『徒然草』で使われている自由という言葉は主にわがままという意味で、freedomやlibertyの訳語としての、自然権を含むそれとはずれがある。思想史上の自由意志は近代的個人の確立に向かって要請された概念ではないか。ギリシア自由市民の自由は非奴隷身分の意味。つまり自由は多義的で或る社会的概念。
科学主義(科学教、科学崇拝)は物質的反応として脳の反応を定義し、因果律という認識型を神学的決定論に接続しただけ。思想史の体系的に、自由の定義が変化してきたのは各時代の当為へ向けての適応でしょう。主に近代では王権や封建制など差別から自分を解放する為に自由という意識領域は使われた。
平成末の日本国民全体が政府にいる皇室の存在(天皇制)や東京一極集中、在日米軍、資本主義的有資産階級制などの抑圧から、自分を自由だと再認識する時、この国でもイエローベスト運動とフランス・名誉・文化大革命が一体化したような共和的解放力のうねりが起きるでしょうね。無理な相談でしょうか。