鈴木雄介ブログ
2006年12月3日
音楽論
西洋音楽における比例級数に基づく楽音の建設は文化の一縷にすぎないと認識せよ。それが多少あれ科学的な裏付けを伴ったが故に西洋音楽音は普遍性をかつて主張してきただけだ。いいかえれば同じ手法を援用して他の音楽文化を普遍化する手段も可能である。何れたがわず我々は現代音楽に飽くまで相対観を持ち込まねばならない。潔語、楽音は文化音階の一種別に過ぎないのだ。
現代音楽家の大いなる使命は史的覇権を破格し続ける戦いである。
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