119番は誤認し易く、慌てている緊急時の連絡に、必ずしも適さない。
救急を連想させる99番、というものが適切だろうと思われる。というのも緊急時には理性が麻痺して深い思考はできず、簡明な「直感的標語」にしか頭が回らないものだから。
救急・消防を呼ぶ為に誤って警察へつながる110番にかける場合がどれだけ多いか調査しなければならない。また、誤ってかけた場合にすぐ、直接転送が効く様なシステムを警察と救急消防団に設置していなければならない。
2007年11月30日
2007年11月29日
数学
円周率πの定義。大きさの異なる正円同士の比をa、bとする。aの円周をl、半径をrとしbのそれらを各々l´、r´とすると、aとbは正比例するので
a:b=l:r=l´:r´
ここで
bl=ar
b=ar/l
b/a=r/l同様に
=r´/l´
従って、正円を一般円と考えると、r/l(円周分の半径)の値は一定である。ここで、2r/l(円周分の直径)の値をπ(円周率)と定義する。これはあらゆる大きさの正円に一定の比なので、一般円周率と考えられる。
a:b=l:r=l´:r´
ここで
bl=ar
b=ar/l
b/a=r/l同様に
=r´/l´
従って、正円を一般円と考えると、r/l(円周分の半径)の値は一定である。ここで、2r/l(円周分の直径)の値をπ(円周率)と定義する。これはあらゆる大きさの正円に一定の比なので、一般円周率と考えられる。
情報環境に於ける孟母三遷
情報化社会は新種の淘汰環境を敷衍する。誰しも新しい情報の渦から自立し切る訳には行かないから、彼らは単に知性や理性のみならず選択の判断を問われる。
情報はあまりに莫大で彼らの人生をspoilするには充分な威力。特に若年者は使用制限されなければこの危機に最も曝され易く、大半の隔離環境では退廃に陥り脱出不可能になる。
彼らは名前を持たない衆愚として匿名環境であらゆる悪業醜態の限りを尽くす。それはインターネットを通じて世界中に同時に知らされる。
そういう情報退廃の衆愚は地球のあらゆる自由主義の暗部として群れになる。
無法地帯で悪名高い2ちゃんねるの様な匿名書き込み可能な情報スラムと化した掲示板システムはそういうやくざの溜まり場となり、各国に派生するだろう。
これらが及ぼす被害、衆愚による人権濫用を最小に食い止めるには、各国主体で市民団体および政府機関を組織し、専ら匿名SNSシステムの虱潰しを徹底的に行うべきだ。掲示板(BBS)開設の条件に国民番号を記載する旨も法規されねばならない。又、悪質な国内サイト自体をネット規制法で国民自身が政治的に監視し直すべき。これがなければ無法仮想空間はあらゆる人権を壊滅し尽くすまで増長を続けるだろう。
尤に、退廃愚衆そのものは淘汰の自然に過ぎない。この奇形的衆愚の生存率は悪徳のたちから極めて低いのが明らかなので、唯、一般社会はその及ぼす害毒や犯罪行為を未然に予防することに努めればいい。我が子をこのような情報退廃淘汰へ貶めたくない親は次の事に注意すべき。
パンドラの箱である無法地帯インターネット環境に子息を接続させない為に、パソコン及びケータイを含む新種の情報機器を極めて限られた条件、保護者監視下かつセーフガード内でしか触れさせず、且つ常時オフラインにしておく様、常に気をつけているを得る。これが子息の情報格差に働く事を懸念する人物は、例えば麻薬喫煙が流行した時代に寧ろそれに慣れさせる様に未成年を指導する愚か者に似ている。
ネット規制法が未成年に対して安全な環境を整備するまで、完全に無法地帯と化している野蛮な不浄環境からはあらゆる未成年を遠ざける工夫を凝らす他ない。孟母三遷から。
情報はあまりに莫大で彼らの人生をspoilするには充分な威力。特に若年者は使用制限されなければこの危機に最も曝され易く、大半の隔離環境では退廃に陥り脱出不可能になる。
彼らは名前を持たない衆愚として匿名環境であらゆる悪業醜態の限りを尽くす。それはインターネットを通じて世界中に同時に知らされる。
そういう情報退廃の衆愚は地球のあらゆる自由主義の暗部として群れになる。
無法地帯で悪名高い2ちゃんねるの様な匿名書き込み可能な情報スラムと化した掲示板システムはそういうやくざの溜まり場となり、各国に派生するだろう。
これらが及ぼす被害、衆愚による人権濫用を最小に食い止めるには、各国主体で市民団体および政府機関を組織し、専ら匿名SNSシステムの虱潰しを徹底的に行うべきだ。掲示板(BBS)開設の条件に国民番号を記載する旨も法規されねばならない。又、悪質な国内サイト自体をネット規制法で国民自身が政治的に監視し直すべき。これがなければ無法仮想空間はあらゆる人権を壊滅し尽くすまで増長を続けるだろう。
尤に、退廃愚衆そのものは淘汰の自然に過ぎない。この奇形的衆愚の生存率は悪徳のたちから極めて低いのが明らかなので、唯、一般社会はその及ぼす害毒や犯罪行為を未然に予防することに努めればいい。我が子をこのような情報退廃淘汰へ貶めたくない親は次の事に注意すべき。
パンドラの箱である無法地帯インターネット環境に子息を接続させない為に、パソコン及びケータイを含む新種の情報機器を極めて限られた条件、保護者監視下かつセーフガード内でしか触れさせず、且つ常時オフラインにしておく様、常に気をつけているを得る。これが子息の情報格差に働く事を懸念する人物は、例えば麻薬喫煙が流行した時代に寧ろそれに慣れさせる様に未成年を指導する愚か者に似ている。
ネット規制法が未成年に対して安全な環境を整備するまで、完全に無法地帯と化している野蛮な不浄環境からはあらゆる未成年を遠ざける工夫を凝らす他ない。孟母三遷から。
天文学
重力は引力と遠心力の合力であり、従って極では最大に赤道上では最小になる。F=GMm/R2(万有引力)と、逆向きf=mRω2cosφ(遠心力)の合力ゆえ。また重力Wを質量mと、重力加速度gで現すと
W=mg
このgは極で約9.83(m/s2)となり赤道上で約9.78(m/s2)となる。言い換えれば単位質量に働く重力は約0.05(m/s2)違う。また遠心力は中心距離に比例するので、地球上のより高い地点で重力は弱まる。円運動の半径rはF=mrω2(遠心力)において質量m角速度ω2に比例する。我々はこれを高度補正として知る。その値は約3.086×10-16(m/s2)。
W=mg
このgは極で約9.83(m/s2)となり赤道上で約9.78(m/s2)となる。言い換えれば単位質量に働く重力は約0.05(m/s2)違う。また遠心力は中心距離に比例するので、地球上のより高い地点で重力は弱まる。円運動の半径rはF=mrω2(遠心力)において質量m角速度ω2に比例する。我々はこれを高度補正として知る。その値は約3.086×10-16(m/s2)。
家計訓
いかなる金も使い道を誤れば害となる。
稼ぐに追い着く貧乏は浪費家の悪友である。
節制は性的放逸をも退治する。
愚かな連中は失われゆく快楽のために折角の身代を消費して、常に忙殺されている。
戒めるべきは無駄使いであり、経世済民的投資ではない。
慈善は最高の娯楽である。
稼ぐに追い着く貧乏は浪費家の悪友である。
節制は性的放逸をも退治する。
愚かな連中は失われゆく快楽のために折角の身代を消費して、常に忙殺されている。
戒めるべきは無駄使いであり、経世済民的投資ではない。
慈善は最高の娯楽である。
2007年11月28日
国内食糧政策
日本は2007年現在蛋白質源である魚・肉・大豆を大部分輸入に依存しており、その結果世界貿易に恐慌が起こり円を除くブロックが形成された場合、先進国中で唯一国内食糧にすら困窮する危険がある。
この危険を回避するには蛋白質源の確保の為に政府が少なくとも魚・肉・大豆のどれかの産業に価格保証を与え保護し、国内自給率を先進国水準まで向上しておかなければならない。特に漁業が日本人の健康寿命の増進の為にも、保護産業に適している。官民揃って我々は中国産の国際的不信感に対応して、安物の魚を忌避するべきである。また大豆農家については自給分の味噌や豆腐や納豆など日々の和食材料を生産可能な程度には、同様な養生監視が必須だろう。
国産の肉類は低価格の輸入ものに対して一途な高級化を志向することで住み分けし、貿易自由化に伴う壊滅的打撃を免れるだろう。
国産肉類には各生産地の農協によるブランドづけが有効に働く。生産地名度を徹底して上げることで普段は嗜好品として、緊急時には貴重な蛋白質源として国民の安心に働くことができる。
この危険を回避するには蛋白質源の確保の為に政府が少なくとも魚・肉・大豆のどれかの産業に価格保証を与え保護し、国内自給率を先進国水準まで向上しておかなければならない。特に漁業が日本人の健康寿命の増進の為にも、保護産業に適している。官民揃って我々は中国産の国際的不信感に対応して、安物の魚を忌避するべきである。また大豆農家については自給分の味噌や豆腐や納豆など日々の和食材料を生産可能な程度には、同様な養生監視が必須だろう。
国産の肉類は低価格の輸入ものに対して一途な高級化を志向することで住み分けし、貿易自由化に伴う壊滅的打撃を免れるだろう。
国産肉類には各生産地の農協によるブランドづけが有効に働く。生産地名度を徹底して上げることで普段は嗜好品として、緊急時には貴重な蛋白質源として国民の安心に働くことができる。
凡愚と覚悟
いかなる凡人も凡庸性が適応的な為に凡人に甘んじる。というのは、そのような凡人には天性の才能が欠けているし、後天的努力に対して限度以上に行うだけの抑圧度を持たないから、分相応の地位を戴いて安住する。
輪廻を解脱し得たと考える人は運命の流れと称されるところのものに殉じる覚悟にある。というのは、このような境涯では因果律の為に自分の才能を最大限に発揮するような気負い、覚悟が生まれるのだから。
輪廻を解脱し得たと考える人は運命の流れと称されるところのものに殉じる覚悟にある。というのは、このような境涯では因果律の為に自分の才能を最大限に発揮するような気負い、覚悟が生まれるのだから。
2007年11月27日
数学
-1×(-1)=+1について。
1×2=2
2-1=1, 3-1=2だから
(2-1)×(3-1)=2…①
分配法則
(a-b)×(c-b)=ac-ab-bc-b2=ac-b(a+c)-b2
よって、①より
2×3-1(2+3)+(-1)2=6-1×5+(-1)2=6-5+(-1)2
よって1+(-1)2…②
これを=2にするには(-1)2つまり-1×(-1)を-のまま定義すると矛盾する。従って、
1+(-1)2=2
1×2=2
2-1=1, 3-1=2だから
(2-1)×(3-1)=2…①
分配法則
(a-b)×(c-b)=ac-ab-bc-b2=ac-b(a+c)-b2
よって、①より
2×3-1(2+3)+(-1)2=6-1×5+(-1)2=6-5+(-1)2
よって1+(-1)2…②
これを=2にするには(-1)2つまり-1×(-1)を-のまま定義すると矛盾する。従って、
1+(-1)2=2
2007年11月26日
2007年11月25日
捕鯨批判
食用にする民族にとっても鯨類摂取の蛋白質は極力、他のものに代替するのが現代国際基準に照らして正しい。生態系の比較的上位にある生物を大量捕獲する野蛮は戒めねばならない。
我々の国際ルールを遵守した研究は捕鯨の為ではなく、全く逆に鯨の養生の為に働くもの。如何なる生物も闇雲に放置すれば増加する訳ではなく、寧ろ餌を含む周辺環境の適性が必須となる。
我々の国際ルールを遵守した研究は捕鯨の為ではなく、全く逆に鯨の養生の為に働くもの。如何なる生物も闇雲に放置すれば増加する訳ではなく、寧ろ餌を含む周辺環境の適性が必須となる。
2007年11月24日
現代経済学
保護関税説。比較生産費説は保護関税の国連導入により補完される。その値はハンディキャップとして充分なものへと将来の国連経済庁により調整される。如何なる商品も相互文化の意向に基づいて取引されるべきで、武力威嚇が背後に控えていては真の互恵公平にならない。例えば単一作物の農業国の工業化意向を貿易平衡上で妨げる様なら、その先進国は当方を間接植民地として搾取するに過ぎない。そしてそこに生ずる貿易差額による不公平はいずれ先進国にも不況として巡るのだ。如何なる国も自給自足を完成させる事は出来ないのだから。全ての国家は生産消費の最適配分のため連帯しなければならない。かつて世界大戦なる最悪の事態は、事実、巨大な経済的不均衡の揺り戻しとして起きた。自助経済発展をあまり期待できない途上国は、自らの国家主権を国際連合へ自主譲渡することで保護関税圏内へ参加できるだろう。それはテロリズムや社会主義政権に訴えない、唯一の正当な覇権への抵抗となる。
