2006年1月31日

未来経済論

資本経済とは知働による体働の階級支配経過で、搾取と恵与の史実だった。
それは大株主からfreeterまでの労働格差をもたらしたが、同時に工業化に従って物質社会を発展させた。
我々が信仰して懐疑しない「勤労の義務」はこのsystemに依存する栄典なのだ。

 もし現代経済人が真に賢くなればこの仕組みを情報社会型に、更に改良するだろう。
勤労は権利に鞍替えされるだろう。
人々は働く意義を「組織の改良」に見いだし、個人的充足に優先させるだろう。
その時こそ──経済社会の未来──我々は再び共産主義を宣言すべきではないのか。
つまり、人類はますます機械を奴隷化し、もっともっと精神を主人に置く経過にengageする事で我々自身の生活環境を改善して行く。
我々は世界の利益循環に対して神的になることで資本経済を究極する頭の良い支配者となり、恩恵を被る一市民となるだろう。
経済人の精神は有り余る富の恵与を工夫する術に昇華された時に、新しい経済形態は、とある国の内部から自然に高貴なる気風として発動するだろう。The noblesse oblige(高潔なる野蛮)は我々の内部で生き、我々の道の有りようを未だに照らし出している。

物分り

無駄を直ぐに省く姿勢、即ち面倒臭がりは、困難な大業を永い期間を懸けてやり遂げる辛抱強さと等価的、と悟るが良い。

運動論

知能万能主義の弊害を緩和する為にも、また我々の肉体の威信を保つ為にも、運動競技は行われねばならない。肉体労働はそれ自体、喜びなのだから。

21世紀

21世紀は肉体労働の趣味化によって、全地球の未来社会モデルを適切にふるまう事にある。

Cultivation

情報を耕す者が現代の文化人だった。

経済学

経済界の名分主義は全て処理の工夫の過程的形態に過ぎない。又、それを破棄し得る生産力環境が造られる程に実分主義へsystemは移行する。為らば共産経済とは我々の遥か遠方に見える名分の意義が消失した社会である。社会派革命に依るのは極めて浅薄な思考だと唱えねばならない、我々の階級は必要だから在る。生産手段の私有化が経済界に激震をもたらす。

現代政経推察論

民主政治の間接民主主義に於ける選挙区制と資本経済の成功dreamとは不完全ではあるが、現代の暫定的な最良の配分的正義の方法だと考えられる。
[もし君が違うと考えればテロリストのようなアナーキズムに逃げ出すしかない。]

しかし、改良の余地はある。
民主社会の選挙制をますます公正公平に選挙活動のあらゆる情報経過を透明化し、更に資本社会の所得階級間流動性から名分主義を排除し努力主義化して自由意思に任せよ。
所得と地位を自らの力で選択したのだと人民に認識させ得る無数に多層化した社会こそ目指されるべきで、平面化しては種内競争の昇華の意義が消滅してしまうだろう。

 だから現代社会を飽くまでも信じて改良して行こう。革命の名に踊らされるのは小人である。

政経批判

社会政治と共産経済が、民主政治と資本経済から交代する迄には未だ、ある程度のstepsが必要だろう。
「あらゆる革命は生産手段の技術的発展に由来する」、と提言したのは他ならぬマルクスではなかったか。
 共産経済は現代からは遠く理想に過ぎない。どうして国際的市場競争なしに新製品をこぞって開発しよう。
また、社会政治も全ての人民が限界まで知的に向上し、尚且つ平均値が一定である非人類的機械的環境でしか実現することはできない。

 アダム・スミスに帰れ。
所得不均衡の調整は「中流最多」を保つべく政府により正確に行われなければならない。
だが所得格差のない社会は《閉じられた体系》に過ぎないと気づくべし。その惰性的世界には『開かれた体系』の有する最高の希望、限りない発展への憧憬は無い。
宗教結社としてしかその様な状態は達成できないし、しかも貧困状態を維持する為でさえ更に、常に外部に頼らなければならない。なぜなら欲望の促進がない社会の生産性は著しく低いから。

2006年1月30日

外国語

自国語の不完全さを呪う者は他国語の便宜へ満足するにも値しない。君の扱える言語の幅を広げるより先ず、その言葉の良さを生かすことを学べ。多国語の素晴らしさも又そうなるだろう。

建築論

建築上の腐心は舞台下の諸芸能を目に見えなく、取るに足らなく感じさせる技術にある。

人類原理

知能が遺伝子による域にしか人類の形質はなかった。

趣味化

生産手段の技術的改良で、ある仕事が前時代になると、それは気晴らしになる。趣味主義は実用主義の先にある。
 全てはままごとに化す過程にある。人間は生活を遊戯に変えて行く。彼らの理性は事象を道具に換え、やがて何もかもを遊びにしてしまう。なぜなら天敵が存在しない限り、彼らの天下で幸福を追及することは同類間競合の計画に落ち着く他ないのだから。
 彼らは来るべき外敵に備える合間、永遠の自己向上と生活圏の延長に務めていく。

趣味論

多趣味は万能の基礎だった。

理性

猿とあまり変わらない理性の持ち主達とは。

2006年1月29日

地球市民の善導

Globalismで例え文化的最低限度の生活を全世界の住民が保証されて後しかも、日本人だけが地球の諸国民を事実上奴隷的に搾取する状態に成る、というのは、21世紀末までの文明進展の度合いによっては充分にあり得ることだと認めなければならない。
なぜならIT革命の中心地になる得る条件──polis的集中──を備えた東西中心地域は日本だけだからだ。
ならば日本人の地球市民たる正義観はどこに求められるべきか、君は自ら問うだろう。

 万人平等労働の論理がjesus的博愛から欧米列強により導かれ、democratic pragmatismに利用されているのが批判できる。
しかしそれは政治の目的としての理念だとamerican以外に誰が唱えるだろう。
Computer automationが産まれて以来、我々の肉体労働は益々軽減する。
知能労働は遊戯化し、趣味主義的勤労に近づく。
ならば日本人は相対的に、次第に世界中を独特の言語により情報の寡占状態に追い詰めるだろう。

 Aristotelesがなぜ中庸的民主主義を理想と考えたか我々には熟慮の余地がある。
民主政治を資本経済制下で行う限り政策動向の愚衆化は避けられない。
なぜなら扇動だけが権力維持機構に成り下がり、真の少数意見は多数決により却下されるから。
辛うじて間接民主制がこれを抑えているが、大同小異。

よって日本人は考えるだろう。
 国連常任理事国決議を各国首相による投票制にし、尚且つ常任理事国自体の信任をも全加入国間の投票制に還元する必要にある、と。
そうすれば日本人の高過ぎる地位は事情が許す限り相対化できる。
企業倫理は資民主義経済が起動に乗る地点から急激に高まらざるを得ないだろう。because国際貢献による名誉という精神的付加価値。
 さらに知的eliteによるnetの自由言論を武器にした国内世論の良き指導で日本人は政権交代制を活発化する。それは政策中心主義への傾きと更なる政党主義への揺り戻しを経て本来の機能を取り戻すに違いない。

日本人の貴重さ

日本人が地球人の最も貴重なbrainであり続けるべく、種の保存に努めよ。

社会生物学

生化学の見地か、人間所思に多種の意義を自覚させ得ると同時に、死の重要を覚えなければならない証拠を挙げよ。生成と死滅が種の適応力の要故。及び遺伝子操作の危うさを最短で国際法に適用させるべく我々自身が天敵を作り出し得る証明を行え。

都市計画論

安心な繁栄に適した環境空間をつくり、活動に支障のない経済構造を絶えず創り換えるべし。

後生

未来の偉業を称えよ。彼の為に自らの知性の限りを尽くせ。

2006年1月28日

能力

肉体を健康に保て。身体の欲望と活動には中庸を心構えよ。そして君より偉大な精神の業績に常に触れ続けるが良い。そういったものが既に見当たらないということは君が生きる限りあり得ない。なぜなら完全な万能に到達することは人が個体である限り無いから。

君が人類を先導できる栄誉へ身を捨てて貢献せよ。その時、君は自ら失ったはずの人生を幸福という名前の元に得るから。

幸せを憂い、不運を想え。

2006年1月27日

達辞論

難しい言葉を長々と連ねる事が哲学者の仕事では無い。簡潔に辞を達する言葉が脱構築の目的だった。

文学論

みずから語の素晴らしさに感動できる者は文人に相応しい。そしてその可能性に驚嘆できる者が文学史に名前を刻むことになるだろう。

英語消化論

日本語に英語を取り入れることは日本文化の西洋文明に対する勝利を意味している。

自然と共に去りゆく者たち

失われていく風景のどこかで君は何かを探していた。それは何。世間知らずの若者が既成社会に適応するまでの物語。その問いに答えがあったのか。僕は無数の行き着く果てのない反抗や堕落を目にして来た。誰かは名も残さないで消え去り、少しずつ異なる香水のかおりを記憶に残して街の底へ沈んでいった。成金になりたいの。違うよ。だって僕は世の中が自分を必要とし、僕の努力で世界が少しずつ良くなっていく、という実感が嬉しいだけだから。あなたはどこへ行くのだろう。僕はどこにも行かない。地球のどこかの小さな島で冬のある日にぽっこり産まれて、いつかはまた春の桜が散るように儚げに死んでいく。
 誰かが君を呼んでいる。多分、自然がまた次の時代を予告しているのだ。君は自分の手足がその環境を住みやすく作り変えていくのを知る。そして古くなった者たちは少しずつ土に戻ってく。いつかは君もまたこの星を物語る基礎構造に還っていく。
 人はそして本当の明日を追い求めて歩いている。そこには希望があり、挫折がある。偉人たち。それから世の中はますます自然になるだろう。美しい旋律が勇者を称えている。しかし、その時もう、僕はこの世にはいない。

