資本経済とは知働による体働の階級支配経過で、搾取と恵与の史実だった。
それは大株主からfreeterまでの労働格差をもたらしたが、同時に工業化に従って物質社会を発展させた。
我々が信仰して懐疑しない「勤労の義務」はこのsystemに依存する栄典なのだ。
もし現代経済人が真に賢くなればこの仕組みを情報社会型に、更に改良するだろう。
勤労は権利に鞍替えされるだろう。
人々は働く意義を「組織の改良」に見いだし、個人的充足に優先させるだろう。
その時こそ──経済社会の未来──我々は再び共産主義を宣言すべきではないのか。
つまり、人類はますます機械を奴隷化し、もっともっと精神を主人に置く経過にengageする事で我々自身の生活環境を改善して行く。
我々は世界の利益循環に対して神的になることで資本経済を究極する頭の良い支配者となり、恩恵を被る一市民となるだろう。
経済人の精神は有り余る富の恵与を工夫する術に昇華された時に、新しい経済形態は、とある国の内部から自然に高貴なる気風として発動するだろう。The noblesse oblige(高潔なる野蛮)は我々の内部で生き、我々の道の有りようを未だに照らし出している。
2006年1月31日
経済学
経済界の名分主義は全て処理の工夫の過程的形態に過ぎない。又、それを破棄し得る生産力環境が造られる程に実分主義へsystemは移行する。為らば共産経済とは我々の遥か遠方に見える名分の意義が消失した社会である。社会派革命に依るのは極めて浅薄な思考だと唱えねばならない、我々の階級は必要だから在る。生産手段の私有化が経済界に激震をもたらす。
現代政経推察論
民主政治の間接民主主義に於ける選挙区制と資本経済の成功dreamとは不完全ではあるが、現代の暫定的な最良の配分的正義の方法だと考えられる。
[もし君が違うと考えればテロリストのようなアナーキズムに逃げ出すしかない。]
しかし、改良の余地はある。
民主社会の選挙制をますます公正公平に選挙活動のあらゆる情報経過を透明化し、更に資本社会の所得階級間流動性から名分主義を排除し努力主義化して自由意思に任せよ。
所得と地位を自らの力で選択したのだと人民に認識させ得る無数に多層化した社会こそ目指されるべきで、平面化しては種内競争の昇華の意義が消滅してしまうだろう。
だから現代社会を飽くまでも信じて改良して行こう。革命の名に踊らされるのは小人である。
[もし君が違うと考えればテロリストのようなアナーキズムに逃げ出すしかない。]
しかし、改良の余地はある。
民主社会の選挙制をますます公正公平に選挙活動のあらゆる情報経過を透明化し、更に資本社会の所得階級間流動性から名分主義を排除し努力主義化して自由意思に任せよ。
所得と地位を自らの力で選択したのだと人民に認識させ得る無数に多層化した社会こそ目指されるべきで、平面化しては種内競争の昇華の意義が消滅してしまうだろう。
だから現代社会を飽くまでも信じて改良して行こう。革命の名に踊らされるのは小人である。
政経批判
社会政治と共産経済が、民主政治と資本経済から交代する迄には未だ、ある程度のstepsが必要だろう。
「あらゆる革命は生産手段の技術的発展に由来する」、と提言したのは他ならぬマルクスではなかったか。
共産経済は現代からは遠く理想に過ぎない。どうして国際的市場競争なしに新製品をこぞって開発しよう。
また、社会政治も全ての人民が限界まで知的に向上し、尚且つ平均値が一定である非人類的機械的環境でしか実現することはできない。
アダム・スミスに帰れ。
所得不均衡の調整は「中流最多」を保つべく政府により正確に行われなければならない。
だが所得格差のない社会は《閉じられた体系》に過ぎないと気づくべし。その惰性的世界には『開かれた体系』の有する最高の希望、限りない発展への憧憬は無い。
宗教結社としてしかその様な状態は達成できないし、しかも貧困状態を維持する為でさえ更に、常に外部に頼らなければならない。なぜなら欲望の促進がない社会の生産性は著しく低いから。
「あらゆる革命は生産手段の技術的発展に由来する」、と提言したのは他ならぬマルクスではなかったか。
共産経済は現代からは遠く理想に過ぎない。どうして国際的市場競争なしに新製品をこぞって開発しよう。
また、社会政治も全ての人民が限界まで知的に向上し、尚且つ平均値が一定である非人類的機械的環境でしか実現することはできない。
アダム・スミスに帰れ。
所得不均衡の調整は「中流最多」を保つべく政府により正確に行われなければならない。
だが所得格差のない社会は《閉じられた体系》に過ぎないと気づくべし。その惰性的世界には『開かれた体系』の有する最高の希望、限りない発展への憧憬は無い。
宗教結社としてしかその様な状態は達成できないし、しかも貧困状態を維持する為でさえ更に、常に外部に頼らなければならない。なぜなら欲望の促進がない社会の生産性は著しく低いから。
2006年1月30日
趣味化
生産手段の技術的改良で、ある仕事が前時代になると、それは気晴らしになる。趣味主義は実用主義の先にある。
全てはままごとに化す過程にある。人間は生活を遊戯に変えて行く。彼らの理性は事象を道具に換え、やがて何もかもを遊びにしてしまう。なぜなら天敵が存在しない限り、彼らの天下で幸福を追及することは同類間競合の計画に落ち着く他ないのだから。
彼らは来るべき外敵に備える合間、永遠の自己向上と生活圏の延長に務めていく。
全てはままごとに化す過程にある。人間は生活を遊戯に変えて行く。彼らの理性は事象を道具に換え、やがて何もかもを遊びにしてしまう。なぜなら天敵が存在しない限り、彼らの天下で幸福を追及することは同類間競合の計画に落ち着く他ないのだから。
彼らは来るべき外敵に備える合間、永遠の自己向上と生活圏の延長に務めていく。
2006年1月29日
地球市民の善導
Globalismで例え文化的最低限度の生活を全世界の住民が保証されて後しかも、日本人だけが地球の諸国民を事実上奴隷的に搾取する状態に成る、というのは、21世紀末までの文明進展の度合いによっては充分にあり得ることだと認めなければならない。
なぜならIT革命の中心地になる得る条件──polis的集中──を備えた東西中心地域は日本だけだからだ。
ならば日本人の地球市民たる正義観はどこに求められるべきか、君は自ら問うだろう。
万人平等労働の論理がjesus的博愛から欧米列強により導かれ、democratic pragmatismに利用されているのが批判できる。
しかしそれは政治の目的としての理念だとamerican以外に誰が唱えるだろう。
Computer automationが産まれて以来、我々の肉体労働は益々軽減する。
知能労働は遊戯化し、趣味主義的勤労に近づく。
ならば日本人は相対的に、次第に世界中を独特の言語により情報の寡占状態に追い詰めるだろう。
Aristotelesがなぜ中庸的民主主義を理想と考えたか我々には熟慮の余地がある。
民主政治を資本経済制下で行う限り政策動向の愚衆化は避けられない。
なぜなら扇動だけが権力維持機構に成り下がり、真の少数意見は多数決により却下されるから。
辛うじて間接民主制がこれを抑えているが、大同小異。
よって日本人は考えるだろう。
国連常任理事国決議を各国首相による投票制にし、尚且つ常任理事国自体の信任をも全加入国間の投票制に還元する必要にある、と。
そうすれば日本人の高過ぎる地位は事情が許す限り相対化できる。
企業倫理は資民主義経済が起動に乗る地点から急激に高まらざるを得ないだろう。because国際貢献による名誉という精神的付加価値。
さらに知的eliteによるnetの自由言論を武器にした国内世論の良き指導で日本人は政権交代制を活発化する。それは政策中心主義への傾きと更なる政党主義への揺り戻しを経て本来の機能を取り戻すに違いない。
なぜならIT革命の中心地になる得る条件──polis的集中──を備えた東西中心地域は日本だけだからだ。
ならば日本人の地球市民たる正義観はどこに求められるべきか、君は自ら問うだろう。
万人平等労働の論理がjesus的博愛から欧米列強により導かれ、democratic pragmatismに利用されているのが批判できる。
しかしそれは政治の目的としての理念だとamerican以外に誰が唱えるだろう。
Computer automationが産まれて以来、我々の肉体労働は益々軽減する。
知能労働は遊戯化し、趣味主義的勤労に近づく。
ならば日本人は相対的に、次第に世界中を独特の言語により情報の寡占状態に追い詰めるだろう。
Aristotelesがなぜ中庸的民主主義を理想と考えたか我々には熟慮の余地がある。
民主政治を資本経済制下で行う限り政策動向の愚衆化は避けられない。
なぜなら扇動だけが権力維持機構に成り下がり、真の少数意見は多数決により却下されるから。
辛うじて間接民主制がこれを抑えているが、大同小異。
よって日本人は考えるだろう。
