2024年3月31日
一国平和の民徳理想国早期完成論とその後の世界侵略海賊たる悪役英米成敗論
欧米人一般は非常に強い悪意と害他的利己心、具体的には種族主義や民族差別、文化的無理解、蔑視と偏見が無意識に埋め込まれており、それをサイードの哲学用語で「東洋主義」と呼ぶわけだが、正に、この浅ましい偏見を自分から履行しにいっているのが日本女の相当数に挙がる事は既知の事だ。敵に諂う。
日本人一般は東洋の盟主として欧米列強が世界中を植民地奴隷化して行っている中でたった一国、会沢安『新論』の国体論で目覚め富国強兵と尊王攘夷を旗印に縄張りに入ってきた白人らを体当たりで追い払いに行った。結果としてアジア先住人は、南アメリカ先住人らの様に欧米人から民族浄化されなかった。
日本が、白人専横による世界征服の謀略に割り込んで、西洋中心主義のヘーゲル風論理を滅茶苦茶に破綻させてきてしまうので、欧米人らは遂に大規模な人種差別をやめるしかなくなっていった。第二次大戦まで、英米は日本が世界で初めて提案した人種的差別撤廃提案を拒絶していたのがその動かぬ証拠だ。現代日本には、英米独などのアングロ・サクソン系が一律に最高文明人だと思い込んでいる人々が相当いる。それは直接にはGHQや、明治政府こと江戸幕府を全否定したがった幕末西軍による洗脳結果だ。暴力で全地球を荒らした海賊行為歴は寧ろ野蛮の自慢だ、と岡倉天心もとうに東洋三部作でみぬいていた。
自分は或るネット芸者みたいな或る種のあばずれ行動ばかりしている京都女(宇治女)が、「努力とか全然してない」というのを聴いて本当に驚いた。この人はいかにも京女で、実に完璧に甘やかされた成れの果て姿だったが、男は過酷な仕事で万事完璧を要求されるのが当然で女は不徳で遊び放題なのが日本だ。
欧米社会と丸で違う構図は諸般に及ぶ。ひよこというX民も典型的な日本女といっていい。原爆を落とした側に自ら媚び諂って、命懸けで東洋を守ったため身体障害を負った日本男を足蹴に、丸で上野千鶴子の傲岸な芸者的態度で、進駐軍へ進んで身売りした様な形で、女権乱用で祖国の男性差別を公然と行う。
だからこういえるだろう。日本が東洋の盟主たりえたのは、決して日本女の成果ではないと。それは侍精神の一部の武士がいたお陰だ。会沢安がその頭だったのだ。199年前の彼の洞察力は当時として国際社会に遥か先駆け、現状を見通していたかの様だった。英米に諂うひよこは真の人道の敵にして国賊である。
日本の使命は、東洋の第一文明国として、欧米の全悪事を裁ききる事である。東洋主義の偏見や差別意識から繰り返される、東洋諸国への侵略罪や異文化破壊、人種・民族差別の数々を、先進国群の内から逐一知っている側として、彼ら悪意と謀略に満ちた性悪欧米勢力を世界史から完璧に駆逐しきる事にある。あしき欧米が亡び、日本が栄える事で、世界平和をもたらされた全世界の人々が完全救済される事が我々の世界史上に必ず為すべき仕事である。その為には現時点でひよこが為す、欧米やその自文化中心主義への媚び諂いは百害あって一利ない。日本文明が全世界の模範たる為には、卑屈な態度は反国民的である。英米への同期は日本文明の目的では全くない。英米の美質に学ぶ事は当然必要だが、その暗面は反面教師でなければならない。同じく、今の国連は国際平和の為ろくに機能しておらず、宇露や以巴戦でも常任理事国の言いなりで、単なる一部先進国の利権でしかない。日本はそんな浅ましい英米を悪とみるべきだ。
我々は平和主義に則り、侵略罪に反省しない悪の英米を知謀を以て討伐し、世界史上の政治遊戯に於いて全国連加盟国で最高の地位を占める必要がある。平和を最も重んじる国は決して英米の様に弱小国を虐げたりできない筈であり、東洋諸国へ殺戮や内政干渉を繰り返す野蛮な英米両国は全人類の悪役である。
あの宇治女と違って自分は確かに、生まれてからギリギリまで努力し続けてきた記憶しか全くなく、その限界までの努力は日本男児が貴族として課された世界史上の至上使命の為だったと考えていいと思う。即ち、我々は平和の尊さを知る国として、武士達の究極の理想がそうだった様に、英米の横暴をやめさせるべきなのだ。
下らないだれきった日本女らは勝手にあばずれ行為で少子化絶滅しているのだから、放っておけ。世界中の人々を奴隷化してのさばりきっていたと思えば、日本に特攻隊で侵略阻止され開き直っている、汚い手のひら返しの欧米に媚び諂った所で、その末路は必ずや地獄である。
この世には善女もいるものだ。
先ずは富国強兵路線を継続しながら、愚かで浅はかな人でなしの幕末西軍と醜く滅ぶまで腹踊りをする人種差別主義者自称天皇一味が作った日帝や、長州閥の驕れる安倍晋三がやっていた英米海賊式侵略罪を全否定し、一国平和主義の元で、全国民が最高度の道徳で完成された、衆目一致の理想国を築く事だ。
内治が完璧であれば、ひとりでに、世界中の具眼の士はわが国を仰ぎみる事になるであろう。祖国を完璧に守っていれば、あとは性悪で愚劣な上に思いやりがなく、根っからがさつで、自己中心的で幼稚な英米勢が国連ぐるみで相変わらずやっている地球荒らしの悪事を全場面で公然非難しやめさせていくだけだ。
2000年代日本は女がやりたい放題している一方、男が虐げられ、どちらも半減している社会説
日本は男性がとことん甘やかされる社会だから、ちょっとなにか言われただけで激しく落ち込む。私なんかボコボコにされても逞しく生きてるよ! 日本のおじさまは自分からぶつかっても謝らず、不機嫌さを顕わにする。エレベータでは我先に出入り。もちろん全員じゃないが。甘やかすから根っこが腐る。世界価値観調査の「男女の幸福度の国際比較」や同調査とISSPの「幸福度の男女差の推移」の2000年代からの継続統計資料(社会実情データ図録より)(社会実情データ図録より)でわかる様に、昨今の日本は世界一か2に女性が甘やかされている社会だ。欧米かぶれは決して現実の資料を見つめようとしないが、男女の自殺率の約2倍の落差でもこれは理解できる。
――ひよこ
また1995年頃から最も自殺し易いのは壮年(中年)男性で、日本では一般に最大の社会的弱者は壮年期の男性だといえる。
少なくとも日本では性別・年齢を若い女が一般に弱者、中年男が強者という偏見で語ると寧ろ自殺率や不幸感をあげて、弱肉強食と福祉政策の失敗に至るだけだ。
日本の自殺率は世界183か国中18位と極めて高い方に属し(World Health Statistics 2017による、2015年度の資料。社会実情データ図録より)、国内的には強者にある日本女らによる壮年男への年齢・性別差別は甚だ悪質といえる。ただでさえ世界一、2にひいきされている日本女の一部は、欧米女性主義乱用で益々横暴を極め、完全な国難級に壮年男を迫害している。
だが、いつまでもその様な年齢・性別差別の拷問が続けられるとは到底思えない。現に少子化は世界でも下から数えた方が早いほど加速し、日本女も自らの悪業で一般に半減していっている。それは、弱者虐待を偏見で行って恥じないほど邪悪な生態と悪性をもつ連中にしては、自業自得の有様というべきだ。
2024年3月30日
2024年3月29日
真の喜劇とは
所が茂木は今度は「弱者を庇うのが真の喜劇だ」などという。暗い冗談になると思っているのだ、ただのサイコパスの自己矛盾が。人道犯罪者の大半は、おそらく彼の様に、きちんと精神科で診断を受けたら道徳感覚や情動、共感に異常があって、人間の尊厳を軽視する人々であった筈だ。ヒトラーも成田悠輔も。
同日ホリエモンが自由刑と拷問を分けて、長野刑務所で凍死発生前には未対応で、寒すぎる事が人権侵害だったと、寧ろ刑務者を過酷に扱うべきと言う反論者へ再反論していたのをみた。彼もまた自分に関わる事なら正否を問えるものの他者への加害には無感覚なサイコパスだろう。成田悠輔を茂木と褒めていた。
一事が万事
愛知、東京、千葉、京都の下人らは、要は道徳教育を受けておらず、一体何が人道的なのか全く検知できない。これらは完全に明らかだった。その上無宗教なので、道徳性がかけらも無い。この為、抑不倫に伴う悪因悪果など少しも予見できない。だから獣同然の言動をし、離婚や浮気ばかりで荒れた家柄なのだ。
自分の地域には似た様な人は一人もいなかった。だからネットで初めてみたのだが、本当に理解できず、下人らがわざと悪事をしているようなので、間違えているよと注意すればすぐ気づくと自分は思い込んでいた。しかし事実は全く逆で、下流社会というのは現実に存在し、そこでは性風紀は極端に乱れている。
一事が万事というが、一人の下人がいるというのはその背後に無数の下流が控えている証拠に思う。フィラデルフィアの麻薬中毒者が街中で一人ふらついていて、背後に腐った仲間がいないといえるだろうか。実際は後ろにいる患者の氷山の一角だ。一匹いれば大勢いる。これは確率的な人間の法則だといえる。
今あげた4地域には、現に下流社会があって、そこでは際限なく乱れた暮らしがあるのだ。だからこそ、ネットに溢れ出し、公然と不倫中毒者同士で悪友社交をしていた。
自分は偶々SNSで下流の一員だけをみて、理解できず、長い時間かけ観察や実験して漸くわかった。4地域は道徳教育が失敗したのである。不倫中毒の膨大な下流が4地域には実際にあるので、いわば衰亡し自滅する形でしか解決不能にみえる。私が以前から県政へ勧めてきていたのも恐らくあり我が県が全国で最初に初め、文科省がのち真似た倫理学の教育を今更、義務段階から進めるといった正攻法の手順を踏んだ所で、事態はとうに手遅れにみえた。親世代が終わっているからだ。
寧ろ4地域では少子化を従来通り進め、悪風で自滅させ、世代交代を移民で補う形の方が遥かに望ましいだろう。在来層は退廃生活に馴染み、教化が丸で通用しない事は自分が諸々の社会実験をし既に検証済みだ。彼らは拝金主義の風紀を持ち、人倫は軽視しており、カネで動く超小人集団で革面すらできない。
性風紀の自堕落な下流悪人社会は、4地域の教育行政の失敗に真因がある。尤もその原因が地域住民の低い平均道徳性だから自業自得でしかない。少子化は時には善だ。特に不倫中毒仲間といった下衆と言いうる悪徳集団へは全くそうだ。寧ろ在来層への過度のひいきこそ種族主義にすぎない。美徳の移民は尊い。
対して、わが茨城県つくば市は、現に帰化した議員がいる様、優れた移民に寛大だ。全くその様な公平な風紀こそ、道義的にも優れている。悪徳の在来層を善徳の移民より優先せよと叫ぶ者は徳の賊だ。
加えて、京都(山背)や北海道で問題視している外国資本による買収や進出など、税制が公平なら元々何の問題もない。同じ以上の奉仕や製品がより安価で安全に買えれば経済的なだけで、移民排斥と同様の在来層の悪意がそこにはある。すなわち、もし在来層が悪徳で不能なら、少しも尊重する必要はないのだ。
外国からきた美徳の持ち主と、国内の腐敗自治体からきた悪徳の持ち主とで、どちらがより人間として優れ、あるいは資本として望ましいかもいうまでもない。他方国内の善人やたちのよい資本も自給自足で望ましいかもしれないが、単に日本語圏だから全てが尊くも善人でもない。悪風紀の下流社会と縁を絶て。
無責任衆愚
匿名でも実名でも根っから性悪な人々は、結局破滅の為に産まれてきた。また、他人を不幸にする為に生きている。
邪悪な人
悪男悪女は絶対に救いえない。彼らは邪悪さにおいて同類だからだ。
悪男悪女に少しも同情せず、軽蔑し忌避せよ。悪人と関わると全て悪い結果のみがくる。
愚かな仲間
愚劣な人々を教化できると思うな。愚劣な人々は生涯ろくな事を悟らない。
愚劣な人格をみては、破滅を予見し、近づくな。関わるな。愚劣な人々の集まりをことさら避けて暮らせ。
日立国体移行論
悪徳の極みにある衆愚が繁殖しのさばりきった国であるからには、日本は世界史の悪役に違いなく、必ず近く国連から人権侵害面で大規模制裁されるべきに違いない。ジャニーズやダウンタウン、京都人といった性・児童人身売買か不倫中毒者、成田悠輔や落合陽一らAI専制による大量虐殺論者は、氷山の一角だ。要するに、日本国は戦後統治を誤り、特に道徳教育を怠ったせいで、信じ難く自堕落な悪徳衆愚を生み出してしまった。国と国民統合の象徴と称する邪教祖も立法権と行政権を侵害し(退位法と茂木健一郎氏の動画で暴露した鳩山内閣への北方領土問題での行政干渉)、日本国の法秩序は進んで自壊している。
亡びるべくして亡ぶ国であるからには、日本国とは総じて悪男悪女の集まりにすぎないとみなし、なるだけ国内で相対的に善良な人々や他国の善人を巻き込まない様、合理的に解体する必要があるだろう。巨大ビル解体工事は同様の工夫をするのであり、壊すと決めたら妥協せず、ヤマト王朝残骸ごと潰すべきだ。