思想

君の思想が人類を長らく指導できるという知的栄位に身を徹すべし。

子孫

君は君の子孫末裔が君には満たせなかった喜びを果たしていることを君の懸命な生涯の光栄としたまえ。それ以外に最上の喜びというものが我々にあり得るだろうか。

回想

無限に続く人類の歴史がはっきり見通せる。沢山の人が死に、生まれる。その戯れがくっきり細部まで見える。どうして生まれ来たのか、どうやって死んでいくのか、そして何が大切なのか。世界には数限りない人がいる。私はそんな取るに足らない名も無き人物の一人だ。別に言い訳をする気はない。すぐに物事に負けて、自己嫌悪に陥る。それでも何とか死ぬ機会にも触れず、生き抜いてる。ところで人はやがて新しい地平線へ向かって一歩ずつ歩み出す。きっとその道は正しい。どこまでも広がる希望の海が人をやさしく包み込んでいる。それを見送っている。
 季節は冬だ。私は君の旅立った世界の片隅で、夕方、牛乳を電子レンジで温めて窓辺に立つ。暁に染まったビルの谷間の空には半月が微笑んでいる。君は月に帰ってしまったのだ。私にはそれが分かる。
 そしてゆっくりと日が暮れて、辺りはとっくり闇に沈む。私は誰もいないワンルームの部屋から街の隙間を縫うように流れていく車のライトを眺めている。それらは誰かや何かを運んでどこかへ進んでいくのだ。

アキレス

人、生き急ぐなかれ。

2006年1月26日

自らの精神性を極限まで高め、獣性を中庸へと低めていく人間性の営為へ全身全霊を集中せよ。それは君を長生きさせ、幸福にし、偉人の列に加える。

教育の実質

強制型から参加型の組織へ仕組みを抜本的かつ漸進的に改造していかなければ教育は産業として最早成り立たない。その本質的意義は知的情報売却でしかないし、ならば市場原理に則ってより効率的でより便利な教育形態へと需要が移行するのは常識的である。IT革命は工業時代までの情報獲得の基本的意義を全て洗い流しつつある。それに対応できない組織は如何なる伝統があろうと無かろうと早晩、適者生存の法則により淘汰される。生徒中心主義の教育形態へあらゆる重点を注ぐ学校だけが、何らかの実質的な形態で生き延びるだろう。

指導者の役目

日本は地球の知的生産基地になり、我々の文明を代表するbrainとして終生活躍していく国土。ならば文化人の務めは公共的世界市民主義の貫徹ではないのか。それは文民による諸国家への言論の指導で成る。国連の強化とその制度を万人国家に相応しいものへ変革し得るのは自由な独立した市民しかいない。

情報公開と通用語

情報公開の為には自らの言語に英語を導入するにもためらうべきでは無く、その単純化したcopyも利用できる。

中庸

遊びは中庸な勤勉にある。

2006年1月25日

怪我の功名

試行錯誤は知能行動の基礎。他人の懸命な努力を嘲笑う者は己が没落の兆候に気づけない。力を尽くして働く者を畏れよ。

反省

挫折の経験なければ貫徹の風儀なし。

人類史

人生はみな失敗の歴史だった。ただ、失敗の種類と大きさが創造的適応と共に少しずつ変わるだけ。たとえば呼吸をしない生体がないように、人生何もかもうまく行くことはこの理由によって誰しも無い。ただ他人の業績に比較すると、文明に対する失敗の程が変わるところで何らかの無駄や偉業に診える。
 尤も試行錯誤学習が少なくなるのは文明人だとすれば、その結果としての方向性は環境乃至文化の上に偶発的である。

挑戦

人々はどこでも働き蟻より勤勉ではない限り、学習によって偉大であり得る。

努力

努力しないで得たものに有り難みはない。だから最高の有り難みとは、強大な困難へ立ち向かい努力を続けられる喜びである。すべての人は自らの奴隷になることで最も高潔な喜びを得る。

勤勉

勤勉の習慣は賢さの種。

2006年1月24日

個人的文化

母国を愛せ。そこから出発せよ。

衰退

知者よ、我々には知らない事物が多過ぎることを気の毒な老人には隠しておきなさい。衰退には虚栄心が必要なのだ。

人格

善良で賢く、驚くべき技量を持った者を我々は現人神と見なさないわけには行かないが、それらは相対的なものだ。でなければ彼は既にして人ではない何者かである。

学習

老いてなお貪欲に学ぶ者は畏敬に値する。

文明

自分が文明の為になる最良の道を行け。

2006年1月23日

愚かさ

君の好敵手は愚かさだけ。

効率

人間生活が向上するとは、一石多鳥を実現して行くこと。

憲法9条の志

たとえ如何なる災難が降りかかろうとも国際紛争を解決する手段として武力は『永久に』放棄した以上、既に日本国民は神民であるべき使命を負ったに等しいと自覚しなければならない。
つまり徹底した非暴力と言論による紛争解決に殉ずる使命にある。

もし9条を改悪したら我々は永遠に嘘つきの汚名を背負わねばならないし、それは我々が生きる限り全滅するより遥かに損だと知らない筈は無いが。

「汚れを背負ったままで生きるよりは潔く死ぬほうが良い。
ならば我々は生きなければならない」

合理

合理的に生きる限り、あらゆる理想は実現されて行く。

仕組み

精神活動によるentropyの縮小という理念を信じることで人は普遍化できる。究極的には神にすら成れる。なぜならその精神は宇宙を超えた仕組みに到達している。

演劇論

実存というbrandを確立する事。

好奇心

知的貪欲は過度であるだけ美徳。

情報論

実用主義は個性にとってあらゆる情報選択処理を最適化する手法。趣味という側面。何にも役立たないからこそそれは趣味的であり得る。つまり、自己目的な遊戯。創造的である為にはこの趣味主義がなければならない。かつてアリストテレスが幸福として定義した理想の活動はすなわち、遊戯。それ自体は益にも快楽にも、或いはまた適応的成功にも値しない全くそれ自体で充分なものとしての遊戯が趣味。
 情報産業はこの近代工業社会からは軽蔑されてきた、何の役にも立ちそうにない趣味だけを商品にして、生活して行ける可能性を現している。新しい媒体においてhardwareやsoftwareが整えば当然contentsとしての情報が要求される。こうしてあらゆる趣味は売れる。ならば、産業革命以降、工業がもたらした社会の為の有益性への無心の信仰は突き崩される。
 趣味主義はこうして情報産業社会の生き方を指導する1つの思想であり得るだろう。しかし、闇雲に快楽を追求するのは趣味の本質ではない。それ自体快楽に対する中庸的自制を要求している。花看半開、酒飲微酔、此中大有佳趣(花は半開を看て、酒は微酔を飲む。佳き趣は此の中に大いに有る)、洪自誠『菜根言単』。つまり人が趣味主義を貫くにはやはり、万人の幸福へ貢献するという個人的充足からの飛躍があるだろう。さらに追求すれば知り得る生態系そのものをますます自然にする、という人間中心主義からの脱却も可能になる。いいかえればpragmatismの限界は人間中心主義にあった。
 我々は人生の主義を趣味として捉えることで、自然になれる。尚ある対象を絶えざる破壊と構築の目的作業であると考える以上、その立場はdeconstructivismに近づく。

目印

君の一生涯の残り時間が限られていなければならない理由を想いたまえ。それは君より優れた新たな種を生み出す為の必然だ。よって先ず理想計画を立て、全人生間をその実現の為に限界だけ尽くすべきだ。なぜなら君が死亡までにそうして到達した地点が子孫の出発点になるから。時空を認識する近代精神の力はあまりに悠久なので、人類が自らそれと分かる進化はそこにしかない。

向上心

向上心の無限を悟れ。

当為

獣から神への進化が人間だった。ならばそれに従うのが精神の使命。かつて我々が辿って来た道を想うなら、人が偉くなり過ぎるということは決してない。だから人よ、君の為すべき行いは常にあらゆるものの崇拝に値するものであれ。