国連常任理事国決議を各国首相による投票制にし、尚且つ常任理事国自体の信任をも全加入国間の投票制に還元する必要にある、と。
そうすれば日本人の高過ぎる地位は事情が許す限り相対化できる。
企業倫理は資民主義経済が起動に乗る地点から急激に高まらざるを得ないだろう。because国際貢献による名誉という精神的付加価値。
さらに知的eliteによるnetの自由言論を武器にした国内世論の良き指導で日本人は政権交代制を活発化する。それは政策中心主義への傾きと更なる政党主義への揺り戻しを経て本来の機能を取り戻すに違いない。
社会生物学
生化学の見地か、人間所思に多種の意義を自覚させ得ると同時に、死の重要を覚えなければならない証拠を挙げよ。生成と死滅が種の適応力の要故。及び遺伝子操作の危うさを最短で国際法に適用させるべく我々自身が天敵を作り出し得る証明を行え。
2006年1月28日
能力
肉体を健康に保て。身体の欲望と活動には中庸を心構えよ。そして君より偉大な精神の業績に常に触れ続けるが良い。そういったものが既に見当たらないということは君が生きる限りあり得ない。なぜなら完全な万能に到達することは人が個体である限り無いから。
2006年1月27日
自然と共に去りゆく者たち
失われていく風景のどこかで君は何かを探していた。それは何。世間知らずの若者が既成社会に適応するまでの物語。その問いに答えがあったのか。僕は無数の行き着く果てのない反抗や堕落を目にして来た。誰かは名も残さないで消え去り、少しずつ異なる香水のかおりを記憶に残して街の底へ沈んでいった。成金になりたいの。違うよ。だって僕は世の中が自分を必要とし、僕の努力で世界が少しずつ良くなっていく、という実感が嬉しいだけだから。あなたはどこへ行くのだろう。僕はどこにも行かない。地球のどこかの小さな島で冬のある日にぽっこり産まれて、いつかはまた春の桜が散るように儚げに死んでいく。
誰かが君を呼んでいる。多分、自然がまた次の時代を予告しているのだ。君は自分の手足がその環境を住みやすく作り変えていくのを知る。そして古くなった者たちは少しずつ土に戻ってく。いつかは君もまたこの星を物語る基礎構造に還っていく。
人はそして本当の明日を追い求めて歩いている。そこには希望があり、挫折がある。偉人たち。それから世の中はますます自然になるだろう。美しい旋律が勇者を称えている。しかし、その時もう、僕はこの世にはいない。
誰かが君を呼んでいる。多分、自然がまた次の時代を予告しているのだ。君は自分の手足がその環境を住みやすく作り変えていくのを知る。そして古くなった者たちは少しずつ土に戻ってく。いつかは君もまたこの星を物語る基礎構造に還っていく。
人はそして本当の明日を追い求めて歩いている。そこには希望があり、挫折がある。偉人たち。それから世の中はますます自然になるだろう。美しい旋律が勇者を称えている。しかし、その時もう、僕はこの世にはいない。
回想
無限に続く人類の歴史がはっきり見通せる。沢山の人が死に、生まれる。その戯れがくっきり細部まで見える。どうして生まれ来たのか、どうやって死んでいくのか、そして何が大切なのか。世界には数限りない人がいる。私はそんな取るに足らない名も無き人物の一人だ。別に言い訳をする気はない。すぐに物事に負けて、自己嫌悪に陥る。それでも何とか死ぬ機会にも触れず、生き抜いてる。ところで人はやがて新しい地平線へ向かって一歩ずつ歩み出す。きっとその道は正しい。どこまでも広がる希望の海が人をやさしく包み込んでいる。それを見送っている。
季節は冬だ。私は君の旅立った世界の片隅で、夕方、牛乳を電子レンジで温めて窓辺に立つ。暁に染まったビルの谷間の空には半月が微笑んでいる。君は月に帰ってしまったのだ。私にはそれが分かる。
そしてゆっくりと日が暮れて、辺りはとっくり闇に沈む。私は誰もいないワンルームの部屋から街の隙間を縫うように流れていく車のライトを眺めている。それらは誰かや何かを運んでどこかへ進んでいくのだ。
季節は冬だ。私は君の旅立った世界の片隅で、夕方、牛乳を電子レンジで温めて窓辺に立つ。暁に染まったビルの谷間の空には半月が微笑んでいる。君は月に帰ってしまったのだ。私にはそれが分かる。
そしてゆっくりと日が暮れて、辺りはとっくり闇に沈む。私は誰もいないワンルームの部屋から街の隙間を縫うように流れていく車のライトを眺めている。それらは誰かや何かを運んでどこかへ進んでいくのだ。
2006年1月26日
教育の実質
強制型から参加型の組織へ仕組みを抜本的かつ漸進的に改造していかなければ教育は産業として最早成り立たない。その本質的意義は知的情報売却でしかないし、ならば市場原理に則ってより効率的でより便利な教育形態へと需要が移行するのは常識的である。IT革命は工業時代までの情報獲得の基本的意義を全て洗い流しつつある。それに対応できない組織は如何なる伝統があろうと無かろうと早晩、適者生存の法則により淘汰される。生徒中心主義の教育形態へあらゆる重点を注ぐ学校だけが、何らかの実質的な形態で生き延びるだろう。
指導者の役目
日本は地球の知的生産基地になり、我々の文明を代表するbrainとして終生活躍していく国土。ならば文化人の務めは公共的世界市民主義の貫徹ではないのか。それは文民による諸国家への言論の指導で成る。国連の強化とその制度を万人国家に相応しいものへ変革し得るのは自由な独立した市民しかいない。
2006年1月25日
人類史
人生はみな失敗の歴史だった。ただ、失敗の種類と大きさが創造的適応と共に少しずつ変わるだけ。たとえば呼吸をしない生体がないように、人生何もかもうまく行くことはこの理由によって誰しも無い。ただ他人の業績に比較すると、文明に対する失敗の程が変わるところで何らかの無駄や偉業に診える。
尤も試行錯誤学習が少なくなるのは文明人だとすれば、その結果としての方向性は環境乃至文化の上に偶発的である。
尤も試行錯誤学習が少なくなるのは文明人だとすれば、その結果としての方向性は環境乃至文化の上に偶発的である。
2006年1月24日
2006年1月23日
憲法9条の志
たとえ如何なる災難が降りかかろうとも国際紛争を解決する手段として武力は『永久に』放棄した以上、既に日本国民は神民であるべき使命を負ったに等しいと自覚しなければならない。
つまり徹底した非暴力と言論による紛争解決に殉ずる使命にある。
もし9条を改悪したら我々は永遠に嘘つきの汚名を背負わねばならないし、それは我々が生きる限り全滅するより遥かに損だと知らない筈は無いが。
「汚れを背負ったままで生きるよりは潔く死ぬほうが良い。
ならば我々は生きなければならない」
つまり徹底した非暴力と言論による紛争解決に殉ずる使命にある。
もし9条を改悪したら我々は永遠に嘘つきの汚名を背負わねばならないし、それは我々が生きる限り全滅するより遥かに損だと知らない筈は無いが。
「汚れを背負ったままで生きるよりは潔く死ぬほうが良い。
ならば我々は生きなければならない」
情報論
実用主義は個性にとってあらゆる情報選択処理を最適化する手法。趣味という側面。何にも役立たないからこそそれは趣味的であり得る。つまり、自己目的な遊戯。創造的である為にはこの趣味主義がなければならない。かつてアリストテレスが幸福として定義した理想の活動はすなわち、遊戯。それ自体は益にも快楽にも、或いはまた適応的成功にも値しない全くそれ自体で充分なものとしての遊戯が趣味。
情報産業はこの近代工業社会からは軽蔑されてきた、何の役にも立ちそうにない趣味だけを商品にして、生活して行ける可能性を現している。新しい媒体においてhardwareやsoftwareが整えば当然contentsとしての情報が要求される。こうしてあらゆる趣味は売れる。ならば、産業革命以降、工業がもたらした社会の為の有益性への無心の信仰は突き崩される。
趣味主義はこうして情報産業社会の生き方を指導する1つの思想であり得るだろう。しかし、闇雲に快楽を追求するのは趣味の本質ではない。それ自体快楽に対する中庸的自制を要求している。花看半開、酒飲微酔、此中大有佳趣(花は半開を看て、酒は微酔を飲む。佳き趣は此の中に大いに有る)、洪自誠『菜根言単』。つまり人が趣味主義を貫くにはやはり、万人の幸福へ貢献するという個人的充足からの飛躍があるだろう。さらに追求すれば知り得る生態系そのものをますます自然にする、という人間中心主義からの脱却も可能になる。いいかえればpragmatismの限界は人間中心主義にあった。
我々は人生の主義を趣味として捉えることで、自然になれる。尚ある対象を絶えざる破壊と構築の目的作業であると考える以上、その立場はdeconstructivismに近づく。
情報産業はこの近代工業社会からは軽蔑されてきた、何の役にも立ちそうにない趣味だけを商品にして、生活して行ける可能性を現している。新しい媒体においてhardwareやsoftwareが整えば当然contentsとしての情報が要求される。こうしてあらゆる趣味は売れる。ならば、産業革命以降、工業がもたらした社会の為の有益性への無心の信仰は突き崩される。
