2008年2月18日

現代日本の悪事

如何なる国民も、他国の内乱の最中に、外部から干渉してはならない。ある国土の問題は、その土地の文化を営む国民自身の問題だから。もしその問題が、例えば大規模な環境破壊などの万人に無視しえない外部不経済や公害を生み出さない限りは、外部からの働きかけによってそれを辞めさせる権利はなんびとにもありえないのである。
 むしろ、平和主義の原理は文化差異を認め合いながら人類共生をねがう立場から、ある観点から罪にみなしうる他国民族のおこないに対してさえ、辛抱づよい忠告という倫理的な働きかけによりその人道回復を願うものだ。

 この点で、イスラム法典に基づき内政干渉に報復したテロリストの道徳は、相対的に言えば、ある国法のみに凝り固まったアメリカ政府よりは高いと言わざるを得ない。勿論我々は手段をえらばぬ卑劣な行為を罪悪とみなすだけの公平な善意を揺らがせるわけではないが、少なからず、文化ごとにあい異なる風習を不当にも抑圧する暴力は、これを真に理性的な博愛とみなすことならないのである。
 従って、わが日本政府が果たして何らかの詰らない事情にかかづらうのか、悪人の行いに多少なりとも協力したとなれば、これはすなわち国民全員の罪業なのである。

 悪事を働く中東でのアメリカ軍に、なんらかの補給活動をもって支援を国示する日本政府の意向は、以上の道理から義をへしおって力にへつらう極めて卑怯な悪意であるとみなさざるを得ない。そしてこのような国際的犯罪行為に手を染めようとする憲法観が歪曲した首脳も、いずれたがわず国政の指導により、国民自身の主権で矯正されねばならないであろう。
 現日本国憲法前文の自国のことにのみ専念し他国を無視してはならないという文面は、むしろ国際福祉への義理をうたうものではあれ、なんら内政干渉の正当化をふくむ解釈に適当しない。