悪の歓心を得る勿れ。衆愚や悪人から憎悪されている間人は安全だが、彼らから愛されたり、好まれたり、信義を立てられればその人は危害を加えられるだろう。悪にとって最善な者は恐れるに足るのであり、よき者は悪からみれば忌避しなければならない対象なのである。そして悪からの歓心とは、没落の兆候である。
善から愛顧される事は常に、悪から親しまれるのと真逆の結果をもたらす。それはさちやさいわい、幸福の原因であり、好ましいできごと或いは上昇や成功の理由になる。しかし賢者から好まれる者は、必ずや衆愚から妬まれたり、疎まれたり、誤解され中傷され遠ざけられるのである。
かつて同時代に受け入れられなかった隠者が大賢として聖に上った記録は皆、当代の退廃に対して最善のふるまいを教えている。最善である為に、偽りの汚名を与えられた者にとっては、幸福は陰徳の報いとして現れるだろう。そして最後に生き残るのは最善の者である限り、というのも最も適応性が高い者は常にあらゆる社会から加護を受けるからだが、聖者への偽りの汚名は最善の者によって剥ぎ取られ、衆愚の捏造した偽りの名誉もその内容を正される事になるだろう。こうして、真実の業のみがこの世に残される事になるだろう。