趣味主義はこうして情報産業社会の生き方を指導する1つの思想であり得るだろう。しかし、闇雲に快楽を追求するのは趣味の本質ではない。それ自体快楽に対する中庸的自制を要求している。花看半開、酒飲微酔、此中大有佳趣(花は半開を看て、酒は微酔を飲む。佳き趣は此の中に大いに有る)、洪自誠『菜根言単』。つまり人が趣味主義を貫くにはやはり、万人の幸福へ貢献するという個人的充足からの飛躍があるだろう。さらに追求すれば知り得る生態系そのものをますます自然にする、という人間中心主義からの脱却も可能になる。いいかえればpragmatismの限界は人間中心主義にあった。
我々は人生の主義を趣味として捉えることで、自然になれる。尚ある対象を絶えざる破壊と構築の目的作業であると考える以上、その立場はdeconstructivismに近づく。
目印
君の一生涯の残り時間が限られていなければならない理由を想いたまえ。それは君より優れた新たな種を生み出す為の必然だ。よって先ず理想計画を立て、全人生間をその実現の為に限界だけ尽くすべきだ。なぜなら君が死亡までにそうして到達した地点が子孫の出発点になるから。時空を認識する近代精神の力はあまりに悠久なので、人類が自らそれと分かる進化はそこにしかない。
当為
獣から神への進化が人間だった。ならばそれに従うのが精神の使命。かつて我々が辿って来た道を想うなら、人が偉くなり過ぎるということは決してない。だから人よ、君の為すべき行いは常にあらゆるものの崇拝に値するものであれ。
2006年1月22日
文明学
近代文明がもし何らかの天敵天災及び自滅で滅びない限り、数世紀の後に我々人類は殆ど終着的な未来生活に到達するだろう。しかし地球外文明の高度さ、異質さを鑑みる限り我々の自己啓発に終わりは来ない。何となれば脅威に値するだけでなくそこには我々の次元を超えた幸福の程度があるかも知れない。それは想像力によってしか悟り得ない。人類が幸福と呼ぶ目的は所詮、地球製文明に過ぎないのに。
裁決
裁判とはできぬ神を演じる、あたかも人間性のユーモアだ。それを完璧に誤り無くするには人は余りに愚かすぎる。誤審のおそろしさは暗黒裁判以上に、できぬ祟りとしての衆愚のはなはだしく邪悪なふるまいにある事をイエスやソクラテスがどれほど高らかに示し賜っただろうか。それゆえに、人為による裁判が最後の審判にはなりえない、と幾ら顕示しても人類には足らないのだろう。
理想
君の他の知的動物が君自身を食わない保証は君自身によっては行えまい。なぜなら精神は我々の精神であるから。言い換えれば種々の進化の果て我々より遥かに巨大な脳を形成した生き物は我々の知能を一笑に付さないとは言えない。少なくとも我々の精神段階はその演繹的推察の為には必要な質量を満たしている。
或いは又、我々の古里である地球は太陽系に守られている気がしているが、いつ何時彗星の衝突で破壊しないとは言えない。事実、嘗て同じ経過を通って死滅した種もあったのだ。
だから我々は絶対的恐怖に常に置かれているが、その認識を日常茶飯事で相対化しようと欲している。逃避だ。遊戯する理由は殆ど完全にここに在るだろう。
尚且つ人が文明を建設するのは我々自身の合理的快楽である幸福を増進させる為だ、と様々な学者が結論づけた一方、思考の無限の相対化はそうして惨めな同族での慰め合いに終始する仲間をよそ目に適応可能性としてあらゆる創造力を喚起する偉大な個性をも養護する。それは我々の生存を保証する為の最後の賭けだ。
確率的には間違いないだろう我々の一部が宇宙移住する事業構築以前に出来る、人の最高の奉献は理想に依って未来起こり得るあらゆる場面への仮説を検証することだ。だから、理想は常に冒険である。もし賭け間違えれば人類はいつ死滅するかも分からない。
尤も、我々一人一人には自らの尽力で安心して幸福を味わうだけに充分な時間的余裕が与えられてはいるのだが。それを現実と呼ぶ。
或いは又、我々の古里である地球は太陽系に守られている気がしているが、いつ何時彗星の衝突で破壊しないとは言えない。事実、嘗て同じ経過を通って死滅した種もあったのだ。
だから我々は絶対的恐怖に常に置かれているが、その認識を日常茶飯事で相対化しようと欲している。逃避だ。遊戯する理由は殆ど完全にここに在るだろう。
尚且つ人が文明を建設するのは我々自身の合理的快楽である幸福を増進させる為だ、と様々な学者が結論づけた一方、思考の無限の相対化はそうして惨めな同族での慰め合いに終始する仲間をよそ目に適応可能性としてあらゆる創造力を喚起する偉大な個性をも養護する。それは我々の生存を保証する為の最後の賭けだ。
確率的には間違いないだろう我々の一部が宇宙移住する事業構築以前に出来る、人の最高の奉献は理想に依って未来起こり得るあらゆる場面への仮説を検証することだ。だから、理想は常に冒険である。もし賭け間違えれば人類はいつ死滅するかも分からない。
尤も、我々一人一人には自らの尽力で安心して幸福を味わうだけに充分な時間的余裕が与えられてはいるのだが。それを現実と呼ぶ。
知性
百年近い長い人生で、2、3の技芸を博得したから満足するというなら、君は地球生態系における最高位の補食者として消化してきた数え切れない被食者に申し訳が立つのだろうか。生きている今も死して尚、何を為すべきか絶えず考えよ。そうすれば同類に対しての献身のみならず、我々の生態系の均衡と種の多様化にも貢献せねばならない事に気付く筈だ。更には宇宙が君ら人類に精神あるいは頭脳というエントロピー制御装置を当て填めた理由を想うだろう。単に本能に因り子孫を産み出し、その永続を企図するだけでは文明の半開だ。そういった社会に生息している生命体は彼ら自身の組織に所属している。
だから君は、我々の知性が星々の整理に役立つことを習え。世界は絶えず更新される舞台。その掃除が、先ず人ならではの仕事だと悟るだろう。
人類はまさか、自分の将来が宇宙唯一の役者だと思うほど自惚れてはいまい。彼らが何枚目なのか我々は未だ知らない。だから準備を兼ねて、君の無数の技芸を誇りに足るまで充分に鍛えよ。
だから君は、我々の知性が星々の整理に役立つことを習え。世界は絶えず更新される舞台。その掃除が、先ず人ならではの仕事だと悟るだろう。
人類はまさか、自分の将来が宇宙唯一の役者だと思うほど自惚れてはいまい。彼らが何枚目なのか我々は未だ知らない。だから準備を兼ねて、君の無数の技芸を誇りに足るまで充分に鍛えよ。
2006年1月21日
情報商人の仕事
先進人類文明は知的情報が商品として最適化された市場に直面している。
その価格決定に完全な客観基準はあり得ない。
なぜなら彼らの知能levelで、とある情報に対する価値は変動するから。
ならば情報商人とは目付けと宣伝による市場価格操作の方法論者に過ぎない。
その意義は流通効率を公私利益へ調和させる事。実作業は搾取と恵与の均衡調整。
その価格決定に完全な客観基準はあり得ない。
なぜなら彼らの知能levelで、とある情報に対する価値は変動するから。
ならば情報商人とは目付けと宣伝による市場価格操作の方法論者に過ぎない。
その意義は流通効率を公私利益へ調和させる事。実作業は搾取と恵与の均衡調整。
2006年1月20日
文学論
文芸とは文章における論理の感情的配列である。両者の組み合わせに無限の個性が入り込む余地があるから、単なる記号情報の羅列が芸術的意味を持つ。文学性とは概念感覚の競い合わせで、その優劣は無意味。より普遍的な配列があるかが争点で、他はすべて単なる遊び、なぜなら情報価値が通用する人の間の範囲の差によって。
真理の内在性
人の至高性は人の精神でしか捉えられない。ならば我々にとって我々の思考は絶対崇高だが、我々以外にとって相対的であることが理解される。精神の独善。こうしていわゆる創造主たる神の人格化はどこまでも相対的であることに気づくだろう。その意味で唯一神信仰は全て論理的偽であり、盲信であると分る。
つまり精神だけが至高とか超自然とかの言語観念を操れる以上、神なるもの或いは真理は我々の精神の外部にはあり得ない。精神の独善により、信仰に足るべき偶像なるものは常に我々自身の理想的観念でしかないものだった。
つまり精神だけが至高とか超自然とかの言語観念を操れる以上、神なるもの或いは真理は我々の精神の外部にはあり得ない。精神の独善により、信仰に足るべき偶像なるものは常に我々自身の理想的観念でしかないものだった。
文明論
例えば情報産業は我々自身の生物学的特性を醸成し、理想の限りの社会生活を実現する。究極に環境が便利化されて尚、大衆の知能程度は常に聖人より低いだろうが、重要なのは全体の知的水準の向上。我々は社会環境にしか暮らさないから。だから文明は昨日の聖人の程度に大衆を引き上げ、明日の俗物程度に聖人を待たせる精神作用のmeme系列だったろう。
しかし野蛮が文明進歩を阻害しない限りそれが必要以上に破壊されることは遂にないだろう。それは人類が彼らを支える下等生物を可能な限り絶滅させないでおく様な、生存を通した多様化の意思に倣う。