神格化

人の何億倍も努力して超越的な成果を出したとしても、君に与えられる至高の報酬は誉れだけでしかないだろう。

自然

人は産まれ生き死んでいくだけだが、宇宙はそれを含んで続く。少なくとも、人の宇宙論の目的すなわち永遠にとってそう考えることは自然だった。

2006年1月22日

芸術論

芸術は各々の表現の極限における自己目的化。音楽は音波の、絵画は色彩の。

飼い犬

服を着て歩く飼い犬あわれかな

文明学

近代文明がもし何らかの天敵天災及び自滅で滅びない限り、数世紀の後に我々人類は殆ど終着的な未来生活に到達するだろう。しかし地球外文明の高度さ、異質さを鑑みる限り我々の自己啓発に終わりは来ない。何となれば脅威に値するだけでなくそこには我々の次元を超えた幸福の程度があるかも知れない。それは想像力によってしか悟り得ない。人類が幸福と呼ぶ目的は所詮、地球製文明に過ぎないのに。

謙遜

誰かが言った。おい君、猿のくせにずいぶん偉そうじゃないか。哲学者は眉間にしわを寄せながら答えた。ええ、私にはここがあるから。彼はそうして頭を指差した。謙遜なしに。

教え

教育は知的養成だが、啓発は知的娯楽という意味を含む。

組織論

宇宙の組織を知ることは我々自身の生物的目標に適する。つまり、万物の霊長として生存の永続を確保する認識素を再獲得する事。

裁決

裁判とはできぬ神を演じる、あたかも人間性のユーモアだ。それを完璧に誤り無くするには人は余りに愚かすぎる。誤審のおそろしさは暗黒裁判以上に、できぬ祟りとしての衆愚のはなはだしく邪悪なふるまいにある事をイエスやソクラテスがどれほど高らかに示し賜っただろうか。それゆえに、人為による裁判が最後の審判にはなりえない、と幾ら顕示しても人類には足らないのだろう。

なぜなら性に関する生物学的意義は飽くまでも種の全体性を維持し、且つ多様化を促進することに過ぎないからだ。

会話

「賢い坊や、取り返しのつかないあの世へ行く老人を哀れむなら、よく話を聴きなさい。そこには経験値という掛け替えの利かない過去があるから」

美人

人々が普通の容姿を好むのは割に合う。もし醜い人が醜い人より美人を好むなら、本能が種をばらけさせる為、競争を誘発しているからだ。

理想

君の他の知的動物が君自身を食わない保証は君自身によっては行えまい。なぜなら精神は我々の精神であるから。言い換えれば種々の進化の果て我々より遥かに巨大な脳を形成した生き物は我々の知能を一笑に付さないとは言えない。少なくとも我々の精神段階はその演繹的推察の為には必要な質量を満たしている。
 或いは又、我々の古里である地球は太陽系に守られている気がしているが、いつ何時彗星の衝突で破壊しないとは言えない。事実、嘗て同じ経過を通って死滅した種もあったのだ。
 だから我々は絶対的恐怖に常に置かれているが、その認識を日常茶飯事で相対化しようと欲している。逃避だ。遊戯する理由は殆ど完全にここに在るだろう。
 尚且つ人が文明を建設するのは我々自身の合理的快楽である幸福を増進させる為だ、と様々な学者が結論づけた一方、思考の無限の相対化はそうして惨めな同族での慰め合いに終始する仲間をよそ目に適応可能性としてあらゆる創造力を喚起する偉大な個性をも養護する。それは我々の生存を保証する為の最後の賭けだ。
 確率的には間違いないだろう我々の一部が宇宙移住する事業構築以前に出来る、人の最高の奉献は理想に依って未来起こり得るあらゆる場面への仮説を検証することだ。だから、理想は常に冒険である。もし賭け間違えれば人類はいつ死滅するかも分からない。
 尤も、我々一人一人には自らの尽力で安心して幸福を味わうだけに充分な時間的余裕が与えられてはいるのだが。それを現実と呼ぶ。

知性

百年近い長い人生で、2、3の技芸を博得したから満足するというなら、君は地球生態系における最高位の補食者として消化してきた数え切れない被食者に申し訳が立つのだろうか。生きている今も死して尚、何を為すべきか絶えず考えよ。そうすれば同類に対しての献身のみならず、我々の生態系の均衡と種の多様化にも貢献せねばならない事に気付く筈だ。更には宇宙が君ら人類に精神あるいは頭脳というエントロピー制御装置を当て填めた理由を想うだろう。単に本能に因り子孫を産み出し、その永続を企図するだけでは文明の半開だ。そういった社会に生息している生命体は彼ら自身の組織に所属している。
 だから君は、我々の知性が星々の整理に役立つことを習え。世界は絶えず更新される舞台。その掃除が、先ず人ならではの仕事だと悟るだろう。
 人類はまさか、自分の将来が宇宙唯一の役者だと思うほど自惚れてはいまい。彼らが何枚目なのか我々は未だ知らない。だから準備を兼ねて、君の無数の技芸を誇りに足るまで充分に鍛えよ。

2006年1月21日

動物体である以上満たせる肉体的な欲求に限度はあるが、精神欲あるいは頭脳の遊びには限りがない。それに気付ける主体だけが人間の名に相応しかった。

哲学

何かを考え過ぎるという事は思考の自己目的性から言って、あり得ない。その場合は考えが足りないだけだ。もし考えを突き通せば人は哲学という遊戯を悟るだろう。

君が君の時代に生まれた理由を君自身に求めよ。それが創造的適応の規則ゆえ。

大義名分

もし君が大望の士なら現世より死後の名誉を重んじよ。なぜなら今より精神的人口が増えるのだから。

雪野原

雪野原キラキラ光り遊び秘む

万能人

しかし、願わくばお前が単なるつまらない獣ではないことを世界に示せ。

偉人

人よりずっと勉強し、懸命に働けば、誰もが偉人に成れる。

情報商人の仕事

先進人類文明は知的情報が商品として最適化された市場に直面している。
その価格決定に完全な客観基準はあり得ない。
なぜなら彼らの知能levelで、とある情報に対する価値は変動するから。

ならば情報商人とは目付けと宣伝による市場価格操作の方法論者に過ぎない。
その意義は流通効率を公私利益へ調和させる事。実作業は搾取と恵与の均衡調整。

星外史

地球人より立派な文明を持つ異星生物からよく学べ。この星の物語は我々が我々自身である限り、高が知れている。

人にとって最高の幸福は、自分の神性をますます自覚していく事。

2006年1月20日

国際競技の儀式性

ワールドカップは平和の為に洗練され、ゲーム化された国際戦争の様にも見える。

文学論

文芸とは文章における論理の感情的配列である。両者の組み合わせに無限の個性が入り込む余地があるから、単なる記号情報の羅列が芸術的意味を持つ。文学性とは概念感覚の競い合わせで、その優劣は無意味。より普遍的な配列があるかが争点で、他はすべて単なる遊び、なぜなら情報価値が通用する人の間の範囲の差によって。

命名

子どもへの命名は人生の著作権。

内省

精神は自己目的化されたEnergie。

真理の内在性

人の至高性は人の精神でしか捉えられない。ならば我々にとって我々の思考は絶対崇高だが、我々以外にとって相対的であることが理解される。精神の独善。こうしていわゆる創造主たる神の人格化はどこまでも相対的であることに気づくだろう。その意味で唯一神信仰は全て論理的偽であり、盲信であると分る。
 つまり精神だけが至高とか超自然とかの言語観念を操れる以上、神なるもの或いは真理は我々の精神の外部にはあり得ない。精神の独善により、信仰に足るべき偶像なるものは常に我々自身の理想的観念でしかないものだった。

文明論

例えば情報産業は我々自身の生物学的特性を醸成し、理想の限りの社会生活を実現する。究極に環境が便利化されて尚、大衆の知能程度は常に聖人より低いだろうが、重要なのは全体の知的水準の向上。我々は社会環境にしか暮らさないから。だから文明は昨日の聖人の程度に大衆を引き上げ、明日の俗物程度に聖人を待たせる精神作用のmeme系列だったろう。
 しかし野蛮が文明進歩を阻害しない限りそれが必要以上に破壊されることは遂にないだろう。それは人類が彼らを支える下等生物を可能な限り絶滅させないでおく様な、生存を通した多様化の意思に倣う。

普通金銭観

貨幣は社会発展の道具である。

2006年1月19日

戯れ

人は学ぶ子ども。働く大人。精神だけが遊ぶのだ。

思索

Globalismに適応するか鎖国するかは結局、各文化圏の言語の性格に帰着する筈。コミュニケーションの領域拡大が原因で。

知性

我々以上に知的な人類と競わせるに足る知性を鍛えることに集中せよ。

現代的倫理観について

ヒトはその知能で彼ら自身の永続よりむしろ地球発生命体の多様化が生きる目的の割に合うことを学ぶだろう。その時に我々は普遍的善良さを有する。ならば宇宙航海時代には未だ我々は居ない。而して環境抵抗として近代文明の終点と未来文明の始点において知的格差拡大の故の出生率低下が起こるのは自然。
 また優秀な生物学者は法律による禁止以前に、自主的にヒトを含めた個体の老化防止を辞める。生存は適応への絶えざる変質だから。それは遺伝子の意思を尊重することに等しく、我々の個別的精神作用を崇拝して肝心の個体間の連続的盛衰を抑制することにはならない。

