資本思想の蔓延は確かに、既存の人間性を壊す。それは問答無用の侵略で既にたてられてきた地域らしさを程あれ失わす。地域色に対する資本主義は殆ど類似さをもたない。
最も安価に最高品質の商材を最大限の時間あらゆる場所でひかえた者が資本型経営をひきいれる。そしてこの経過は、一般に団性の正の側面を貴ぶので経営体の大きさへ比例する。
国際分業はもしそれを続ければ団的交易の社会を最も強い資本化で襲う。と同時に、団性の強さへなだらかに寄った資本経営中心の段階的圏域を形成する。
多くの、或いは全ての資本経営はこの為に、そうでない権益に比べて急速に(逆二乗的に)不平か偏った体制を築き上げ易い。
それらの関係は決して平衡した調整を望まない。社会主義・共産主義・原理主義・国粋主義などの保守思想からの調整が群的最大級で図られねば永久に。
資本主義の風景へのやっかみや羨望はなぜ人々が盛んに競争したがるかの起源と等しい。そういう感情の普くない地域、主に人類の生存にとって厳しい気候の寒冷圏では繁栄は決して資本主義化されたものではありえない。
よしや国家が、その印象操作の為彼らが元来持てる能力以上の繁栄可塑さを成長率として誇示するのは、巨視すれば眩惑か目眩まし。つまりは商業の活発さは彼らの属した地域が地政上で調度人口間の交易が激しい中間地帯にある証拠のみ。