する東京という退廃した貧民窟や、京都という性悪の密集した差別地獄を知っている人にとって、外人の風評がいかにあてにならないか、彼らの一流と思い込んでいる浮世絵がわが国の並の審美眼からしてどれほど下らないものか、そうであるからには日本という国自体がどれほど偽善的で、天皇皇族が悪魔的な極悪血族でその歴史観が欺瞞と悪意に満ち満ちて作られてきたか、全てを知っている側からすれば、全世界のありとあらゆる偽りの名誉を虚妄とみなすのが当然だ。憲法に謳う名誉を得る為の競争は幼稚で愚かな振る舞いでしかない。その種の卑俗な利己心は目的視されるべきではない。
 真の名誉は利他性のみに求まるので、我々の国の最終目的も、そこにあると考えられるべきである。自ら一流以上の国民でないとすれば、その様な人の属する共同体はどこも自己欺瞞に満ちた虚勢を張って自画自賛しているだけなのだ。いいかえれば、優れた国民はよもや自分達の欲望の開発より、他者の幸福を増す事のみに努力をするのだから、相対的に清貧を求めるだろうし、そもそも自慢の為の自尊心をもたないので差別されようとも謙遜をやめないであろう。その様な人物が一人もみあたりそうにない日本は、三流の国なのだ。