また日本国は合理的手順で皇室神道ごと完全に潰すとして、日本人のほぼ全員が人権教育失敗で悪男悪女の衆愚にすぎないのもSNSでの普段の行いの悪さから絶対明らかだから、救う必要は毛頭ないのも事実であろう。が少なくとも一種のノアの方舟を設け、いるとは限らない超少数の善人は招くべきではないか。
永遠に続く国がないのは当然で、今がその時だ。頭から尻尾まで腐りきった魚を捨てず放置しても何も良い事はない。寧ろ日々状況は悪化していく。日本国滅亡は早い程よい。
私の自治体は嘗て日立国と呼ばれた。日立国単位が日本国単位ほど腐敗している様には見えない。今の茨城県をノアの方舟にしよう。
茨城県は真面目な民衆の風土で、人口あたり研究所比率が圧倒的に一位だったり、農民数が全国一位だったりと、学者と農民の国だ。これが我が県の風土が他の日本国とは違う理由と思う。他の日本国は商業化が進んで、民心が私利私欲で歪みきり、町人風紀で自堕落化している。一種の江戸東京化が起きている。
茨城では東京化を防ぎ、太古から続く良俗を守るべきだ。奈良時代の『常陸国風土記』で茨城県が天国と呼ばれているのも、民衆の美風と関係があると思える。美徳は悪徳と同じく伝播する。それなら、東京の自堕落を反面教師とし、県境をこえると丸で別世界となるまで日頃の行いと統治を最善にすれば良い。
高確率で次の様になる。皇室は驕りから、東京を出ない。だが都内は御覧の有様だ。なら日本国諸共滅亡するだろう。
しかし茨城県が日本国滅亡後、単独で国連加入できる準備を整えきっていれば、滑らかに別の国体へ移行できる。これを日立国体とすると、大統領制共和政体で、余裕で新OSが起動できる。
既に2023年G7の内務安全サミットでの様子から、県単独でも国事を司るのに不足はないのは明らかだ。
即ち、茨城県民は近い将来の政治的首都を担う必要があるとみえるので、気を引き締めてかかり、寧ろ世界一の醇風美俗を保つ様に自らの最善の道徳的行いへ日々努めねばならない。
東京都政や日本国政は、どちらも立地する所が町人の衆愚体の中心部にあるので、知らずしらず低俗な風儀にのまれていってしまう。愛子内親王が以前からジャニーズWEST. ファンだという真偽不明ながら予てより竹田恒泰氏証言もある事象がその一証だ。国の象徴が児童人身売買組織ファンでは全く救いがない。京都府は寧ろ東京都より酷く組織的人身売買を伝統の舞妓文化や文化首都などとと言い繕い、行政ぐるみで人権侵害を常習化している点で世界最悪級の民度の悪質さで、国政や国連人権機関による強制捜査と厳罰が絶対に必要だ。すなわち皇室をのがさず、旧日本国体と共に永久に神道政治ごと終焉させるべきだ。
2024年3月28日
自ら雑魚敵化する匿名の無責任衆愚
陸でなしへの唯一の対策
陸でなし達は根っからで、何の救いの余地もないのだから、それら悪質な人々に少しも同情するな。彼らは漸次不幸になり亡び去るべき存在で、それらは全て自業自得である。たとえ彼らが繁殖していても、その子孫は親の業を背負う。つまり、陸でなしの親から生まれ育った子の生涯は苦難の連続である。
業の不動
集団へ悪事をした者はその集団の反動で報いを受ける。
集団に紛れて悪事をした者は、その集団で起こした悪影響の報いを受ける。
悪因悪果から逃れられる人はいない。業は不動である。
仏教解読
親鸞の唱えた悪人正機説は、元来、殺人などの戦闘行為と不即不離の防衛・警察階級を兼ねていた武士救済を図る目的のものだったろうが、元の釈迦思想が解脱目的の絶滅教義なので、親鸞側は繁殖を正当化した所に最大の歪みがある。輪廻によっては救われえない、というのが親鸞へ釈迦が言うべき事だ。
見方によっては、釈迦の考えは狂気を孕んだ異端な倫理学説で、本当に彼の教えを実行していけば、人類は確実に全数絶滅する。自殺は否定していたとしても集団絶滅を目的とした人民寺院の原型ともいえるその教義は、人類全般の愚かさへの絶望を起因としており、一種の脱世間の極論だったといえるだろう。
卑しい人々との絶縁論
また、悪徳をもつ人に進んで馴染んでいる者は、単に道徳性の薄い者であり、説教しても意味はない。寧ろ、その種の下種は善人に濡れ衣を着せ恥じない。
世知論
この点で仏教や儒教以外の世界宗教、具体的にはキリスト教やイスラム教などは偽善を語っており、現実には悪男悪女らは救われえないのだ。
私は数多の人々を観察した。又一定のやりとりで世人の行状を調べた。全体に共通していたのは、上智とは下愚とは移らず、と孔子がいう通りの有様だった。釈迦も同じく、愚か者は千句をきいても一句も理解しない、という。彼らは世間の現実を知っており、悪男悪女とは即縁切りしかないと考えていたのだ。
私は諸宗教の教義を実践で確かめていった。イエスの理論は明らかに間違っていた。悪人に加害行為をされ黙っていても更に被害に遭い続けるだけで何もよくならない。なすべき事は強制力で悪人を退治する事だ。この点ではムハンムドの方が遥かに正しい。ゲーム理論上もしっぺ返しが無限防御より優れている。
同じく、悪男悪女へも博愛を唱えた宗教は全て誤りである。その種の人々はいわば世界に害や禍をなす為に産まれてきたのであり、どこまでも反面教師でしかない。行状が改善しうるのは、孔子がいった通り中人以上で、それ未満のよさしか持たない人々は、根本的に悪をなす存在でしかなく、助けられもしない。
私は悪女の救済というものを願っていた。それは共感力や道徳心の高さから、彼女らの産まれもっての愚かさに、深く同情していたからだ。だが接近すると私自身が彼女らに禍をなされるだけで絶対救いえない事が分かった。これが不動の現実で、元々、悪女というものは自ら地獄に進んで行くしかない者なのだ。
悪女に同情してはいけない。悪男についても同じだ。彼らは地獄に堕ちる目的で産まれてきている。救済方法はない。慈悲は慰めに過ぎず、抑悪人はそういった精神性を少なからず理解できない。つまりアガペーは、それを持つ側にとっての慰めに過ぎず、必ずしも救いに直結しない救世主願望の恩着せである。
芥川龍之介は寓話『蜘蛛の糸』で、ある種の真理を語った。その中で釈迦は悪人が自ら破滅していくのを救いえない。哲学者ベーコンが「慈悲に過剰はない」といったのは、いわば理想的な偽善を語っただけである。本当は、どれほど施しをした所で、人類の半分以下の人々は悪質で、どうしようもないのである。
裏を返せば、この世には相対的に優れて善美の人々がいて、そういった人々の間でしか高徳な人々は幸せでありえない。又この種の良さは飽くまで比較なので、現実に達成できる。
結局、賢明な人は人づきあいに極めて注意深くなり、万事劣った人物との交際を避け、相対的に優れた集団にいるしかないのだ。
驕れる天敵
その後の天使
こんな辛い病気があるなんて知らなかった。はやくこの人が安楽死できるよう日本でも法整備を急いでほしいものです。この天使と称する悪魔は地上に現れた最悪人格の第一人者だと、我々アメーバ・ピグのイベントや広場界隈に詳しいプロ・プレイヤーらは多少あれ知っていた筈だ。私も直接何度も名誉毀損罪されたが、他の人々はくり返し現実の殺害予告や名誉毀損罪をされてきている。今度は植松聖的障害者虐殺の誘導だ。
――天使
成田悠輔も同様の犯罪を大仰にしているが、天使と称する悪魔も入獄で厳罰し、SNS上では障害者人権侵害の点でBANせよ。彼らがサイコパスなのは無論だが、差別意識悪用による大量虐殺誘導面で悪質性が極高い。放置すると愚民を扇動し大量虐殺を実行していき、実際に全国民が彼らネオナチに殺されるだろう。
第一哲学あるいは倫理学優先論
聖人陥れと悪魔崇め
他方、悪魔崇拝は最低の悪徳を世に推し広めてしまうので、集団の風紀を大幅に悪化させる。
真に恥ずべき者
誰かに心から恋していたが故に罠にかけられ貶められたとすれば、それは一種の生命力の強さの証と考えるべきだろう。
本当に恥ずべきなのは、人の純真な恋愛感情を悪意で辱める側こそである。
国事差
悪く、愚かで、鈍感な人を高い地位に就けている衆愚は、悪政で自他とも比較的不幸せになる。
善く、賢く、敏感な人を高い地位に就けている賢衆は、善政で自他とも比較的しあわせになる。
国々の暮らしはこのため大きく違う。
一般民衆の暮らしの落差は、国事がその集団の美徳平均による証である。
可及的速やかな早期皇室廃止論
元々ヒミコや別の古墳豪族ら、一般先住人、渡来人らが別にいた様に天皇と称する一族は飛鳥時代に奈良地方で名乗りを始めた偽皇帝にすぎないし、渡来人だと自称してきた様に単なる侵略犯で先住権は無論、日本のどんな統治正統性も持っていない。彼らの権威も権力もただの暴力による結果でしかない。
つまり日本国は怪しい関西の邪教祖とその手先に軍事的に乗っ取られた状態で、信教自由権や政教分離の観点からも、神道の教祖一族は完全に全政府から排除しなければならない。
2024年3月27日
非実在青少年のAIやCG、演技物の罰則つき閲覧年齢制限義務下での性表現自由権と、実在未成年の猥褻物販売・性接待業違法化論
以上から、人口知能(AI)や3次元コンピューター画像(3DCG)等を使った非実在青少年の性を描いた作品は、閲覧年齢制限の義務下で合法化されるべきだ。
これらの作品は、青少年又は未成年の性を何らかの仮想条件下で扱い、人々に何が子供の性の扱いに於いて正しいか考察させる、被害者のいない実験の様なものと捉える事ができ、その種の仮想表現がない社会に比べ、子供の性の取り扱いが結果として、より道徳化される事が期待できる。
同様に、成人が未成年の振りをする演技的な性表現の場合も似た効果があり得るので、実在する成人の性表現や接待術についても、それが本意のものであれば合法であるべきである。
違法であるべきなのは、精神的未熟さで一身の判断をできないか責任能力のない、実在未成年の猥褻物販売や性接待業である。
非実在青少年の猥褻物は、単なる被害者のいない作り事ゆえ、その単純所持が違法なのは内心自由権の侵害にすぎない。実際その種の仮想実験がなければ人類は普遍的に未成年の性の取り扱いを闇の奥へ押し込めてしまい、正しい取り扱いを見定めえず迷い道に入り込んでしまう。真に文明的なのは虚構の許可だ。
なお成人が未成年の振りをする演技的な性表現や接待業については責任能力の充分ない未成年者が被害者たりうるので、閲覧年齢制限の義務があるべきで、同様に、接待術の享受側、いわゆる本意の買春をする側にも義務的年齢制限があるべきだ。未成年の無責任な行動は、一般に、保護者や大人の責任だからだ。
京都市では未成年への性・人身売買罪が行政ぐるみで常習化している為(元舞妓桐貴清羽氏証言による)、伝統芸能の名目で一切許可せず、中央政府の調査・指導監督下で全関与者を悉く厳罰する必要がある。同様に、性表現の未成年閲覧や本意買春の年齢制限義務違反には、事業者側へ法的罰則を設けるべきだ。
アジアスーパーグリッドへの依存度低減策と脱原発並びに法規制下メガソーラー含む再生可能エネルギー推進の人道及び産業技術的必然性
メガソーラー反対は設置規制法や条例の問題に過ぎないので技術あるいは自然保護面で全く意味をなしていないし、再生可能エネルギーは新産業でもあれば抑他のエネルギーが持続不可なので漸次おきかわる本来当然の電力源にすぎない。つまり、再エネ反対は技術革新に着いてこれない唯の時代遅れさである。
憲法裁判所設置論
通信傍受法廃止論と米軍基地捜査論
日本国憲法この法は被疑者の人権を現に侵害している。よってこの法による通信記録を証拠にした裁判は全て違憲で、無効にならなければならない。
21条
2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
この悪法は廃止し、捜査の際に国民生活の平穏をおびやかす私権侵害の権利を、その目的に関わらず部分的にでも、警察や検察、裁判所あるいは内調に与えてはならない。
同じく政府は米軍基地での日本国民への諜報も私権侵害とし、厳格に捜査し取り締まる必要がある。
『荒野行動』の文化交流的意義
ところが、新潟のバカひよぽんとかいうやつが、オンラインゲーム文化は軟派目的の流行物だと勘違いしていたみたいで、ゆえ確実な馬鹿と言って差し支えないのだが、なぜか年齢差別で中傷してきた事があった。そいつは遊戯芸術の計画考察ができないほど知能が低い人で、動物じみた人格だったのだろう。
サバイバルゲームのオンライン化は『PUBG』以後にはやりだしたので、色々でてきた。『フォートナイト』や『スプラトゥーン』、『エーペックス・レジェンズ』とか。しかし自分がやった範囲でベストは『荒野行動』だった。ユーモアや中国趣味、シビアな設定、工夫ある演出など本格的なゲーム性が大きい。
