2007年7月9日

教育と革新について

大学乃至は学校はある時代情勢に対する知性傾向を啓発する役に立つもの。従ってそこに原理的基軸は存在しない。我々は絶えざる改良亦は組織的脱構築においてしか教育を存立すら出来ない。若し君の教師が既存潮流の狂信者なら、方便を取って熱を冷ますべきである。学習が労働化するのはすべて錯誤の為、相対的無知の為、組織的搾取の未熟の為。その行為付けの集積が大学の実態であり、我々の創造的知性にとっては最たる抑圧に働く。しかしこの抑圧自体は必修である。なぜなら構造は装飾にとってのなくてはならないものであり、仮に構造さえ不定なら我々は学問に接近する道さえ持たないのだろう。我々はやはり革新を天才に待つ。それが当人にとって如何なる不条理を秘めていたにせよ、抑圧そのものが集団的理性によって世論を形成する限りつまり我々が政治人である限り人類は福祉的であらざるを得ない。それは丁度、群れと指導者の関係に類推為える。