インターネットは未開の土地に築かれ始めた雑然とした戸棚の様なもので、そこに常に世界中の真実があるとは限らず、単に情報源の一握に過ぎない。我々はWorld Wide Web自体を情報媒体としてのみ用いうるのであり、決して知識の一元化を目指してはならない。
バベルの崩れた真意が文化の多声主義的本性に基づくと気づかぬ迄も、我々にはいつでも自らの持ち合わせの母語によって真理へと一歩ずつ近づくしか道はなかった。
我々にとって新たな道具の一種である電子情報機器は、それが現実性の傍流でしかありえないことを絶えず意識してこそ役立つ。