あの2番目にでてきたマップの記憶は隅々まで今もあるほど、とても良くできていた。その中で無数の人々が年齢問わず、文字通り荒野行動していて、手に汗握る熱戦といえるものを毎日していた。自分はピグ民の長野の酒呑みマッドに粘着コメントされたので消してしまったが行動記録あれば興味深かったろう。
『荒野行動』が優れていたのは、自由度が高いので遊び手の生き方や個性が如実に現れていた事だ。またルールは一定で、課金勢が過度に有利にならない調整だったので、比較的公平だった。成功の定義も特にない様子で、1位狙いの自分とは違うキルゲーム視してる人らが過半だった。要は人間性研究に使えた。
『荒野行動』で最も面白かったのは機動作戦だった。多数の知らない人らと急場で協力が必要な上、瞬発的判断や総合戦略など頭と心を使う複雑な戦闘だからだが、人間ドラマと言えるものを沢山みれた。途中でそのモード消えてしまって残念だったが。要望入れても復活しなかった。一番よくできていたのに。
自分の中国への好印象は漢詩や哲学、或いは路遙の小説といった文化からきているが、中でも『荒野行動』の貢献度はとても大きい。月餅やあのヤオタイのバンなど現地特有ミームを作中に入れるのは優れた試みだ。知らずしらず中国の暮らしに親しみを感じる事になる。文化交流は最善の外交策という事だろう。
歴史歪曲主義者による表現弾圧事件
また彼らは「大吉原展」の中止をあおった弾圧や中身書き換えの集団暴虐の為、明らかに日本国憲法21条に定める表現自由権の侵害者である。かつ、彼らは自らの考えと違うからといって多様な意見らを全て弾圧し、口汚く罵って回ってきている為、同憲法19条に定める思想・良心の自由権を侵害している。
日本国憲法
21条
1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
偽皇帝である天皇支配やそのもとにはびこる成田ナチ鬼女らによる悪魔崇拝への非難
初めに抵抗する方が易しい
成田悠輔がザ・老害の二階元幹事長に「自決せよ」って言ったら見直すよ。
――田中龍作
成田を見直す=自決を認めるという事ですか? 相手が誰であろうと言ってはいけないと思います
――よしお。
例えばヒトラー初登場時にもしドイツ国民に良心があって全力で人種差別主義を非難していたら、のちの大量虐殺は起きなかったかもしれません。宋襄の仁で偽善の温情を示してしまった結果、成田悠輔ナチズムが復権しかねない状況がある限り、大本の危険を完全除去する方が人道面で確実に安全だと思います。あなたは成田悠輔やヒトラーへも人権があるので命を助けろと言います。だが過去の例では結局、ホロコーストこと数万か所の強制収容所群での約600万人の罪なき人々への人種差別による大量虐殺を招いてしまい、なおかつヒトラーに自殺させるまで戦い続けるしかなくなりました。初めに抵抗する方が易しい。
客観的観察や著書含む発信の一般輪郭化では、成田氏は強度の精神病質者で、大量虐殺決行に脳が痛痒を感じません。ヒトラーと同類です。しかも権勢欲が激しい事が著書などで全体主義AI専制を主張する独裁政治目的の発言から明らかです。嘘やごまかしは真の目的をぼかすサイコパス特有の詐術にすぎません
成田氏は一種の大衆扇動術を使い、日本人総虐殺の前段階を踏んでおり、その言い訳になっているのが歳主義による差別です。世代間格差や少子高齢化は彼にとっては好都合な前提で、現実に行うつもりなのは母子を捨てて逃げた父への復讐です。エディプスコンプレックスが彼を大量虐殺へ動かす真の動機です。
参議員・古川俊治氏は命の選別で延命治療をやめさせたい闇医者で、成田氏と類似の考えを持つため成田初登場時にG1で共演していました。新自由主義の延長で、社会保障削減の名目をとる彼らが現実に共謀しているのは、倫理崩壊政府の手による全国民順次抹殺に他なりません。根幹にあるのは年齢差別です。
『源氏物語』や舞妓・皇室制度、神道などでの性加害・性被害や子供人身売買罪と不本意性売買罪を予てから賛美・美化し続けてきている関西地方の人々や天皇一味の文化人類学的分析
偽皇帝が東京に出てきても種族主義邪教祖を兼ねるあしき本性は同じままで、特権乱用で国民の私権を侵害しようとした。それが秋篠宮眞子氏の差金での借金踏み倒し画策だったのだ。決して偶然ではない。
舞妓制度は単なる組織的人身売買と不本意性売買罪の行政ぐるみでの隠蔽にすぎない面がある。京都では女や子供の人権は端から守られていない。制度内の出来事は暗箱化され、一般法治が及ばず無法地帯となっており、特定通客と女衒側が共犯し子供含む性奴隷の人身売買と不本意性売買仲介を常習化している。
『源氏物語』が姦淫罪だらけなのは、関西地方への渡来人であった天皇家周囲の人々の実態を現実主義で描写した物と解釈できた時、そこに性道徳が全くなかった証拠である。それはヤマト王権が無法者一味のヤクザの親玉的絶対権力にすぎなかった事、また関西地方の予てからの性風紀の悪さをも自己証明する。
2024年3月26日
同類の単位
ネオナチ成田悠輔ファンの鬼女らをブロックしたら少し気持ちが楽になった。この世には、絶対に共存できない天敵というものがいる。親殺しに発情する人でなしたちと共存は絶対できない。奴らは世界に現れた正真正銘の悪鬼であり、不倶戴天の天敵であるから、『鬼滅の刃』の様に、確実に処分するしかない。思うにナチスを支持していた極悪人達と成田悠輔ファンには本質で何一つ違いはなく、全く同一の種類だと言える。奴らの共通点は脳の中の倫理的性能が欠如し、情動に異常があるだけでなく、罪なき人々を大量虐殺する事に何の痛痒も感じないほどその脳障害が深刻だという事だ。要はサイコパス仲間なのだ。連合国の兵士はナチスがひた隠しにして証拠隠滅を図っていた強制収容所を遂に見つけると、余りの非人道ぶりに我慢ならず、その場で一部ドイツ兵を処分した。彼ら連合国軍の心情は重々理解できる。現場でドイツ兵のやっていた事は確かに人類史上最悪なので、決して許し得ない。だが、成田ファンも同じだ。
偶々日本が戦時中でない事と言論自由が残っていた為に我々哲学者は成田悠輔批判を先駆けた。
例:ラジオ講義『成田悠輔初動征伐論』2022年8月20日、『無意識資料民主主義の企てにある資料科学主義の批判――道徳不可知論者の掘る無責任衆愚政治の墓穴』2023年1月とそのまとめブログ記事『なぜ成田悠輔氏の無意識資料民主主義は無責任衆愚政治を伴う致命的誤りにすぎないか?』2023年2月20日。
だが一歩遅れていたら、鬼女らが発情目的に彼を権力の座に就けていたろう。そのとき本当にホロコースト級の大量虐殺が発生していた。みるがいい。こと日本女には完全に倫理のない人でなしが大量に溢れており、完全な蛮族で人権を持たない事が明らかだ。だからこそ成田の様な悪魔が繁殖してしまったのだ。米英仏ら連合国と日独伊ら枢軸国の民度の差は一歩に見えるが、大幅な差もある。その証明が成田ナチスの存在だ。決して米英仏で、単なる愚劣なネオナチにそれほど無批判に追従する鬼女が発情しまくるといった、完全に蛮族でしかない醜悪な光景が発生する事はないだろうと思える。恐らく脳の遺伝子が違う。日本はドイツと同盟を組んだ。ナチスと組んだ事に反省の色がある様には見えない。それどころか原爆を責めはしても、天皇専制や南京事件に開き直りすらしている。極悪人達はまだ国内で大量繁殖しているし、何も悪は変わっていない。成田ナチスは、日本の人権なさの動かぬ証だ。国内に人類の天敵がいる。
NYTはマスクには攻撃されているが、それは彼がネット右翼に過ぎないせいだ。成田ナチスへ国際包囲網を敷いてくれたのは紛れなくNYTの功績で、全地球の良識を代理する媒体と言える面が確実にある。それ以前我々哲学者の内でも私しか、明白かつ緻密に成田ナチズム批判を行う勇気や威儀ある者はいなかった。ただ一人でも抵抗すべきだと私は孟子を引きながら言った。千万人と雖も吾往かん。事実、私が事前に成田ナチスの謀略の諜報と分析を終え理論的基礎を完全に論破し崩しきっていたので、NYTによる炎上時に味方を一気にふやせ手際よく攻略できた。妥協抜きに成田初動で全力で潰すという戦略も正しかった。
全成田論文も著書も全動画も全発信も見てそのAI専制を衒う単なる新型ナチズムを批判的かつ徹底して分析したのは全世界でいまだに私くらいかもしれない。だが、諜略はその様に行うべきもので、現に、今更鬼女らがどれほど発情しても既に首相の言質すら取れたのだから、鬼の交尾陰謀は手遅れというべきだ。
国内成田ナチストは唯の歳主義蛮族で、大量虐殺犯を気取る人間の屑の中の屑に交尾や発情淫行をしかけたいだけの人でなしの鬼共に他ならない。人権なき蛮族と共存すべきでない以上、彼女らが次の攻略対象だ。池戸万作大将軍や米山隆一聖騎士団の室井佑月派との戦いは熾烈を極めるが絶対やりぬくしかない。
成田ナチストの目的は性行為やその擬きにすぎず、実態は脳に倫理機能が不全なチンパンジーからさほど変わらない野卑さというにすぎない。それならば、鬼女共の性欲の根源を断つべく、彼女らの性行動に先回りし、致死的な罠を普くかけるべきだ。良識派があの躍り出たイイダ・ナオコを軽蔑討伐した時の様に。
成田ナチスに発情する事は、まともな女社会から完全かつ不可避かつ永久に排除される事を絶対意味すると普く全世界へ周知せよ。全力で全方位的に軽蔑し、全場面で大罵倒を加え、人権や人道の観点から徹底批判して成田ナチストの鬼女ファンダムの空気を常々最悪にし、内部からも外部からも解体し続けよ。
もし鬼女ファンダムが拡大すれば全日本人はその狂ったサイコパス集団から、成田ナチズムの為に漸次、大量虐殺される。したがってサイコパス集団へ妥協は抜きだ。彼女らへ倫理観など何も期待するな。できるのは徹底した解体プログラムと社会的排除による、強制的非難や起訴と刑罰だけで、許す道理はない。
大吉原展を巡って報道陣に配られた田中優子氏による『「大吉原展」開催にあたって:吉原と女性の人権』を読んで、本意性売買合法化と不本意性売買違法化の区別とその性道徳上の根拠を論じる
性売買は本意のものと不本意のものがあり、本意のものについては性別に限らず、一種の相互承認下の接待術の短期取引契約だと見なせると思います。その取引契約を離婚成立まで長期化したものが結婚制度です。
田中優子氏が性売買を双方違法化すべきという時、不本意のものと区別がついていません。
恋愛理想論(ロマンチックラブ・イデオロギー)は、相互承認に性関係が介在する時も、打算的取引の要素を主観的には多少あれ排除しようとします。しかしこれは現実的に見た相互取引関係の要素全てを排除できないので、現代の欧米を主としたキリスト教圏の自文化中心主義にくみこまれた偏見といえます。
例えばAV女優さくらまな氏はAbemaTVに出演時、彼女自身の自由意思で本意の売春をしていると主張し、その職業を愛しており、心から自己実現できていると語りました。田中氏の本意の性売買違法化言説は女性が本意で売春する事はないか、性売買自体が罪というキリスト教信仰に寄託したものにすぎません。
田中氏が例に出している北欧やフランスは、恋愛理想論やキリスト教信仰的価値観の下で本意の性売買違法化を図りましたが、寧ろ女性を主とした性労働者側が本意の売春の合法化を求めて反対デモをした事もありました。
江戸・明治期の美術展を田中氏個人の政正の主張に利用するのは不適切だと思います。
私は最も寛容な考えとしては、本意性売買の自由権や職業選択権も、責任能力ある成人に限っては認めるべきだと考えます。寧ろ同じ西洋でもオランダやドイツのよう合法化する事で地下に潜って闇市化する事を防ぎ、労働条件を改善できます。その方が性病や反社会勢力との絶縁もたやすく、女性も自由です。
吉原遊郭単体に論を絞れば、当時は合法かつ人身売買面が存在した事は事実で、全国各地で間引きが広く行われていた事や私娼禁止を考慮しても、年季奉公の形で一種の公的職業や刑期に近かったと思われます。しかし、現代と性観念も人権背景も違うので田中氏が現代倫理の援用で同列に論じるのは不適切です。現に北欧やフランスの場合、日本と大幅に恋愛観や性観念が違います。北欧は自由な性が教育的常識で性交に端ないといった抑圧が余りありませんし、フランスは複数愛や未婚伴侶など自由恋愛の許容範囲が日本の常識より遥か大きい。つまり吉原遊郭の接待術と、両国の性を同列に並べられないのは無論です。