料理論
美食には節度がなければならない。その目的は健康の増進であり、決して嗜好そのものではない。偏食家が如何に主張しようと美食家とは呼べないのだから。
優れた舌は食材が広く、豊かな食糧事情の安定環境下でのみ発達する。そのような環境からは多くの世界料理が誕生する。
如何なる料理も文化活動の仕方を含んでのみ発展する。
出来合いの輸入ではなく、美味しい料理の方法を素材ごと学ぶ努力を通じて、料理家は新たな美食を創作する契機をつける。そして真に芸術的な創作料理には実りも大きい。如何なる芸術も合理性によって審美される。従って優れた料理は人類の健康増進に寄与するところ多大である。
美味、即ち舌の趣味は健康的な民族ほど優れた感覚である。不味い物を避けること脱兎の如く、栄養ある料理に長けることお袋の如くあってこそ美食家の名を冠するに足る。
究極の美食は淡白に趣く。健康増進の為に必要充分な味付けは自然食材を慈悲感謝を以て尊重するような、さりげのないもの。真の美食民族は長寿である。
優れた舌は食材が広く、豊かな食糧事情の安定環境下でのみ発達する。そのような環境からは多くの世界料理が誕生する。
如何なる料理も文化活動の仕方を含んでのみ発展する。
出来合いの輸入ではなく、美味しい料理の方法を素材ごと学ぶ努力を通じて、料理家は新たな美食を創作する契機をつける。そして真に芸術的な創作料理には実りも大きい。如何なる芸術も合理性によって審美される。従って優れた料理は人類の健康増進に寄与するところ多大である。
美味、即ち舌の趣味は健康的な民族ほど優れた感覚である。不味い物を避けること脱兎の如く、栄養ある料理に長けることお袋の如くあってこそ美食家の名を冠するに足る。
究極の美食は淡白に趣く。健康増進の為に必要充分な味付けは自然食材を慈悲感謝を以て尊重するような、さりげのないもの。真の美食民族は長寿である。
2007年11月23日
2007年11月22日
学習論
如何なる知識も理解されてこそ定着する。理解されない記憶は短期に消え去る。故に、科学者を志す者は世界体系を理解する事に努めるべきで闇雲な暗記が効率ではない。これは諺に急がば回れと云われる。真剣な学習には速さよりも充分な忍耐を要する。如何なる天才もこの原則を踏み越した事はなかった、と明記せよ。暗記は試験勉強の手段である。理解した分を記憶する事は非常に有意義となる。それが博識の謂いである。逆に衒学とからかわれるソフィストは記憶があって理解が無い。俗に云う論語読みの論語知らず。
色彩学或いは光学
色彩はどんな意味を持つ自然界の要素か。我々はそれを視覚的把握を通じた物質化学状態の認識に用いる為に眼球を進化させた。色彩は物質表面の光反射率に依存する。それは表面の状態を知らせる。従って擬態もあり得る。化粧や絵画は装飾を通じた擬態の作為である。網膜の錐体細胞における如何なる要素が色彩感覚を示すかを知るべきである。一説にオプシン蛋白質の反応性が色彩感覚の原色刺激になると云う。その真偽を調べる方法を執る事。もしそうなら如何なる感覚野が存在し各生物で如何に違うか。人間が光の三原色(赤青緑)と絵の具の三原色(赤青黄)とを見分けるのはどうしてか。
彼らは錐体細胞には青赤緑の蛋白質反応体を持つと仮定して、それらの知覚に比べると物質表面の合成は光の全反射において白、全吸収において黒を示す、つまり光に対する反射度の減退として絵の具は物質表面に作用する道具だ。
一方で、透明な物質は光を透過するから色彩をもたらさない。又、反射するに当たって透過なものは表面が平滑ならばそこで光を映す。鏡はこの作用をエナメル質の全反射特性を通じて利用したもの。全反射ながら白にならないのは物質表面が平滑な為に光が散乱せず直接反射するから。よって、鏡の表面を細かく傷つけるとそれは白くなる。ステンレスに対する白銀の光沢は同様の現象による。
真っ白なエナメル質のもの、例えば塩化ビニールと鏡状のもの、例えばステンレスとは如何に光・色彩化学的に異なるか。塩化ビニールは如何に色彩を散乱させるか。ステンレスは如何に色彩を直接反射させるか。その作用の違いを調べる事。
光学用語。
正反射、鏡面反射…光の直進を反射の法則で尊重する
乱反射…物質表面で光が拡散する
反射の法則…等角で跳ね返す
吸光…物質が光を吸収する現象
銀色はAg原子の集積によるしろがねの輝きをも意味する。金属光沢は如何にして発生するか、又その性質は如何なるものか。金属内部の自由電子と光束とは如何に関係し現象を発するか。
彼らは錐体細胞には青赤緑の蛋白質反応体を持つと仮定して、それらの知覚に比べると物質表面の合成は光の全反射において白、全吸収において黒を示す、つまり光に対する反射度の減退として絵の具は物質表面に作用する道具だ。
一方で、透明な物質は光を透過するから色彩をもたらさない。又、反射するに当たって透過なものは表面が平滑ならばそこで光を映す。鏡はこの作用をエナメル質の全反射特性を通じて利用したもの。全反射ながら白にならないのは物質表面が平滑な為に光が散乱せず直接反射するから。よって、鏡の表面を細かく傷つけるとそれは白くなる。ステンレスに対する白銀の光沢は同様の現象による。
真っ白なエナメル質のもの、例えば塩化ビニールと鏡状のもの、例えばステンレスとは如何に光・色彩化学的に異なるか。塩化ビニールは如何に色彩を散乱させるか。ステンレスは如何に色彩を直接反射させるか。その作用の違いを調べる事。
光学用語。
正反射、鏡面反射…光の直進を反射の法則で尊重する
乱反射…物質表面で光が拡散する
反射の法則…等角で跳ね返す
吸光…物質が光を吸収する現象
銀色はAg原子の集積によるしろがねの輝きをも意味する。金属光沢は如何にして発生するか、又その性質は如何なるものか。金属内部の自由電子と光束とは如何に関係し現象を発するか。
生物学
生命体の起源。なぜ地球では生命体が栄えたか。海水が残る奇跡的距離を通じてのみ、太陽放射を葉緑素へと還元する特異な形態、有機物が発生した、と主張する人達。だが、それは偶発事の次元に過ぎぬ。宇宙が無際限ならあらゆる形態の可能性があるので、太陽系に漸近した場所も無数に発見できる。
なぜ無機物は化学変化を葉緑素の方向へと導くことになったか、を知らなければならない。それが天恵の理由だから。
光合成化学反応6×CO2+12×H2O→C6H12O6+6×H2O+6×O2
はグルコース(C6H12O6)を生産する。補償点を超えた分が有機物生産となる初源活動である。これは無機物質に対する突然変異の一形態として現れたのが明らかである。言い換えれば、地球の海は以上の反応を創造した。
では如何なる素材に如何なる技法を加えれば葉緑素は発明可能なのか。
なぜ無機物は化学変化を葉緑素の方向へと導くことになったか、を知らなければならない。それが天恵の理由だから。
光合成化学反応6×CO2+12×H2O→C6H12O6+6×H2O+6×O2
はグルコース(C6H12O6)を生産する。補償点を超えた分が有機物生産となる初源活動である。これは無機物質に対する突然変異の一形態として現れたのが明らかである。言い換えれば、地球の海は以上の反応を創造した。
では如何なる素材に如何なる技法を加えれば葉緑素は発明可能なのか。
2007年11月21日
日米文化型の考察
アメリカ人はどうして自立を優先するか。フランクリンの代から彼らは成長を早める為に如何なる犠牲も忍んだ。日本人においては成人後も子供に世話するのが自然だし、又子供自身の自立の後にも親孝行は当然とされる。それは成長を急かせない。彼らは民族全体のモラトリアム値を集団的・社会慣習的に構築しようとする。従ってアメリカ人は日本人より成長が早い。アメリカ人は極めて早く成長を要求するが故に、子供にも早く早く自立を勧め、幼い頃から経済的損得感情を人倫に相反しない様に教え込む・pragmatism。その植民地からの独立の焦りが「新しさ」への渇望へ彼らの生活態度を合理化させた。
対して日本人は成長をなるだけ引き延ばしたがり、幼児には商売へ近寄らせない。どころか、彼らは子供に買い物させることすら何かしら卑しい家庭の事柄として嫌う。日本人はこうしてまるで幼子のような成人を求め、そのような汚れのない、世間知らずの若者を理想として様々な浮世の荒浪から長く、隔離して成長させようとする。まるで抹茶に陽射しを当てずカテキン合成を阻害しテアニン成分を抽出する様に。日本人はそうして幼形成熟・neotenyな人物を理想として育む。
極度に幼児的な女性は可愛い子振りっ子と呼ばれ成熟した女性から悲惨な迫害や排斥に遭う。又、男性においては餓鬼と呼ばれ様々な社会的差別に遭う。にも関わらず、彼らにとってそういうネオテニー化した成人こそが常に目指されるべき理想像であり、純粋な希望の象徴となる。つまり大多数の凡人はそのような貴重な達成に預かった人物を嫉妬しているに過ぎない。
日本人の教育哲学は全くプラグマティズムとは相反していると考えても大きな間違いはない。日本人は、アメリカ人とは違い、競争を殊更避ける。競争させようとすると彼らは極端な場合、互いに虐めを始め、一定の対象へ敵意を集中させ自らの集団内の相互平等を維持させようとさえする。日本人はしばし成功のためではなく平和のために努力する。こうして彼らは自ら目立つことを避けるべく神経を尖らせた深慮を凝らす。プラグマティックな個人主義は競争における成果を和合よりも優先させる思想故。
日本人は自立をさほど立派な事と考えていない。だから成人後も親と同居したり資金援助を受けたりするのが不自然ではなく、大半の人々が親の住む家(彼らは実家と呼ぶ)に頻繁に帰郷して家族会を開く。このような家族会の慣習を彼らは帰省ラッシュと呼ぶ。ある種の国民的祝日の前後には、Japan Railwaysの駅はこのような民族事業に熱心な人々でごったがえす。自ら労をねぎらうべき休暇にそういう仕事を詰め込んで不合理とも覚えない人々をクールな眼差しで哀れむ人種は希である。日本では、最大多数の意見に従うのが、たとえそれが明らかにどんなに誤った偏見であっても、常識とされてしまう。こうして彼ら固有の悲劇は集団生活を何より好む彼ら自身の心情に合致して、様々な窒息しそうに狭い空間に蟻のような行列を作る文化現象をあちこちで発生させる。
アメリカ人は連邦自立のため余りにも急速な成長を余儀なくされたので、子女に最小のモラトリアムしか与えない慣習を作り上げた。こうして彼らは高潔とか貞節という概念を殆ど持たない場合が多い。そういうものは野暮だと考えている。彼らは性的には野蛮であり、むしろ純潔をなるだけ早く破戒する様に努める。
その結果彼らの文化は性的に際限もなく放縦となり、エイズの危機に大多数の人間を晒している。そして本の一部の変わり者以外は大部分が、早くにビジネス界の片隅から利益のお零れとそれ相応の自尊心を手に入れようと躍起になって競争し出す。
従って、彼らアメリカ人の間では、最も魅力的な男性は野獣のように豪胆であらゆる事に万能なスーパーマンでなければならず、そういう完璧な男性像を虚構するべく彼らは様々な画策を図る。何としてでもアイビーリーグに入り込む為には世襲や賄賂も公然と行われ、制度化されさえする。そのような環境ではライ麦畑のキャッチャー志望者は一人残らず排除されざるを得ない。
日本人はこれに対して純潔を何より大切にする伝統を持つ。彼らの殆どは皇族などの専制権力者、富裕な商人、下層民衆という商業圏の影響下にあった例外を除いて、あらゆる時代を通じて純潔の模範だった。彼らは汚れを嫌う。常に社会的差別と隔離のもとに存在する遊女や痴漢を除いて、日本人は家庭を恋愛より優先する。従って、彼らにとって恋愛は何かしら忌むべき邪な事として生活の隅に追いやられる。中流以上の日本人は家庭生活内で恋愛に関連する事柄をタブーにし、なるだけ子女を発情から遠ざける工夫を凝らす。その結果、中流の子供は社会に存在する中流以下の家庭の子供に教示されて初めて、性的な問題に関する知識を得なければならない。従って他の階級とは隔離された上流家庭では一切の性的問題を教えられないまま、子女はあたかもむく犬のように育つ事を期待され、大半は成功する。事実、日本人の社会では性的目覚めが早ければ早いほどその所属する階級は低くなるように巧妙に仕組まれている。下流階級の子女ほど早く恋愛を経験し、早く家庭を築く為に早く経済的自立を求めなければいけなくなる。この結果、彼らは優等生に与えられるあらゆるハンディキャップを剥奪され、素足でレースに出なければならない。その結果彼らの過半は生涯うだつが上がる気配は無いが、同時に子女も早く自立するので教育費の負担もそれほど心配しない。
つまり、日本においてはこうして「優等生」と「不良」にはそれぞれに独自の生涯の展開が、巧妙にコース分けされて存在する。