しかし野蛮が文明進歩を阻害しない限りそれが必要以上に破壊されることは遂にないだろう。それは人類が彼らを支える下等生物を可能な限り絶滅させないでおく様な、生存を通した多様化の意思に倣う。
2006年1月19日
現代的倫理観について
ヒトはその知能で彼ら自身の永続よりむしろ地球発生命体の多様化が生きる目的の割に合うことを学ぶだろう。その時に我々は普遍的善良さを有する。ならば宇宙航海時代には未だ我々は居ない。而して環境抵抗として近代文明の終点と未来文明の始点において知的格差拡大の故の出生率低下が起こるのは自然。
また優秀な生物学者は法律による禁止以前に、自主的にヒトを含めた個体の老化防止を辞める。生存は適応への絶えざる変質だから。それは遺伝子の意思を尊重することに等しく、我々の個別的精神作用を崇拝して肝心の個体間の連続的盛衰を抑制することにはならない。
また優秀な生物学者は法律による禁止以前に、自主的にヒトを含めた個体の老化防止を辞める。生存は適応への絶えざる変質だから。それは遺伝子の意思を尊重することに等しく、我々の個別的精神作用を崇拝して肝心の個体間の連続的盛衰を抑制することにはならない。
政治論
政治は大人しくやるお祭りで、又いつもそうでなければならない。その標準的手法は人間関係の組み換えで、しばしば肉体的あるいは精神的暗殺を伴う。戦争は規模の大きな暗殺事業だが、あまり賢くないし、野蛮だ。
最も偉大な政治家は威光だけで平和を実現する。その裏には多大で緻密な精神的暗殺劇がある。しかしあまり賢くない人民にはまるで単なる幾つかの対談に見えるだろう。
最も偉大な政治家は威光だけで平和を実現する。その裏には多大で緻密な精神的暗殺劇がある。しかしあまり賢くない人民にはまるで単なる幾つかの対談に見えるだろう。
名
考えなければならない問題は考えなくてもよい問題よりずっと少ない。でなければ一生という分類は余りに不条理だから。威名を轟かせるこの世の傑人、あなたが到達できた神性をその不完全さ故に讃えよう。我々生命が生存永続という尊くも自由刑的な儚い目的を叶える様に。
政策の要
あらゆる戦争の原因はつまり、国家経営の行き詰まりにある。
侵略に於いてさえそうだ。それは一国内で自給自足がまま成らない状況に追い込まれた国際情勢の結果。
為らば対外政策の要は国家所得間に極大な不均衡を避ける為の機会提供の努力。
そして国内政策の中心作業とは国民所得格差について中庸性を最大化する為の適度な規制。
侵略に於いてさえそうだ。それは一国内で自給自足がまま成らない状況に追い込まれた国際情勢の結果。
為らば対外政策の要は国家所得間に極大な不均衡を避ける為の機会提供の努力。
そして国内政策の中心作業とは国民所得格差について中庸性を最大化する為の適度な規制。
現代経済の発展方向
あらゆる労働価値は資本家を頂点とする搾取の体系の中で量られる。それが基本的に経営上の知能に準じたピラミッドであることが普通。
[あらゆる資本主義経済はその形成へ絶えず効率化される]
だから近代文明人類の現代経済とは即ち、生来の知能発育可能性をしばしば教育期間と関連づけながら、適材適所の一大ピラミッドを「所得階層」として実現する意図。
そこに非難されるべき箇所が無いのは、勉学に耐えられる様に指導される人間がまた知能労働に従事する適切さ、あるいはその逆が現実的不可なことに理由される。
ホワイトカラーとブルーカラーの分離差拡大は文明化能率に「必要」なのだ。
でなければどうして勤労の義務が設けられるだろう。言い換えれば、我々は労働価値に格差をつくることで創造的分業を体制づける。それは生産に関する技術力の進化に依り絶えず更新される適応課題への対応策なのだ。
そして全体の知的水準が資本家の投資による教育の一般化で上昇し、民心にこの資本主義思想の本質が普く理解される頃、我々の経済は新たな段階──資本を有する経営者兼労働者「資民」に拠る──『資民主義』へ移行するだろう。
それは分業化が事実上均質化された果て、我々の全てが社会へ直接従事する時代。
IT技術は既にその片鱗を見せている。搾取を行う主体を自身のみに限定すれば事業の抽象化により利益率は最大化する。つまり媒介業者を最小に抑え、機会費利益を極大に、取引費損失を極小にし得る。
尤も、この手法がマンモス企業経営との経済率的均衡状態に至るには恐らくは半世紀前後必要だろう。
労働形態が多様化することは我々の地球外宇宙進出時代への適応課題に合う。
[あらゆる資本主義経済はその形成へ絶えず効率化される]
だから近代文明人類の現代経済とは即ち、生来の知能発育可能性をしばしば教育期間と関連づけながら、適材適所の一大ピラミッドを「所得階層」として実現する意図。
そこに非難されるべき箇所が無いのは、勉学に耐えられる様に指導される人間がまた知能労働に従事する適切さ、あるいはその逆が現実的不可なことに理由される。
ホワイトカラーとブルーカラーの分離差拡大は文明化能率に「必要」なのだ。
でなければどうして勤労の義務が設けられるだろう。言い換えれば、我々は労働価値に格差をつくることで創造的分業を体制づける。それは生産に関する技術力の進化に依り絶えず更新される適応課題への対応策なのだ。
そして全体の知的水準が資本家の投資による教育の一般化で上昇し、民心にこの資本主義思想の本質が普く理解される頃、我々の経済は新たな段階──資本を有する経営者兼労働者「資民」に拠る──『資民主義』へ移行するだろう。
それは分業化が事実上均質化された果て、我々の全てが社会へ直接従事する時代。
IT技術は既にその片鱗を見せている。搾取を行う主体を自身のみに限定すれば事業の抽象化により利益率は最大化する。つまり媒介業者を最小に抑え、機会費利益を極大に、取引費損失を極小にし得る。
尤も、この手法がマンモス企業経営との経済率的均衡状態に至るには恐らくは半世紀前後必要だろう。
労働形態が多様化することは我々の地球外宇宙進出時代への適応課題に合う。
経済学
あらゆる経営は搾取の形式である限り、資本主義経済は知能に準じた分業化の体系。これは明らかな不平等主義だが、政治的理念によって不均衡は最小限に抑制されている。そして慈恵の想いの為にしか経営者は私益を超えて働かないもの。為らば資本主義経済は究極の共産主義経済なのではないか。生産手段の共有化は政府が適宜独占禁止の為に介入することで可能。
もしマルクス的に理想の産業体制があるならば、既に生産手段の発展が終了した文明に於いてでしかない。そしてその世界は我々の知能が進化する限り明らかにあり得ない。
現代経済学に於けるコペルニクス的転回はここにある、即ち資民経済。もしあらゆる人民がIT化の果てで労働者と資本家を兼ねるなら、我々の社会は私益と公益の相互循環が絶えず図られる均衡状態に到達し得る。
もしマルクス的に理想の産業体制があるならば、既に生産手段の発展が終了した文明に於いてでしかない。そしてその世界は我々の知能が進化する限り明らかにあり得ない。
現代経済学に於けるコペルニクス的転回はここにある、即ち資民経済。もしあらゆる人民がIT化の果てで労働者と資本家を兼ねるなら、我々の社会は私益と公益の相互循環が絶えず図られる均衡状態に到達し得る。
文学進化論
抽象概念を具体化して表現する物語小説という文学形式は基本、一般文化として愚かな者ども向けに考案されたもの。従って大人向けには随筆形式で充分である。現代小説自体、人権平等主義に基づいてそれらの境界線を失わせるべきで、後には真実を語るという文語機能だけが残るだろう。
詩というものは小説と随筆の中間に存在する実用化された仮の有り様。後にあらゆる文学は詩に等しくなるだろう。
詩というものは小説と随筆の中間に存在する実用化された仮の有り様。後にあらゆる文学は詩に等しくなるだろう。
思考作用の考察
人間は思考することで宇宙を論理的に解釈している。これは数学によって証明できる。理解できない数式が論理的ではない様に、数学は人間が読み取らない限り論理的だとは言えない。だから宇宙そのものに論理的原因がある、という創造主志向の哲学は悉く誤りだと考えるのが論理的。
いいかえると我々の大脳新皮質の活動に宿った論理的形式が唯一の真理への道なのであり、自然法則と言われるものですら我々の脳内観念の中にしか実在しない。さらにいえば実在という概念を認識する思考現象だけが真実で、idea界がどうたらという議論は根本的に非論理的な幻想である。
もし自然がまるで法則通りに動く神の仕業による世界なら、我々の思考はその神と呼ぶものに相等しい。なぜならば法則を認識し得るものとはこの宇宙のどこを探しても思考作用だけだから。自然や社会や人生の本質に法則があるのではなく、我々自身がそれを思考によって創造的に発見する。だから不文社会で問われる疑念はどれもみな非論理的な解説しか満たさないが、それが真実ではないと主張する権利は我々が限られた範囲で共有する、十進法数学を基礎とした近代文明の理論にしか属さないのは当然。
