茨城県におけるほぼ全ての大人しい成人式に対する文化的偏見も、沖縄県の成人式に対するのと同様の都民による差別です。東京都はかつての京都市や奈良県と同じく、皇室がきてからというもの、ますます傲慢になり、中華思想をもっている。都民による偏見散布の一方で、地元人は地元紙や現場で、地元のよい点をいくつも知っている。
思うに都民は自分達の政治的地位と彼らの考える物(首都性)が、他県をほめる事、田舎の善美を称揚する事で失われるのではないかと恐れているのです。逆に自文化を自画自賛し、自慢し、見栄を張ることで、自らの優越コンプレックス・虚栄心を自分自身に確認しているんです。
しかし事実は正反対で、都民が自慢するほど、また田舎を無意味に貶めるほど、愚かならぬ他県民はその卑しさに失望するのであって、今日、中華思想は軽蔑される為にあるといってもいいでしょう。
都民が進んで都内の汚点を露にし、自分達は大したものではないと謙遜したり、他県の美質を称揚し謙虚に学ぼうと啓発したり、皇室ジョークを駆使し、都政の馬鹿殿さなどを客観視し、東京のおかしさを自虐的な冗談にするといったことがあれば、それは或る意味文化的に洗練されているといえるでしょうね。
嘗て武士階級を主として自画自賛は下品な事で、謙遜が美徳だった時、今日の東京都民の様な自慢や見栄っ張りに満ちた町人・商人文化も大いに軽蔑されていた筈です。他県への差別的偏見は、その種の下衆な価値観を都内報道各社も前提としていて、場合によっては皇室含む日本政府までもっている証拠です。