アメリカにおける様なチャンスは日本には殆ど一度もない。代わりに日本には始めから終わりまでコースが敷かれている。そしてこのようなコースを一端外れてしまうと、様々な社会的圧力により元々所属していた階級コースに再び乗り換えるのは本当に容易ではない。
アメリカは平等の名目をとった実力社会であり、日本は階層の名目をとった単線社会である。両者にはそれ独特の長短がある。しかし、究極では両者は決して混じり合わないだろう。なぜなら両者は風土に対して適応した結果、そのような文化型を独自に捻り出した。
日本はアメリカ文化型を部分的に摂取することで自由主義を消化しようとした。
だが、彼らは国家制度を異ならせる為アメリカ文化へ完全に同質化することはないだろう。
対して日本人は成長をなるだけ引き延ばしたがり、幼児には商売へ近寄らせない。どころか、彼らは子供に買い物させることすら何かしら卑しい家庭の事柄として嫌う。日本人はこうしてまるで幼子のような成人を求め、そのような汚れのない、世間知らずの若者を理想として様々な浮世の荒浪から長く、隔離して成長させようとする。まるで抹茶に陽射しを当てずカテキン合成を阻害しテアニン成分を抽出する様に。日本人はそうして幼形成熟・neotenyな人物を理想として育む。
極度に幼児的な女性は可愛い子振りっ子と呼ばれ成熟した女性から悲惨な迫害や排斥に遭う。又、男性においては餓鬼と呼ばれ様々な社会的差別に遭う。にも関わらず、彼らにとってそういうネオテニー化した成人こそが常に目指されるべき理想像であり、純粋な希望の象徴となる。つまり大多数の凡人はそのような貴重な達成に預かった人物を嫉妬しているに過ぎない。
日本人の教育哲学は全くプラグマティズムとは相反していると考えても大きな間違いはない。日本人は、アメリカ人とは違い、競争を殊更避ける。競争させようとすると彼らは極端な場合、互いに虐めを始め、一定の対象へ敵意を集中させ自らの集団内の相互平等を維持させようとさえする。日本人はしばし成功のためではなく平和のために努力する。こうして彼らは自ら目立つことを避けるべく神経を尖らせた深慮を凝らす。プラグマティックな個人主義は競争における成果を和合よりも優先させる思想故。
日本人は自立をさほど立派な事と考えていない。だから成人後も親と同居したり資金援助を受けたりするのが不自然ではなく、大半の人々が親の住む家(彼らは実家と呼ぶ)に頻繁に帰郷して家族会を開く。このような家族会の慣習を彼らは帰省ラッシュと呼ぶ。ある種の国民的祝日の前後には、Japan Railwaysの駅はこのような民族事業に熱心な人々でごったがえす。自ら労をねぎらうべき休暇にそういう仕事を詰め込んで不合理とも覚えない人々をクールな眼差しで哀れむ人種は希である。日本では、最大多数の意見に従うのが、たとえそれが明らかにどんなに誤った偏見であっても、常識とされてしまう。こうして彼ら固有の悲劇は集団生活を何より好む彼ら自身の心情に合致して、様々な窒息しそうに狭い空間に蟻のような行列を作る文化現象をあちこちで発生させる。
アメリカ人は連邦自立のため余りにも急速な成長を余儀なくされたので、子女に最小のモラトリアムしか与えない慣習を作り上げた。こうして彼らは高潔とか貞節という概念を殆ど持たない場合が多い。そういうものは野暮だと考えている。彼らは性的には野蛮であり、むしろ純潔をなるだけ早く破戒する様に努める。
その結果彼らの文化は性的に際限もなく放縦となり、エイズの危機に大多数の人間を晒している。そして本の一部の変わり者以外は大部分が、早くにビジネス界の片隅から利益のお零れとそれ相応の自尊心を手に入れようと躍起になって競争し出す。
従って、彼らアメリカ人の間では、最も魅力的な男性は野獣のように豪胆であらゆる事に万能なスーパーマンでなければならず、そういう完璧な男性像を虚構するべく彼らは様々な画策を図る。何としてでもアイビーリーグに入り込む為には世襲や賄賂も公然と行われ、制度化されさえする。そのような環境ではライ麦畑のキャッチャー志望者は一人残らず排除されざるを得ない。
日本人はこれに対して純潔を何より大切にする伝統を持つ。彼らの殆どは皇族などの専制権力者、富裕な商人、下層民衆という商業圏の影響下にあった例外を除いて、あらゆる時代を通じて純潔の模範だった。彼らは汚れを嫌う。常に社会的差別と隔離のもとに存在する遊女や痴漢を除いて、日本人は家庭を恋愛より優先する。従って、彼らにとって恋愛は何かしら忌むべき邪な事として生活の隅に追いやられる。中流以上の日本人は家庭生活内で恋愛に関連する事柄をタブーにし、なるだけ子女を発情から遠ざける工夫を凝らす。その結果、中流の子供は社会に存在する中流以下の家庭の子供に教示されて初めて、性的な問題に関する知識を得なければならない。従って他の階級とは隔離された上流家庭では一切の性的問題を教えられないまま、子女はあたかもむく犬のように育つ事を期待され、大半は成功する。事実、日本人の社会では性的目覚めが早ければ早いほどその所属する階級は低くなるように巧妙に仕組まれている。下流階級の子女ほど早く恋愛を経験し、早く家庭を築く為に早く経済的自立を求めなければいけなくなる。この結果、彼らは優等生に与えられるあらゆるハンディキャップを剥奪され、素足でレースに出なければならない。その結果彼らの過半は生涯うだつが上がる気配は無いが、同時に子女も早く自立するので教育費の負担もそれほど心配しない。
つまり、日本においてはこうして「優等生」と「不良」にはそれぞれに独自の生涯の展開が、巧妙にコース分けされて存在する。
アメリカにおける様なチャンスは日本には殆ど一度もない。代わりに日本には始めから終わりまでコースが敷かれている。そしてこのようなコースを一端外れてしまうと、様々な社会的圧力により元々所属していた階級コースに再び乗り換えるのは本当に容易ではない。
アメリカは平等の名目をとった実力社会であり、日本は階層の名目をとった単線社会である。両者にはそれ独特の長短がある。しかし、究極では両者は決して混じり合わないだろう。なぜなら両者は風土に対して適応した結果、そのような文化型を独自に捻り出した。
日本はアメリカ文化型を部分的に摂取することで自由主義を消化しようとした。
だが、彼らは国家制度を異ならせる為アメリカ文化へ完全に同質化することはないだろう。
人類学及び生物学
寒暑或いは天候適応。人間、乃至は動物は何故に寒さや暑さに弱いか。如何に対処するか。彼らの新陳代謝は体外物質交代とされる。如何なる交換も生体能力の環境適応に働く。温湿度は彼らの生体を維持する為の条件を形成している。どんな動物も一定範囲の環境から発生したのであり、その環境特有の状態変化中心にしか働けない。従って進化や退化に対して順応は彼らを定義する最低限度の環境条件に等しい。彼らは温湿度を順応の目安にする。彼らは体温調整を様々な仕方で行う。移動、太陽系生活リズム、汗、震え、毛、着物など。特に汗は彼らが獲得した有効な調整法であり、この故に哺乳類は体温調整毛を失って着物へと外部化し、より広い環境に再適応することも可能とした。人類は更に機械設備を作り、彼らの巣そのものを順応調整する。その結果彼らは脱星・宇宙空間へも進出を始めている。寒さや暑さは体感温度とは別に絶対温度として考えれば周辺空気の微分振動度に還元できる。どんな空気も微動しているが、その物質交代の密度次第では極めて暑くなったり寒くなったりする。その具体的性質について研究すること。
歴史論
平等主義教育に放り込まれたある青少年がどの程度の伸び幅を示すか期待する人々。彼らは家庭と学校を跨ぐ子供の実情を知らない。如何なる子供も前世の因縁、先祖の教養から自由ではない。家出をしようと出自は人格の基礎にまとわりつく。
彼らは努力により階級闘争が補完される夢をいだく。現実には、彼らを通じて導くのは宿業でしかない。因果応報は世代を超える。同じく、種族は歴史の主体となる。如何なる人も前世の因縁から自由ではない。
あらゆる行いは歴史となる。
彼らは努力により階級闘争が補完される夢をいだく。現実には、彼らを通じて導くのは宿業でしかない。因果応報は世代を超える。同じく、種族は歴史の主体となる。如何なる人も前世の因縁から自由ではない。
あらゆる行いは歴史となる。
旅
京都、君が訪れた場所。
金沢、君が訪れた場所。
先行の知れない不安を解消するには、君は旅を続けるしかない。
奈良、君が訪れた場所。
那智、君が訪れた場所。
何年前から何年後までを支配する景色かも知れず、君を狂おしく取り囲む世界にある。
死に至る迄の片道切符を渡される。君は旅を続けるしかない。
何事も隠しきれない旅の途中では、どんな形而上学的存在からの恩寵ですら魔法の言霊にも等しい。
それでも、君は目の前の道を脅迫された野良犬のように直闇雲に辿る筈だった。
誰一人として君に共感を寄せない。しかし、君には他の道は存在もしない。
池袋、君の訪れた場所。
新宿、君の訪れた場所。
品川、君の訪れた場所。
どこにも君の居場所は無い。どこでも君には安らぐ暇がない。
とにかく君は永遠の前では致命的に無力で、偶然に匿われた草場の隅を占める浮浪者に等しい心地だ。
それでも、この世界では旅を続けるしかない。この世界には家と呼べる場所は無いのだから。
日本、君の訪れた場所。
地球、君の訪れた場所。
太陽系、君の訪れた場所。
天の川銀河、君の訪れた場所。
最初から最後まで君を徹底して追い詰めたのは抜本的な孤独だけだった。
産まれてから死ぬ迄の間、君には心安らぐ暇もない。それでも君は人間と呼ばれる僅かな期間に順応する様指導されてはいた。
特に意味もない現実の前で、喚きにも等しい偶発事の再拝を賜る気分はどうか。
お前には心安らぐ場所は用意されなかった。お前にはどんな安心も用意されなかった。
短い命、君が訪れた場所。
永遠の孤独、君が訪れた場所。
旅行く先々で君を歓迎したのはひとえに、観光客向けの偽善者達の搾取目的だけだった。
金沢、君が訪れた場所。
先行の知れない不安を解消するには、君は旅を続けるしかない。
奈良、君が訪れた場所。
那智、君が訪れた場所。
何年前から何年後までを支配する景色かも知れず、君を狂おしく取り囲む世界にある。
死に至る迄の片道切符を渡される。君は旅を続けるしかない。
何事も隠しきれない旅の途中では、どんな形而上学的存在からの恩寵ですら魔法の言霊にも等しい。
それでも、君は目の前の道を脅迫された野良犬のように直闇雲に辿る筈だった。
誰一人として君に共感を寄せない。しかし、君には他の道は存在もしない。
池袋、君の訪れた場所。
新宿、君の訪れた場所。
品川、君の訪れた場所。
どこにも君の居場所は無い。どこでも君には安らぐ暇がない。
とにかく君は永遠の前では致命的に無力で、偶然に匿われた草場の隅を占める浮浪者に等しい心地だ。
それでも、この世界では旅を続けるしかない。この世界には家と呼べる場所は無いのだから。
日本、君の訪れた場所。
地球、君の訪れた場所。
太陽系、君の訪れた場所。
天の川銀河、君の訪れた場所。
最初から最後まで君を徹底して追い詰めたのは抜本的な孤独だけだった。
産まれてから死ぬ迄の間、君には心安らぐ暇もない。それでも君は人間と呼ばれる僅かな期間に順応する様指導されてはいた。
特に意味もない現実の前で、喚きにも等しい偶発事の再拝を賜る気分はどうか。
お前には心安らぐ場所は用意されなかった。お前にはどんな安心も用意されなかった。
短い命、君が訪れた場所。
永遠の孤独、君が訪れた場所。
旅行く先々で君を歓迎したのはひとえに、観光客向けの偽善者達の搾取目的だけだった。
学部と院
就職準備と化した大学の学部教育においては、入学段階から修士・博士志望コースとは分け隔てがあって然るべきである。コース変更の為には一定以上の厳しい試験を設けるか、再び入学からやり直しをさせる。
物理学
なぜ宇宙は膨張するのか。全ての物質は互いに位置を交換している。ニュートン力学の運動三原則。過去が定義上で存在しない限り、無という事態は世界にない。絶対真空は仮想である。運動の原因は物質交代にある。何物も単独ではない。何物も他との空間状態の差異で定義される。如何なる手順で物質には差異が設けられるか。現象の理由は何か。如何なる最小原子も他に対する空間を持つ。如何なる最小原子も物質交代から自由ではない。
2007年11月20日
講義単位の共通化
若年対象の大学組織は脱構築されねばならない。学習課程の複線化は正しい。門戸を広げ内部淘汰を厳しくすればする程、大学は企業的に合理化される。単位互換も流通が効く程、偏差値や名門に依らない大学間の健全な講義競合が図られる。教授職を終身雇用にする慣習も、組織みずからの経営方針により破壊されなければ決して大学法人は生き残れないだろう。