人が異星人と共有しない法則を主張することは人類文化たる近代文明の文脈に依存する以上、充分にあり得るしその上更におそらく、真の普遍理論といったものは宇宙が永久に延長するという生存意志に適する希望を我々が心理的に持たねばならない事情から言って実現不可能。だからあらゆる科学理論は、幾何学的定義ですら漸進的更新という使命を逃げ出せない。
かつてデカルトが主張したように絶対確実なのは思考が有する神的な、とりあえず我々には神性としか見なし得ない現象しかない。精神と我々が名付けて呼んだのはこの、大脳新皮質に於ける生物学的に特異な作用。そしてあらゆる本質、つまり真理改築性はそこに属さざるを得ない。意味するところは人間の栄光だけ。精神だけが世界をつくる。
いいかえると我々の大脳新皮質の活動に宿った論理的形式が唯一の真理への道なのであり、自然法則と言われるものですら我々の脳内観念の中にしか実在しない。さらにいえば実在という概念を認識する思考現象だけが真実で、idea界がどうたらという議論は根本的に非論理的な幻想である。
もし自然がまるで法則通りに動く神の仕業による世界なら、我々の思考はその神と呼ぶものに相等しい。なぜならば法則を認識し得るものとはこの宇宙のどこを探しても思考作用だけだから。自然や社会や人生の本質に法則があるのではなく、我々自身がそれを思考によって創造的に発見する。だから不文社会で問われる疑念はどれもみな非論理的な解説しか満たさないが、それが真実ではないと主張する権利は我々が限られた範囲で共有する、十進法数学を基礎とした近代文明の理論にしか属さないのは当然。
人が異星人と共有しない法則を主張することは人類文化たる近代文明の文脈に依存する以上、充分にあり得るしその上更におそらく、真の普遍理論といったものは宇宙が永久に延長するという生存意志に適する希望を我々が心理的に持たねばならない事情から言って実現不可能。だからあらゆる科学理論は、幾何学的定義ですら漸進的更新という使命を逃げ出せない。
かつてデカルトが主張したように絶対確実なのは思考が有する神的な、とりあえず我々には神性としか見なし得ない現象しかない。精神と我々が名付けて呼んだのはこの、大脳新皮質に於ける生物学的に特異な作用。そしてあらゆる本質、つまり真理改築性はそこに属さざるを得ない。意味するところは人間の栄光だけ。精神だけが世界をつくる。
2006年1月18日
社会性
良好な人間関係を築き維持する能力すなわち献身を高める最良の方法は、自らを最も多様な機会をもたらす環境に置く習慣づけか慣れ。いわゆる一般社会人として必要な能力とは、ほぼ全てここに集約されている。
反対に孤独な研究活動に長期間集中する能力つまり離反や内省は、前者とは逆に自分からあらゆる機会を奪い、生存と勉強に必要充分なだけの一様で均質な環境にいる習慣づけで最良に成る。
反対に孤独な研究活動に長期間集中する能力つまり離反や内省は、前者とは逆に自分からあらゆる機会を奪い、生存と勉強に必要充分なだけの一様で均質な環境にいる習慣づけで最良に成る。
博物学
Entropyはどの様に増大するのか。それは又、哲学的にはなぜなのか。この宇宙の組成の理由を知ること。科学は、自ら然り、つまりその通りのものを法則として定式化して捉える工夫。神やenergyは無限の舞台へ人を産んだか。宇宙は開いているか閉じているか、又そのどちらでもなくどの様に変容しているか。永遠の生存すなわち栄光への希望を人自身へ決めさせる余裕を持たせたか。精神の科学的分析と定義。
地球文化論
あらゆる学術活動に「伝達」の意思が有ると主張する事は、それらが種内競争の一般系である真実を仮説として提示する。学術の生物学的意義は最初、類人猿から進化して生存競争から離脱することだったが、今や同種内に知的格差を産じせしめ個性付けによる交配の多様化を促すsoftへと更に変質している。
もし文化と呼ばれ有り難がられる土着的野蛮さへの郷愁に一縷の価値があるならその選択の先決性如何に因る。宇宙へ開かれる文化だけが未来へ生き残る。
もし文化と呼ばれ有り難がられる土着的野蛮さへの郷愁に一縷の価値があるならその選択の先決性如何に因る。宇宙へ開かれる文化だけが未来へ生き残る。
社会の展開
知的格差は情報人倫理として善用されれば聖賢の養成に役立つ。知的競争が人類種内で発生してから文明が可能になった歴史的地理的事実を観察せよ。
智徳の寡占化は資本主義的globalismの果てに国連立法組織により解体されるだろう。そこからしか共産主義経済の可能性が萌芽する余地は現実的に無い。
唯物史観的自然として、IT社会化が国体の消散、単なる放棄では無いそれを導く。国語の文化はそこで終わり、個語の文化に転換するだろう。つまり各自が自由に異なる語源を持つ社会通念をやりとりする。その先の国際政府しか社会主義の真の可能性は実現しない。
智徳の寡占化は資本主義的globalismの果てに国連立法組織により解体されるだろう。そこからしか共産主義経済の可能性が萌芽する余地は現実的に無い。
唯物史観的自然として、IT社会化が国体の消散、単なる放棄では無いそれを導く。国語の文化はそこで終わり、個語の文化に転換するだろう。つまり各自が自由に異なる語源を持つ社会通念をやりとりする。その先の国際政府しか社会主義の真の可能性は実現しない。
2006年1月17日
2006年1月16日
機械学
Computerは計算者であり数学者ではない。
もし人工知能が自然知能すなわち精神に漸近化させられても、我々はいまだに無知であること、つまり学習可塑性によって宇宙秩序の統治を引き受け続ける使命を負っている。
もし人工知能が自然知能すなわち精神に漸近化させられても、我々はいまだに無知であること、つまり学習可塑性によって宇宙秩序の統治を引き受け続ける使命を負っている。
食事法
現代文明に調度よく自然に痩せるには、お腹が空いたら先ず山ほど生野菜を食べよ。人が野菜嫌いなら食欲が抑えられ、ますます効果が上がる。それで腹八分目になったら、穀物類を主食にした通常の食事を取りなさい。これを繰り返せば胃袋は次第に中庸さを取り戻すだろう。端的に言えば前菜の習慣づけだけで佳い。
構造主義的階級序列についての考察
大人、女、子どもの順の力についての階級序列は人類が蓄積してきた基壇であり、これを進化が否定すれば肉体的性差や敬語はそもそも不要になる。特に、IT産業が知識開発をゲームとして流行らせ教育制度が消滅すれば、子どもは体が小さいしか特徴を無くすだろう。このような世界像が現代人の美徳にとって適当かどうかは別に、その到来は未来を事実化する。
義務
死ぬことは最も安定した仕事である。しかし生き物がこれを義務と見なす限り逆に、生活は明るい楽しさへ逃避していく。言い換えれば人生の目的が幸福の究極なら死は義務づけられる。もし個体が永遠の生に安住すれば社会はどんどん暗く、つまらなくなる一方に違いない。なぜなら遊ぶ余地がなくなるから。
成功法
現在進行形の政経体制への適応性が有能さの判断尺度になる。
もし人がより良く素早く社会人に成るには
先ず社会の仕組みを知りなさい。
次にその変化状態を悟りなさい。
そうすれば後はできる限り多くの時間、集中して働くよう工夫すれば人は既にして成功している。
もし人がより良く素早く社会人に成るには
先ず社会の仕組みを知りなさい。
次にその変化状態を悟りなさい。
そうすれば後はできる限り多くの時間、集中して働くよう工夫すれば人は既にして成功している。
有能さについて
社会的知能を効率良く向上させる最良の仕方は、
liskの無い時点で実地に試行錯誤実験を繰り返す他方、それを一般化する為の反省的思考の習慣づけである。
若い学生フリーターの時期はこの為にこそ利用されるべきだろう。そこで得られる具体的金銭量は剰余価値の搾取により、極微であるから。
liskの無い時点で実地に試行錯誤実験を繰り返す他方、それを一般化する為の反省的思考の習慣づけである。
若い学生フリーターの時期はこの為にこそ利用されるべきだろう。そこで得られる具体的金銭量は剰余価値の搾取により、極微であるから。
一般社会構造の変容
年功序列型社会体制がIT革命とglobalismの波状効果で決定的に崩壊すれば、実力以外で他人を評価すればするだけ損な役回りに立たされる。
従って履歴書なるものは形骸化し、戸籍的な民衆整理形式として仮に存在し続けても実際には誰も気にしなくなるだろう。
例えば本からも著者の経歴が消滅して行くだろう。
従って履歴書なるものは形骸化し、戸籍的な民衆整理形式として仮に存在し続けても実際には誰も気にしなくなるだろう。
例えば本からも著者の経歴が消滅して行くだろう。
2006年1月15日
数学
数学は研究の感覚を磨く最適の領域だろう。誰もいない地底迷宮も世界中を瞬く間にめぐる便利至極な航空路もある。一生と研究に費やせる時間とを兼ね合わせ、自ら決心した信じる最良の道筋を辿る。成功なら数学史が応える。失敗なら人の一生は消散する。まるで思考というギャンブルのようだ。確率論研究者もこのルーレット上に遊ぶ小さな球の運命から例外に漏れない。