又、吉原遊郭や遊女らを描いた絵画群は、飽くまでメタ認知による特定画家の思想を表した表現作品で、そこに描かれた内容が直接、現実を示しているとは限りません。作り事にすぎない絵の虚構を、現実の吉原遊郭での性や接待術の歴史と同一視するのは誤りです。
即ち田中氏は政正確保の盾にすぎない。
わが国には表現自由権が憲法に認められているので、浮世絵や油画を集めた展覧会を開く自由は確実に守られるべきですが、政正の観点のみから展覧会の内容を改変させたり、中止させようと図った人々側には違法性や不正があります。絵を現実と同一視する稚拙さに基づいて、歴史の理解を妨げるのは公害です。
なお、不本意売春は今まで通り違法化を続け、寧ろ今までの警察がグレーゾーンで泳がせる状態より強い厳罰に処する事が、人身売買を防ぐ手段になると考えます。その為の法改正にも取締り実行にも私は賛成です。特に桐貴清羽氏が公益通報した、京都での未成年人身売買罪の実態は深刻で国政介入が必須です。
れいわ新選組の山本迎合政治批判
迎合政治は落合陽一や成田悠輔らのAI専制論と同じく、必ずしも道徳的根拠はない事に注意せよ。
成田悠輔被疑者とそのファンによる集団自殺教唆罪未遂厳罰論
鬼が島での戦い
日本は鬼が島だ
みよ成田悠輔ファンの鬼女どもを
全員が親不孝 親殺しの人でなし
妥協も油断も手抜きもせず
鬼どもを抜かりなく厳罰し
人道犯罪者どもを地上から永久に亡ぼし去れ
Xに溢れている人でなし
生まれてくるべきではなかった匿名悪魔ども
日々進んで重大人道犯罪を繰り返す
親殺しの悪魔成田悠輔に発情する鬼女ども
一体この列島のどこに隠れていたのだ
全員探し当てて監獄に容れ厳罰し
大量虐殺未遂罪を必ず裁け
親殺しを決して許すな 言い訳も許すな
鬼に繁殖させるな
卒業生のまことに酷い悪質さにみる東大の大幅格下げ
卒業生の無能や悪質ぶりは学校の格を下げる。
冤罪加害者の頭
なぜ日本国事は続く不祥事や悪政だらけなのか
皇室廃止後の国民国家創業論
日本国とは邪教神道に乗っ取られた状態にあり、抜本的に基礎の初めから創業し直す必要がある。天皇一族や神道の残りかすを全て一掃し、日本国民自身が統治できる真の国民国家を作るべきだ。形式的に象徴との名義で無法者の天皇一族が国事にとりついた現状は、財布の穴に鼠が住み着いている様なものだ。
2024年3月25日
人為の業の点数式
彼に限らず、ああいう感じでXで絡んでくる人というのは、殆どが国語力が激烈になくて、そもそも文が読めないという事がよくある。自分はこの事にほとほと困り果ててきていたがまた一つその憂いがふえた結果になった。色々説教してみたんだけど彼はいきり立つ様な感じで逆に僕を中傷しだした。要するに自分は得失効果(ゲイン・ロス効果、gain-loss effects)の心理詐術に騙されない様に、普段から善行を心がける様に言っていただけだったが、彼は悪人正機説にこだわって、一種の大逆転的なものを庇うつもりでいたわけだ。
アロンソンAronson E.とリンダーLinder D.は、ゲインロス効果gain-loss effectsとよばれる現象を報告している。これは、一貫して好意的評価を受けるよりも否定的評価から好意的評価に変化した方が魅力を感じ、否定的評価を受けつづけるよりも肯定的評価から否定的評価に変化した方が魅力を感じにくいという現象である。思うに、たしかに親鸞はその種の大逆転がありうる、という観点も持っていたのかもしれない。しかし唯円らがのち語った様に、その種の思想は誤解を大いに招いた。だからこそ『歎異抄』という、親鸞思想の一般解説書を書かざるを得なかったわけだ。この点について、自分はその投稿で一言だけ触れていたわけだ。しかしオヨという人はその部分を読み取る為の国語力と基礎学力が欠けていて、一種の誤読に或る種の悪意を上書きしていた。正に彼の様な人が出てきたから唯円ら弟子が困ってしまっていたわけだ。そして親鸞自身も、後でカバーすれば普段から悪行していいみたいな意味では、悪人正機を語っていなかったと思う。反省する度合いが深いほど凡夫たる自覚が深まり、知的謙虚さに近づくのだ、という一種の修辞術を使っていた箇所だけにこだわると、そもそも親鸞が何を言いたかったのかわからないという事になりかねない。そのなりかねないどころか実際にわかっていなかったのが、オヨさんだったわけです。
――対人魅力(読み)たいじんみりょく(英語表記)interpersonal attraction
最新 心理学事典 「対人魅力」、コトバンク
僕はとても疲れてしまった。
彼を説得しようとしたわけだが、どうも無駄そうだった。こういうことはいつも起きる。ネット上だとよく絡まれるわけだが前からそういうのが面倒だから、極力接触を避けてきているわけだ。構っている時間がない。
そのとき自分は一つ工夫をした。これは後世にとって確実に意味がある言説なので、ここにも書き残す。それは道徳の業、あるいは自然の業と分けて、「人為の業の点数式」を使った事だ。
普段から善行をしていたら点数がふえて、悪行をしていたら点数がへる様なメーターがあるとする。それをとにかく増し続ける事が、いわば善業なわけだ。普段から善徳の人物は、日々善業を積むので、たとえば100点をこえていたとする。それで偶に、間違って軽い失敗をしてしまい、減点になっても、癖が善いので、そこまで悪い事をしなかったから、またすぐ自分に反省しておこないを直したから、総合でその時点までで95点だったとする。
他方で、或る悪徳の人は普段から行いが悪いので-150点になっていたとする。所が遂に反省して少しは善い事をしようとしたが、癖が悪いから、なんとか頑張っても-95点にしかいけなかったとする。
この2者を見比べると得失効果では、悪人正機説のバフもあって、後者の不良の方が、前者の聖人より偉い、みたいに見られがちなわけだ。しかし、世の中に与えた影響からいうと不良は点数式なら大幅にマイナス、聖人は大幅にプラスなわけだから、総合点だと聖人の方が善い事になる。
この事を自分は140文字以内に凝縮して書いておいたわけ。
不良が改心すると得失効果で過度に褒めちぎる人々は心理に欺かれており、総じて善良な振舞いをしてきた優等生といえる人々がなした社会貢献に対し、相対的に余りに不当な扱いをしている事に気づかない。悪人正機説の乱用も同じ事を示し、本来、不良の普段の行いが悪い事自体が最も悪いのである。ここでいう「悪人正機説の乱用」ってのが、要するに業の総合点で-95点の不良の方を高く見積もりがちな、偏見を指す。だからね、或る意味では唯円の手になるのかもしれないのだろう親鸞思想の解説と同じ事を僕は、別の最近の心理学の効果と照らし合わせ、再定義しているともいえると思う。客観的には95点の方が明らかに良いわけだ。しかも、聖人は最初からおおかれすくなかれ苦労して善行を極めようとしていた筈だ。善行ってやってみたらわかるが大変なものである。自己犠牲なんだから基本が。善行すればするほど虐げられるという事が当然起きる。凡愚をかいくぐって、或る意味では妨害を打ち払ってまで善行し続けないと――まぁ中庸が最善の事があるとはいえ、基本的には聖徳以上をもっているひとならわかってくれるとおもいますが――無理だ。それは大変な登山みたいなものなので、並大抵のことではない。善業の点数に限界がないとすれば1億点とかあるとしても。普通の人が0点前後をうろちょろして一生おわるみたいな前提の話ね。
――私
2024年3月15日『得失効果の欺き』
この点数式の業の判定は、倫理学的に新しい議論なのできっと後世に残るし、役にも立つとみる。
ちなみにその議論の時、ほかにも絶対的な善行としてカントの定言命法とか、動機説と結果説の違いとかも引いたけどね。質的な判定をするときは、その種の定量判断ができないかもしれない。
一ついえるのは、なぜ得失効果の偏見があるかという事だ? これはエリオット・アロンソンとダーウィン・リンダーが1965年『対人的魅力の決定要因としての尊敬の獲得と喪失』で定義したこの心理効果とやらの原因自体の議論であり、まだ自分はその種の原因論を読んだ事がないからここで書いてみよう。仮説を。
思うに不良がちょっとでもよいことやると途端にほめるみたいな現象はたしかに、子供のころから多少あれ観察された。特に、その種の不良階層同士は、それを種に発情して繁殖してる様子があった。だからなにか本能次元にくみこまれている可能性を感じる。悪人の中に僅かな善い要素をみいだすという事は、実は御都合主義の偏見なのだろうが、その結果、一般に、悪男悪女が繁殖するという結果に至るのは、社会的な負の影響が大きいと感じられる。たとえば重大犯罪者同士だってその種のつきあいで繁殖しかねないのだから、普段から善人側はその種の人々への社会保障費で、被害を受け続けるといった現象に至るかもしれないし現にそうなってる気もする。特にこの種の抜け道を狡猾につかって繁殖してるのが、いわゆるサイコパスの人々である様におもわれる。彼らは総合点だと-450点とか行ってるかもしれないが、その様に見えない様に偽装して、まるで-20点くらいのちょいワルに見える様にしてたりする。だれのこととはいわないまでも大勢実例はみつかるのではないだろうか。具体的にあえていうか。天皇一派が代表例ではなかろうか? はっきりいって昭和天皇は大量虐殺含む植民地の縄張り侵略戦争中-5京点とか行ってしまったので誰の目にも大失敗が明らかだったものの、強度のサイコパシーを感じる狂った演技で言い逃れて、終生、内国的にはアラヒトガミづらもしくは人間宣言後はそれなりの善人づらしていた。こういうサイコパス影響者は今では無数に増殖して炎上商法ばっかりしているわけです。特に東京圏に多いわな。東大卒が多い。
肩書きゲームはサイコの不良ぶりを隠すのに好都合なんだろう。符号理論信者と学歴劣等感の人らが明らかにだまされている。だから彼らとくれば立派な肩書きをとるための努力はそれなりにやるのだが、言動は明らかに自己利益を第一に他人を利用し、裏切り、操るといった根源的邪悪さを示しているので、見る目があれば一定時間の継続観察でわかる。そういう人だと分かったら自分は一定距離から近づかない様にしている。茂木健一郎氏に一定距離から近づかなかったのも、本能的に危険を察知したからだとおもうのである。彼は彼なりの親切心で僕を小林秀雄の鎌倉の実家? でやってた勉強会に呼んでくれたことがあったんだけども僕は直感的に行かない選択をした。何か危ない、こわい、行かない方がいいという感じがしたのであるが、無意識からくる深い心理なので説明するのが難しい。
実際その後の彼はコロナ禍賄賂五輪強行とか危なっかしい事ばっかりやっていたので、もし僕が彼の勉強会に参加していたら、繋がりがあったんだぁみたいな感じでこっちも疑われたかもしれぬ。君子危うきに近寄らずという。危ないと感じたら近づかなきゃいいとおもう。そもそも、僕は割とその点で敏感な方というかとても敏感な方だった。学校とかでも嫌な奴だと思ったら全然近づいてなかったと思う。オヨはその種の人かは分からぬが、はっきりいって、ゆたぼんを庇うつもりの文脈でおどりでてきたみたいな感じだったのだけども突っ込んでくるところがおかしいので、学力も低そうな感じがしたし、元不良なのではなかったか? 不良以外の人が不良をそんなに庇うだろうか? 不良に遺伝的由来があるとすれば、ある意味で同種の遺伝を庇って、遺伝子競走でそちらを有利に持っていこうとして喧嘩売ってきた様に見えた。僕はどっちかといえばゆたぼんを応援していたどころか、「自殺するなら学校いくな」発言の真理ひとつで聖人扱いしてきていたが(もしかしたらもとは彼の父のせりふだったのかも)、高校おちたらしく、ろこからの伝言という人がずっとゆたぼん親子たたきみたいなのをモギケンの返信欄でしているのだけど、ざまぁ的な、痛快的な言動をしていた。当人のXプロフィールによれば東京の文京区あたりの人らしい。このひともこのひとで、色々分かってない気がするので、僕としてはなんか説教できるかすべきか色々逡巡してたのだが、まぁ物凄く無理そうだった。
