理性界の絶対否定さは、和辻がのべていたとはいえ不可解とされてきた。つまり脱構築とか批判といわれる言論の動きは、空の問題に返る。それは我を無くす無我の運動であり、明白な我執を否み、絶対否定的に言論を展開させたがる。弁証法や助産術はこれのいいあらわし方だった。
和辻が仏語を引いて空といいあらわしたこの理性の運動は、空理空文とか禅の生業の中にも十分な哲学を含むことを説明する。なぜかならこの論理作用は命題の否定を通して、この世界で縁起則を除いてどんな真理もないと教えてくれる。仏陀が悟った様、理性界でさえ絶対者はない。もし絶対者らしきものがあっても、それは縁起に於ける絶対さであり、しかも相対的か比較概念でしかない。
我々はギリシアとユダヤの神がこの絶対概念として芽生え、彼らの信仰を形作ったのを見るが、なおも縁起則に於ける神概念としてしかその絶対さをしれない。絶対唯一神の信念は空の悟りに対比できるとして、哲学的に知れるのはこのどちらも概念界の調べだということ。そのどちらも概念をこえた何物かではない。たとえば絶対唯一さも、空という漢字もこの視覚平面の文字化でえられた認識の定型でしかなく、さらには触れられる実体などではない。
ウィトゲンシュタインが科学の命題のみを語れ、という時この概念界が空で満たされている事をむなしく思ったのだろう。だが少し想像すれば分かるが、科学の命題を語ることすら概念界の利用なのだ。カント用語でいう物自体は、魔法の言葉とか錯誤とかに見えてきたそれだが、人知によって知り悟る事はできない。物の様態とか有様は分析できるが、この物という対象が一体なんであるのかは宇宙が何なのかと同じく概念界を通して触れる事しかできない。
人類が抽象さとか形而上さを好むのは、彼らが即物的でない多くの会話を日々こなしているのでも十分わかる。それらのどの会話も形而上学以外のなにものでもない。もし物自体を交易するのが目的なら、他の鳴き声をもたない動物と同じく暮らせばいい。我々が天界に興味をもち夜空を見上げて空想に耽った子供を仲間の内に見つけた時、又その浪漫か神話かわからない畏れの感情を何らかの芸術表現に近い感覚論で象徴化するのに成功した才能をえり好んだ時、我々は形而上学のつまり哲学の趣味を身につけはじめた。我々の中で智恵ある者をそうでない者から特に好んで尊重したがる習性、いわゆる道徳信念がうまれたのはこの際だった。
空の絶対否定運動は、およそ始めにはこれらの概念の遊びとして起こったらしい。この為に実証認識がガリレオ、ケプラー、ニュートンといった天界の分析者によって少しずつ形作られてからも暫らくは、かつて集団の長を説明不能さをなくす作り話の才能として保守された宗教的憑依の在り方が哲学の部分野として残された。近代科学といわれる実験を検証の主義とした膨大な認識の系が、この習性を完全に追い払うまで相当の時間がかかるだろう。そして哲学者はこの間に、多数の人類が即物的認識のみを語る日に至るまで以前の侭の空理空論の遊びに浮き沈む集団を説得するか、少なくとも文明の仕草をとる権威によって待ち受けるだろう。
宗教家の敗北を前にしても、神話が現実だった時代のなごりはその科学用語への転用として度々起こる。星の命名、現象の呼び名、単なる記号の姿へすら宗教界で培われた認識が全く生かされないことはない。これを思えば哲学界が営むどの仕事も将来の即物用語にごく近い隔たりしかない故、最も貢献する程度が高い筈。飽くことなき話し合いが彼らの協同と冗長度に由来した相互理解を促していた時代の延長は、今日でも前青年期いわゆる青春時代とよばれる期間に彼らがよく非科学命題の議論をする場面で見受けられる。もしこの段階をへず発情期に直結していた動物界へ退行していった人種を見るにつけ、彼らが軽蔑と自分達の優越感を得るのは何も今にはじまった潮流ではない。この文明化の運動が現代までの人類文化をつくり、言葉とその概念を打ち固めてきた。アリストテレスが友情を信じていた場所ではこの興りが明らかに以前の生活体験を覆しはじめていた。
我々が現代にも低次な生態に留まった奴隷精神に近い、内的増加風の人種を見るとき、哲学が果たしてきた役割はその空に於ける永遠の言葉遊びと共に理性の程度についての社会的淘汰と階級化であったのを悟る。未来の世代で哲学を省みる時期はより短くなる。代わりに、彼らは即物的知識をより高度な応用へ結ぶ営みに従事する。実証界はこの産業化を促し、科学技術職を恵む。もし同種間競争の結果、宗教の信念や哲学的議論の営みが定型化した概念という以上にかえりみられなくなった即物信念の集団が勝利を収めていったとして、理性という概念そのものと同じく情報伝達に於ける冗長さ或いは説明の分かり易さにつながる啓蒙の骨は、教師の本質にこの哲学者風の習性をのこしゆくであろう。この専門職らしさは、智恵を愛するという元の意味の侭に継続した学習を動機づける傾注や批判的注解、つまり空の体験にあった絶対否定の権威をその神学あるいは神話そのものの為に促し続ける。理解不能さの比喩として哲学者や教師の啓蒙が働き続けるのは、哲学史が至り着いた素朴な宗教への疑念の状態として真にふさわしい立場である。
科学の過半が機械を相手にした孤独な作業という段階に入っても、一定の寓話とか冗談の範囲で哲学者はその教えるという機能の面で話題に上がる事をやめず、又この特殊さの為に特に多数の科学者の集団では定評の選好を受ける。実際この媒介を活用した学校や学校集合としての大学という組織は、哲学的傾向の者しか集めない。彼らが寄り集まるのは単独で学問を進めるのに不足があるからで、この欠損は絶対否定の信念。要は権威を自らの探究心の外に求めたがる傾向が彼らを集合させ、哲学界といえそうな似た思想か実証界といえども空理の持ち主を科学として詳細化したがる。
所でこの科学信仰の集団は、認識がかなりの繰り返し易さで確かめられるということを誇りに思う性格があるので反復哲学をつくる。多くの非法則生態が科学集団を利用したがる以上、魔術の濫用に堕さない域で科学系列を維持させるには教養学部をその内部に置き、又はこれと同等の普遍哲学的人材を外部から常に招き容れ、空の段階かより現代風にいえば批評の空間を導入や設置するのがその未然な暴走防止に効き目あるだろう。この科学信念がどういう用途に結び付くかの客観視を促した面で、実用主義が大学内外で語られるのは科学技術界では一つの必然だった。実用主義は科学技術の実用主義だったといえるだろう。