尤も、大半の学者は実際にはこれに畏れおののいて逃避的教育者の地位に逃れる。
尤も、大半の学者は実際にはこれに畏れおののいて逃避的教育者の地位に逃れる。
伝達
一般的に言って、愚かしい大衆へ向けた派手な宣伝は強烈に盛り上がる代わり間もなく、呆気なく消え去るが、知者へ向けた小さな囁きは無限に遠くまでしかも長く、届く。
導く者ととある衆、つまり学園は常に在る。それらの差は所詮、賢さの違いに由来する。
導く者ととある衆、つまり学園は常に在る。それらの差は所詮、賢さの違いに由来する。
善の内容
アリストテレスが云う様に、理想の生活は創造的であり非我に構わず永続するが故に幸福と定義するのは正当。又デューイが云う様にそれを永久の社会的成長としての成功即ち適応活動に結びつけることは今日的自我のあり方だろう。
もし学究と行働の善が一致するなら、彼らにとって生きることは自体、幸福に異なりはしまい。
もし学究と行働の善が一致するなら、彼らにとって生きることは自体、幸福に異なりはしまい。
小説論・物語論
理性は統治する。代わりに狂気じみた本能の放縦を失う。その抑圧した不満は昇華され、様々に我々の社会をつくる。
小説は物語によって疑似的生活を可逆的に可能にする。そこで我々の賢者は取り巻く社会より先に解放され得ていた。
小説は物語によって疑似的生活を可逆的に可能にする。そこで我々の賢者は取り巻く社会より先に解放され得ていた。
近未来における社会的自由についての考察
知能格差によって新型の疑似奴隷制が発生している。
[これは世界人権宣言第4条・奴隷制の禁止に事実上反するが、現実には人権を尊重しながら充分機能している]
資本主義下でIT適応化した高所得層にとって閑暇確保はほぼ自由である。
肉体労働者はますます反対の立場に置かれている。
これは人類の進歩という普遍的文明観点から鑑みれば好ましい。
なぜなら理想(theoria)の生活は我々の知性開発を促し、社会的分業は高度になるほど効率化されるからである。
専ら、文民が全体へ為すべきは「最低基準の引き上げ」であって、これは機械導入による労働形態の抽象化に依存する。
さて政治的正義の目標が『中流の最多性確保』にあるならば、民主政府が資本経済へ適度に介入し続ける必要は最後まであるのだ。
これは資本私民発の共産制が実現に近づくに連れて消滅する。
[これは世界人権宣言第4条・奴隷制の禁止に事実上反するが、現実には人権を尊重しながら充分機能している]
資本主義下でIT適応化した高所得層にとって閑暇確保はほぼ自由である。
肉体労働者はますます反対の立場に置かれている。
これは人類の進歩という普遍的文明観点から鑑みれば好ましい。
なぜなら理想(theoria)の生活は我々の知性開発を促し、社会的分業は高度になるほど効率化されるからである。
専ら、文民が全体へ為すべきは「最低基準の引き上げ」であって、これは機械導入による労働形態の抽象化に依存する。
さて政治的正義の目標が『中流の最多性確保』にあるならば、民主政府が資本経済へ適度に介入し続ける必要は最後まであるのだ。
これは資本私民発の共産制が実現に近づくに連れて消滅する。
2006年1月14日
21世紀についての先見
IT革命がglobalismを究極まで推進すれば世界中で階級が解消され、所得格差だけが残る。
ここに国家不要の可能性が生まれるだろう。
必要なのは一律に最低限度のセーフティネット(生活保障)だけになる。
辛うじて国家間にサービス競争のような状態が続くとしても、事実上ほとんどの生活者にとって国体(nationalism)は過去の遺物に過ぎなくなる。
経済分野に対してさらに中庸的民主主義が成功す
ここに国家不要の可能性が生まれるだろう。
必要なのは一律に最低限度のセーフティネット(生活保障)だけになる。
辛うじて国家間にサービス競争のような状態が続くとしても、事実上ほとんどの生活者にとって国体(nationalism)は過去の遺物に過ぎなくなる。
経済分野に対してさらに中庸的民主主義が成功す
情報学
情報とは外部化された我々自身の遺伝子である。そのやり取りを行うinter net、電子網は共有化された脳だと考えて良い。我々自身の進化は知能の改善という点に特化しつつある。所得により差異づけされる情報読み書き能力の差は、ある淘汰誘引になっている。
2006年1月13日
政治家の収益性批判
政治家とは国民の代役に過ぎないので、どれほどの心労に値しても名誉と最低限度の文化的生活の他の余計な収入を得られるのは国家経営上もおかしい。なぜなら彼らは公民全体の奉仕者であり部分のそれでは身分上あり得ないから。儲けられる訳が無いのだ。
もしそうでなければ彼らは凶悪な資本家、立場を逆手に取った最悪の搾取者である。
実際にマルクスが批判し排除を願ったのは実質上、私立企業家ではなく彼ら、不労所得者なのだとすら言える。
徹底的なコスト削減がリストラの有効な方法なら、国家という会社にとって役立たずの議員どもをこそ1人残らず首切りせねば資本主義の道理が合わない。
もしそうでなければ彼らは凶悪な資本家、立場を逆手に取った最悪の搾取者である。
実際にマルクスが批判し排除を願ったのは実質上、私立企業家ではなく彼ら、不労所得者なのだとすら言える。
徹底的なコスト削減がリストラの有効な方法なら、国家という会社にとって役立たずの議員どもをこそ1人残らず首切りせねば資本主義の道理が合わない。
今日business界の激動
10代の若者への時間の搾取が体制奉還で止めば、彼らは自在に駆使したネット技術で資本家に続々成るだろう。
しかしながら人生経験から直接に帰納された「徳」は若僧には身に付き得ない、とオヤジどもは罵るに違いない。
奴らは年功序列人事体系の奴隷なので、人間を社会的重要から判断する客観性を失っている。憐れむべきだ。
名も無き運送会社の窓際族より、世間で最も有名になったインターネット仲介事業コンサルタントの中学生の方が世にどれだけ寄与するか分からない。
君は同情を禁じ得まいがそれが21世紀の経済像である。事実を誤魔化してもドコにも辿り着かない。
創造的に適応し、次なる環境変化へ備えるしかビジネスマンの生存は無いのだ。
弱肉強食、馬鹿敗賢貴勝(ばかはいけんきしょう)。愚か者は最低限度の文化的生活にのみ守られる。そして上限は知れない。
しかしながら人生経験から直接に帰納された「徳」は若僧には身に付き得ない、とオヤジどもは罵るに違いない。
奴らは年功序列人事体系の奴隷なので、人間を社会的重要から判断する客観性を失っている。憐れむべきだ。
名も無き運送会社の窓際族より、世間で最も有名になったインターネット仲介事業コンサルタントの中学生の方が世にどれだけ寄与するか分からない。
君は同情を禁じ得まいがそれが21世紀の経済像である。事実を誤魔化してもドコにも辿り着かない。
創造的に適応し、次なる環境変化へ備えるしかビジネスマンの生存は無いのだ。
弱肉強食、馬鹿敗賢貴勝(ばかはいけんきしょう)。愚か者は最低限度の文化的生活にのみ守られる。そして上限は知れない。
2006年1月12日
金持ちの成り方
必要なスキルを持つ人材は高給で雇えば良いだけなので、資格や学歴はそもそも経営に不要である。
なぜそれに奔走して海外にまで出かけるかと言えば名に踊り実を忘れているからだ。哀れなり。
企業した以上、消費者は商品に集ることをボンクラの己も知るが良い。
資金繰りの手順さえ悟れば資本家として自立できる。
そして最適なその仕方はno lisk領域での実践練習だ。
これだけ押さえれば誰でも金持ちに成れる。
なぜそれに奔走して海外にまで出かけるかと言えば名に踊り実を忘れているからだ。哀れなり。
企業した以上、消費者は商品に集ることをボンクラの己も知るが良い。
資金繰りの手順さえ悟れば資本家として自立できる。
そして最適なその仕方はno lisk領域での実践練習だ。
これだけ押さえれば誰でも金持ちに成れる。
経営
自分の頭で考えられない人間だけが搾取される時代が既に訪れている。経歴もスキルも必要ない。人間が馬を使うように、馬鹿が人に使われる。しかし道徳感情は生きている。共感を得られる為にこの搾取、則ち会社は人道的でなければならない。
IT革命以後の世界経済について
総資本家すなわち人民全員が「資本民」となる日が来ると思う。
皆が自らの会社を持ち、その経営によって社会を運営して行く。
そこで真の共産主義への自然な道のりが開けるだろう。
今は我々の民情を資本主義の洗礼によって一新するべき時なのだ。
皆が自らの会社を持ち、その経営によって社会を運営して行く。
そこで真の共産主義への自然な道のりが開けるだろう。
今は我々の民情を資本主義の洗礼によって一新するべき時なのだ。
社会分析経済批判