要するに勉強が余りできない人には凄くできる人や殆どできない人の気持ちがわからないのだろう。僕やモギケンは、できる側に属する。そうすると標準偏差の中位、具体的にはIQ100前後の人々がなんでそんなに集団教育にこだわるのか、あまり共感できないという事になる。つまり浮きこぼれ側からすると、集団教育は遅いから独学した方が速い、正確にはそちらが本番という事もある。研究者としてはどうせ自分で勉強しつづけるしかないから学校教育なんて、その基礎段階にすぎないし、自分で基礎的訓練を積むこともできれば、家庭教師、家庭学習や塾、オンライン教育、図書館がよいその他で身に着ける事もできる。しかしIQ100前後の人々は一般に数が群れ的に多いので、似た様に中途半端にできが中位な人々同士で、当人なりに頑張ってはいるんだろうけどそれより遥かにのろのろ学習して、大した成果をあげられず、そういう凡人さを自己正当化して一生おわることがおおいわけです。勿論IQが高かろうと低かろうと学習を継続していけばかなりのところまでいけるわけだが、最低でも、途中の学習の滑らかさでは一定の意味はもしかしたらあるのかもしれない。たとえば適切な例えかは不明だけど身長が200cmの人が150cmの人と全く同じバスケットボールの戦い方とは限らない様に、IQ200の人がIQ150の人と同じ哲学の仕方になるとは限らないのかもしれない。まぁ特定知能がその作業へ特に向いてなければ、特定の学習にあたって万事ゆっくりやるしかない傾向がある、といったことに過ぎない気もするけど。非常に高いIQの人が必ずしも最高の成績をあげない、という事象もあるからだ。
だからして、不良擁護派というのは、おちこぼれ側の弁護人を買って出ているか当人がそっち側という場合が多そうだが、少なくとも、優等生側の方が普通程度側より実は劣等生側に寛大という事にもよくなりがちなわけです。理由は主に2つある。1つは、異なる立場への理解力がありがち。もう1つは、成績中央値からのずれがあるという点では優等生と劣等生は似ていて、ともに少数派として共感をもてる。でも、本質的には違う生物の様に分かれていたりもするから、まったくおなじところに落ち着くわけでもないだろう。僕はゆたぼんが聖人だという風におもっていたけども、それは自分も学校は地獄だとおもっているからだ。それは学校にいた自称普通みたいなひとびとが僕の目には全員おおかれすくなかれ悪人か愚者か、いづれかみたいな事例が実に多かったからだ。というかほぼそうだった。僕がリアルでろこからの伝言という人を学校でみたら、何で生きてるんだろう、この人、みたく感じた様に思う(恐ろしい事なのだがそういう人に自分は同情心と混同した恋愛感情を感じやすいのだけどもね)。それは彼女が普段から意味不明な言動をしていて、ゆたぼんという明らかに異なる発達条件(いわゆる今の定義で発達障害)の児童とその親を中傷している様にみえるからだ。この点では、問題が色々あるモギケンの言動にも一理があるとおもうわけだ。一般にいうところの発達障害というのは、平凡な変異からずれた人々が、集団教育に必ずしも合わない事があるわけで、ゆたぼんなんて誰が見てもそうだろうとおもう。先生が殴ったのに殴ってないと嘘ついたという言い分も現実にあったとしたら体罰の名目を借りた児童虐待にすぎないだろうし、エジソンみたいな例もあるわけだから、家庭学習か校外学習か、その他の方途で当人なりに個人の才能や常識の発達支援を親や教師とともにやっていく、というのが、文科省の方針でもあれば、家庭と教員と政府で合意済みの事案だったはず。それを理解できないろこからの伝言という人がおかしいわけだ。でも彼女がその事を理解するのはとても難しいだろう。それ自体が、ある種の「凡庸発達条件(凡庸発達障害)」ともいえよう。でも、その事をあの短い文字列しか使えないXで説明できるとは、自分にはおもえなかった。そうこうするうちにどっか行ってしまったが、まぁ、そのうちモギケンの返信欄でまたわいてくるかもしれないが、あれはあれで、困った人の様におもう。モギケン自体も困った人なのだが。
とにかく、不良擁護派というのは、遺伝的共通性を利用して繁殖したがる、反社会的存在集団の可能性があるとおもう。だからそこにある、本能の暗い指名が得失効果の暗面なのではなかろうか。ダークテトラドの様な凄まじい邪悪な人格というのも、自分はピグで「天使」と称する悪魔という実例をしっているし僕自身も彼女から具体的犯罪被害にあまたあってきたわけだが、なぜか、明らかに社会に害をなしているその様な人物も点数式のごまかしをしながら繁殖して生き残ってしまっている。オヨという人が、親鸞思想の誤解に基づく凡夫だとしても、得失効果が自分自身への詐欺だと気づけないのは深刻だ。彼自身の人生でその誤解に伴う、或いは実名の僕へ色々中傷した悪業の因果は受けると思うが、たとえば、詐欺師とか犯罪グループみたいなのが、一見いい人みたいな顔して近づいてきて、同情を誘う話をした様なときとかに明らかに騙される結果にならないか? 彼の悪人正機説もしくは不良擁護論ではそうなってしまう筈だ。因みに高学歴サイコパス系ってのも大勢いる。そういう人々からも連日おおかれすくなかれ利用されて生きていくというのは、それなりに損害をこうむるとみる。つまり、僕が啓蒙のつもりで書いた事は、いわば点数式の客観的業の発想によって、主観的心理の欺きを退けて、真の善悪を見分けるのに役立つ倫理学的論点だったわけで、オヨがその事を理解できないとすれば、彼は哲学者と名乗るのはおこがましいことになるだろう。そう名乗っていたのだけどね。プロフィールで。将棋やゲームばっかやってんのかもしれない。
まぁもうXブロックしたからいいけど、僕は既に述べた様に、得失効果が詐欺だという事については余り疑えないと思う。聖人に近い優等生側がたまたまミスしてしまった時に、例えば小学校3年の時の角田という教師が、僕が計算式かなんかを黒板に書いた時たまたまなんかちょっとしたところで間違えたとき普段満点とかだから「ゆうすけもおちたな」みたいにみんなに蔑ませる目的でいってきて、言葉にできなかったが、なにいってんだ? 無礼なやつみたいな感触を感じて逆にその教師たるべき人格を軽蔑したわけだけども、それ以来近づかないでいたのだけども、そしたら授業参観のとき母親の脇にいた自分へ母にきこえる様に「いつも避けてるじゃん」とかわざとその角田はいってきたが。機械じゃないんだからケアレスミス的なのって、たびたび弘法も筆の誤りでやるとおもうのだ。本質的な学問上の間違いじゃないんだもの、あれ。そんな単純な人間的ミスの部分のあげ足取りをして、あの角田という新任の茨大の多分教育学部かなんか出たての若い男性教員は、授業時間中も下品なジョークかまして勉強できない人らのウケとっていましたが、その点も僕は軽蔑していた。僕んちはそういう家庭風紀ではない。
まぁ要するに聖人君子側が道徳判断ミスった時にそれを過剰に低評価しがちなのは、偶像崇拝が危険だという経験からきているのではなかろうか。さっきとたまたま同じ例だが皇室が典型例だけどもスキャンダルが殆ど情報統制されてて出ないから、内部暴露があったら大変なことになる。教祖かねてるからね。でも時間の問題の気がする。人間宣言もそうだけど、神では明らかにないのだから。僕としておもうのは、それにもかかわらず善人というのはいる。僕自身も明らかに善人という風におもうけども(悪を避けて善を選ぶことを極限までやる、という習慣を20歳位からずっと続けている)、寧ろ自分の場合はすぐ利他のために自己犠牲してしまいがちという自覚があるので、アリストテレスが多分『ニコマコス倫理学』で言ってた様に、よい事でも過度なら悪くなるばあいの為に中庸を穿つには逆のほうへ引っ張る必要があるが、それは自分のばあいは、他人の為を第一に考えがちなので自分の人生も大切にする、ということであった。そういう性格の人じゃないだろうから、オヨってひとは。ああいうこというので。聖人側の気持ちがわからないんだとおもう。むしろよいことをしすぎるのを気をつけるという状態にあるんだけどね。常に人助けばかりで自分は損してばかり、となるからだ。そうすると他人はよくても自分は客観的には不幸せな状態みたいになってしまう。もし真に、しあわせに値しても。
まぁとにかく聖人は癖からしてよいのだから、悪いことしてもすぐ反省してなおすという習慣がついているはずで、一生の長さでも、そう失敗しないはずだ。特に問題が起きるのは良すぎたばあいだけだ。ソクラテスやイエスがその典型とおもう。余りに善行しすぎたので当時の凡愚からは理解不能で、排除されたわけです。その点は、確かに反面教師とおもう。彼らがもう少し利口なら、もっと啓蒙だの啓発だの宗教革命だのをうまくやれたと思う。動機はよかったわけだから。フランクリンが13徳の最後で、彼らを模範にすべし、といっていたのは、フランクリン自身は利己的な人格だったからだとおもう。
驕れる衆愚の茶番劇
歳主義大量虐殺扇動の亡命ネオナチ追討論
なぜ日本人は匿名で卑怯な振舞いをし、善悪や正邪、真贋などの認知判断を逆に取り違えて驕りたかぶるばかりなのか
X上にいる日本人殆ど全員が匿名なのは、彼らが信じられないほど卑怯で卑劣で卑屈で、魂が汚く、いつでも責任逃れすべくびくびくオドオド周りを恐れ、悪事ばかりするつもりだからだ。
日本人一般は匿名で犯罪ばかりする。また善悪正邪が判断できず、冤罪と悪徳賛美を日常としていて少しも恥じる気配がない。群れて重罪を積み重ねて、社会風紀を自ら日々悪化させている。そういった衆愚といえる行いをしながら、人種差別の邪教祖に世襲僭主政治をされて、小中華思想で驕り高ぶっている。
反省なき最悪国事の最悪の末路
最悪皇室政府と東京勢による自業自得の自滅
なぜ日本の政治は三流なのかの動かぬ証とその亡国と自滅の必然的末路
永田町の金権腐敗の頂点ですからねぇ、小沢一郎は。
――茶請け全くですねぇ。
――文月幾人
政権交代できないのはあなたがたのような冤罪大好きの悪党がいるせいです。日本を腐敗させているのはあなた方の様に心の底が腐っていて、馬を指して鹿と為す人々です。裁判が気に入らないなら自分達で訴えなさい。東京地検と都内マスコミの冤罪事件へ反省がないなら、法治国家日本をいますぐ去りなさい。
立憲民主党の執行部が、裁判で無罪とわかっている小沢一郎氏への冤罪人一、茶請け@ttensan2ndと冤罪人一、文月幾人@ikuto_fumitukiの2名をきちんと名誉毀損罪で訴えられないとすれば、この国には立法権も司法権も機能しない事になる。もし2つの権力機能が働かないなら、日本国は法治国ではない。
日本国の政治が三流なのは、民衆が悪意だからだ。彼らは善を悪といい、悪を善だという。だから違憲立法を連発しながら公務員に不正をさせ独裁権力を欲しいままにしていた安倍晋三の様な大悪党へ最長期政権を与え、代わりに二大政党をめざす先進国水準の良識派・小沢一郎氏へぬれぎぬを着せ恥じないのだ。愚民の上にからき政府あり。悪意の都内マスコミと傲慢なる宮内庁にあおられる冤罪衆愚にして、金権腐敗の不幸極まる自民党悪政あり。被災者をなおざりに豪遊に狂う自民党に間接アシストする真の衆愚は、良識の政治家を陥れ、悪徳政治屋に長期政権を与う。まことに自業自得にして、寸分も同情の余地なし。
寧ろあなた方の様な立法も司法も理解できない無法の極悪人達には、最悪自民寡頭政治がふさわしいのだから、今後も、あなたがた極悪人の自業自得での亡国の為、悪を善と言い繕い、善を悪扱いして政権交代を機能不全にさせていればいい。あなたがた最悪な人間性には永久の先進国脱落と自滅とがふさわしい。
却ってあなたがた善悪を入れ替えたがる悪魔同然の存在が先進国づらしている事が世界史最大の間違いだ。極悪人には亡びて貰わないと全世界が迷惑をこうむる。絶対にあなたがたは愚劣な東京マスコミを疑うな。絶対にあなたがたは小沢一郎氏を信じるな。ひたすら、悪意の皇室や自民党に騙され冤罪していろ。
冤罪をして恥じない人間は道徳がない。韓愈は言った。人間と禽獣の違いは道徳の有無だと。だがあなたがた日本人には道徳というものがないではないか。それは人のありさまではない。
もし韓愈がいう事が真実なら、あなたがたには人権は早すぎたという事だ。なぜならそもそも人たる資格がないからだ。
人でなしに、人として立派な結果がくる筈がない。みよ。平城京は亡びた。平安京は腐敗して見る影もない。それならあなたがた、道徳なきものが天皇と称する無法者と傲慢にも支配している東京も、ただの砂上の楼閣だ。
亡びゆく惨めな悪政の国を作っているのは、道徳も法もない、野蛮な禽獣だったのだ。
あなたがたは裁判官が激怒して東京地検と都内マスコミぐるみで冤罪事件を起こした事を叱りつけたのを知っている筈だ。もし知らなければ、あなたがたは国政を評する資格がない。司法判決をそうと知りながら、あなたがたは100%惨めな悪意のみで、冤罪被害者を重ねて辱めた。
真に極悪人はいるものだ。
世界の国々はみな悪政の元に亡びた。驕れる衆愚政治に救いなどない。あなたがたは自らのみるも無惨な卑しい行いによって、先進国から自分達の国を没落させ、なお悪意のみで善人を辱めている。なんと汚い連中か!