2007年11月19日
基礎教育論
2007年11月10日付け朝日新聞4面に学習指導要項の作り手へのインタビューあり。
一に曰く「高校卒業資格試験」を行いその成績で大学が選抜すべしと。二に曰く国際的に劣る応用力を鍛えるべく「言語力」を重視すべしと。
我おもわくば日本成人の知的意欲が低いのはひとえに科挙型入試の弊害なり。勉強は明治維新とやら勘違いしたる日本人独特の語句にて、通常は学習・learning・まなびという程度の自己啓発のきっかけづくりが後生育成の謂いなり。勉強嫌いを育てる義務を超えた高等教育とやらにはなんの先進国性ありしや。前二者の提案に一考の余地あるは当然なれど、問題の根は科挙の風がはびこりたる日本人の教育思想にあり。義務教育を超えれば自由主義教育を広めることこそ成人の科学理解度を高める要件なり。学習好きを育めばわざわざ奨励大金を投じて教えずとも各自勝手に学術研究は進む。各種研究機関も私資本を投じる趣きも民間に自然発生す。元来知的好奇心の芽生えありし秀才の種は受験摩擦に費やせば二度と伸びず。
又、イギリスにて義務教育修了を16歳から18歳に引き上げる方針あり。朝日新聞2007年11月17日、8面。日本の教育方針進退如何。
我おもわくば勉強嫌いを無理な勉強に追い込むは益々不良を不良化するのみ。人間には向き不向きあり。勉強嫌いには様々な仕事ありて、国際水準の平均知を涵養できれば、自ら欲せざれば外発的には充分なり。孔子曰く憤せずば啓せず、悱せずんば発せずと。誠に至言なり。また一面を明かせば元来勉強不可能の愚は生存格差により自然減数が肝要なり。これらを犯罪に走らせぬ為の受け皿に、世界宗教法人および最低限度の生活保障を充実興さぬベからず。我自由主義高等教育をば啓発的大学環境と信ず。この大学環境は日本の現代には存在せず。
一に曰く「高校卒業資格試験」を行いその成績で大学が選抜すべしと。二に曰く国際的に劣る応用力を鍛えるべく「言語力」を重視すべしと。
我おもわくば日本成人の知的意欲が低いのはひとえに科挙型入試の弊害なり。勉強は明治維新とやら勘違いしたる日本人独特の語句にて、通常は学習・learning・まなびという程度の自己啓発のきっかけづくりが後生育成の謂いなり。勉強嫌いを育てる義務を超えた高等教育とやらにはなんの先進国性ありしや。前二者の提案に一考の余地あるは当然なれど、問題の根は科挙の風がはびこりたる日本人の教育思想にあり。義務教育を超えれば自由主義教育を広めることこそ成人の科学理解度を高める要件なり。学習好きを育めばわざわざ奨励大金を投じて教えずとも各自勝手に学術研究は進む。各種研究機関も私資本を投じる趣きも民間に自然発生す。元来知的好奇心の芽生えありし秀才の種は受験摩擦に費やせば二度と伸びず。
又、イギリスにて義務教育修了を16歳から18歳に引き上げる方針あり。朝日新聞2007年11月17日、8面。日本の教育方針進退如何。
我おもわくば勉強嫌いを無理な勉強に追い込むは益々不良を不良化するのみ。人間には向き不向きあり。勉強嫌いには様々な仕事ありて、国際水準の平均知を涵養できれば、自ら欲せざれば外発的には充分なり。孔子曰く憤せずば啓せず、悱せずんば発せずと。誠に至言なり。また一面を明かせば元来勉強不可能の愚は生存格差により自然減数が肝要なり。これらを犯罪に走らせぬ為の受け皿に、世界宗教法人および最低限度の生活保障を充実興さぬベからず。我自由主義高等教育をば啓発的大学環境と信ず。この大学環境は日本の現代には存在せず。
2007年11月18日
化学
量子力学は化学法則に関する探求の一縷であると知らねばならない。
確率を導入すれば我々としては対象を予測することはできても決定はできない訳だ。我々は化学作用を学べても化学物質の本質については殆ど知れないということ。なぜなら確率的にしかそれらの確定性が現れないのだから。どうして素粒子として我々が知覚しうる密度の物質に我々自身が本質を与えうるだろう。多世界解釈の議論。化学は量子力学に従う限りは作用学であり物質学ではない。我々が化学記号として知っている原子性質ですら、作用の問題であって物質自体の問題ではないと言われる必要がある。
そして少なくとも我々が現代の設備水準で研究を進めるべきは主として量子力学の範囲にあるので、解釈はどうあれ様々な数学技法を駆使してもより精密な微視認識を与える様に務めねばならない。
確率を導入すれば我々としては対象を予測することはできても決定はできない訳だ。我々は化学作用を学べても化学物質の本質については殆ど知れないということ。なぜなら確率的にしかそれらの確定性が現れないのだから。どうして素粒子として我々が知覚しうる密度の物質に我々自身が本質を与えうるだろう。多世界解釈の議論。化学は量子力学に従う限りは作用学であり物質学ではない。我々が化学記号として知っている原子性質ですら、作用の問題であって物質自体の問題ではないと言われる必要がある。
そして少なくとも我々が現代の設備水準で研究を進めるべきは主として量子力学の範囲にあるので、解釈はどうあれ様々な数学技法を駆使してもより精密な微視認識を与える様に務めねばならない。
天文学
いかなる銀河系も仮の相。なぜなら不可逆変化だから。そして我々自身の認識作用は化学作用である限りそれに又逆らわない。つまり我々は過去を観察することは永久にない。想像力という虚構によっては仮説するが、実際にはそれが人間の与える何らかの文学作為によってのみ可能なリクリエーションの方法でしかない以上、我々は物理法則に支配された自由人である。我々にとって過去は思議の対象に挙がらない。我々にとって現象のベクトル、これを時空系と呼ぶが、時空系についてしか考案されるべき物理法則上での課題はないのだ。それは過去を含まず、漸次に展開する物質作用の、とある密度を対象にする。
我々は量子論を物理学的だと考えることができない。必ずしも実証されない法則を物理学は世界認識の基礎に仕立て上げるへまをしない。確率が入り込む法則を物理学に組み入れる錯誤はそれが非実証化されることを意味し、従って形而下学的秩序から食み出すものだ。数学は物理学にとっては実証手順を抽出的に省略するための道具であって目的とはならない。なぜなら自然科学の対象自体には数学性が存在しないからだ。我々が知性によって知りえるのは経験知についてであり、思弁知についてはそれ自体が認識対象である数学に任される。以上の混乱は純粋理性批判以前の命題として人類から歴史的に退けられた。とある密度がどのレベルにあるにせよ、我々はそのレベルに鎮座し世界をscholeを通じてtheoriaする。結局、我々は人間原理言い換えれば人間中心主義的な理性使用をとりあえず、控えるわけには行かない。我々は我々の五感以外の直観を知らないのだから。我々の云う、物理学而のとある密度は経験知の範囲を敢えて知性を支持監督し超えようとしないがゆえに我々にとっての物の理を知らせる。従って正しい物理法則は我々の生活範囲に普遍的に応用できるものだ。たとえいかなる宇宙的な変異に対してすら、我々の物理法則は我々の認識密度に対して適用可能なものである。物理法則はもののあわれに反する。物理法則は縁起の詳細である。
我々は量子論を物理学的だと考えることができない。必ずしも実証されない法則を物理学は世界認識の基礎に仕立て上げるへまをしない。確率が入り込む法則を物理学に組み入れる錯誤はそれが非実証化されることを意味し、従って形而下学的秩序から食み出すものだ。数学は物理学にとっては実証手順を抽出的に省略するための道具であって目的とはならない。なぜなら自然科学の対象自体には数学性が存在しないからだ。我々が知性によって知りえるのは経験知についてであり、思弁知についてはそれ自体が認識対象である数学に任される。以上の混乱は純粋理性批判以前の命題として人類から歴史的に退けられた。とある密度がどのレベルにあるにせよ、我々はそのレベルに鎮座し世界をscholeを通じてtheoriaする。結局、我々は人間原理言い換えれば人間中心主義的な理性使用をとりあえず、控えるわけには行かない。我々は我々の五感以外の直観を知らないのだから。我々の云う、物理学而のとある密度は経験知の範囲を敢えて知性を支持監督し超えようとしないがゆえに我々にとっての物の理を知らせる。従って正しい物理法則は我々の生活範囲に普遍的に応用できるものだ。たとえいかなる宇宙的な変異に対してすら、我々の物理法則は我々の認識密度に対して適用可能なものである。物理法則はもののあわれに反する。物理法則は縁起の詳細である。
物理学
かつて今が存在した試しはなかったし、今後ともない。時空の相対性は常に双方が相違する事実に基づく。例えばどんなテレビジョンを通じても人物の時間移動が空間的にしか行われないのは相対論の枠組みを超えていない証拠に過ぎない。つまりは時間自体を化学作用たる空間から切り離して考えてはならない。
いかなる空間にも物質が満ちている以上、我々の時間概念はすなわち空間変移のベクトルについてしか語れない。そこにマイナスが存在する訳がない。とするならば、虚数の時間といった形而上学観念を真剣に考えているらしい某博士などは商売柄かもしれないが、どうやら純粋理性批判を一読する暇さえお持ちでないらしいが。過去は形而上学的にしか存在せず、形而下学すなわち物理学的には存在していない。ベクトルにマイナスを仮定することはできないからだ。もしそうしたければやはり虚数を書き表す為の非ユークリッド的幾何学上の方法が考案されねばならないし、実際にはそんな想像力ゲームは数学的にはパズル性があるのだろうが決して実証科学的ではない。想像力を操る文学の仕事だろう。従って風流な趣味人に委せておけばいいし、真理の探求者たちにとっては専ら無駄な事だ。時間と空間とは同じ化学現象に別名を与えた思考形態の違いに過ぎないのだが、にも関わらず、我々は空間的ないしは時間的に事物を観察することを通じて世界認識をより明晰判明にする仕事を知性に命じて継続して来たし、その役割は近代文明にとっての命綱でもある。
世界認識にある体系を与える思考形式を我々は一定以上に洗練させるべきだし、それにはかつて築かれた形式が道具になる。時間は化学変化として絶えず更新されるが決して巻き戻らない。不可逆変化を否定する法則が宇宙のどこかに観察できれば別の訳だが。
いかなる空間にも物質が満ちている以上、我々の時間概念はすなわち空間変移のベクトルについてしか語れない。そこにマイナスが存在する訳がない。とするならば、虚数の時間といった形而上学観念を真剣に考えているらしい某博士などは商売柄かもしれないが、どうやら純粋理性批判を一読する暇さえお持ちでないらしいが。過去は形而上学的にしか存在せず、形而下学すなわち物理学的には存在していない。ベクトルにマイナスを仮定することはできないからだ。もしそうしたければやはり虚数を書き表す為の非ユークリッド的幾何学上の方法が考案されねばならないし、実際にはそんな想像力ゲームは数学的にはパズル性があるのだろうが決して実証科学的ではない。想像力を操る文学の仕事だろう。従って風流な趣味人に委せておけばいいし、真理の探求者たちにとっては専ら無駄な事だ。時間と空間とは同じ化学現象に別名を与えた思考形態の違いに過ぎないのだが、にも関わらず、我々は空間的ないしは時間的に事物を観察することを通じて世界認識をより明晰判明にする仕事を知性に命じて継続して来たし、その役割は近代文明にとっての命綱でもある。
世界認識にある体系を与える思考形式を我々は一定以上に洗練させるべきだし、それにはかつて築かれた形式が道具になる。時間は化学変化として絶えず更新されるが決して巻き戻らない。不可逆変化を否定する法則が宇宙のどこかに観察できれば別の訳だが。
生物学
生存欲求として知られる遺伝子の乗り物らしさはエントロピーの問題でしかない。混沌は完全な混沌ではない(ラムゼイ理論)。我々がもし完全な混沌しか知らないなら認識はない。いかなる認識も秩序の端緒である。生物はエントロピーの生み出す混沌‐秩序の間にある形・eidosの一様だ。様々なその性質も又、多様性に一役買う為の定型化された化学作用に還元できるだろう。こうして生物学は生態分類学の言い換えである。
物理学
ニュートン力学では説明不可能な最初の一撃は殊更、Godの御力を引用せずとも合理化されて然るべき化学作用の性質にまで還元できると主張する人々の一派。しかし彼らの非科学的想像力はエントロピーを如何に説明するつもりなのだろう。如何に知的に劣る人々にとってさえ、無から有が現れ得ない事を数学的に知っている。ゼロの概念を考案した古代インドの人々を我々は敬う。先ず、何らかの有事がなければ事物は展開される筈がない。揺らぎ、つまりミクロ化学的物質平衡の乱れが対素粒子間に世界を現象させたと考える人物は、乱れを生じさせる原因を数学的に思考せざるを得ない事に気づかない。我々には発想の転換が必要なのだ。