中国の数多い無学な人民を道徳的に統治する為に生み出された儒教の「長幼の序」思想の伝来以来、元来農業国である日本に根付き、江戸時代の「士農工商」封建制により完成し、戦後の民主化の果てにも依然として引き継がれた年功序列型人事体系。
けれどもIT革命に因するglobalismがこれを破壊した。
21世紀の社会大転換はここにある。
即ち「稼ぐが勝ち」世代と、大衆総下流時代の登場だ。
資本主義的価値観を骨の髄まで沁み入れた「新しい知能労働者=資本家」が誕生する一方、彼らから幾ら搾取されても最低限の文化的生活が可能なので平気の無気力な大多数が大量消費社会へ適応した大衆の像として現れるだろう。
もしマルクスが正しければ、この先に真の共産主義への展開がある。しかし現実に、我々は一部の資本家の輝かしい智徳に比して、気力も学も金もない大多数の凡庸な労働者の群に人間性の堕落を看るに違いない。
それが生産様式の変動がもたらす必然の結果だと知るしかあるまい。
果たしてその先に、新たに如何なる「革命」が社会構造を転換させるか今のところ予想は困難だが、我々の経済構図の究極の理想が生産手段の全社会共有化による搾取のない自由労働世界であるならば、我々の未来は常に明るいと信じて働こう。
凡そ以て経済学に可能なのは科学技術の発展を市場均衡による公私利益の循環へと還元する為の絶えざる理論化でしかあるまい。経営者及び政府は、この説を適宜に真偽判断しつつ在野個人の幸福と、公民全員の幸福とをそれぞれ追求する道があるだけだ。
けれどもIT革命に因するglobalismがこれを破壊した。
21世紀の社会大転換はここにある。
即ち「稼ぐが勝ち」世代と、大衆総下流時代の登場だ。
資本主義的価値観を骨の髄まで沁み入れた「新しい知能労働者=資本家」が誕生する一方、彼らから幾ら搾取されても最低限の文化的生活が可能なので平気の無気力な大多数が大量消費社会へ適応した大衆の像として現れるだろう。
もしマルクスが正しければ、この先に真の共産主義への展開がある。しかし現実に、我々は一部の資本家の輝かしい智徳に比して、気力も学も金もない大多数の凡庸な労働者の群に人間性の堕落を看るに違いない。
それが生産様式の変動がもたらす必然の結果だと知るしかあるまい。
果たしてその先に、新たに如何なる「革命」が社会構造を転換させるか今のところ予想は困難だが、我々の経済構図の究極の理想が生産手段の全社会共有化による搾取のない自由労働世界であるならば、我々の未来は常に明るいと信じて働こう。
凡そ以て経済学に可能なのは科学技術の発展を市場均衡による公私利益の循環へと還元する為の絶えざる理論化でしかあるまい。経営者及び政府は、この説を適宜に真偽判断しつつ在野個人の幸福と、公民全員の幸福とをそれぞれ追求する道があるだけだ。
賞賛
賞罰に浮かれる者は下等。罰を受けるまで反省しないなど言うまでもなく、誉められねば良いことを為さないのは人間として恥じるべき愚行。罪深い人間だけが賞罰にほだされる。
蓋し、上等な人間の威厳は他者の批判に値しないと証明する事。
蓋し、上等な人間の威厳は他者の批判に値しないと証明する事。
2006年1月11日
2006年1月9日
化粧
本当の美人は化粧をしなくても頗る美しいが、ひどい化粧のせいで、本来は大したことのない容姿のものが居なくならないとそれはよく分からない。だから化粧品は美人を少しずつ醜くするためにあった。女性が無闇やたらに鏡をのぞき込むのはこういった事情へ一斉に対応する為である。
落語
人は自分の為に人の上を造らないが、天は造らないとは言えない。そして造ったとしても人には分からない。人は知らないことは分からないから。つまり人の上にあるのは「天」だけだろう。しかしそれも分かったときにはすでに下かも知れない。
音楽論
世の中は楽器隊になりつつある、と漏らせば君は変人扱いされるだろう。しかしそうした相手でさえ、片耳では工業音楽に心を震わせることができる。
だから美しい機械とは美術であり、技術はとかく芸術であった。
だから美しい機械とは美術であり、技術はとかく芸術であった。
理論
空を飛ぼうと決意したライト兄弟はついに鳥になったがダ・ヴィンチは夢見たに過ぎない限り、ただ理想するよりそれを実現に移した人はさらに凄い。しかしもっと凄いのは実現を予測してなお、先へ先へと理想をやめなかった人ではないだろうか。そういう人は民族へ永遠に誇りを与え続けていく。だから後生ダ・ヴィンチは天才と呼ばれ、ライト兄弟はくしくも努力家の名前を冠される。矛盾だがそれが歴史の真実だ、と認めなければならない。
考えること、ましてや閃くことは実現するよりもおそらく難しい。命令するのは主人、実行するのは召使いの役目。言うは易し行うは難し。しかしそれを残した国は世界の華でありながら咲かずに萎れたのだ。
考えること、ましてや閃くことは実現するよりもおそらく難しい。命令するのは主人、実行するのは召使いの役目。言うは易し行うは難し。しかしそれを残した国は世界の華でありながら咲かずに萎れたのだ。
政治家であることは世界を平和にすることだ。
平和であれば良かったと信じる限り、政治史は絶対に理解できまい。
「平和であれ」と願えば君は政治家になる。そして我々を諌(いさ)めるのだ。
マキャベリはかつてそう言った。
今日どうしてそれを信じることがあろう?
我々はみなが政治家なのに。
「平和であれ」と願えば君は政治家になる。そして我々を諌(いさ)めるのだ。
マキャベリはかつてそう言った。
今日どうしてそれを信じることがあろう?
我々はみなが政治家なのに。
文章の場
翻訳の速さを考えればあまり読まれない場所へ重大な文章を発表することは国民自身へ寄与するところが大きい。
共産主義の為に書く人だけは、読まれる場所に投資する。それはどうしても資本主義圏へ偏在させられる。なぜなら情報産業の利によって。だからあまり重大でない人だけが共産主義へ猛進する。
共産主義の為に書く人だけは、読まれる場所に投資する。それはどうしても資本主義圏へ偏在させられる。なぜなら情報産業の利によって。だからあまり重大でない人だけが共産主義へ猛進する。
作文
もしある国の文学者が本当に賢ければ、歴史の中でその国の民はみんな賢くなる。だが本当に賢い文学者はほとんど生まれてこない。ゆえ翻訳者はその格差を埋めるために奔走する。できるのは書くこと。そして国柄からさえ世界を理想郷へ導く事。
書き方
分かりやすく書きなさい。そうすれば大衆が読めるものになる。読まれたくないものは難しく書くべきだ。
さて、分かりやすさと難しさは内容によって使い分けるべきだろう。前者はからかう為に、後者は啓蒙する為に書け。そうすれば世の中は見事うまく行く。なぜなら下愚は上智に指導されてこそ悦ばしいのだから。
さて、分かりやすさと難しさは内容によって使い分けるべきだろう。前者はからかう為に、後者は啓蒙する為に書け。そうすれば世の中は見事うまく行く。なぜなら下愚は上智に指導されてこそ悦ばしいのだから。
国語の命題
「国語」は時間について民族間に差異付けし、結果として戦争と平和を誘う。
デリダが冗長な言語論によって言いたがった類いの正義は、最小戦争と最大平和にある。それはカント以降、哲学最高の命題だった。
デリダが冗長な言語論によって言いたがった類いの正義は、最小戦争と最大平和にある。それはカント以降、哲学最高の命題だった。
可能態としての情報
情報は遺伝子の形態。だから人類より重要なのは情報。尤も情報自体にはそれが分からない。よって生き延びるだろう。これに殉じて君は宇宙の動きがどうしてなのか問うが、それ自体が動くに過ぎない。この世界にいる限り動かないものはなかったろうから。つまり生物そのものと同じく、そこでの理解は情報量の違いのうちけしや変化、或いは動的な情報量落差の解決でしかない。
市民の始め
文明化即ち生活は種内競合の純化により人類の多様性を促す装置らしい。そこで達成される筈はやはり我々なる種の永続に他ならない。もし幸福の追求、つまり個人のみの快に不満を持てばそこからが文明だった。
2006年1月7日
享楽
若者に性的享楽を許さないなら、どうして若さは性欲を刺激する魅力に満ちる必要があるのかという問いの答え。我々はそれを老年になった時の、衰えも消え去りもしない幸福、すなわち知恵と交換する為に禁欲を促し勉強させるのだ、と。端的にいえば昇華されたリビドーによる文化的営為の蓄積、文化資本の為である。
教育の真の意義は人間に苦行を与えることではなく、動物的欲望に限度を与える訓練を自らさせることなのだ。これは少なくとも文明化の過程で見られた表徴だった。そして、この目的性に合致する物事を、我々は幸福であるとか、清明であるとみなす傾向を、文化上の道徳的にもっている。良識といわれるものである。
教育の真の意義は人間に苦行を与えることではなく、動物的欲望に限度を与える訓練を自らさせることなのだ。これは少なくとも文明化の過程で見られた表徴だった。そして、この目的性に合致する物事を、我々は幸福であるとか、清明であるとみなす傾向を、文化上の道徳的にもっている。良識といわれるものである。
学業