韓愈がこの国を見たら真っ先に去る筈だ。亡びるべくして亡ぶ悪しき禽獣の国は衰える。
日本人どもは、なぜ祖国が落ちぶれたのか愚かさの余り日々ああでもないこうでもないと愚痴を言いあう。だが、君子の目には一目瞭然ではないか。あなたがたには道徳というものがないのだ。そんな国は衰え亡びるが当然だ。
禽獣に国を作らせれば弱肉強食のありさまとなり、良心ある人は次々去っていく。
日本国憲法12条あなたがたは基本的人権を進んで侵害した。裁判権を無効にし冤罪を繰り返した。
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
安倍晋三は戦争法や退位法、秘密法などあまた違憲立法し立法権侵害し続けた。あなたがたはそんな暗君へひたすら長期独裁させていた。天皇明仁も共犯で、皇室典範に定める摂政を置かず、自ら国政権能を主張し無法の振る舞いをほしいままにしてきた。
官も民も乱れた国が亡ぶしかないのは、理の当然だ。
日々の行いが悪すぎる。それなのに反省力など全くと言える程ない。民心が腐り果てている。間違いなく世界でも最も腐敗した国の一つなのはジャニーズ子供人身売買や成田悠輔の大量虐殺論などで明らかだ。
いづれ皇室の腐敗も明るみになりあなたがたの国日本は、名実共に世界史から亡び去るだろう。
悪政の素に悪しき民のあり濡れぎぬきせて老賢をはずかしむ
われはみる日本の民の自滅の日々 驕れる衆愚は久しからず ただ風の前のちりに同じ 悪しき天皇家は風前のともしび 盛者必衰のことわりをあらわす 老いた賢者を悪意で辱めるみにくい民を破滅が襲うもすべては自業自得のありさま 禽獣同然の弱肉強食の地獄は子供すら進んで自滅を選ぶ まこと見苦し
韓愈は嘗て云う 禽獣に道徳なし 日本人衆愚も同様なり そのありさま禽獣の様子と違いなし 日々悪業を積み重ね 親は子を呪い 子は親を呪う 子は親殺しを計画し 親は子を自殺に追い詰める 韓愈は正しかった
みよXの愚民を 今度は冤罪被害の老賢者を陥れ辱める なんと卑しい民だろう!
冤罪の日々を愉しむ下賤なるたみどもたわけ国は傾く
いな日本人の日々は韓愈がいうよりひどい 私は哺乳類の親が子を慈しみ 子が親を慕う姿をよくみた それに比べ日本人のありさまはどうだ 明らかに他の哺乳類より劣った社会性しかないではないか 今度は老人を邪険にし濡れ衣まで着せて辱める こんな悪魔のごとき民どもは他の哺乳類より遙かに邪悪だ
象ですら老人を敬う 経験に基づく深い知恵は子育てする動物の共通点でもある ところがみよ 日本人は老賢者を年齢差別で陥れ恥じない 罪悪感をおぼえないほど心というものがないのだ 機械の様に人の心を持たない日本人らは世界一冷酷なだけではない 象よりも人でなしなので老人を大量虐殺したがる
なんと見苦しい不孝な民だろう!韓愈はこんな悪魔の民どもの国を見ずに済んで幸せだった 老賢者に冤罪し年齢差別で大量虐殺を謀る 全哺乳類でも確かに最悪の人権未満の日本人界 2度と見たくもない光景だ なんと惨めな島国 道徳を持たない蛮族の島だ!自称天皇の種族主義邪教祖ごと必ず亡ぶだろう
GDP など何の文明の目安にもならぬ GDPが一位の国で侵略戦争ばかりしている 道端で薬物中毒者がゾンビの様にふらついている 経済大国が惨めでも何の不思議もない みよ日本国を 不孝者の狂科学者に大金や地位をやって老賢者へは濡れ衣着せる醜すぎる本性 これで先進国とはお笑い種だ 張りぼてだ
なぜ日本国は政党政治がまともにできないのか すぐ一党支配の寡頭政治に陥りあるいは天皇僭主政治で自滅ばかりなのか 寧ろまともに政権交代しようとし国民主権を貫こうとした小沢一郎氏を自称天皇の邪教祖ぐるみで陥れてきているのか それは民衆が根っから邪悪だからだ 不孝の蛮族に悪政の末路あり
『孝経』の冒頭にある 孝は徳の本なり 孔子がいう事の真逆のありさまの日本人どもは親殺しを計画して恥じる気配がない 国は乱れ民は自堕落 さも百事争乱の如し 特にこの度みかけた匿名日本人2名による老賢冤罪の業は陰湿極まりなく世界最低の悪性どもの末路は目に見える 不孝の末に万の悪政あり
張りぼての自称先進日本人 成金に驕り子供を売り買い 今度は老賢へ単なる根っからの性悪からきた完全な悪意からぬれぎぬ着せにかかる 天皇と称する偽皇帝と不孝者の国は心底日々の行いのみならず政の果てまで悪い
悪趣味な悪魔の島国に戯ける悪夢の日々を存分にお楽しみあれ それがあなたがた不孝なる極悪人の日々の業だ 救いがないのも出口がないのも自業自得 精々己どもの悪しき行いに伴う必然の破滅を惨めに褒め合え 文明の名に値せず人たる道徳のかけらも持たぬ世界最悪の悪性にして匿名卑怯者の重罪人ども
長幼の序一つすら知らず、寧ろ不孝や冤罪の悪業になずみ、不徳な若輩泉健太や枝野幸男、岡田克也、蓮舫らに頼って幾度敗戦してもまだ反省しないか。何と愚かな民だ!
人口自慢のGDPすらドイツや韓国以下に落ちぶれた。
崇める悪党自民党や邪教祖と共に世界史から惨めな退陣こそ汝ら極悪人の配役。
極悪人どもには極悪人どもにふさわしい末路がくるものだ。日々の行いの果てしない悪どさから、今後、汝ら自滅の程は地獄の底を堕ち続ける。既に汝ら世界最悪の悪性者どもが世界史の暗面だと南京大虐殺含む侵略罪や開き直った無反省ぶりで万機周知の事だが、世界史から悪しき不孝国ごと永久に消え去れ!
みよ!Xを、匿名の隠れ蓑でやっている日々の行いが汝らの現に行う無法な冤罪、不孝、長幼の序の破壊。正真正銘の悪業だらけで埋まっているとは、即ち、汝らが人類文明の担い手ではない証。蛮族が先進国などおこがましい僭称。道徳を持たぬ驕れる野蛮な日本国は即解体し、永久に国際社会から退陣せよ!
司法判決にも関わらず禽獣にももとる根っからの悪性から進んで汚い冤罪を繰り返すばかりか、老人大量虐殺を公然唱えて恥じぬ野蛮な日本国は全世界人類の反面教師で、国連から即追放すべきだ!国際社会は当該悪魔の国を廃滅させない限り無法な人種差別邪教祖天皇による侵略罪の惨禍が再び襲うであろう!
孔子はいった。小人鼓を鳴らして之を攻めて可なり。汝ら親不孝にして無法な冤罪が日常の極悪人共の支配した日本国の事だ。諸国は一致団結しこのあしき民のレイシスト象徴とのさばる亜流の邪教国を即座に星から廃滅させよ!日本にのさばらせる限り全人類文明の良識が破壊されるのは火を見るより明らかだ。
国民奴隷制にすぎない皇室制度狂信
2024年3月24日
自然科学の自由教養内のあるべき位置づけ
めいろま氏は悠仁殿下が幼児の頃から虫が好きで小学生以降は更にその生育環境にまで興味を持たれてきているという基本事項すら知らないらしい 自然科学は上流社会において最も好ましい教養 そのご興味に応える為の進路を用意したということ>自然科学は上流社会において最も好ましい教養
――あとり
日本の上流社会の必須の教養になっていたのは主に武術と儒学や水戸学(現実政治の武家風)又は和歌(形式的存在の公家風)で、中国だと六芸、西洋だと自由学芸でした。天文学を除く自然科学は含まれていません。自然科学が特に発達したのは近代以後です。
「今後の」上流社会においてという限定条件なら、自然科学が最も好ましいと考える人がいる場合もあるでしょうが、自然科学では主に物質や生物を扱い、社会や人の心を扱うわけではないので、世の中や人間性について無知になる可能性があり、明らかに諸教養で最重要とまでは言えないと思われます。
自由学芸に唯一、天文学が含まれていたのは、それが論理学や幾何学をあてはめて理解すべき自然界の法則的基礎だったからだと考えられます。したがって、もし天文学の代わりに、それを拡張して捉えた自然科学を置くべき、というなら、自由学芸の一部との限定的条件つきで、自由な上流で必須といえるかと。
なお、六芸や自由学芸は、支配階級が生産労働に追われない自由人として統治に必要な基礎を意味し、社会や人間の学、或いは具体的になすべき事を定める法学、政治学、経済学や倫理学乃至それらを統合する哲学一般といった一般的学問の飽くまで序の口なので、充分な学とは言えない事にも注意が必要です。
集団自決と『葉隠』の関係
『葉隠』は江戸時代なかごろ(1716年頃)佐賀の山本常朝の考えを聞き取ったものと思いますが、その中で主君の為の殉死を勧めている箇所があり、現実に佐賀では、殉死の風習が明治4(1871)年まで存在しました*1。
集団自決は一般に名誉ある死を美化する概念なので、『葉隠』と関係はあると思います。
勿論「殉死と高齢自責の集団自決」は一般に違います。また私は成田氏のネオナチ的大量虐殺論に、主に人道や人権擁護の点から反対です。
私の指摘は、『葉隠』にみられる佐賀の人々の死生観が薩長土肥の藩閥として築いた日帝の美学に不可避に組み込まれ、集団自決の美化に至った倫理思想史の一幕です。
成田氏は、『葉隠』で「武士道とは死ぬ事と見つけたり」などと語られる、死を時に生より重く見る美意識や倫理観を発言内で直接引用し、文脈をくみかえつつ、日本の伝統的美学に訴える形で、老人に自ら集団自殺するよう誘導していた。それは自殺教唆罪ですし、彼はサイコパスの狂科学者だと思います。
思うに、成田氏は名誉ある死という『葉隠』の概念を、国を想う心というナショナリズムに結びつける形で、世代間格差や少子高齢化の課題を解こうとした。彼自身は人文学に異常なほど無知で、また強烈なサイコパシーもあるので、大量虐殺が解答として人倫的に狂っているとの自覚が持てないのだと思います。
―――