猿山

猿山へ強制侵入六本木

言語

偉そうな顔をして偉い学者の考えることと言えば、要するに猿の考える記号と少し違うというだけに過ぎない。

政治論

政治は大人しくやるお祭りで、又いつもそうでなければならない。その標準的手法は人間関係の組み換えで、しばしば肉体的あるいは精神的暗殺を伴う。戦争は規模の大きな暗殺事業だが、あまり賢くないし、野蛮だ。
 最も偉大な政治家は威光だけで平和を実現する。その裏には多大で緻密な精神的暗殺劇がある。しかしあまり賢くない人民にはまるで単なる幾つかの対談に見えるだろう。

賢い子

老人よ、賢い子どもを敬え。その人は聖人である。

考えなければならない問題は考えなくてもよい問題よりずっと少ない。でなければ一生という分類は余りに不条理だから。威名を轟かせるこの世の傑人、あなたが到達できた神性をその不完全さ故に讃えよう。我々生命が生存永続という尊くも自由刑的な儚い目的を叶える様に。

理由

人の僅か百年前後の短い生涯を憂い賜え。なぜ人は生まれて来たのか。騒然たる宇宙の雑駁の波間に紛れて偶々発現した形態に過ぎない精神の栄光をそれでも君は信じるか。ならば考えよ。

目的論

政治の目的は平和。経済の目的は発展。学術の目的は理想。

政策の要

あらゆる戦争の原因はつまり、国家経営の行き詰まりにある。
侵略に於いてさえそうだ。それは一国内で自給自足がまま成らない状況に追い込まれた国際情勢の結果。

為らば対外政策の要は国家所得間に極大な不均衡を避ける為の機会提供の努力。
そして国内政策の中心作業とは国民所得格差について中庸性を最大化する為の適度な規制。

現代経済の発展方向

あらゆる労働価値は資本家を頂点とする搾取の体系の中で量られる。それが基本的に経営上の知能に準じたピラミッドであることが普通。
[あらゆる資本主義経済はその形成へ絶えず効率化される]
だから近代文明人類の現代経済とは即ち、生来の知能発育可能性をしばしば教育期間と関連づけながら、適材適所の一大ピラミッドを「所得階層」として実現する意図。

そこに非難されるべき箇所が無いのは、勉学に耐えられる様に指導される人間がまた知能労働に従事する適切さ、あるいはその逆が現実的不可なことに理由される。
 ホワイトカラーとブルーカラーの分離差拡大は文明化能率に「必要」なのだ。
でなければどうして勤労の義務が設けられるだろう。言い換えれば、我々は労働価値に格差をつくることで創造的分業を体制づける。それは生産に関する技術力の進化に依り絶えず更新される適応課題への対応策なのだ。

 そして全体の知的水準が資本家の投資による教育の一般化で上昇し、民心にこの資本主義思想の本質が普く理解される頃、我々の経済は新たな段階──資本を有する経営者兼労働者「資民」に拠る──『資民主義』へ移行するだろう。
それは分業化が事実上均質化された果て、我々の全てが社会へ直接従事する時代。
IT技術は既にその片鱗を見せている。搾取を行う主体を自身のみに限定すれば事業の抽象化により利益率は最大化する。つまり媒介業者を最小に抑え、機会費利益を極大に、取引費損失を極小にし得る。
尤も、この手法がマンモス企業経営との経済率的均衡状態に至るには恐らくは半世紀前後必要だろう。
 労働形態が多様化することは我々の地球外宇宙進出時代への適応課題に合う。

経済学

あらゆる経営は搾取の形式である限り、資本主義経済は知能に準じた分業化の体系。これは明らかな不平等主義だが、政治的理念によって不均衡は最小限に抑制されている。そして慈恵の想いの為にしか経営者は私益を超えて働かないもの。為らば資本主義経済は究極の共産主義経済なのではないか。生産手段の共有化は政府が適宜独占禁止の為に介入することで可能。
 もしマルクス的に理想の産業体制があるならば、既に生産手段の発展が終了した文明に於いてでしかない。そしてその世界は我々の知能が進化する限り明らかにあり得ない。
 現代経済学に於けるコペルニクス的転回はここにある、即ち資民経済。もしあらゆる人民がIT化の果てで労働者と資本家を兼ねるなら、我々の社会は私益と公益の相互循環が絶えず図られる均衡状態に到達し得る。

文学進化論

抽象概念を具体化して表現する物語小説という文学形式は基本、一般文化として愚かな者ども向けに考案されたもの。従って大人向けには随筆形式で充分である。現代小説自体、人権平等主義に基づいてそれらの境界線を失わせるべきで、後には真実を語るという文語機能だけが残るだろう。
 詩というものは小説と随筆の中間に存在する実用化された仮の有り様。後にあらゆる文学は詩に等しくなるだろう。

思考作用の考察

人間は思考することで宇宙を論理的に解釈している。これは数学によって証明できる。理解できない数式が論理的ではない様に、数学は人間が読み取らない限り論理的だとは言えない。だから宇宙そのものに論理的原因がある、という創造主志向の哲学は悉く誤りだと考えるのが論理的。
 いいかえると我々の大脳新皮質の活動に宿った論理的形式が唯一の真理への道なのであり、自然法則と言われるものですら我々の脳内観念の中にしか実在しない。さらにいえば実在という概念を認識する思考現象だけが真実で、idea界がどうたらという議論は根本的に非論理的な幻想である。
 もし自然がまるで法則通りに動く神の仕業による世界なら、我々の思考はその神と呼ぶものに相等しい。なぜならば法則を認識し得るものとはこの宇宙のどこを探しても思考作用だけだから。自然や社会や人生の本質に法則があるのではなく、我々自身がそれを思考によって創造的に発見する。だから不文社会で問われる疑念はどれもみな非論理的な解説しか満たさないが、それが真実ではないと主張する権利は我々が限られた範囲で共有する、十進法数学を基礎とした近代文明の理論にしか属さないのは当然。
 人が異星人と共有しない法則を主張することは人類文化たる近代文明の文脈に依存する以上、充分にあり得るしその上更におそらく、真の普遍理論といったものは宇宙が永久に延長するという生存意志に適する希望を我々が心理的に持たねばならない事情から言って実現不可能。だからあらゆる科学理論は、幾何学的定義ですら漸進的更新という使命を逃げ出せない。
 かつてデカルトが主張したように絶対確実なのは思考が有する神的な、とりあえず我々には神性としか見なし得ない現象しかない。精神と我々が名付けて呼んだのはこの、大脳新皮質に於ける生物学的に特異な作用。そしてあらゆる本質、つまり真理改築性はそこに属さざるを得ない。意味するところは人間の栄光だけ。精神だけが世界をつくる。

2006年1月18日

社会性

良好な人間関係を築き維持する能力すなわち献身を高める最良の方法は、自らを最も多様な機会をもたらす環境に置く習慣づけか慣れ。いわゆる一般社会人として必要な能力とは、ほぼ全てここに集約されている。
 反対に孤独な研究活動に長期間集中する能力つまり離反や内省は、前者とは逆に自分からあらゆる機会を奪い、生存と勉強に必要充分なだけの一様で均質な環境にいる習慣づけで最良に成る。

危機

宇宙戦争時代に備えなさい。もし君の知性が充分でないうちに君より愚かしい生命体が奇襲して来たら君たちは奴隷になるか滅ぶから。

成功

だからいつも心のどこかで冷めていなさい。

博物学

Entropyはどの様に増大するのか。それは又、哲学的にはなぜなのか。この宇宙の組成の理由を知ること。科学は、自ら然り、つまりその通りのものを法則として定式化して捉える工夫。神やenergyは無限の舞台へ人を産んだか。宇宙は開いているか閉じているか、又そのどちらでもなくどの様に変容しているか。永遠の生存すなわち栄光への希望を人自身へ決めさせる余裕を持たせたか。精神の科学的分析と定義。

知的情報論

知的格差を拡大させる程に我々の文明には発展の余地が生まれる。主人が命令し、従者が労働するのが効率の原理故。同時に、文明は機械という従者によって全人類を労役から解放していく。

地球文化論

あらゆる学術活動に「伝達」の意思が有ると主張する事は、それらが種内競争の一般系である真実を仮説として提示する。学術の生物学的意義は最初、類人猿から進化して生存競争から離脱することだったが、今や同種内に知的格差を産じせしめ個性付けによる交配の多様化を促すsoftへと更に変質している。
 もし文化と呼ばれ有り難がられる土着的野蛮さへの郷愁に一縷の価値があるならその選択の先決性如何に因る。宇宙へ開かれる文化だけが未来へ生き残る。

