「京都土民は全員虐殺されればええ。」
僕は通り掛かりそのはなしを小耳に挟む。
「どうせ厭味しか言えん最悪の生態なんやし」
或いは正論かもしれない。
むかし、正論原理主義と言いつつ、猥褻小説を蒔いた神戸出身の作家がいた。そのことは遠い極東の島ぐにでの物語で知っていた。当の土民が、まず上のはなしのきっかけだった。
「差別ばかりやし、どこでも迷惑ばかりかけてん」
と少年は言う。風が吹く。
「上方はわるさばかりするんやな。俺の場所を見下す」
そうかもしれない。というか、京都在住者は世界を見下す。相手は老いてはいるが、まぎれない白髪の紳士。なにも答えない。空気が憤りの声で震える。
「だから俺は決めた。必ず全員を攻め滅ぼすんや」
大阪城でそう言う神戸からきた作家。或いは、それこそ正論原理主義だったのかもわからない。歴史にifはない、といわれているが、もしそのとき、僕が仲介けをしていれば世界は平和になったのかもしれず、関西圏もいずれ救われたろう。
ところが、僕は大阪出身者に何度も何度も、なんの偏見もなく本当に迷惑をかけられていた。「くんなや」と言うその男は、僕のいる関東で大阪弁で、そう大声で意味も意義もなく怒鳴りとばしていたのだ。そして、めのまえで手あたり次第メスにひっつきまわっていた。
僕に何度も喧嘩を売ってきたろくでもない神戸の人も知っていた。しかも、複数人。けど僕は元々ほとんど誰にも喧嘩を売られた経験がない。僕は穏やかな人間だからだし、もし喧嘩を売る人間がいても見苦しい事になるか、又は愚かすぎて喧嘩を売った過去を本気の冷や汗で後悔する丈なのだ。本当のはなし、僕はたった一人のその近場からきてる例外を除き、一方的に喧嘩を売ってきた神戸出身者ばかり知っていた。驚くほど柄がわるい地域らしい。だから「京都の奴らを殺すんや」と言っているその神戸出身で滋賀在住の狂人へ、少しも同情しなかった。このひとの意見にも一理ある、とすら感じた。関西はそういう嫌な嫌な雰囲気が満ちみちている。
大阪城からは多くの、のっぺらぼうな高層ビルがみえた。東京のよりどれもずっと小型だが、苦労して建てられたのであろうそれら。けど、もう中身はない。
それは静かな夜におちてくる巨大な星屑と共に、あの言葉の暴力の犠牲になって消えてしまった。そして、僕がみた多くの関西の人達の思い出は、あの戦火となって燃えつきてしまった。おろかしい人々の殺害される叫び声、裏切りの連鎖、まちがった作戦、自業自得。どれも耳を癒す美しい響きだ。