アインシュタインが云う様に、時間を直線的に考える慣習を改めねばならない。それは空間と対になった単位系でしかないし、過去つまりマイナスと仮定した方向についてであれ、未来つまりプラスと仮定した方向についてであれ、無限大に増大できる。
定常宇宙論の立場はこのような相対論の視座を根底に置くのだ。私も又、量子論が敗北する日を疑わない。例えば微積分のように、量子論と相対論とは対称形になった思考形式ではおそらくはないのだ。どうやって相互変換する。その為にただの一つの定式でも発案した人物が居たか。我々はその二つを同じ地平の元に見通すこと能わない。
時空に対するアインシュタイン相対論を空間に対するユークリッド幾何学とか単純時間系に対するニュートン力学と同じ基本物理の原理と考える。それらの上で新たな宇宙現象認識の法則体系が築かれるべきで、量子論のような傍流に我々は深入りすべきではないだろう。というのは最小原子のようなものは我々が永久に知り得ない宇宙の微分仮定法の産物なのだから。
アインシュタインが云う様に、時間を直線的に考える慣習を改めねばならない。それは空間と対になった単位系でしかないし、過去つまりマイナスと仮定した方向についてであれ、未来つまりプラスと仮定した方向についてであれ、無限大に増大できる。
定常宇宙論の立場はこのような相対論の視座を根底に置くのだ。私も又、量子論が敗北する日を疑わない。例えば微積分のように、量子論と相対論とは対称形になった思考形式ではおそらくはないのだ。どうやって相互変換する。その為にただの一つの定式でも発案した人物が居たか。我々はその二つを同じ地平の元に見通すこと能わない。
時空に対するアインシュタイン相対論を空間に対するユークリッド幾何学とか単純時間系に対するニュートン力学と同じ基本物理の原理と考える。それらの上で新たな宇宙現象認識の法則体系が築かれるべきで、量子論のような傍流に我々は深入りすべきではないだろう。というのは最小原子のようなものは我々が永久に知り得ない宇宙の微分仮定法の産物なのだから。
人類社会学
人類は個人散種を一夫一妻の枠内に限定してすら民族や地域の文明を高める事で個人種の生存確率を却って単純な乱婚あるいは乱雑な交配状態の野生界より良くする。土壌つまり文化のもった繁殖可能性への寛大さが良ければ種が栄える確率も自然に高まるのだから。各社会系はそれらの差異を維持させる分けられた花壇に例えられる。巨視的には何らかの多婚社会系はこの耐性が低い同一種的、すなわち近親婚的部分集合でしかない。実際その方が同類間競争を図り続けるより類的多様性の為にさえ有徳なのだ。というのは単に他害的な亜種というものも誤って選択されづらく、かつ何らかの傍流が以前の主流より適応的な環境がいつ訪れるか完全に予測できるものではないので。
国体論
わが国に東道の主人たる務めあり、国風の自律あり。なれば大人しき風を装い、平和主義者の代表役を嬉々として勤めざるべからず。
いかなる国も国体に依りて興る。而して国体の強壮如何においてのみ、各国間に地位秩序の実威もあり。内安外競は日本人の智恵なり。対外にてはさてあれ、国内にて無用な紛争を起こす人物はいかなる世界組織からの誉ありとて胎内的には害分子と見なす他なし。平和主義国が圧倒的大差をつけて国体の勝利を見せつけてこそ、東アジアに共生秩序の風紀あり。
いかなる国も国体に依りて興る。而して国体の強壮如何においてのみ、各国間に地位秩序の実威もあり。内安外競は日本人の智恵なり。対外にてはさてあれ、国内にて無用な紛争を起こす人物はいかなる世界組織からの誉ありとて胎内的には害分子と見なす他なし。平和主義国が圧倒的大差をつけて国体の勝利を見せつけてこそ、東アジアに共生秩序の風紀あり。
2007年11月17日
虐めについて
子供の虐めは犯罪を隠蔽した質の悪い群集やその生態へのやくざな適応、つまり相負競争の模倣だろう。地獄に類比できるそこへ宿命的に縛られている場合、自殺するのは子なりの損得勘定か。
この競争状態の教育効果は皆が傷を負う他悪い仲間への忌避の習性しか与えず、耐えきれそうにない子供には信頼できる世界宗教つまり多少なり利他性に関心ある人々を啓蒙し、将来的にやくざ型習俗社会を避けて暮らせるように指導せよ。
この競争状態の教育効果は皆が傷を負う他悪い仲間への忌避の習性しか与えず、耐えきれそうにない子供には信頼できる世界宗教つまり多少なり利他性に関心ある人々を啓蒙し、将来的にやくざ型習俗社会を避けて暮らせるように指導せよ。
2007年11月16日
2007年11月15日
文化論
日本人にとって稲作は学術展開の足枷となって来た。奴隷を用いず支配者数が極限られる二毛作では、民族を勤勉かつ和合的あるいは付和雷同的にこそすれ、哲学の道を志す独創性は排除されざるを得ない。
日本の非創造性は労働集約的な稲作の後遺症かもしれない。産業革命を興したUKでの奴隷の数や食糧事情を調べる事。国営が賄える限り高等遊民をいかに大量に保持してもし過ぎない。彼らが文明を率いる。
日本の非創造性は労働集約的な稲作の後遺症かもしれない。産業革命を興したUKでの奴隷の数や食糧事情を調べる事。国営が賄える限り高等遊民をいかに大量に保持してもし過ぎない。彼らが文明を率いる。
博物学
何故人類は増加したか。天敵が現れなかったからだ。恐竜が絶滅した様に人類が絶滅する可能性はある。限度を超えた環境異変があれば。人間が殖えるのを防ぐには先進諸国でそうな様に、子育ての危険を高めよ。教育費の高騰がその最たるもの。学歴社会・男女雇用機会均等は人口を抑制する。
いかなる国も近代化の果てに人口定常状態に行き着く。食糧危機は仮のもの。戦争に発展させない為には適度自給と多元貿易を維持促進せよ。人類が生存する事、し続ける事の是非を問え。彼らが造るAI-robotは将来、人類以上の生存力を持つかも知れない。その後に、人類にいかなる生存価値があるか。
太陽系の天の川銀河での位置と、宇宙全容の地図とを照らし合わせ地球がどの様な地域にあるか調べよ。異文明接触の可能性と時期を予測する事。異文明の数と程度を予測する事。及び人類の地位を鑑定せよ。
動植物の間で起こりえる突然変異に比べて、人類のそれは極めて短期間に社会へ反映される。人類は早送りの進化をしている。犯罪者を奇形とし、天才偉人を進化の標にして我々は種を素早く同類間に繁殖させる。民族は進化のるつぼだ。
変異の上限をどれだけ高めても足らないのだが、日本人は五人組の慣習のせいでその足を引っ張る。もしこの習癖が改善不可能なら日本人は天才種を遂に養生し得ず、最終的には人類内で淘汰されるだろう。均質圧は格差弁と均衡しなければ国家を善導しない。人類は優れた生命体というよりは社会性に特化した生命体である。科学は彼らの常識を引き上げる。
もし人類がこのまま進化し続けるなら、文明人類の過半は大人になる事をやめるだろう。教育年限は際限なく引き上げられ、最終的に社会は学校より小さな組織になるだろう。しかし、未来化を果たし得なかった民族国家はこの進化に着いて来る事は結局できないだろう。というのも差異づけの漸進により種の多様性ついてしか進化の方法もないのだから。
ミクロ化学的最小元素は、ライプニッツがモナド・単子と言ったような形而上概念としてしか取り出せはしない。宇宙に限りがあれば遺伝子のヴィークルたる生命体がわざわざ産まれる理由もないのだ。我々の現実的には究極で想像力を通じてしか探り得ない領域についてであれ。
筋肉質と、寒さの震えと類比したのから慣用があるのだろう貧乏揺すりとは何らかの原因で相関している、なぜなら女性には少ないから。一説に脳梁差が因とあるが、では女性的傾向のある左右脳密接な感情的職業の人達の間において、男性には起こりづらいか否かを統計せよ。それは子供が走り回らねばならない如く、血流の調整だとしたらいかなる事情が発生しているか調べよ。
携帯電話レベルの電磁波が真実に安全か否か詳細に調べよ。PHSレベルとの比較。日常電子機器への援用。
いかなる国も近代化の果てに人口定常状態に行き着く。食糧危機は仮のもの。戦争に発展させない為には適度自給と多元貿易を維持促進せよ。人類が生存する事、し続ける事の是非を問え。彼らが造るAI-robotは将来、人類以上の生存力を持つかも知れない。その後に、人類にいかなる生存価値があるか。
太陽系の天の川銀河での位置と、宇宙全容の地図とを照らし合わせ地球がどの様な地域にあるか調べよ。異文明接触の可能性と時期を予測する事。異文明の数と程度を予測する事。及び人類の地位を鑑定せよ。
動植物の間で起こりえる突然変異に比べて、人類のそれは極めて短期間に社会へ反映される。人類は早送りの進化をしている。犯罪者を奇形とし、天才偉人を進化の標にして我々は種を素早く同類間に繁殖させる。民族は進化のるつぼだ。
変異の上限をどれだけ高めても足らないのだが、日本人は五人組の慣習のせいでその足を引っ張る。もしこの習癖が改善不可能なら日本人は天才種を遂に養生し得ず、最終的には人類内で淘汰されるだろう。均質圧は格差弁と均衡しなければ国家を善導しない。人類は優れた生命体というよりは社会性に特化した生命体である。科学は彼らの常識を引き上げる。
もし人類がこのまま進化し続けるなら、文明人類の過半は大人になる事をやめるだろう。教育年限は際限なく引き上げられ、最終的に社会は学校より小さな組織になるだろう。しかし、未来化を果たし得なかった民族国家はこの進化に着いて来る事は結局できないだろう。というのも差異づけの漸進により種の多様性ついてしか進化の方法もないのだから。
ミクロ化学的最小元素は、ライプニッツがモナド・単子と言ったような形而上概念としてしか取り出せはしない。宇宙に限りがあれば遺伝子のヴィークルたる生命体がわざわざ産まれる理由もないのだ。我々の現実的には究極で想像力を通じてしか探り得ない領域についてであれ。
筋肉質と、寒さの震えと類比したのから慣用があるのだろう貧乏揺すりとは何らかの原因で相関している、なぜなら女性には少ないから。一説に脳梁差が因とあるが、では女性的傾向のある左右脳密接な感情的職業の人達の間において、男性には起こりづらいか否かを統計せよ。それは子供が走り回らねばならない如く、血流の調整だとしたらいかなる事情が発生しているか調べよ。
携帯電話レベルの電磁波が真実に安全か否か詳細に調べよ。PHSレベルとの比較。日常電子機器への援用。
自然学
黄金比、フィボナッチ数列について。なぜそのような一定の比例が、人体を含む自然の中に漸近的に見出せるか。ピタゴラスの思想とcosmosの関係。それらの宇宙法則と理性は如何にして符合するか。理性と知性の、理性と感性の関係。
化学的規模でもそれらの幾何学的数理が現れるか調べること。数列は理性の錯覚かもしれない。人間は理性中心に世界を見直す。では理性とは何か。
化学的規模でもそれらの幾何学的数理が現れるか調べること。数列は理性の錯覚かもしれない。人間は理性中心に世界を見直す。では理性とは何か。
2007年11月14日
経済訓
金は使い道にて蓄財自体の為に非ず。蓄財は投資の便宜に如ず。
経済これみな慈善の為なり。家計を潤す為の勤労は高々蟻程努力すれば充分にて、人間の限度に非ず。
此を遥かに超えて天下社会の便利の為、一大福祉を志す者こそ尊徳たれ。
過労を戒むべし。唯、労働は能率たり。
而して能率を計るが為には克己勉励、智徳を益々増進せざるべからず。
経済これみな慈善の為なり。家計を潤す為の勤労は高々蟻程努力すれば充分にて、人間の限度に非ず。
此を遥かに超えて天下社会の便利の為、一大福祉を志す者こそ尊徳たれ。
過労を戒むべし。唯、労働は能率たり。
而して能率を計るが為には克己勉励、智徳を益々増進せざるべからず。
医学
癌の原因とその治療法を研究する事。専門医学者の研究を奨励する事。細胞の突然変異を引き起こす遺伝子の正体は何か。なぜその種が残って来たかの原因と理由。解除する方法と、哲学的是非。「がん」と「癌」の違いについて書け。Cancerの語源と現代訳について書け。健康とガンの関係。ストレスとガンの関係。なぜ、どの様に死ぬ病か。過労を防ぐ為? 各国民の勤勉さ及び労働環境とガンの発生率に相関はあるか。
長寿の原因。細胞壊死と再生率について、及びその仕組み。何が壊死を遅らせるか。抗酸化物質の正体、及び活性酸素の発生率の関係。