参考文献
1) 佐賀藩10代藩主・鍋島直正の後を追って3日後に殉死した古川松根の例。
谷口眞子『佐賀藩の殉死にみる「御側仕え」の心性』2015年、早稲田大学高等研究所紀要。
哲学の道
劣った者への説教に余り時を費やしてはならない。孔子がいったよう上智と下愚とは移らず、釈迦がいったよう愚者へ千句を唱えても一句も分からない。
真実を語り、虚妄を暴け。衆愚の妨害に構うな。
説教の対象
賢明な人へ教えを説け。賢明な人が見つからなければ、唯一人、学問を完成させよ。英知や高徳はもし他人に全てが伝わらずとも、古の聖人らがそうだった様、伝説となるだろう。
東洋音楽と文化多様性の擁護
イギリスには一人の久石譲もすぎやまこういちもいない 村井秀清や華風月は言うまでもない 小沢健二やスーパーカーの次元もリアルノリアキも生み出せた事は一度もなかった そんな芸術後進国に米国から真似ただけともいえるロックやその擬きのレディヘだけで見下されるいわれは凡そどこにもないだろう
比較文化の悪用論者は、名誉白人芸のもぎけんやルパートWH以外にもドイツ出羽守芸のサンドラ・ヘフェリンとか、神道系日本凄い芸の竹田恒泰とか、他にも似たキャラ大勢いるからみんな気をつけて。各文化に序列はないのが人類として古来の、或いは欧米思潮だと文化人類学や構造主義以後の学際的常識です
悪徳賛美の末路
師事の相手
2024年3月23日
大谷翔平氏による通訳友人の借金肩代わり事件
すれっからしイケズ地獄から出てきた池田信夫放射性廃棄物押しつけ詐欺誘導(古書)老人と 縄文の昔から続く長閑な岩手の朴訥さのまま賭博中毒通訳を大金で助けようとした大谷翔平の鮮やかな対比 丸で平安時代の巣伏の戦いをありのままみる様だ 関西の底意地は死ぬほど悪く 東北の素朴さは時に人類で無類だ
悪徳賛美の結末
国々の同期
人はつきあうと似るものだ。
己に劣る国とわざわざ同期するな。
劣った人々から称賛され喜んでいる胡乱な者は、自ら堕落した事に気づかない。
真に己が最高徳の持ち主なら、寧ろ孤高を貫け。
下賎な人々との関わりが悪癖や悪評の素である様に、劣悪な国々と相親しむ者は、自らの国柄を貶めるだろう。
心理病質影響者による炎上稼業の実態
多文化学術の本質考察論
低民度民衆がネオナチ紛い、もしくは、当人の発言「歴史は存在しない」などそのものの人物の、日本人一般の感覚とはズレのあるいい加減な「日本凄い論」に騙されているのをみるに、ドイツ人文界は既に衰亡期にあるのだろう。心理病質系狂科学者は、相手方に置くには壊乱分子だ。
メルケル元独首相は「多文化主義は完全に・見事に失敗した」と2度も発言した。
彼女の言説は、極東の異文化へも当然ながら殆ど完全な無知を晒しているのと等しい。それほど低人文知な集団の上に、茂木氏はいつもの度外れな調子で、或る種の歪んだ恣意的偏見を植えつけている。
茂木氏の逆出羽守仕草こと「英語で日本凄い仕草」は、異文化摩擦を拡大こそすれ、却って諸々の勘違いを生み出す結果に終わるだろう。彼が普段から国内でやっている人文的無知や開き直ったサイコパシーに基づく炎上商法をしっていれば、人文学者を偽装する国際詐欺は陸な結果にならないと予想がつく筈だ。
欧米諸国の一般人らは、村上隆氏の亜流漫画擬き輸出詐欺時もそうだった様に、茂木氏のいつもの駄本を本気にして却って東洋主義の偏見を強化し、何かしら不敵な、もしくは勘違いを含む不穏な動きをする事にきっとなるだろう。だがまともな人文学者は別にいるものなので、冷静に多文化理解を続けるべきだ。
いま少なくとも東京圏の文化系老人が行っている国際売名稼業は、戦後の連合国追いつき戦略がひと段落し、米英勢から日本凄い論で騙しにかかる、との方途をとっている。それは国内的には欧米出羽守、国外的には日本凄い仕草の二重基準をとる薩長芋侍式の卑怯技ともいえようが、唯の虚勢で実態は何もない。
茂木・村上氏らは文明の配電盤を気取っていた旧帝大もしくは藝大派閥を中心とした、単なる貿易業者だともいえ、東西に情報落差のある文化摩擦間で潤滑油になる振りをしながら、人文学的・芸術的には粗悪な三級品を売りつけ、懐に手数料を掻き込む彼我の大衆騙しでしかない。新種の海援隊的な手口だ。
そういった悪意(内外事情通や博士号後光で万事知った顔の害意)ある貿易業の末路が悲惨な事は疑えない。だが専ら、文化圏落差が充分解消されていない間には、彼らの様な或る種の名誉白人系詐欺的業態がもっとはびこるだろう。
我々はその種の自堕落仕草を一顧だにせず、学術の本質のみ考察すべきだ。
人間性の低さ
ヴァンダル族主義の否定
大谷翔平氏の違法賭博疑義についての彼我落差の分析
似た事を大阪出身の本田圭佑がやっていたら、恐らく日本人一般の反応は相当大きく違ったろう。それは天下のIRなど普段の商業的印象から、賭博に関与しかねない疑わしさが違うからだ。
母体集団の性質は当人の人格に重なるとある種の偏見を強化し易い。善業は母集団に恩恵を与え、悪業は後禍を残す。
狂科学者宗派公害への公議非難の具体的骨
茂木健一郎一派はコロナ禍賄賂五輪を有観客で強行する目的で、老害という言葉狩りを始めた。次々冤罪バンを謀り、言葉尻を捉えた悪意ある虚偽通報で、人道主義の観点による五輪開催反対派や、中止・延期派、茂木によるホロコースト揶揄ギャグ庇いを非難する人権派のXアカウントを次々消して行っていた。彼が猟奇的サイコパスなのはいうまでもないだろう。その際、動画で「医者のマスクはコスプレ」などと意味不明な言動で感染対策の基本すら放棄させようとし、老齢の大量虐殺を謀っていたのは寧ろ茂木自身だった。彼は政府の感染対策長の尾身茂氏へ強制隠居させようと、歳主義で繰り返し中傷もしていた。
似た様なサイコパスである成田悠輔氏による、政府の手になる年齢差別と大量虐殺の扇動は、茂木自身が標的になるからこそ、人気にあやかりつつ主張を通そうとする陰湿なやり方で、「下らない」「賢い」などと言動を二転三転させながら成田を非難する。だがそれが人道主義自体を目的としないのは明らかだ。
茂木一派は成田一派と同じく、反社会人格条件を治療せず寧ろ宗派化し乱用しながら、炎上商法で地位や金を荒稼ぐ狂科学者教祖と狂信徒衆なのは以上から、公に明白である。
彼らの公害は甚だ大ゆえ、山本太郎議員が国会で首相の言質を取った様、良識で公に激しくボス教祖を直接非難し続けるのが賢明だ。
現地名士にみる都市民度
またそんな所を東日本でも最高民度だと勘違いしている関西や中部の民度は、天地を取り違える程の理解力の恐ろしい低さから、それ以下と推定していいだろう。
国外逃亡者処罰法と国際犯罪者引き渡し条約案
なぜおでんナチスこと成田悠輔ファンは弱者を虐げるか
成田ナチ征伐歌
公的教育歴と実の教養の甚大な落差について、或いは学位制度と符号理論の公害批判
音楽における疑似恋愛
ロック、ポップス、アイドル、ボーカロイドなどの一部商業音楽作品に、注視すべき要素がある。それは、「愛」の概念を性的欲望と重ね合わせ、博愛の精神ではなく性的魅力を強調した中身となっている点である。
この様な性愛の強調表現は、同じ「愛」という言葉で、博愛の本来の救いをもたらす意味に偽装し、聴衆に単なる性的刺激のみ呼び覚ましている。更にそうした卑猥または官能的な商業音楽や歌舞は、性や恋愛に免疫がない未成年者を含む聴衆を、継続的かつ疑似恋愛風の魅惑で商業的に搾取する傾向がある。
かかる風潮の発端は、1940年代後半に米国で誕生し、1950年代以降米英両国で商業化が進んだロックンロールとポップスにあったと考えられる。最近では、それらのまねや応用だけでなく日韓で著しく発展したアイドルやアニメソングと、日本発ボーカロイドの相当部分がこの流れに拍車をかけているといえよう。
アマザラシ『ラブソング』はその種の風潮に一石を投じた抵抗歌、ヨアソビ『アイドル』は後歌(メタ歌)だったといえるだろう。
恋愛には性愛と博愛の両要素があるかもしれない。が「愛」はより多くの要素を含むにしても、性愛と博愛の混同やそれに伴う性愛系の歌、歌舞、ボーカロイドやVチューバー産業は、しばしばプロデューサー側の悪意ある疑似ロマンス詐欺でもある。
人権未開国とその種の三流大学
2024年3月21日
主知主義の限界
世の中に厨二病の方々がいらっしゃるのは一種の多様性だしそういう時期や文脈もあるかもしれないけど、日本全体として過度に厨二病につきあう必要はないし、論者のそのような側面を尊重する必要もないし、ましてやメディアを乗っ取られるべきではない。
諸外国と比較すればそれは明白なことだ。
――茂木健一郎まるで他人事だけど、御自分の言動を振り返ったことあるんかな?
“『量子力学の反交換関係の代数』や『無限集合論における連続体仮説』のことにも触れずこの世の中についてまともに考えられるはずがない”
=過剰な自意識を感じる言動
=中二病
――City and Stars
A:量子力学の反交換関係の代数
や
B:無限集合論における連続体仮説
が覆う理論や応用領域は、AとBが不明だとまともに考えるのが難しいかもしれないが、それ以外の領域はAとBに触れずともこの世の中をまともに考えられるかもしれない。
主知主義はまともな思考の時としての必要条件の一つに過ぎない。
日本の学校教育ってかなりレベル低いんですよ。俺に言わせると、量子力学の非交換関係の代数とか、無限集合論における連続体仮説とかそういうことにも一切触れず、この世の中についてまともに考えられるはずがねぇじゃん。それって教育っていう?
