権力者は善行しようとした所で敗北により悪罵される点で、暴力団の必然に巻き込まれる。彼らが悪行しても勝利で正当化されてしまう。前者を慶喜将軍、後者を明治天皇と言う事ができる。
水戸学は尊皇論によって水戸徳川家へ公爵位を得させた。それは広域的には、徳川家から天皇家への禅譲を促した思想体系であった。水戸徳川は徳川御三家の中で親皇派の頭脳として、近代天皇制を準備していた。慶喜将軍と彼を親族に持つ明治天皇の間にあった禅譲・簒奪論が明治維新の本体であり、薩長や関西・江戸でのばか騒ぎは全て烏合の集にすぎず、いわゆる雑魚である。