老化とは何か、若返りとは何か。精神作用と肉体の相関について。どの様に人の髪は禿げるか。どの様に白髪になるか。皺とは何か肌の張りとは何か。それらの適応性について、できる限り詳細かつ明晰に書け。
長寿の原因。細胞壊死と再生率について、及びその仕組み。何が壊死を遅らせるか。抗酸化物質の正体、及び活性酸素の発生率の関係。
老化とは何か、若返りとは何か。精神作用と肉体の相関について。どの様に人の髪は禿げるか。どの様に白髪になるか。皺とは何か肌の張りとは何か。それらの適応性について、できる限り詳細かつ明晰に書け。
2007年11月12日
芸術論
漫画の情報伝達能率は象形的文字より悪い。視覚情報に対する効率のために漫画は水墨画を図解的に応用する。よって、漫画は直観的想像を与えるのに利点がある。漫画に高い完成度の絵画を期待することは現実的ではないし、経済的でもない。漫画は象形文字と図解の間に位置づけられる具象美術。絵本は趣味こそ違え、様式は漫画にほぼ等しい。
表音的文字は音声化した観念しか伝えづらい。そこでの視覚的説明は二度手間だ。象形的文字は図解と説明の間に位置する、釣り合い良い道具。
象形的文字は視覚情報の抽象。
記述された詩又は文芸は文字を様々に連ねる事で、音声と象形の間に審美的情報伝達を発生させる芸術である。
表音的文字は音声化した観念しか伝えづらい。そこでの視覚的説明は二度手間だ。象形的文字は図解と説明の間に位置する、釣り合い良い道具。
象形的文字は視覚情報の抽象。
記述された詩又は文芸は文字を様々に連ねる事で、音声と象形の間に審美的情報伝達を発生させる芸術である。
植物学
ニンニクが臭う科学的・哲学的理由。化合物アリシンC6-H10-O-S2がニンニク臭の原因。何故この作用がこの種に選択されて残ったか。
仮説。此が「食べる」行為で化合する作用である事は、動物に食い荒らされる事を嫌う傾向の種が選択されたのだ。
では何の理由で動物摂取を嫌わせたのか。
仮説。此が「食べる」行為で化合する作用である事は、動物に食い荒らされる事を嫌う傾向の種が選択されたのだ。
では何の理由で動物摂取を嫌わせたのか。
国際国家論
文明は人間適応力のための機構。
文明は幾多の天才を育み、人類独自の特性を益々伸長させて行く。
個々人の生存確率の向上のためには、文明を養うしかない。なぜなら安全率の高さは個体同士を均質化すると同時に、集団全体を智徳増進することで図られる。文明はこの両面、均質圧と格差弁に働く。
人間は他のどんな動物とも同じように、個体数を優位の条件としない。代わりに生存環境の安全性が優位なほど、個体数を減らす。彼らの同種間の優位は国家的安泰により計られる。
人間は文明度が高まるほど個体数を減らす。その方が集団が安定だから。
人間は人口を殖やす為に格差弁を弛める。結果的に下流は殖え、上流は減る。これは国際間でも真実。ある産業形態に必要な人員に最適化した人口密度が、国家ごとにある。
逆に、均質圧が強ければ強いほど、人口は減少の傾向をとる。一夫一妻的な秩序の中で子孫を平均化するために同程度の教育を施し、結果として国民間に1、2人の子供を推奨するから。
労働者が少なくて済む産業形態に向かっては均質圧を強め、労働者が沢山要る場面に対しては格差弁を弛めるべきだ。いずれにせよ、中流最多の原則を得る、それがなければ多数決の原理は有効さを失うのだから。
国際関係の安定を計るには経済力の均衡を軍事的縄張り圏内において確実化し続けねばならない。たとえば、アメリカは孤立主義の可能な資源富裕国土で、その世界経済にもたらす影響は覇権と相まって量り知れない。WW2は事実上、世界恐慌が引き金になった。にも関わらずアメリカは戦場にならなかった。閉鎖貿易を敷いたそこが国際経済の均衡上に安定だったから。逆に、輸入資源に頼る枢軸国は無理に膨張政策を執る他、窒息死を免れる方法はなかった。
その教訓を活かせば、国家経済は「多元均衡」を前提に図られるを得る。一国依存は大変に危険。貿易ブロックの可能性を考慮しても、特に化石燃料の自然資源に劣る国は何らかの仕方で大国と連合を謀るべきだ。
完全な自給自足への努力は必ずしも理想ではない。ある国家には民族風土つまり文化に由来した特有の分業能率が存在するのであり、その特産性を活かして国際貢献するのが全うな国民経済の筋。よって、自給率は国家それぞれの多元均衡の具合と共にbalanceされてこそ功を奏する; 国の家計。たとえば、赤道直下の国から持続的な思考が必要な理論科学成果が期待できる、と言うことはできない。代わりに、その肥沃な土地を生かして栽培した作物を国連関税の方針に従って輸出することができる。そして両者の生産性は自給率と多元均衡にとって世界経済的には等価。Aの生産能率はBの生産能率より高い。
しかし現状では、武力威嚇によって産品の希少性は株式市場から統制的につくりだされ、国家間に不平等な値で取引されている。この不均衡を調整するには、是非とも国連経済庁の介入が必要となる。そして関税方針を平等で公平なものに揺り戻してこそ、万国の個性豊かな育成が健全に可能。
文明は幾多の天才を育み、人類独自の特性を益々伸長させて行く。
個々人の生存確率の向上のためには、文明を養うしかない。なぜなら安全率の高さは個体同士を均質化すると同時に、集団全体を智徳増進することで図られる。文明はこの両面、均質圧と格差弁に働く。
人間は他のどんな動物とも同じように、個体数を優位の条件としない。代わりに生存環境の安全性が優位なほど、個体数を減らす。彼らの同種間の優位は国家的安泰により計られる。
人間は文明度が高まるほど個体数を減らす。その方が集団が安定だから。
人間は人口を殖やす為に格差弁を弛める。結果的に下流は殖え、上流は減る。これは国際間でも真実。ある産業形態に必要な人員に最適化した人口密度が、国家ごとにある。
逆に、均質圧が強ければ強いほど、人口は減少の傾向をとる。一夫一妻的な秩序の中で子孫を平均化するために同程度の教育を施し、結果として国民間に1、2人の子供を推奨するから。
労働者が少なくて済む産業形態に向かっては均質圧を強め、労働者が沢山要る場面に対しては格差弁を弛めるべきだ。いずれにせよ、中流最多の原則を得る、それがなければ多数決の原理は有効さを失うのだから。
国際関係の安定を計るには経済力の均衡を軍事的縄張り圏内において確実化し続けねばならない。たとえば、アメリカは孤立主義の可能な資源富裕国土で、その世界経済にもたらす影響は覇権と相まって量り知れない。WW2は事実上、世界恐慌が引き金になった。にも関わらずアメリカは戦場にならなかった。閉鎖貿易を敷いたそこが国際経済の均衡上に安定だったから。逆に、輸入資源に頼る枢軸国は無理に膨張政策を執る他、窒息死を免れる方法はなかった。
その教訓を活かせば、国家経済は「多元均衡」を前提に図られるを得る。一国依存は大変に危険。貿易ブロックの可能性を考慮しても、特に化石燃料の自然資源に劣る国は何らかの仕方で大国と連合を謀るべきだ。
完全な自給自足への努力は必ずしも理想ではない。ある国家には民族風土つまり文化に由来した特有の分業能率が存在するのであり、その特産性を活かして国際貢献するのが全うな国民経済の筋。よって、自給率は国家それぞれの多元均衡の具合と共にbalanceされてこそ功を奏する; 国の家計。たとえば、赤道直下の国から持続的な思考が必要な理論科学成果が期待できる、と言うことはできない。代わりに、その肥沃な土地を生かして栽培した作物を国連関税の方針に従って輸出することができる。そして両者の生産性は自給率と多元均衡にとって世界経済的には等価。Aの生産能率はBの生産能率より高い。
しかし現状では、武力威嚇によって産品の希少性は株式市場から統制的につくりだされ、国家間に不平等な値で取引されている。この不均衡を調整するには、是非とも国連経済庁の介入が必要となる。そして関税方針を平等で公平なものに揺り戻してこそ、万国の個性豊かな育成が健全に可能。
地球文明学
科学は人類にとって何の役に立つ作為なのか。科学哲学の範囲に入る思索かも知れないが、科学は自然を対象にした思考遊びではないか。いかなる見識も相対的。科学は思考を洗練させる。科学はより真実らしい見識を導く。だが、永久に真理には到達しまい(イデア論)。
科学技術は人類を幸福にするか。単なる暇つぶしの理論科学と異なり、その応用として現れる工学は、人類へ近代文明を拓かせた。
近代文明は普遍的? たとえ数字ですら十進法の人間原理に基づく。同じく、地球環境に適応するための五感を利用した自然科学には、人間社会の知的程度を反映した社会学と同じように、地球人類独自の奇形が存在する筈。近代文明は人間原理に基づく限りにおいてのみ地球的。決してそれが全宇宙標準の証明となる訳ではないだろう。科学技術は未知の危機の為に、宇宙適応力を自己増進する為だけに役立つ。Technologyを悪用した人類はみな、近代文明拡大の犠牲者でしかなかった。
理論科学における真理の探求はこの基礎力として働く。と同時に、人類の普遍的な知的地位を高めようとする。我々と同等程度の知能容量を持つ生命体が果たしてどの場所に居るにせよ、地球人類は知能特性を伸ばした随一の太陽系の命だった。
古代ギリシアの哲人が考えた様に、真理の観想、理想する事が我々の目的ならば、それは来るべき地球外文明との接触のために滞りなく準備する努めを意味する。
科学技術は人類を幸福にするか。単なる暇つぶしの理論科学と異なり、その応用として現れる工学は、人類へ近代文明を拓かせた。
近代文明は普遍的? たとえ数字ですら十進法の人間原理に基づく。同じく、地球環境に適応するための五感を利用した自然科学には、人間社会の知的程度を反映した社会学と同じように、地球人類独自の奇形が存在する筈。近代文明は人間原理に基づく限りにおいてのみ地球的。決してそれが全宇宙標準の証明となる訳ではないだろう。科学技術は未知の危機の為に、宇宙適応力を自己増進する為だけに役立つ。Technologyを悪用した人類はみな、近代文明拡大の犠牲者でしかなかった。
理論科学における真理の探求はこの基礎力として働く。と同時に、人類の普遍的な知的地位を高めようとする。我々と同等程度の知能容量を持つ生命体が果たしてどの場所に居るにせよ、地球人類は知能特性を伸ばした随一の太陽系の命だった。
古代ギリシアの哲人が考えた様に、真理の観想、理想する事が我々の目的ならば、それは来るべき地球外文明との接触のために滞りなく準備する努めを意味する。
2007年11月11日
英文混交比率論
日本語を横書き已に限定することの弊害は、あまりに長く縦書きに適さない英文字を無理に取り入れることで起こる。そして横書きしかできない文章は適応力を弱める。例えば看板のサインなどに甚だしい不合理をもたらす。
あまりに性急な英文字使用は縦横併用という伝統日文の利点まで欠損させ兼ねず、慎重に消化されねばならない。
よって、英字源の場合漢字を利用した訳語を7割方用いて、残りの不都合ある3割を英字縦書きで賄い、溢れる部分をカタカナ語で補うのが近未来の日本語方針として正しい。
あまりに性急な英文字使用は縦横併用という伝統日文の利点まで欠損させ兼ねず、慎重に消化されねばならない。
よって、英字源の場合漢字を利用した訳語を7割方用いて、残りの不都合ある3割を英字縦書きで賄い、溢れる部分をカタカナ語で補うのが近未来の日本語方針として正しい。
2007年11月10日
服飾論
無駄な特徴の助長は服飾においてさえ淘汰の原因になる。「無駄を適度に排する」中に服飾の洗練は見い出しうる。エンゲル係数の減退は健康寿命の促進と併せて文明の進捗に必然である。いわゆる高級ブランドが含む過剰装飾はみな、無駄の制度化のせいで未来に通じる余地を持たぬ前近代様式である。
服装美術に重要なのは時と場に応じる多彩な組み合わせであって、変形した奇抜さではない。
服装美術に重要なのは時と場に応じる多彩な組み合わせであって、変形した奇抜さではない。
2007年11月9日
Internetの無法状態批判
Internetへの倫理規制、法的介入は必然となる。表現の自由の目的は、専制権力の堕落から反省された公権力濫用監視への個人的自由; つまり発言権の確保であって民衆自身の堕落ではない。
2007年11月8日
数学
インド式の計算が果たして、数学研究の為に能率的か否か疑義されるべきだ。電卓のある時代に暗算は数学者にも要らぬ負荷かもしれない。数学は基本に忠実なパズルなので、学ばれるべき基本が多いと却って能率を落とすかもしれない。
インドから有能な数学者が現れるかどうか、少なくとも21世紀中観察すべきだ。
インドから有能な数学者が現れるかどうか、少なくとも21世紀中観察すべきだ。
生態学