綺麗に整理整頓され、使い易く、小さくまとまった書斎は勉強を助ける。夜勉強する利点は余計な雑音や雑色を夜合いに溶かし込めることにある。尤も、我々の由来からして間接的な太陽光の元が最も学習に向いていた。雑駁な最中でも没個人性や選民意識により勉学はし易いが、持ち運べる書棚と筆記具に限界がある。
2006年1月5日
2006年1月3日
星空の主題
君は続いていく光の道に沿って長い旅を経過していく。本質的ではないものが削ぎ落とされる、本質的ではないものを削ぎ落としていく。
多分、生きる行為に終わりは無い。想像するまでもなく君は新しい世代によって押し流されていく。そういう大河に自ら含まれるという以上の実質は、人生に無いのだ。
月が沢山の命を照らし出している。君はその一員として、どこまでも輝く宇宙のネオンサインを眺めている。
多分、生きる行為に終わりは無い。想像するまでもなく君は新しい世代によって押し流されていく。そういう大河に自ら含まれるという以上の実質は、人生に無いのだ。
月が沢山の命を照らし出している。君はその一員として、どこまでも輝く宇宙のネオンサインを眺めている。
2006年1月1日
建築論
美しい生活空間は精神を整理するのに役立つ。家具の単純な構成は人生を効率化するのに向いている。だから人がより良い空間を求めるのは必要であり、もしも芸術が助けられるとしたら生きる手段を合理化する恒久さ。或いは自然への愛情表現としてでも。
数学
学び取らなければならない事に限りは無い。だから学者に仕事の終わりは来ないのだが、大抵の場合その自覚より先に一生は散る。貴方が学ぶ問題に忠実である以上によりもっと、短い生涯に学ばれるべき問題を問うが良い。取るに足らない問いを省略すること無しに如何にして新しい命題に辿り着くのか我々には知れないのだから。
情報
辛抱強く学び続ける者だけに知識という果実の豊満はもたらされる。もし勉強を辞めればそこで精神という樹木への栄養も途切れてしまう。人が呆ける時の事。だから君は情報の主管を大切にし給え。それが健在な限り脳が自ら老いる可能性は殆ど無い。
時
浮き世の時は悠久の歴史に比べるべくもなく儚い。では人は如何に死ぬのか。もし0年から100年前後の短い生涯を愛でること無しにどうして生活の理由を見つけられるだろう。だから永遠を羨むな、宇宙が君を実存させた意味を知れ。それは時への崇拝だった。
2006-2016年の彫刻
ニューヨーク市
2006年
アクリル
2.5 × 2.5 × 10 cm, 2 × 3 × 5 cm
作家蔵
2006年
アクリル
2.5 × 2.5 × 10 cm, 2 × 3 × 5 cm
作家蔵
生活
2007年
アクリル、プラスチック
5 × 5 × 13 cm, 5 × 5 × 8 cm, 5 × 5 × 5 cm
作家蔵
2007年
アクリル、プラスチック
5 × 5 × 13 cm, 5 × 5 × 8 cm, 5 × 5 × 5 cm
作家蔵
白い形
2007年
発泡スチロール
28 × 12 × 8 cm, 12 × 12 × 8 cm
現存せず
2007年
発泡スチロール
28 × 12 × 8 cm, 12 × 12 × 8 cm
現存せず
徐福記念碑
2008年
鉄
20 × 20 × 15 cm
現存せず
2008年
鉄
20 × 20 × 15 cm
現存せず
流れ
2008年
プラスチック、高分子ポリマー、白銅
8 × 9 × 10 cm
現存せず
2008年
プラスチック、高分子ポリマー、白銅
8 × 9 × 10 cm
現存せず
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
2008年
鉄、アルミニウム
30 × 30 × 10 cm
作家蔵
2008年
鉄、アルミニウム
30 × 30 × 10 cm
作家蔵
新陳代謝
2008年
鉄
35 × 35 × 10 cm
現存せず
2008年
鉄
35 × 35 × 10 cm
現存せず
対資本原理主義
2008年
鉄、アルミニウム
30 × 30 × 10 cm
作家蔵
2008年
鉄、アルミニウム
30 × 30 × 10 cm
作家蔵
藝術
2008年
ガラス、水、ベンジャミン
5φ × 15 cm
現存せず
2008年
ガラス、水、ベンジャミン
5φ × 15 cm
現存せず
可塑性
2008年
プラスチック、ポリスチレン
35 × 30 × 1 cm
作家蔵
2008年
プラスチック、ポリスチレン
35 × 30 × 1 cm
作家蔵
赤い形
2009年
ポリスチレン、アクリル絵の具
10 × 10 × 3 cm
作家蔵
2009年
ポリスチレン、アクリル絵の具
10 × 10 × 3 cm
作家蔵
市場能力
2009年
紙、プラスチック
35 × 15 × 3 cm
作家蔵
2009年
紙、プラスチック
35 × 15 × 3 cm
作家蔵
今日の空気
2009年
ガラス
10φ × 35 cm
作家蔵
2009年
ガラス
10φ × 35 cm
作家蔵
要素集
2009年
アルミニウム、鉄、ポリカーボネート
40 × 10 × 10 cm
現存せず
2009年
アルミニウム、鉄、ポリカーボネート
40 × 10 × 10 cm
現存せず
つづき
2009年
プラスチック、鉄、発砲スチロール
40 × 25 × 5 cm
作家蔵
2009年
プラスチック、鉄、発砲スチロール
40 × 25 × 5 cm
作家蔵
えびす像
2010年
セラミックス、亜鉛メッキ
30 × 20 × 12 cm
作家蔵
2010年
セラミックス、亜鉛メッキ
30 × 20 × 12 cm
作家蔵
ヌーディ
2010年
鉄、アルミニウム
30 × 30 × 10 cm
作家蔵
2010年
鉄、アルミニウム
30 × 30 × 10 cm
作家蔵
飛行する物体
2011年
紙、ステンレス
10 × 3 × 2.5 cm
作家蔵
2011年
紙、ステンレス
10 × 3 × 2.5 cm
作家蔵
くらげ
2011年
カラーホイル
5φ × 50 cm
作家蔵
2011年
カラーホイル
5φ × 50 cm
作家蔵
鎖の花
2011年
ステンレス、木
6φ × 30 cm
作家蔵
2011年
ステンレス、木
6φ × 30 cm
作家蔵
水鉢
2012年
プラスチック
φ36 × 30 cm
作家蔵
2012年
プラスチック
φ36 × 30 cm
作家蔵
宇宙船団
2012年
発泡スチロール
12 × 9 × 5.5 cm
作家蔵
2012年
発泡スチロール
12 × 9 × 5.5 cm
作家蔵
波
2012年
紙
10 × 8 × 2 cm
作家蔵
2012年
紙
10 × 8 × 2 cm
作家蔵
透明な構造
2013年
ポリエチレン
20 × 10 × 10 cm
現存せず
2013年
ポリエチレン
20 × 10 × 10 cm
現存せず
宇宙船のモビール
2013年
ポリエチレンテレフタラート
6φ × 20 cm
作家蔵
2013年
ポリエチレンテレフタラート
6φ × 20 cm
作家蔵
心
2014年
鉄、アクリル樹脂、顔料、有機溶剤、ミクストメディア
40×15×10 cm
作家蔵
2015年(平成27年) 第32回北茨城市美術文芸展覧会 彫刻工芸部門 茨城新聞社長賞
2014年
鉄、アクリル樹脂、顔料、有機溶剤、ミクストメディア
40×15×10 cm
作家蔵
2015年(平成27年) 第32回北茨城市美術文芸展覧会 彫刻工芸部門 茨城新聞社長賞
ルイーズ・ブルジョワ『ママン』のリメイク
2014年
プラスチック、アクリル樹脂、顔料、有機溶剤
6φ×20 cm
作家蔵
2014年
プラスチック、アクリル樹脂、顔料、有機溶剤
6φ×20 cm
作家蔵
現実性
2014年
プラスチック
10×9×8 cm
作家蔵
2014年
プラスチック
10×9×8 cm
作家蔵
婚約指輪集
2014年
色紙
8φ×1.5 cm
作家蔵
2014年
色紙
8φ×1.5 cm
作家蔵
少女像の為のトレース
2015年
プラスチック、セロファンテープ、接着剤、有機溶剤、黒鉛
6φ×14 cm
作家蔵
2015年
プラスチック、セロファンテープ、接着剤、有機溶剤、黒鉛
6φ×14 cm
作家蔵
死
2016年
ポリエチレンテレフタラート
76 × 23 × 13 cm
作家蔵
2016年
ポリエチレンテレフタラート
76 × 23 × 13 cm
作家蔵
波打ち際のアパートメント
波打ち際の高さ120mの超高層マンション。コンクリート充填耐海水鋼管構造(CFT造)。各戸には縁側と裏庭がつき、朝夕の凪を流す。二層一戸の室内は下層が柱のない空間で、自宅兼事務所他ゆとりある用途に向く。屋上庭園からはるかな海がみわたせる。海辺の敷地を逆手に取り、主な出入り口は地下へうずめ砂浜をつくり治しつつ開発する計画である。
透視図。浜辺から早朝に建物を見る。