社会の展開

知的格差は情報人倫理として善用されれば聖賢の養成に役立つ。知的競争が人類種内で発生してから文明が可能になった歴史的地理的事実を観察せよ。
 智徳の寡占化は資本主義的globalismの果てに国連立法組織により解体されるだろう。そこからしか共産主義経済の可能性が萌芽する余地は現実的に無い。
 唯物史観的自然として、IT社会化が国体の消散、単なる放棄では無いそれを導く。国語の文化はそこで終わり、個語の文化に転換するだろう。つまり各自が自由に異なる語源を持つ社会通念をやりとりする。その先の国際政府しか社会主義の真の可能性は実現しない。

天才という言葉で人間的大差をごまかすのはやめた方がいい。そこに努力の差が認められる以上。

男女差の構造

男女に較差がある文化的事実を覆すには長い期間が必要だろうし、それが合理的かはしられていない。

文学

文学の出来は個人の知性に正比例する。

知能労働の意義

俗物の労働から搾取することは何ら不道徳な行為ではない。人類全体の啓発には教育開発で充分だから。

2006年1月17日

慈善

人よ、俗物に構う仕事は教育者と宗教家に任せておけ。慈善にいとまを与えるべきではないから。

両面

正反両面から学ばせるのが教育者の仕事である。

経営者の使命

どうやって搾取しどうやって慈恵するか、その理由から考えよ。

改訳

Utilitalianism(功利主義)は使用者思想と直接訳される方が思想に忠実。個人的打算ではなく、社会へ善循環をもたらす行為の是認が、功利主義と日本人が呼び慣らすものの本質だろう。

演者

何の遊びにどれだけはまるかで自由人の社会的価値は測られる。

太陽

我らが太陽を中心に生活すれば健康なものを、時計を自らつくり出し自らそれに支配される近代人よ。

徳治

真の富国強兵とは、有徳な文民の総勢である。

2006年1月16日

学派

究極に実用的な教育はただ、独学によってのみ可能である。集団での教育機関はカルトを出ない。もし人類がより知的になれば、学校をあまねく無料化するだろう。

機械学

Computerは計算者であり数学者ではない。
 もし人工知能が自然知能すなわち精神に漸近化させられても、我々はいまだに無知であること、つまり学習可塑性によって宇宙秩序の統治を引き受け続ける使命を負っている。

食事法

現代文明に調度よく自然に痩せるには、お腹が空いたら先ず山ほど生野菜を食べよ。人が野菜嫌いなら食欲が抑えられ、ますます効果が上がる。それで腹八分目になったら、穀物類を主食にした通常の食事を取りなさい。これを繰り返せば胃袋は次第に中庸さを取り戻すだろう。端的に言えば前菜の習慣づけだけで佳い。

芸術論

芸術は宇宙に対する再生であり、その使命は精神的健康の増進である。

構造主義的階級序列についての考察

大人、女、子どもの順の力についての階級序列は人類が蓄積してきた基壇であり、これを進化が否定すれば肉体的性差や敬語はそもそも不要になる。特に、IT産業が知識開発をゲームとして流行らせ教育制度が消滅すれば、子どもは体が小さいしか特徴を無くすだろう。このような世界像が現代人の美徳にとって適当かどうかは別に、その到来は未来を事実化する。

宇宙物理学

宇宙論の要はなぜentropyが増大するか知ることにある。それは根本的なエネルギーの研究である。

仕事

すべての生活は情報の変形にかけられる。情報では無いものは精神作用だけ。エネルギーは我々にゲームのルールを教えている。文明はこの換言。だから、人が幸福になる為にはよりよく仕事せよ。

自然

最高の勇気は死ななければならない時に死ぬことである。そしてそれは寿命だ。

義務

死ぬことは最も安定した仕事である。しかし生き物がこれを義務と見なす限り逆に、生活は明るい楽しさへ逃避していく。言い換えれば人生の目的が幸福の究極なら死は義務づけられる。もし個体が永遠の生に安住すれば社会はどんどん暗く、つまらなくなる一方に違いない。なぜなら遊ぶ余地がなくなるから。

遊園地

遊園地の空虚な充実感は自由の最終目的地であり、幸福の究極らしい。

現代

未来社会へ希望を観よ。

適応性と創造性を併せ持たない能人は三流だった。知能と肉体の両面を鍛え上げられないそれは二流らしかった。

資本主義経済における共感原理

富は何人にも幸福を約束する責任であるべきだ。

それに反する成金だけが恨みを買う。

成功法

現在進行形の政経体制への適応性が有能さの判断尺度になる。

 もし人がより良く素早く社会人に成るには
先ず社会の仕組みを知りなさい。
次にその変化状態を悟りなさい。
 そうすれば後はできる限り多くの時間、集中して働くよう工夫すれば人は既にして成功している。

有能さについて

社会的知能を効率良く向上させる最良の仕方は、
liskの無い時点で実地に試行錯誤実験を繰り返す他方、それを一般化する為の反省的思考の習慣づけである。

若い学生フリーターの時期はこの為にこそ利用されるべきだろう。そこで得られる具体的金銭量は剰余価値の搾取により、極微であるから。

一般社会構造の変容

年功序列型社会体制がIT革命とglobalismの波状効果で決定的に崩壊すれば、実力以外で他人を評価すればするだけ損な役回りに立たされる。

従って履歴書なるものは形骸化し、戸籍的な民衆整理形式として仮に存在し続けても実際には誰も気にしなくなるだろう。

例えば本からも著者の経歴が消滅して行くだろう。

資本主義

市場機構に忠誠を尽くすことが資本主義者の第一の道義である。

2006年1月15日

音楽論

世界は音楽化されて行く。

東京

東京は半世紀にして成る。物事は闇雲に時間をかけるより、集中してやり遂げる方が進む場合もある。

現世で有名にならずとも君の達成し得た境地は人類史に消え去りはしない栄光を記す。

実績

当時イギリス学士院から無視されたフランクリンを後に倍々返しで償った権威の態度。ローマ教皇が如何に頑固でも社会的進歩に逆らえない。

言語分析

言葉は誤れない。勘違いする丈。

数学

数学は研究の感覚を磨く最適の領域だろう。誰もいない地底迷宮も世界中を瞬く間にめぐる便利至極な航空路もある。一生と研究に費やせる時間とを兼ね合わせ、自ら決心した信じる最良の道筋を辿る。成功なら数学史が応える。失敗なら人の一生は消散する。まるで思考というギャンブルのようだ。確率論研究者もこのルーレット上に遊ぶ小さな球の運命から例外に漏れない。
 尤も、大半の学者は実際にはこれに畏れおののいて逃避的教育者の地位に逃れる。

建築論

美しい空間は精神を整理し、肉体を満足させる。
それ故に住宅は我々の生息環境をつくる以上に理想郷建設の礎になってきた。

伝達

一般的に言って、愚かしい大衆へ向けた派手な宣伝は強烈に盛り上がる代わり間もなく、呆気なく消え去るが、知者へ向けた小さな囁きは無限に遠くまでしかも長く、届く。
 導く者ととある衆、つまり学園は常に在る。それらの差は所詮、賢さの違いに由来する。

位置

日本は地理的歴史的に東西文化の飽和点に成り得る。

善の内容

アリストテレスが云う様に、理想の生活は創造的であり非我に構わず永続するが故に幸福と定義するのは正当。又デューイが云う様にそれを永久の社会的成長としての成功即ち適応活動に結びつけることは今日的自我のあり方だろう。
 もし学究と行働の善が一致するなら、彼らにとって生きることは自体、幸福に異なりはしまい。

小説論・物語論

理性は統治する。代わりに狂気じみた本能の放縦を失う。その抑圧した不満は昇華され、様々に我々の社会をつくる。
 小説は物語によって疑似的生活を可逆的に可能にする。そこで我々の賢者は取り巻く社会より先に解放され得ていた。

建築論

建築に人間の快適な巣をつくる以上の価値があるならば、我々の神的本性を呼び覚ます空間の為の空間であるだろう。この地点において建築は目的的である。

近未来における社会的自由についての考察

知能格差によって新型の疑似奴隷制が発生している。
[これは世界人権宣言第4条・奴隷制の禁止に事実上反するが、現実には人権を尊重しながら充分機能している]

資本主義下でIT適応化した高所得層にとって閑暇確保はほぼ自由である。
肉体労働者はますます反対の立場に置かれている。

 これは人類の進歩という普遍的文明観点から鑑みれば好ましい。
なぜなら理想(theoria)の生活は我々の知性開発を促し、社会的分業は高度になるほど効率化されるからである。
専ら、文民が全体へ為すべきは「最低基準の引き上げ」であって、これは機械導入による労働形態の抽象化に依存する。