人類の世界は文明において存在意義があるのではなく、地球生態系多様観の上で文化においてのみ固有の価値が認めえる。種の保存は利己的遺伝子の編み出した唯一の飽和対策である。もしその試みがなければ、我々は自らの経た血統へ役立つ可能性の宝箱を捨てる事になる。共生は競争の究極として物量的住み分けの姿をとっている、生物の自己展開の知恵なのだろう。利己的遺伝子は皆自らの生命展開の永続を図る。あたかも等速直線運動が混沌に対してそう行われる様に。
現代社会論
現生人類は知能生命としてしか進化し得ない。なぜなら他の非文明傾向は彼ら自身の生態地位を危うくするが故に排除されるから。他の生命が来襲してこなかった限り地球は事実上、宇宙文明にとって極めて辺境なのだろう。従って、最も幼形化が進んだ民族が地球生態系にとっての人類進化を誘なうのは自然か。我々は生後学習能力に特化したが故に高度に知的な活動が可能になったのだから、天変地異ない限りその傾向が性淘汰で推進される。
ある民族文明の学習能力を上げるには、一定の淘汰圧を世間的に及ぼし続けるが良い。稲作の生産不合理性が東西における理論科学に格差をもたらしたし、その実態は食糧確保に対する衆間閑暇量に還元できる。これを格差弁と呼ぶ。一方で、農耕文化は均質圧を民情に慣習づけた。それが幼形化に働く原因なのは疑いない。均質圧が文明により近い世間なのは確か。格差圧はむしろ文化力の土台になる。創造的な風土は高等遊民を寛容する。人々は文明と文化の両立を図る必要がある。格差圧と均質圧とは調度良く釣り合ってこそ国家が興る。
とは言え、大枠としての均質圧は進化の正しい筋道。それが人間になるだけ愚かではない知能種を性選択するように働く圧力なのは各国間民族史が実証している。幼形化つまり人類の進化は自然の種的不平等を社会的に是正しやすくなるように性淘汰する民族世間においてのみ実現する。それが体をも心に従属させるような民族の繁殖趣向となって導かれる。
ある民族文明の学習能力を上げるには、一定の淘汰圧を世間的に及ぼし続けるが良い。稲作の生産不合理性が東西における理論科学に格差をもたらしたし、その実態は食糧確保に対する衆間閑暇量に還元できる。これを格差弁と呼ぶ。一方で、農耕文化は均質圧を民情に慣習づけた。それが幼形化に働く原因なのは疑いない。均質圧が文明により近い世間なのは確か。格差圧はむしろ文化力の土台になる。創造的な風土は高等遊民を寛容する。人々は文明と文化の両立を図る必要がある。格差圧と均質圧とは調度良く釣り合ってこそ国家が興る。
とは言え、大枠としての均質圧は進化の正しい筋道。それが人間になるだけ愚かではない知能種を性選択するように働く圧力なのは各国間民族史が実証している。幼形化つまり人類の進化は自然の種的不平等を社会的に是正しやすくなるように性淘汰する民族世間においてのみ実現する。それが体をも心に従属させるような民族の繁殖趣向となって導かれる。
2007年11月7日
民族論
地球学術への知能自体は地球閉鎖時代における道徳に過ぎまい。というのは、飛べなくなった孔雀のように、人類の知能が偏り無いとは我々自身には証明できないだろうから。むしろ普遍適応とは思想の緻密観についてのみ現実的である。我々は地球学術において偏りないintelligenceを目指すべきで、ある分野への特化は専ら目的では無い。従って地球人類間学識競争での勝利は目的では無い。重要なのは「文明」である。人類の将来性を推量すれば必ずしも各分野の頂点を取らなくても良い。
知能偏差を測り適宜修正を加える為には客観的試験が必然。国連基準と国家基準とを照らし併せて判断せよ。同じレースにおいてあらゆる分野で一位を取る、ということは先ずあり得ないし、仮にそれに近い結果があれば試験法が偏っていると心配してみてさえ良いくらいだ。適切なのは地球文明人類間での平均点数以上を維持し続ける努力だ。未開部族を含めなくて良い。文明人類とはおおよそ近代化に成功した先進国民族間に限って良い。なぜなら周回遅れてしまった部族については、文明人類とは異なる種としての普遍的存在意義があるのだから。
自由主義国際は文明人類における進化を誘う。未来として知覚されうる現代以降のpolisはその内にのみ実現可能性がある。種的進化は集団変異の幅についてのみ図られる。なぜならある突然変異傾向を一定数以上に増殖させた時、その民族はかつての種族との交配理由を離脱するのだから。淘汰は漸進的に行われ、進化は突然に現れる。
「文明」とは先進国際における進化土壌を意味する。それは性淘汰の傾向をinternationalに善導なしえた民族についてのみ現実的である。
知能偏差を測り適宜修正を加える為には客観的試験が必然。国連基準と国家基準とを照らし併せて判断せよ。同じレースにおいてあらゆる分野で一位を取る、ということは先ずあり得ないし、仮にそれに近い結果があれば試験法が偏っていると心配してみてさえ良いくらいだ。適切なのは地球文明人類間での平均点数以上を維持し続ける努力だ。未開部族を含めなくて良い。文明人類とはおおよそ近代化に成功した先進国民族間に限って良い。なぜなら周回遅れてしまった部族については、文明人類とは異なる種としての普遍的存在意義があるのだから。
自由主義国際は文明人類における進化を誘う。未来として知覚されうる現代以降のpolisはその内にのみ実現可能性がある。種的進化は集団変異の幅についてのみ図られる。なぜならある突然変異傾向を一定数以上に増殖させた時、その民族はかつての種族との交配理由を離脱するのだから。淘汰は漸進的に行われ、進化は突然に現れる。
「文明」とは先進国際における進化土壌を意味する。それは性淘汰の傾向をinternationalに善導なしえた民族についてのみ現実的である。
人類生物学
人間の進化性。我々に天災や天敵が訪れない限り、人間の進化は心の面で計られるだろう。いわば人間は知能淘汰によって進化する。何故なら文明化以後の同類間競合は知的にのみ行われる。体の面では運動競技が代わりになるし、それは戦争ではなく遊戯である。
性淘汰の大枠は知能的に行われ、結果として天変地異以前には人間は生命としての特徴を伸ばし続けて行く。一時的な退行には関わりなく、類人猿と人類を決定的に見分けるものはある知能特性のみだ。更に言及すればneotenyにおいて、人類は文明適応を果たして行く。自然は風土に人類をばらけさせた。そして各地なりの生態をcultivateさせた。
進化は決して優劣では無い。単に人類間の競合原理でしかない。
性淘汰の大枠は知能的に行われ、結果として天変地異以前には人間は生命としての特徴を伸ばし続けて行く。一時的な退行には関わりなく、類人猿と人類を決定的に見分けるものはある知能特性のみだ。更に言及すればneotenyにおいて、人類は文明適応を果たして行く。自然は風土に人類をばらけさせた。そして各地なりの生態をcultivateさせた。
進化は決して優劣では無い。単に人類間の競合原理でしかない。
国家訓
一夫多妻は格差社会と自由主義の弊害として退行されて来る。
教育性の低い配偶家庭からは「心」に富む個体が発生する確率は極めて低い。
代わりに、動物的な「体」の優れた個体が発生し易くなる。
格差は多様化の一方針なのだ。
しかし、種が多様ならば国として優秀かと言えば異なる。重要なのは『文明』である。
変異の幅より平均衆度の高さの方が集団の存命確率のため有効だ。幅は単にその平均向上にとって、正反両面の競争原型として働くに過ぎない。
我々は「中流最多の原則」を破らない範囲でのみ、自由主義政策を執るべきだ。それを『文明適応』と呼ぶ。
闇雲に自由化して良いものでは無いと知れ――もしも大多数の下流と一部の上流だけで構成された民主政国家があれば、それを衆愚政末期の退廃と呼ぶ。崩壊しない理由は無い。
教育性の低い配偶家庭からは「心」に富む個体が発生する確率は極めて低い。
代わりに、動物的な「体」の優れた個体が発生し易くなる。
格差は多様化の一方針なのだ。
しかし、種が多様ならば国として優秀かと言えば異なる。重要なのは『文明』である。
変異の幅より平均衆度の高さの方が集団の存命確率のため有効だ。幅は単にその平均向上にとって、正反両面の競争原型として働くに過ぎない。
我々は「中流最多の原則」を破らない範囲でのみ、自由主義政策を執るべきだ。それを『文明適応』と呼ぶ。
闇雲に自由化して良いものでは無いと知れ――もしも大多数の下流と一部の上流だけで構成された民主政国家があれば、それを衆愚政末期の退廃と呼ぶ。崩壊しない理由は無い。
現代日本進路
日本はASEANと台湾およびアメリカと親しむべきで韓国や中国とではむしろない。
従って、専ら共通貨幣を設けないままでの太平洋連合[Pacific Union]の構想は、東アジア共同体と呼ばれる辺鄙な着想に対して遥かに現実的であれ。
韓国は自由化を示すとは言え飽くまで日本とは性格正反する文化である。日韓は相互に反発しあう事でしか共生し得ない水と油のようなものだ。
もちろん中国は封建中央政府が存続する限り近代化する事は不可能だ。従って中国脅威論は拙見に過ぎぬ。
単に、その国家的意味は「地球人口の中央」として量的にのみ図られる。いわば質の期待できない巨大な労働者市場でしかなく、購買欲の喚起と言ったことは将来に渡っても失望が主になる。この点ではインドに関しても国民性に関して等しく、アジア市場というものはある種の生半可識者とやらが躍起になるほど甚大でも寛大でもない。そこは必ずしも成長しない。仮に成長するとしたら、イスラム諸国に比べて遥かにゆっくりとした速度であろう。
中国やインドの膨大な人口は将来に渡って「地球の工場」になるしかないだろう。
結局、優等先進国に変貌しうる文化風土を東アジア圏に保っているのは実質上、[反日米の観点から韓国を除く]台湾およびASEAN原盟だけだ。
日本が執るべき筋書きは見えきっている。日米同盟を太平洋連合に向けて希望に満ちて推進する事のみ。
日本が道州制によってさらに強化された暁にさえ、PUはEUと急激な成長を遂げるイスラム諸国に対して最も雄大な繁栄の土壌となるであろう。
憂慮すべきは、日本は飽くまで『平和主義』を貫くべき一条である。
なぜなら、イスラム原理とキリスト原理の政治対立を単独経済力で和らげる事ができるのは、宗教に飽くまで寛大な日本人だけであろうから。それもみな万世一系天皇様のあまねき御慈悲故にあられると知らねばならぬ。
従って、専ら共通貨幣を設けないままでの太平洋連合[Pacific Union]の構想は、東アジア共同体と呼ばれる辺鄙な着想に対して遥かに現実的であれ。
韓国は自由化を示すとは言え飽くまで日本とは性格正反する文化である。日韓は相互に反発しあう事でしか共生し得ない水と油のようなものだ。
もちろん中国は封建中央政府が存続する限り近代化する事は不可能だ。従って中国脅威論は拙見に過ぎぬ。
単に、その国家的意味は「地球人口の中央」として量的にのみ図られる。いわば質の期待できない巨大な労働者市場でしかなく、購買欲の喚起と言ったことは将来に渡っても失望が主になる。この点ではインドに関しても国民性に関して等しく、アジア市場というものはある種の生半可識者とやらが躍起になるほど甚大でも寛大でもない。そこは必ずしも成長しない。仮に成長するとしたら、イスラム諸国に比べて遥かにゆっくりとした速度であろう。
中国やインドの膨大な人口は将来に渡って「地球の工場」になるしかないだろう。
結局、優等先進国に変貌しうる文化風土を東アジア圏に保っているのは実質上、[反日米の観点から韓国を除く]台湾およびASEAN原盟だけだ。
日本が執るべき筋書きは見えきっている。日米同盟を太平洋連合に向けて希望に満ちて推進する事のみ。
日本が道州制によってさらに強化された暁にさえ、PUはEUと急激な成長を遂げるイスラム諸国に対して最も雄大な繁栄の土壌となるであろう。
憂慮すべきは、日本は飽くまで『平和主義』を貫くべき一条である。
なぜなら、イスラム原理とキリスト原理の政治対立を単独経済力で和らげる事ができるのは、宗教に飽くまで寛大な日本人だけであろうから。それもみな万世一系天皇様のあまねき御慈悲故にあられると知らねばならぬ。
日文論
漢字は完全に合理化(草書または仮名)も完全に原理化(皆書または象形)もせず、道理化(行書または文化)のさなかに用いる時、最もその真価を発揮する。その行書文には多様性と秩序が程よく折衷されうるから。この原則上ではabc記号の組み合わせ以上の可能性が確保された漢字は、より優れた文字と考えられる。その為、未来に渡って漢字文化の残滓が完全に消失する事はなく、却ってその洗練に及ぶだろう。しかし、日本人にとって漢字は素の言葉を進化させる為の道具であって目的ではない。道具を洗練させる事はあれど行書字自体に文化的終目ががあるのではないと知らねばならない。それは単に近未来和文洗練の頼るに足る一方針でしかない。
