あらゆる労働価値は資本家を頂点とする搾取の体系の中で量られる。それが基本的に経営上の知能に準じたピラミッドであることが普通。
[あらゆる資本主義経済はその形成へ絶えず効率化される]
だから近代文明人類の現代経済とは即ち、生来の知能発育可能性をしばしば教育期間と関連づけながら、適材適所の一大ピラミッドを「所得階層」として実現する意図。
そこに非難されるべき箇所が無いのは、勉学に耐えられる様に指導される人間がまた知能労働に従事する適切さ、あるいはその逆が現実的不可なことに理由される。
ホワイトカラーとブルーカラーの分離差拡大は文明化能率に「必要」なのだ。
でなければどうして勤労の義務が設けられるだろう。言い換えれば、我々は労働価値に格差をつくることで創造的分業を体制づける。それは生産に関する技術力の進化に依り絶えず更新される適応課題への対応策なのだ。
そして全体の知的水準が資本家の投資による教育の一般化で上昇し、民心にこの資本主義思想の本質が普く理解される頃、我々の経済は新たな段階──資本を有する経営者兼労働者「資民」に拠る──『資民主義』へ移行するだろう。
それは分業化が事実上均質化された果て、我々の全てが社会へ直接従事する時代。
IT技術は既にその片鱗を見せている。搾取を行う主体を自身のみに限定すれば事業の抽象化により利益率は最大化する。つまり媒介業者を最小に抑え、機会費利益を極大に、取引費損失を極小にし得る。
尤も、この手法がマンモス企業経営との経済率的均衡状態に至るには恐らくは半世紀前後必要だろう。
労働形態が多様化することは我々の地球外宇宙進出時代への適応課題に合う。