 さて政治的正義の目標が『中流の最多性確保』にあるならば、民主政府が資本経済へ適度に介入し続ける必要は最後まであるのだ。
これは資本私民発の共産制が実現に近づくに連れて消滅する。

2006年1月14日

21世紀についての先見

IT革命がglobalismを究極まで推進すれば世界中で階級が解消され、所得格差だけが残る。
ここに国家不要の可能性が生まれるだろう。
必要なのは一律に最低限度のセーフティネット(生活保障)だけになる。
辛うじて国家間にサービス競争のような状態が続くとしても、事実上ほとんどの生活者にとって国体(nationalism)は過去の遺物に過ぎなくなる。

 経済分野に対してさらに中庸的民主主義が成功す

情報学

情報とは外部化された我々自身の遺伝子である。そのやり取りを行うinter net、電子網は共有化された脳だと考えて良い。我々自身の進化は知能の改善という点に特化しつつある。所得により差異づけされる情報読み書き能力の差は、ある淘汰誘引になっている。

先見

政治についてglobalismによるコペルニクス的転回は、「平和である」ことの先に『楽しくある』ことがある。
それは平和主義の先で自由放任を原則に政府を必要最小化していくところに可能だ。

観察

日本人には個性、individualityが病気に見えるらしい。

学歴

学歴が高い程、本質的に愚かなことが多かった。

永久と文

宇宙が閉じていない限り、文にも又、終わりは無い。そして宇宙を開くのは我々の想像力なのだ。作文はこの為の最も重要な武器の一つである。

2006年1月13日

RPG

ゲームオーバー或いはエンディングのないRPGは物語にならない。同じ様に、大往生までの過程を自ら丹念に追うことは、永遠の個性を要求して機械になることより楽しかったか。

独創性

独創に価値が無くなる日は人が生物である限り来ない。機械として生き延びる道を選んだ人だけがその価値を失う。情報になるから。

働く理由

神へ近づく為に働く。

鍛錬

生きる限り体を鍛えよ。

金持ちのつぶやき

金で買えないものしか無い。

全ては又とない借り物なのだ。

人生でさえも。

だから貧しい者に恵みの雨を降らせよう。

私の働きを神の手のひらに替えて行こう。

経済性

稼ぐことは蟻も行う。しばし運用も彼らの方が上手い。循環についてだけちがう。

仕事

虚栄を恐れよ。君の成長を妨げる。退屈より仕事を愛す。勉強を続けられる至福。

不老長寿

新陳代謝の意義を知らない者だけが永遠の命を欲する。

愛情

どんな浮気というものも貞操観念を反省する機会だったろう。

政治家の収益性批判

政治家とは国民の代役に過ぎないので、どれほどの心労に値しても名誉と最低限度の文化的生活の他の余計な収入を得られるのは国家経営上もおかしい。なぜなら彼らは公民全体の奉仕者であり部分のそれでは身分上あり得ないから。儲けられる訳が無いのだ。
もしそうでなければ彼らは凶悪な資本家、立場を逆手に取った最悪の搾取者である。

実際にマルクスが批判し排除を願ったのは実質上、私立企業家ではなく彼ら、不労所得者なのだとすら言える。
徹底的なコスト削減がリストラの有効な方法なら、国家という会社にとって役立たずの議員どもをこそ1人残らず首切りせねば資本主義の道理が合わない。

今日business界の激動

10代の若者への時間の搾取が体制奉還で止めば、彼らは自在に駆使したネット技術で資本家に続々成るだろう。
しかしながら人生経験から直接に帰納された「徳」は若僧には身に付き得ない、とオヤジどもは罵るに違いない。
奴らは年功序列人事体系の奴隷なので、人間を社会的重要から判断する客観性を失っている。憐れむべきだ。

 名も無き運送会社の窓際族より、世間で最も有名になったインターネット仲介事業コンサルタントの中学生の方が世にどれだけ寄与するか分からない。
君は同情を禁じ得まいがそれが21世紀の経済像である。事実を誤魔化してもドコにも辿り着かない。
創造的に適応し、次なる環境変化へ備えるしかビジネスマンの生存は無いのだ。

 弱肉強食、馬鹿敗賢貴勝(ばかはいけんきしょう)。愚か者は最低限度の文化的生活にのみ守られる。そして上限は知れない。

2006年1月12日

金持ちの成り方

必要なスキルを持つ人材は高給で雇えば良いだけなので、資格や学歴はそもそも経営に不要である。
なぜそれに奔走して海外にまで出かけるかと言えば名に踊り実を忘れているからだ。哀れなり。
企業した以上、消費者は商品に集ることをボンクラの己も知るが良い。

 資金繰りの手順さえ悟れば資本家として自立できる。
そして最適なその仕方はno lisk領域での実践練習だ。
これだけ押さえれば誰でも金持ちに成れる。

経営

自分の頭で考えられない人間だけが搾取される時代が既に訪れている。経歴もスキルも必要ない。人間が馬を使うように、馬鹿が人に使われる。しかし道徳感情は生きている。共感を得られる為にこの搾取、則ち会社は人道的でなければならない。

賢者

賢者が少数なのは、人類という機構を新陳代謝する為の仕組みらしかった。

IT革命以後の世界経済について

総資本家すなわち人民全員が「資本民」となる日が来ると思う。
皆が自らの会社を持ち、その経営によって社会を運営して行く。
そこで真の共産主義への自然な道のりが開けるだろう。

 今は我々の民情を資本主義の洗礼によって一新するべき時なのだ。

社会分析経済批判

中国の数多い無学な人民を道徳的に統治する為に生み出された儒教の「長幼の序」思想の伝来以来、元来農業国である日本に根付き、江戸時代の「士農工商」封建制により完成し、戦後の民主化の果てにも依然として引き継がれた年功序列型人事体系。
けれどもIT革命に因するglobalismがこれを破壊した。


 21世紀の社会大転換はここにある。


 即ち「稼ぐが勝ち」世代と、大衆総下流時代の登場だ。

資本主義的価値観を骨の髄まで沁み入れた「新しい知能労働者=資本家」が誕生する一方、彼らから幾ら搾取されても最低限の文化的生活が可能なので平気の無気力な大多数が大量消費社会へ適応した大衆の像として現れるだろう。

 もしマルクスが正しければ、この先に真の共産主義への展開がある。しかし現実に、我々は一部の資本家の輝かしい智徳に比して、気力も学も金もない大多数の凡庸な労働者の群に人間性の堕落を看るに違いない。
それが生産様式の変動がもたらす必然の結果だと知るしかあるまい。
果たしてその先に、新たに如何なる「革命」が社会構造を転換させるか今のところ予想は困難だが、我々の経済構図の究極の理想が生産手段の全社会共有化による搾取のない自由労働世界であるならば、我々の未来は常に明るいと信じて働こう。

 凡そ以て経済学に可能なのは科学技術の発展を市場均衡による公私利益の循環へと還元する為の絶えざる理論化でしかあるまい。経営者及び政府は、この説を適宜に真偽判断しつつ在野個人の幸福と、公民全員の幸福とをそれぞれ追求する道があるだけだ。

若者

成功そのものより、失敗を積み重ねる経験を大事にすればいい。どちらが貴方をより強く成長させるだろうか。

生存

お前がいつも死ぬまで続く競争の中にいることを忘れるな。

賞賛

賞罰に浮かれる者は下等。罰を受けるまで反省しないなど言うまでもなく、誉められねば良いことを為さないのは人間として恥じるべき愚行。罪深い人間だけが賞罰にほだされる。
 蓋し、上等な人間の威厳は他者の批判に値しないと証明する事。

先駆

時代を先駆けることは個人にとって不完全な人生に対するささやかな趣味でしか無いが、歴史家が天才や俊英として無闇に褒める以上、少なくとも時代に乗り遅れるよりは有徳らしかった。

経営memo

考えれば儲かる。

栄え

より栄光へと世界史を近づけるべく産まれてくる個性。

2006年1月11日

原罪

原罪は類人猿に由来する。

中庸

猿の幸福、神の幸福、果たして人の幸福とはその中庸にあるものだろうか。

日記

お前は未だ何も達成していない。真剣に自分を客観し、今より何を為すべきか問うが良い。数多いる人々の中で君が担うべき使命を背負え。

2006年1月9日

制度

理想社会というのは不満をうまく解消させる為、様々に高尚な魅惑が用意された場所。一夫一妻制はある程度の満足と大きな不満をもたらすが、又それ故に有益でもある。

プラトンの慕い

その女神は才によって人々から妬かれることもあるが、当人はあまり気にしない。なぜなら彼女は決して裏切らないからだ。自らが学ぶことに飽きない限り。

偉大な本を一冊読むことは過度の交遊にまさる。

箴言

聖者は一言コトバを交わしただけで相手を絶滅させることができるが、愚者は爆弾を使ってもまだできない。

上智

愚か者はいない。学習能率がちがうだけ。

人間性

極端に下らない人はまた、極端な聖人君子と相性が良いらしかった。危険なのは中間である。最悪のときは戦争までする。

順応

順応しきったものはやがて滅び去る運命。

物語

話で騙す事を物語と云う。大人を騙すと誉められて文豪に格上げされる。

落語

女性を馬鹿にするのは人間の半分を馬鹿にする事、つまり人類を半分馬鹿にする事。

化粧

本当の美人は化粧をしなくても頗る美しいが、ひどい化粧のせいで、本来は大したことのない容姿のものが居なくならないとそれはよく分からない。だから化粧品は美人を少しずつ醜くするためにあった。女性が無闇やたらに鏡をのぞき込むのはこういった事情へ一斉に対応する為である。