代わりに、日本語は英語とその文の学を通じてより、ことばを文明に自然適応させる事ができる。英語の持った「合理性」を日本語は漢字文化で得た能力を活かしつつ消化していくと良い。例えば体言の訳語・カタカナ語・英字表記、用言への活用有無の摂取消化のみならず、SVOCの組み合わせによる単純な文法やその背景に有する高い論理主義を日本語に対応する文体にして確立する事で、我々は従来の手段を失う事なくより高度な文明を実現しうる。
代わりに、日本語は英語とその文の学を通じてより、ことばを文明に自然適応させる事ができる。英語の持った「合理性」を日本語は漢字文化で得た能力を活かしつつ消化していくと良い。例えば体言の訳語・カタカナ語・英字表記、用言への活用有無の摂取消化のみならず、SVOCの組み合わせによる単純な文法やその背景に有する高い論理主義を日本語に対応する文体にして確立する事で、我々は従来の手段を失う事なくより高度な文明を実現しうる。
漢字論
国際漢字会議について去る2007年10月31日北京にて、五六千の標準字を定める方針を打ち出したと聞く。
曰く、中国は簡体字が主導権を握る予測の元に統一によるアジア圏把握を企む。されどわが見解に赴けば、全く不可能なり。簡体字は無理な省略が多すぎ伝統的漢字文化とは断絶したる現代流行語に違いあらず。その将来は中国語話者の間にしか存命せず。この後に及んで日本の漢字(仮に日字と呼ぶ)の未来は如何。あるいは日本文化の未来は如何。
我結論す。日本人にとって漢字統一は単なる「方便欄」に過ぎず。
我々は仮名文化のおかげで無闇に画数を減らすため無茶な簡体字を採用する必要は全く無いし、同時に、実用に適さず必ずしも美的とは言えない旧体字(中国風に言えば繁体字)を全面的に復活するべきでもない。日字は漢字文化の伝統に通暁しやすく、同時に合理美化を伴った日本語の一部なのである。つまり、発祥がどうあれ漢字はもはや中国だけのものではない。この点で現在から近い将来に渡り中国人の識者の程度はよく疑義に呈されねばならぬ。よって、日本人にとって漢字は、日字の益々の洗練に向かうべきもので決して折中が主眼となるべきではない。漢字から文化されたものではあれ、日本語における日字は今では、国民全員が読み書きできる「日本の文字」なのだから。
私は今後の展開によって漢字に標準字の様なものが国際的に制定されるとしたら、それをむしろアジア文字又はアジア字と呼ばざるを得ない。
確かに標準文字の機能をかつての漢字文化圏の一帯で利便するだろうが、それを全アジア人民が採用するということはあり得ないだろう。むしろ、結果としては、アジアン間意志疎通に潤滑油となると同時に、中国語に旧体字へのかなりの退化が起きるのが落ちであるだろう。口語を基準に据えた簡体字は中国語話者にしか用いられづらいのだから、亜細亜全域に逆進出は二度とない。恐らくは黄河流域の衰亡に伴ってかつての漢文化の栄華を中国は未だ取り戻していないのだ。
日本人にとってはアジア字は専ら暫く、日字を崩して書く為に方便される方便覧の役目を果たすだろう。一部はさらに便利な字を輸入する場合も考えられなくもないが、亜細亜に文明の輝きが見い出せない現状ではそれも基本的に難しいだろう。漢字の大分は飽くまで原始的象形を起源に根付かせた世界的な後進文字である、という事情に我々は思慮深くなければならない。
たとえばラテン文字では起源が象形にあるA(アルファ・雄牛)、B(ベータ・家)、M(ミュー・水)(出典『ラテン語とギリシア語』風間喜代三、三省堂)の様な文字でも、或いはソクラテス的伝統に基づいて口語主義的に洗練させた結果、表記文字に性質は非常に近づいた。とはいえかな文字の様全く表意性が消滅した訳ではないのは、発音記号と文章表記が別なので知れる。エジプト起源の象形文字を徐々に西洋風土に根付くよう改良を加えた結果、アルファベット程度まで表意性質を印欧民族は減退させたのだった。
いわば、我々日本人は将来に渡り日字を完全に捨象するには足らぬ、というのは現状でさえ現代朝鮮語でそうあるようにあらゆる漢字起源の語句を敢えて表音表意しないのだから。「川」を「かわ」とか「セン」とかわざわざ書くことにはどの程度の徳があるだろう。かと言って発音が無用な文字は絵画であって文字ではなく、少なくとも画数・形態・意味を文化的に絶えず検討し直さねばならない。いかにもややこしそうだとはいえ、最も効率的な文字洗練には自然淘汰が望ましい。つまり、各代のまつりびと、文人、たみなどによって使いやすいままに任せておけば最も美しい文学秩序は時代ごとに現れてくる。しかも日本人が常にそうして来たように、時代ごとの変遷を文化的に保存しながら淘汰させる事で我々は温故知新の伝導者になり得るだろう。尚、岡倉天心の『日本美術史』に象形文字は典型的なイメージによって絵画での写実表現を抑制する、という見解あり。象形文字の文化と対応させて比較文化論的な考察が必要である。以上を慮って日本文化の未来を解けば、台湾との関係を親密にもしてきた便宜として、新旧字体の通義便覧としてのみ、日本語にとっての亜細亜文字の立場は適宜採用される。そして日字は日字独自の洗練を尚も続ける。
曰く、中国は簡体字が主導権を握る予測の元に統一によるアジア圏把握を企む。されどわが見解に赴けば、全く不可能なり。簡体字は無理な省略が多すぎ伝統的漢字文化とは断絶したる現代流行語に違いあらず。その将来は中国語話者の間にしか存命せず。この後に及んで日本の漢字(仮に日字と呼ぶ)の未来は如何。あるいは日本文化の未来は如何。
我結論す。日本人にとって漢字統一は単なる「方便欄」に過ぎず。
我々は仮名文化のおかげで無闇に画数を減らすため無茶な簡体字を採用する必要は全く無いし、同時に、実用に適さず必ずしも美的とは言えない旧体字(中国風に言えば繁体字)を全面的に復活するべきでもない。日字は漢字文化の伝統に通暁しやすく、同時に合理美化を伴った日本語の一部なのである。つまり、発祥がどうあれ漢字はもはや中国だけのものではない。この点で現在から近い将来に渡り中国人の識者の程度はよく疑義に呈されねばならぬ。よって、日本人にとって漢字は、日字の益々の洗練に向かうべきもので決して折中が主眼となるべきではない。漢字から文化されたものではあれ、日本語における日字は今では、国民全員が読み書きできる「日本の文字」なのだから。
私は今後の展開によって漢字に標準字の様なものが国際的に制定されるとしたら、それをむしろアジア文字又はアジア字と呼ばざるを得ない。
確かに標準文字の機能をかつての漢字文化圏の一帯で利便するだろうが、それを全アジア人民が採用するということはあり得ないだろう。むしろ、結果としては、アジアン間意志疎通に潤滑油となると同時に、中国語に旧体字へのかなりの退化が起きるのが落ちであるだろう。口語を基準に据えた簡体字は中国語話者にしか用いられづらいのだから、亜細亜全域に逆進出は二度とない。恐らくは黄河流域の衰亡に伴ってかつての漢文化の栄華を中国は未だ取り戻していないのだ。
日本人にとってはアジア字は専ら暫く、日字を崩して書く為に方便される方便覧の役目を果たすだろう。一部はさらに便利な字を輸入する場合も考えられなくもないが、亜細亜に文明の輝きが見い出せない現状ではそれも基本的に難しいだろう。漢字の大分は飽くまで原始的象形を起源に根付かせた世界的な後進文字である、という事情に我々は思慮深くなければならない。
たとえばラテン文字では起源が象形にあるA(アルファ・雄牛)、B(ベータ・家)、M(ミュー・水)(出典『ラテン語とギリシア語』風間喜代三、三省堂)の様な文字でも、或いはソクラテス的伝統に基づいて口語主義的に洗練させた結果、表記文字に性質は非常に近づいた。とはいえかな文字の様全く表意性が消滅した訳ではないのは、発音記号と文章表記が別なので知れる。エジプト起源の象形文字を徐々に西洋風土に根付くよう改良を加えた結果、アルファベット程度まで表意性質を印欧民族は減退させたのだった。
いわば、我々日本人は将来に渡り日字を完全に捨象するには足らぬ、というのは現状でさえ現代朝鮮語でそうあるようにあらゆる漢字起源の語句を敢えて表音表意しないのだから。「川」を「かわ」とか「セン」とかわざわざ書くことにはどの程度の徳があるだろう。かと言って発音が無用な文字は絵画であって文字ではなく、少なくとも画数・形態・意味を文化的に絶えず検討し直さねばならない。いかにもややこしそうだとはいえ、最も効率的な文字洗練には自然淘汰が望ましい。つまり、各代のまつりびと、文人、たみなどによって使いやすいままに任せておけば最も美しい文学秩序は時代ごとに現れてくる。しかも日本人が常にそうして来たように、時代ごとの変遷を文化的に保存しながら淘汰させる事で我々は温故知新の伝導者になり得るだろう。尚、岡倉天心の『日本美術史』に象形文字は典型的なイメージによって絵画での写実表現を抑制する、という見解あり。象形文字の文化と対応させて比較文化論的な考察が必要である。以上を慮って日本文化の未来を解けば、台湾との関係を親密にもしてきた便宜として、新旧字体の通義便覧としてのみ、日本語にとっての亜細亜文字の立場は適宜採用される。そして日字は日字独自の洗練を尚も続ける。
2007年11月6日
2007年11月5日
自然学
どうして宇宙は始まったか。又どうして終わるか。多様性と生存確率の関係を解け。哲学的には、宇宙が広がる前提にしか精神は存在しない。精神作用とエントロピーの関係を宇宙論に関連づけて解け。国際経済の平衡のためには国連調整以前にいかなる対策が執りえるか。
2007年11月4日
2007年11月2日
文化
ある語義が確定できない、という事は言語活動自体に些かの退化も斉しはしない。文脈の中で意味を主観づける根拠を多岐化する事が後現代哲学の命題となる。確定不可能であっても伝達確率を向上する事はできる、つまり文化。
地球人類学
地球は宇宙全体においてどのような地域にあるか。地球人類が宇宙全体の中でどのような地位を持つかを調べる方法は。もしも人間のneoteny化が漸近的に進み続ければ、未来には我々が想像したエイリアンに近い、頭でっかちの赤ちゃん的な遊戯人が現れるだろう。だが、そういう新生人類は現生人類とはほとんど関連を持たない。ちょうどチンパンジーと人類とは異なる社会圏にある様に。
仮に彼らを未来人類と呼ぶと、そういう未来文明に適応した個体にとって、当然ながら社会体制を含むコミュニケーションスキルにも多大な進化があって、我々の非ではないような通信言語が存在しなければならない。従って我々には彼らの会話が理解できないばかりかあたかも機械が発音練習をしているかの如く多様かつ単純な音声で疎通する。鳴き声から言語へ、という筋書きを考えれば言語は未来において更に情報処理の緻密な単純さを獲得するだろう。アクセントは徐々に消えて、短いパターンに複雑な概念が抽象される。たとえば日本語の文明がcivilizationの訳語性と文明らかの表意性を両義化するように、言葉自体は単節化しつつ、その抽象度は上昇し続ける。我々が原始人類の会話を拙く感じるように、未来人類は現生人類のそれを未開に感じるだろう。
そのような未来文明においてさえ、地球人類にはどのくらい生存可能性が残っているかを検証しなければ。もし地理環境が極度に辺境なため、宇宙における奇形文明を築いているのなら、我々は自らの地球文化を少しずつ改良して行く努力を要する。人間原理は相対的である。
仮に彼らを未来人類と呼ぶと、そういう未来文明に適応した個体にとって、当然ながら社会体制を含むコミュニケーションスキルにも多大な進化があって、我々の非ではないような通信言語が存在しなければならない。従って我々には彼らの会話が理解できないばかりかあたかも機械が発音練習をしているかの如く多様かつ単純な音声で疎通する。鳴き声から言語へ、という筋書きを考えれば言語は未来において更に情報処理の緻密な単純さを獲得するだろう。アクセントは徐々に消えて、短いパターンに複雑な概念が抽象される。たとえば日本語の文明がcivilizationの訳語性と文明らかの表意性を両義化するように、言葉自体は単節化しつつ、その抽象度は上昇し続ける。我々が原始人類の会話を拙く感じるように、未来人類は現生人類のそれを未開に感じるだろう。
そのような未来文明においてさえ、地球人類にはどのくらい生存可能性が残っているかを検証しなければ。もし地理環境が極度に辺境なため、宇宙における奇形文明を築いているのなら、我々は自らの地球文化を少しずつ改良して行く努力を要する。人間原理は相対的である。