2010年4月1日

物理学

最も基本に立ち返れば、世界の混沌は空間相互の非対称化による。一引力場ともう一つとが入れ代わらねば常にそれらは時間的変化を持たない。この偏りを生む微視の場合の数だけが真実の時空の定義。はじめの一撃は時間の実質的停止を仮定すると偽。つまり微視の場合の数は現象場によって異なる。ある理想的真空からの揺らぎ、これを現象場とよぶと、時間の変化は現象場のつくりによる。
 現象場の条件は、引力場が属した地帯とその法則性にかなりよる。もし真空のみにみても、我々にはどこに微視の場合数が集積していくかを地帯の偶有にしか見通せない。物理の多くの既存条件は引力場での化学成分が、どの程度の偏りを系外との取引で持ち込んできたかによる。有機体が栄えてくるとこの傾向はより強まる。
 よって非対称則があればこそ、どの現象場も比べてしか定義されず、しかもそれらの定常さはかなり偶有的だろう。数式による等号の類比は、実際の現象場にみれば理想状態の喩え。ゆえ非対称則が全ての前置きにあり、定常さはこの理想状態の分析に関わらず等号の上にのみのこる。いいかえれば物理現象は一般的非対称則にとっては例外。こうおもえばなぜ数学が現実とかなりの対称さ伴えたか理解できる。
 我々は自らの主観が捉えた理想状態の比喩として、地球風の感覚原理による非対称則の例外をかき集めてきた。特有の数式の審美さとかいうものもこれで説明できる、それは偶有か希な確率の上なので。珍しさといいかえてもいい。