欲望

子どもが無邪気なのは欲望が未だに芽生えないからなのを思えば、その欲望に支配された者こそが非難に値するべきで欲望自体では決してあるまい。

柔軟性

子に愛されないものは頭が堅い。

必要

イルカが同じ種類のイルカの言葉しか知らないからといって一生に困るだろうか。暮らすのに支障はないだろう。外国語に私を学ばせるべきである。

道化

愚か者をからかうには、愚かな振りをするのが賢い。

運命

女は恋というものに取り憑かれる運命にあった。子は遊びというものに。大人は仕事というものに。そのどれでもない者だけが自由だったろう。

一行に要約できないような本は書くべきではない。人生の通り。

超常性

神様と天才とは等しい概念だったろう。

文は人なり

文が巧ければ人が文で騙されるわけだ、と見下しているからか。

怠け

文豪は文盲のために何もかも書けるが殆ど書かなかった。
 代わりに歌手や詩人だけがそうしたので、誰もが彼らを愛した。

文学論

全ての文書は文学視できるが、感動はそれぞれの自由である。

計画

日々起こる些細な便利の計画を文明と云う。

つぶやき

人は芝居しかできた試しがない。

金持ちの理屈

節約の程度を知ることが金持ちの理屈である。

贅沢の程度を知らないのが貧乏人の言い分であるのと同じように。

息抜き以上の意味は体験に無い。

演劇文化論

その国の喜劇を知れば国民の底辺は知れるか。痴話や愚痴に笑う所は愚かだし、皮肉や風刺に笑う所は賢者が多い。何を言っても笑わない場合はその程度を遥かに超えている。

落語

人は自分の為に人の上を造らないが、天は造らないとは言えない。そして造ったとしても人には分からない。人は知らないことは分からないから。つまり人の上にあるのは「天」だけだろう。しかしそれも分かったときにはすでに下かも知れない。

人は表情で知れる。

隷従

必要以上に性を使うものはみな搾取されて来たしこれからも多分そうだろう。

経済論

資本主義の功利性は、常に文民統制の可能性にある。

作家

文を売るのが好きなら出世代を請求するがいい。仙人しか知れぬ現代語で歌うことだけが未来に届く。

貴族

身なり格好を質素清潔に保ち、人類の行方を憂え。

落語

かつて賢かったり愚かでなかった人はいないし今後もいない。

太陽

太陽人としての地球人。

母としての太陽が親しくないはずがあろうか。

勇気

君が希望をもたらせ。

音楽論

世の中は楽器隊になりつつある、と漏らせば君は変人扱いされるだろう。しかしそうした相手でさえ、片耳では工業音楽に心を震わせることができる。
 だから美しい機械とは美術であり、技術はとかく芸術であった。

理論

空を飛ぼうと決意したライト兄弟はついに鳥になったがダ・ヴィンチは夢見たに過ぎない限り、ただ理想するよりそれを実現に移した人はさらに凄い。しかしもっと凄いのは実現を予測してなお、先へ先へと理想をやめなかった人ではないだろうか。そういう人は民族へ永遠に誇りを与え続けていく。だから後生ダ・ヴィンチは天才と呼ばれ、ライト兄弟はくしくも努力家の名前を冠される。矛盾だがそれが歴史の真実だ、と認めなければならない。
 考えること、ましてや閃くことは実現するよりもおそらく難しい。命令するのは主人、実行するのは召使いの役目。言うは易し行うは難し。しかしそれを残した国は世界の華でありながら咲かずに萎れたのだ。

風刺

人間は母親の胎内から出来て、宇宙の胎内へ引っ込む。生きる間は馬鹿をするか増える。

市民で裁く誓い

犯罪者は功労者より疎いだけだ。
でなければどうして国家へ忠誠を誓ったのか誰も分からぬ。

愚かな大人より賢い子どものほうが偉い。

政治家であることは世界を平和にすることだ。

平和であれば良かったと信じる限り、政治史は絶対に理解できまい。

「平和であれ」と願えば君は政治家になる。そして我々を諌(いさ)めるのだ。

マキャベリはかつてそう言った。
 今日どうしてそれを信じることがあろう?
我々はみなが政治家なのに。

白い嘘

ある日本人は地球史上で最も重要な意味を持った。当然、このことばの為に。

ギリシア語

古代ギリシャで使われていた言葉をある程度きちんと学ぶことは、地球的に大切だったろう。そこには我々の知力のおおよその源があったから。

作り事

虚構あるいは作り事とは赤ちゃんのあやしつけだ。しかし貶めえたものでない。多くの赤ん坊は大人と名乗っているから。

憂国

国を愛するなら、野蛮を暴く文明を書け。

文章の場

翻訳の速さを考えればあまり読まれない場所へ重大な文章を発表することは国民自身へ寄与するところが大きい。
 共産主義の為に書く人だけは、読まれる場所に投資する。それはどうしても資本主義圏へ偏在させられる。なぜなら情報産業の利によって。だからあまり重大でない人だけが共産主義へ猛進する。

作文

もしある国の文学者が本当に賢ければ、歴史の中でその国の民はみんな賢くなる。だが本当に賢い文学者はほとんど生まれてこない。ゆえ翻訳者はその格差を埋めるために奔走する。できるのは書くこと。そして国柄からさえ世界を理想郷へ導く事。

寂しさ

社会に居るのにどうして寂しいのか。君は贅沢すぎるのではないか。

神学

まず君は神様でなければならない。さもないと、どんな不幸も君にとってのものだ。さらにまた、もし君こそが人間であれば幸福は神様のそれよりも拙い。学びきれなければ沈黙しなければならない。

書き方

分かりやすく書きなさい。そうすれば大衆が読めるものになる。読まれたくないものは難しく書くべきだ。
 さて、分かりやすさと難しさは内容によって使い分けるべきだろう。前者はからかう為に、後者は啓蒙する為に書け。そうすれば世の中は見事うまく行く。なぜなら下愚は上智に指導されてこそ悦ばしいのだから。

書くのは伝える為。それを消すのは隠す為。自分へ書いたのは考えを確かめる為か考える為。
 さて文学とはどれか。

天気

雨が降る日は外出を控えねばならない。濡れて風邪を引いたら損する。よく晴れた日に散歩。気が晴れる。曇りの日はどちらでもない。つまり、曇りが最も佳い。

報い

聖から尊ばれる様に。

賢さ

本当に価値あるのは生きることだけ。それを知りながらなお、現世の宝を探る冒険家たちに質問したい。君は何を達成した。
 今より賢くなる様に。そうすれば世の中に益して生きられるのだから。

来世

名誉が欲しいのは死ぬのが怖いからだ。生きる限り、死ぬ。ならばどうしてそれを恐れる。死を思え。そうすれば名誉より重要な世界に気づくだろう。

随筆

悟れば良し。迷うのは悪い。悩むのはもっと害。考えている限りは並である。つまり君が書くのはそれらの総体。迷わず書け。世界はそれを読むだろう。

扇動

大衆を扇動するより下手な行動はない。君が本当に素晴らしい人なら彼らから着いてくるから。

無知

分からないことを知れば知らないとは言えない。だから知らない事は知らない。

長寿

死は待てば来るが長生きはしなければならない。それは学び働く義務に等しい。だから根気を敬い、実力を養え。

寛容

人間を信頼すれば愛は身近になる。だが寛容すぎたイエスの様に殺されたくなければそれを憎むことも覚えなさい。

愚かな国には言葉を習わせよ。滅ぼしてしまうよりずっと手間なし。

加重平均

愚者は軽蔑に値し、賢者は畏敬に及ぶ。人はいつそれを習ったのか。

必要

過つこと少ない者は成らず。過つこと大きい者は愚かなり。

適合

苦しむこと希な望みは楽しい。それは我々を生きるのに合わせる。

統一

統一されざるもの未だ非ず。
 もし有れば君は知れない。無きものは非ず。有るものだけを知るのだ。而して有るものは統一される。
 混沌に光を与えるもの。文明に栄華あれ。

情報

情報以上の価値が発生することは今後二度と無いと誰に言える。

書く事は助ける。

国語の命題

「国語」は時間について民族間に差異付けし、結果として戦争と平和を誘う。
 デリダが冗長な言語論によって言いたがった類いの正義は、最小戦争と最大平和にある。それはカント以降、哲学最高の命題だった。

