生態の成熟後の姿はその子孫がどんな社会内競争にさらされてきたかを示す。故幼型化が及ぶのはこの条件が何らかの誘因で弱まった所だろう。普通、幼型化のみが進化の的でない。きっかけなそれはある。但し、進化が奇種への道でなく続く世代でも広く分布しがちな先駆種への変異ならその形質は主に上述の競争内適応のみに見つかる筈。この特定競争への適応外では、どの変異も最大数の変異幅維持が難しい事情から、奇種と見做される確率が高い。大幅な環境変異が約束されない普段の緩やかな生存競争内では常にこの特殊化への鍵がそこでの生態革新を司るだろう。
一般的な表徴種は特定の形質のみへその性特徴を集めがち。故この面への特殊化は続く世代の形質へは再生産率の焦点として素早く消費され易い。結果、開放場では進化とは複数の特殊化を伴わねばならない。他は容易に僻地適応型へ排出される。こう考えれば負担理論の本質も、特定の部位や様式のみが生態上で大幅に優先される危うさへの時間内適応と解る。もし負担へのえり好みがないと、必ずその場はいわゆる奇形への潜在的蓄積を見逃す。
しかし変異の移り行きは極相と化した場の形質内飽和への侵略や変遷として見つかり、これを負担と見做すと、以前よりも優れた形質とは常に、先代の遺伝よりも生得的な特殊化が競争内優位と示される成熟の向きをもつ。正の幼型化として進化一般は、性特徴への程度の強い選好の結果次世代の成熟後の形質が獲得要素も含めて、極端に特殊化した証。かつこの要素の生き残りには複数の変異が繰り入れられている筈なので、当然同じ場で起こる以前からの生態課題は成長段階の極めて初期に折り畳まれねばならない。個体成熟の系統発生のくりかえしらしさはこうして説明できる。そしてこの種の正の向きになかった幼型化は、みな僻地外では競争に淘汰されゆくだろうから今日まで過半で存続していない。