2019年1月13日

現代経済についてのさえずり集

アリストテレスは、調整的正義として結果平等と、配分的正義として機会平等を共に社会の維持に必要な物と定義しました。これらは共に欠けてはならないもので、配分のみに偏った社会は決して人間的なものではありません。インドの道端でこじきをする片手のない子供を見てください。
 資本主義は、マルクスの意見では、社会主義の前段階です。生活必需品が十分に供給された段階で経済が停滞しはじめた先進国で、この意見の正当性がケインズ政策(修正資本主義)やトリクルダウン理論の破綻で部分的に証明されました。今日の消費停滞も同じ原因、必需品の供給過剰に基づく物です。
 社民主義をとった北欧諸国は、少なくとも国連幸福度など人間開発指数で最も優秀な成績をあげてきました。米日のよう結果の資産格差が大きな国は、幸福という至大の目的が置き去りにされ、一部の富裕層が嘗ての封建領主のように振舞っている状態です。日本の理想は一部の国民の幸せなのでしょうか?
 私個人の意見ですが、規制や政府による干渉が極力ゼロに近い完全自由市場を目指していく理想と、政府による税収の再配分(恵まれない国民への調整)は、アリストテレスのいう通り同じ国の中で両立するのです。それは自由主義とか社民主義といった既存の概念では十分言い表せない政策的態度なのですが。
 資本主義は必需品を合理的に供給する段階では役に立ちましたが、今日では、先進国の経済停滞を招いています。理由は所得面における中流以下の消費余力を減少させてしまったからです。国民全体の家計消費を満遍なくふやすことが必要だというのが、ケインズ以来の前社会主義段階における政策の王道です。
 トリクルダウン政策の失敗は、アメリカで資産格差を極大化し、日本もその後追いに終わりました。これ自体は経済政策の迷い道だったと断じざるをえません。中印など新興国は家計消費全体が伸びるという当然の帰結によってGDP成長率が高い。多量の消費者がいなくなる格差極大化は間違っているのです。
 結果の或る程度の平等(調整、不公平の調整)と、機会のできるだけ完全な平等(配分、能力に応じた成果)とは、どちらも社会的正義と呼ばれるべきもので、調整が政府の、配分が経済(市場)の役割だと分類できます。
 相続税が全くない状態は、封建時代と類似の、特定の血筋をもつ資産家が、殿様のように延々と独裁権をふるう、前近代的な社会を意味していることは、『21世紀の資本』でピケティがいう通りです。相続税が100%の状態はいわば自らの子孫への偏愛を否定する社会で、自然ではありません。中庸が必要です。
 資産家の子孫が商才を遺伝しているとは限らない為、永続した資産家はいません。相続税があるのは、商才による合理的配分を競争市場で果たす為でもあり、活力という意味では相続税100%の状態が完全競争市場に一致します。がこれは資産家の人間性を無視する為、任意の寄付に減税部分を作るべきです。