知識論

知力は人類全体より尊い事。でなければ人類は生き延び無い故。尤も遺伝子自体が人類より尊い事は無し。どれも完成しない。

可能態としての情報

情報は遺伝子の形態。だから人類より重要なのは情報。尤も情報自体にはそれが分からない。よって生き延びるだろう。これに殉じて君は宇宙の動きがどうしてなのか問うが、それ自体が動くに過ぎない。この世界にいる限り動かないものはなかったろうから。つまり生物そのものと同じく、そこでの理解は情報量の違いのうちけしや変化、或いは動的な情報量落差の解決でしかない。

構造主義のある読解

たとえとしてのフーコー以外の人間は決して終わらなかったろう。もし理性が最後になれば狂気は芸術に含まれた事になる。

繁栄

もし人類の福祉を願うなら文明化を手伝うべきだった。個性の最終結果も又そうらしい。

自由のわけ

自由の理由は生存目的と宇宙の動化への貢献にある。

市民の始め

文明化即ち生活は種内競合の純化により人類の多様性を促す装置らしい。そこで達成される筈はやはり我々なる種の永続に他ならない。もし幸福の追求、つまり個人のみの快に不満を持てばそこからが文明だった。

経営者のmemo

儲けよ。されば救われん。

 大衆の歌を聴け。

2006年1月7日

享楽

若者に性的享楽を許さないなら、どうして若さは性欲を刺激する魅力に満ちる必要があるのかという問いの答え。我々はそれを老年になった時の、衰えも消え去りもしない幸福、すなわち知恵と交換する為に禁欲を促し勉強させるのだ、と。端的にいえば昇華されたリビドーによる文化的営為の蓄積、文化資本の為である。
 教育の真の意義は人間に苦行を与えることではなく、動物的欲望に限度を与える訓練を自らさせることなのだ。これは少なくとも文明化の過程で見られた表徴だった。そして、この目的性に合致する物事を、我々は幸福であるとか、清明であるとみなす傾向を、文化上の道徳的にもっている。良識といわれるものである。

文芸論

文芸は言語の遊びで、最後に宇宙美を表現しようと自体進化する諸概念の流れ。

貴風

俗物を軽蔑することは兎も角も肯定であり、その厭世聖人風の態度は人類の全域に有益である。なぜなら高貴とは粗野に比べた偏差値的な相対さに過ぎないのだから。

建築論

人工的で純粋な、単色で塗られた単純な家具は汚れを目立たせるので頻繁な掃除を無意識に誘い、人類の清潔な暮らし向きにかなう。透明な家具も取り扱いに危険が無い限りこれに相当する。

学業

綺麗に整理整頓され、使い易く、小さくまとまった書斎は勉強を助ける。夜勉強する利点は余計な雑音や雑色を夜合いに溶かし込めることにある。尤も、我々の由来からして間接的な太陽光の元が最も学習に向いていた。雑駁な最中でも没個人性や選民意識により勉学はし易いが、持ち運べる書棚と筆記具に限界がある。

2006年1月5日

芸術性

芸術を追究するのはそれ自体が目的だったのだろう。

2006年1月3日

星空の主題

君は続いていく光の道に沿って長い旅を経過していく。本質的ではないものが削ぎ落とされる、本質的ではないものを削ぎ落としていく。
 多分、生きる行為に終わりは無い。想像するまでもなく君は新しい世代によって押し流されていく。そういう大河に自ら含まれるという以上の実質は、人生に無いのだ。
 月が沢山の命を照らし出している。君はその一員として、どこまでも輝く宇宙のネオンサインを眺めている。

2006年1月1日

建築論

美しい生活空間は精神を整理するのに役立つ。家具の単純な構成は人生を効率化するのに向いている。だから人がより良い空間を求めるのは必要であり、もしも芸術が助けられるとしたら生きる手段を合理化する恒久さ。或いは自然への愛情表現としてでも。

数学

学び取らなければならない事に限りは無い。だから学者に仕事の終わりは来ないのだが、大抵の場合その自覚より先に一生は散る。貴方が学ぶ問題に忠実である以上によりもっと、短い生涯に学ばれるべき問題を問うが良い。取るに足らない問いを省略すること無しに如何にして新しい命題に辿り着くのか我々には知れないのだから。

情報

辛抱強く学び続ける者だけに知識という果実の豊満はもたらされる。もし勉強を辞めればそこで精神という樹木への栄養も途切れてしまう。人が呆ける時の事。だから君は情報の主管を大切にし給え。それが健在な限り脳が自ら老いる可能性は殆ど無い。

建築論

日本的空間に内外の区別は無かった。そこでは総てが自然。日本の建物にとって構築とは自然そのものだったろう。

学習

全てを学び終えなければならない。

浮き世の時は悠久の歴史に比べるべくもなく儚い。では人は如何に死ぬのか。もし0年から100年前後の短い生涯を愛でること無しにどうして生活の理由を見つけられるだろう。だから永遠を羨むな、宇宙が君を実存させた意味を知れ。それは時への崇拝だった。

演技

俗物ではない芸能人を見つけることは難しい。

2006-2016年の彫刻

ニューヨーク市
2006年
アクリル
2.5 × 2.5 × 10 cm, 2 × 3 × 5 cm
作家蔵



生活
2007年
アクリル、プラスチック
5 × 5 × 13 cm, 5 × 5 × 8 cm, 5 × 5 × 5 cm
作家蔵


白い形
2007年
発泡スチロール
28 × 12 × 8 cm, 12 × 12 × 8 cm
現存せず


徐福記念碑
2008年

20 × 20 × 15 cm
現存せず
 

流れ
2008年
プラスチック、高分子ポリマー、白銅
8 × 9 × 10 cm
現存せず


 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
2008年
鉄、アルミニウム
30 × 30 × 10 cm
作家蔵

 
新陳代謝
2008年

35 × 35 × 10 cm
現存せず


 対資本原理主義
2008年
鉄、アルミニウム
30 × 30 × 10 cm
作家蔵


藝術
2008年
ガラス、水、ベンジャミン
5φ × 15 cm
現存せず


可塑性
2008年
プラスチック、ポリスチレン
35 × 30 × 1 cm
作家蔵


赤い形
2009年
ポリスチレン、アクリル絵の具
10 × 10 × 3 cm
作家蔵



市場能力
2009年
紙、プラスチック
35 × 15 × 3 cm
作家蔵
 
 
 
今日の空気
2009年
ガラス
10φ × 35 cm
作家蔵


要素集
2009年
アルミニウム、鉄、ポリカーボネート
40 × 10 × 10 cm
現存せず

 
つづき
2009年
プラスチック、鉄、発砲スチロール
40 × 25 × 5 cm
作家蔵


えびす像
2010年
セラミックス、亜鉛メッキ
30 × 20 × 12 cm
作家蔵


ヌーディ
2010年
鉄、アルミニウム
30 × 30 × 10 cm
作家蔵


飛行する物体
2011年
紙、ステンレス
10 × 3 × 2.5 cm
作家蔵


くらげ
2011年
カラーホイル
5φ × 50 cm
作家蔵


 鎖の花
2011年
ステンレス、木
6φ × 30 cm
作家蔵


水鉢
2012年
プラスチック
φ36 × 30 cm
作家蔵


宇宙船団
2012年
発泡スチロール
12 × 9 × 5.5 cm
作家蔵
 


2012年

10 × 8 × 2 cm
作家蔵


透明な構造
2013年
ポリエチレン
20 × 10 × 10 cm
現存せず


 宇宙船のモビール
2013年
ポリエチレンテレフタラート
6φ × 20 cm
作家蔵


 
2014年
鉄、アクリル樹脂、顔料、有機溶剤、ミクストメディア
40×15×10 cm
作家蔵
2015年(平成27年) 第32回北茨城市美術文芸展覧会 彫刻工芸部門 茨城新聞社長賞


ルイーズ・ブルジョワ『ママン』のリメイク
2014年
プラスチック、アクリル樹脂、顔料、有機溶剤
6φ×20 cm
作家蔵


現実性
2014年
プラスチック
10×9×8 cm
作家蔵


婚約指輪集
2014年
色紙
8φ×1.5 cm
作家蔵


少女像の為のトレース
2015年
プラスチック、セロファンテープ、接着剤、有機溶剤、黒鉛
6φ×14 cm
作家蔵


 
2016年
ポリエチレンテレフタラート
76 × 23 × 13 cm
作家蔵

波打ち際のアパートメント

 波打ち際の高さ120mの超高層マンション。コンクリート充填耐海水鋼管構造(CFT造)。各戸には縁側と裏庭がつき、朝夕の凪を流す。二層一戸の室内は下層が柱のない空間で、自宅兼事務所他ゆとりある用途に向く。屋上庭園からはるかな海がみわたせる。海辺の敷地を逆手に取り、主な出入り口は地下へうずめ砂浜をつくり治しつつ開発する計画である。
 
 透視図。浜辺から早朝に建物を見る。