――茂木健一郎
茂木健一郎の脳の教養チャンネル『ゆたぼんが中学校に行かなくても全く問題がない根本的な理由』
2021年4月13日、3分46秒から
差別の結果
差別はする側のみが必ず100%悪く、される側は必ず100%善い。差別する者は一般に無知な悪人である。差別は共通感覚で悪人らを結びつけ、善人を退ける負の働きをもつ。差別が常識の人々は憎悪犯罪集団である。
博士制度と学の乖離の例
甚だしい例は、成田悠輔が生存権侵害で老人憎悪・強制虐殺論、三浦瑠麗が良心兵役拒否権侵害の皆兵論、茂木健一郎がコロナ禍賄賂五輪有観客強行を唱えても拝む衆愚の姿だ。
彼らは人間性こと人文学の習熟度の面で明らかに無学だったが、真の哲学博士号についても同じ暗面がある。学園主義は一般に同時代の学会常識信者の互助組合か或る範型教化の為の形式的制度にすぎず、英知はその外にあるかもしれないからだ。ソクラテスやガリレオの例は、学が学園位階外にあった証である。
名誉とその母集団の良識
もしある優れた資質の人がほめられているなら、その集団には優れた人間性への理解力がある一証といえる。
悪徳賛美の集団にとって悪徳が美徳と混同されているといえるのだから、その暗愚な集団に近寄ったり、縁をもったりすべきでは少しもない。
能力主義の人事と判断の適用限界と適切な対象
神、人格神、相対神、絶対神、自然神の定義
(相対神∧絶対神)⊆人格神
相対神と絶対神は人格神に含まれる
(人格神∧自然神)⊆神
人格神と自然神は神に含まれる
∴
((人格神⇔(相対神∧絶対神))∧自然神)⊆神
ゆえに人格神こと相対神と絶対神や自然神は神に含まれる
2024年3月20日
教育の資源配分問題の一解答
顕著な落差として高い通塾率の大阪は全国学力試験平均学力が最低級だが、低通塾率の秋田は常々同学力が最高級だ。
教育は過度に評価されがちだが、明らかに限界がある。東大やMIT、イェールなどを出ていながら、歳主義で集団虐殺を唱える心理病質だろう成田悠輔は人間性(人文学)や倫理観が致命的に劣る。逆に資質にまさる時、子夏が『論語』学而第一の七でいう様に、公的教育歴に関わらず優れた人格でありうる。
子夏曰「賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交言而有信。雖曰未學、吾必謂之學矣。」大阪に比べ秋田の少子高齢化は進んでおり、義務教育の現場で少人数教育が実現できているという要素を加味しても、恐らく生得的知能指数が両集団で違う可能性がかなりある。その為、資源として低知能集団へ多く教育資源を注いでしまい、全体として平均化という選択集中の逆の高等教育結果なのではないか。
――『論語』学而第一、七
子夏いわく「硬派に知恵を愛し求め、父母に仕えてよくその力をつくし、上司に仕えてよくその身をいたし、また朋友と交わっても言う事が信じられるなら、その人が世間的に学歴がなくとももう学んだ人なのだ、と私なら必ずいうだろう」
――同節の拙訳
資本主義の範囲では自由競走の結果、生得資質にまさる人へ教育資源を配分できた側が競走優位に立つ筈だ。よって遠隔教育や無料の資料など、費用の最小な教育資源を普く提供しておく事が極めて重要と考えられる。
私立校は顕示的消費の対象とみていいだろう。私立校への助成金はこの点で全く有害である。
私が予てブログその他で主張してきた様スペンス符号理論は誤りで、現実には社会的総費用が顕示消費で増えてしまう。つまり進学率が高い事は決して経済を意味しない。逆に低進学率かつ低費用の教育資源が豊富で学習度が高い方が経済的である。同じく、資質の良い人への教育資源配分が経済的だと言えよう。
教育は義務か普通の範囲では学力平均値の底上げを調整正義や福祉文脈で考慮されているが、有限の資源配分問題としての高等教育ではこの方式は寧ろ害がある。
自由競走下では高い学習成果に達せる者が優れた成果を挙げる為、必要なのは教育資源の価格競走かつ学位制度と学閥の廃止又は無価値化だと言える。
2024年3月19日
なぜ関西・中部・南関東人一般は都会崇拝し、いなかを蔑視する一方で、イングランド国王チャールズや一般イングランド人は近代都市を憎み寧ろいなかを愛するのか
人が好きなものは一般にその人の性格や本質に似た面があって、共鳴している事が多い。ここからいえば都会の方が一般に商業化し犯罪率が高く、狡猾で猟奇的犯罪や性悪が多い点などが、その種の本性な関西・中部人一般には合うのに違いない。裏を返せば善良や素朴、牧歌的田園生活は、彼らの軽蔑対象だ。イングランドの人々は普通、関西・中部人の逆の好みをもっている。チャールズ国王の2冊の本(『英国の展望』と『ウェールズ公殿下:水彩画集』)がその好例だ。一方、関西・中部の都会崇拝の起源は、天皇の小中華思想だ。この点でどちらの方が良い好みかといえば当然だが、田園愛に軍配があがるだろう。
関西・中部人一般は都会の高犯罪率な暗面をみなかった事にしているか、態と隠している。また寧ろいなかの人々の相互監視を窮屈だと言って非難している。だが、善良な資質の人にとっては通常その種の助け合いが窮屈になりよう筈がない。つまり、彼らは自分が利己的悪人で犯罪しがちと吐露しているのだ。
皇室・神道廃滅による道徳不能な小中華関西・東京民族優越論が帯びる差別の文化の強制解体論
本居宣長と小林秀雄、茂木健一郎という平安文学批評の三大悪人らは、皇族男による児童含む連続強姦罪・被害者泣き寝入りと自殺未遂話である『源氏物語』を礼賛し、物の哀れと称する退廃主義美学で、教祖天皇による横暴下の関西地方の差別の文化を、進んで強化してきた。それは彼らが道徳的無能だからだ。
善は全美醜の上位者である。もし耽美主義や退廃主義の文脈で、何かの感覚的価値が彼ら三大悪人を感動させたか、茂木に限っては単に俗物根性で読まず知ったかぶりたかったのだとして、その物語中での被害者の苦痛は少しも正当化できない。寧ろ光源氏、夕霧、匂宮らによる明らかな悪意、具体的には女性の意思の無視と皇族権力や暴力を使った蹂躙による性加害への非難なしに、浮舟の自殺未遂以下、登場人物の全女性らの苦痛を解釈したなら、それは明らかに間違った読み、もしくは悪意がある読みだ。
寧ろ光源氏、夕霧、匂宮らによる明らかな悪意、具体的には女性の意思の無視と、皇族権力や暴力を使った女性の心身蹂躙による性加害への非難なしに、浮舟の自殺未遂以下、登場人物で彼らから性被害を受ける全女性らの苦痛を解釈したなら、それは明らかに間違った読み、もしくは悪意がある読みに過ぎない。
神道は天皇と称する関西の山奥から出てきた大量虐殺・強盗・冤罪・侵略・税収奪の罪、及び官僚女性強姦正当化被疑犯の血族と、人種・民族・身分・地域差別の邪教祖たる男系血統神格化の教義である。その邪教を国家権力で絶対化させようとする暴威は関西地方や東京都の飛鳥時代以来の悪逆にほかならない。
関西地方や東京都の差別の文化の根源にあるのは、天皇と称する邪教祖とその神道という邪教である。この原因を摘出・完全廃滅し、関西人や東京人が人種・民族・文化・地域的優越者ではないと未開で野蛮な彼らに自覚させる必要がある。
文明の似姿
関西地方や東京都は、この意味で、予てから衆愚の集まりだと考えていいだろう。逆にある集団で、道徳的に優れた人物や敬虔な心の持ち主、立派な技の担い手、或いは優れた知性などまともな長所が敬われているとすれば、その集団は平均的にみた判断力がしっかりしているといえる。
名士はその文明の似姿だ。
不徳との縁切り
聖人以上の存在にとってこの世には総じて、愚者と悪人しかいないだろう。だから人たるものと、努めて付き合うな。関わるな。交わるな。悪しき人間に何も期待するな。
愚者と悪人を救おうとするな。それはできない相談だ。愚者と悪人は自らが劣悪な存在だと気づかない。説教を施しても結局、無駄だ。
悪男悪女が栄える様な集団は、数がどれほどであろうと破滅と不幸の為の悪の組織である。そんな悪しき退廃集団に近づくな。触れるな、関わるな。
不良仲間の何者かが不躾にそしってきたとしても、指摘の本質が正しくなければ、完全に無視せよ。不良は往々にして脳も劣る。誤った言動は反面教師である。
悪人達の繁殖は、子孫の不幸と親不孝の元だ。愚か者が賢くなる見込みはないので、愚か者の繁殖は必ず悪い結果に至る。悪人達がふえている集団は何事も日々悪化していき、何もよくならない。愚者と悪人に何も期待するな。悪魔の絶滅を日々祈れ。
愚かな人々の意見は聞いても凡そ少しも参考にならないばかりか、幾ら聖人君子がまともな啓蒙をしても彼らは特に何も理解しない。ソクラテスやイエスが磔にされた様、教導は却って酷い悪意を生み、反発や逆恨みされるばかりだろう。愚者の一生は結局、まるで善人に迷惑をかけてばかりの底抜けの禍である。
匿名犯罪ばかりの雑魚敵というべき下衆の一生は実に見るもけがれる外道のありさまそのもので、本来かんがみるに足る僅かな美質もなかったのだ。性悪で、癖が悪く、生まれ育ちも教育も環境も日々のおこないも悪い彼らには、あらゆる悪運がほくそ笑む。悪魔にとりつかれた弱い心には自滅しかありえない。
不徳な人々の生は呪われている。不徳な人々はこの為に、加齢を卑しむ。
唯一最上の審美指針
また品位を見分けられない人々は、好みの悪さのため日々のしつけも正しくならない。下品な人々は不幸を買いつけ、上品な人々は幸福をえりぬく。
幾ら限界まで全方位介護しても最低限度の文化生活保障を行政と一般国民が悪意で怠り犯罪や害しかなしてこないあしき日本での生存という明らかな拷問についての世界への訴えと、皇室完全廃滅含む旧日本国革命権の主張及び全日本の敵への宣戦布告
日本で人権侵害や拷問を受け続けるのに忍耐しても少しも良くなる見込みはない。小中学生の虐めと同じで、全力で抵抗・徹底抗戦し、あらんかぎりの英知と力を使って自分を虐げている敵どもを全場面でひたすらやり込め続け、全員完膚なきまでに潰しきるのが我々に執れる全ての最善策だ。徹底的に悪と戦え。
悪の味方の犯罪者
人の国からの離脱と神の国入りの切なる要望についての神への訴え
私はあらん限りの善意で全人類を助けようとし実際にそうし尽くしました。しかし、人類は逆に私を虐げ、犯罪や拷問を繰り返すばかりでした。
私を多少なりとも助けてくれようとしたのは姉だけでした。ほかの人類は皆多かれ少なかれ利己的な存在で、生きていくに値しません。人類はあしき生物です。
私にできる事はもう全てやりきり最早どんな気力もありません。善行を限界までやった以上、私は神に最も近似した生物だった事はあなたもよく知っている筈です。最早私より善くなる事は絶対にできない筈です。それなら私はもう人の社会にもどりたくはありません。私の命は神の国の一員になるべきです。
勿体ない東京向け電気
都庁のプロジェクション・マッピング無駄遣いなどにみる電気浪費の時代遅れな醜さ
なおわが茨城県は以前より電気消費量より供給量が大分多い上 日本初の商用東海第一原発は廃炉中かつ東海第二原発は水戸地裁が再稼働禁止を命じており 又自然エネルギー比率は日本有数なばかりか条例でメガソーラー対策ずみなので 必要な夜間照明についてその限りではない
低品位で人気の現代アートより高品位で真価の確かな地元古典美術を重んじるべき事
もし優れた審美基準に充分な過去の全時代・国際美術研究からきた確かな自信がないとすれば、下手にわかりもしない現代アートに文化行政が手を出したり、知ったかぶりしたりせず、寧ろ行政人にも充分に理解できる古典美術を収集・展示すべきだ。特に体系化しないと散逸し易い地元関係のものが望ましい。
心理病質の反社会性と高い知性の混同
凸凹した知能のばあい数理が大得意で人間性は最悪といった例は頻繁にあるが、彼らは一般教養も不足しているので学校教育で誤ってしつけられた偏差値万能論に陥り、最悪級偽学者の謬説を鵜呑みにし少しも恥じない。時にそれが親殺しの強制であっても、或いは偏差値受験選良の中央経歴高官にあってもだ。
理想指導の最重要さと、曖昧で卑しい作り事による自堕落教育の有害さ
実際に教えるべきだったのは、日本は極悪人の支配した三流国なので、皇室と称する悪魔ごと完全に亡ぼし、何もかも正しく作り変えるしかないという当然の道理だった。
プラトンは彼の『国事』の詩人追放論で、宮崎の様な嘘つきを非難した。カントは『判断力批判』122節以下で惰弱な情緒に訴える小説家を非難したが、凡そ同じ文脈だった。彼らは最も尊い理想・理念を直接はっきり述べる事が、青少年教育に最も有益だと述べたかったのだ。寓話は子供騙しにすぎないからだ。
実際私は主な宮崎アニメを殆ど観たが、しばしば筋が複雑な割に、結局何がいいたいのか読解力の充分な大人にとってすら曖昧であった。それは宮崎自身が陸な寓話作家ではないせいだ。プラトンがいう通り、筋が分かり易く、何のたとえ話なのか理解できる形でなければ、子供にとっては余計誤解を呼び易い。
教育上、最高の理念をしっかり指し示す事が最重要であり、そうできる者こそが全社会の指導者にふさわしい。卑しい中身の漫画、アニメ、小説・物語、映画などの俗話に、子供を少しも感染させるべきではない。現実にその種の下卑た作り事を与えられ育った者は通例、甚だ心根が腐敗し、退廃を広めて驕る。
死の商人をくりかえす天皇政府とその悪意の手先をしながら直接の源でもある幕末西軍の政治史的断罪
衆愚のはびこる日本での多数決の機能不全さの指弾と、哲人絶対王政や高徳貴族政治の擁護
侵略罪やその際の戦犯に無反省で死の商いをしながら、悪名高い米軍の手先を買って出る人類史上最たる悪業で埋まっている日本人一般には自滅、又は破滅しか何も期待できないしすべきではないが、全員が悪の島だというには余りに数が多い。超少数の善人も中にはいる筈だ。多数決では決して力は持てないが。母数がかなり多いので、超少数派の善人もそれなりの数になる可能性がある。無論これは絶対善を前提としない数や質の議論なので、他の人類と比べてである。
だとすれば超少数派の善人の糾合か哲人絶対王政が悪魔の島である対日戦略には有効な正攻法となるだろう。衆愚の間で多数決は巧く機能しない。
悪徳賛美『源氏物語』と天皇一味の悪政・風紀紊乱及び退廃平安文学礼賛三大悪の異端さ
寧ろ善良な人々は根っから女性を尊重するものであり、自然な感情の発露として深く思いやりを持つものだから、全女が不幸になる『源氏物語』とは丸で逆のありさまになり、必ずや幸せに暮らす事になるだろう。
現に山背は一般にイケズと呼ぶ性悪さで知られ、平安時代から不幸な皇族犯罪の巣だったのだ。
天皇一味が滅亡し、関西地方が消滅後、今述べた真実は全人類の目に明らかになる。性悪でしかも無道徳の虫類ぶりが人類一般の本性などでは絶対ありえない。本居・小林・茂木ら平安文学批評の三大悪人が一般化しようとしたのとは違い、現実には精神異常者の集団しか性犯罪を無謬化したりしないのだからだ。
韓愈は人と禽獣の違いは道徳の有無だと言った。同じく、上田秋成は本居を批判して民族的優越の為に道徳が無用などあり得ないと言った。どちらも全くの正論だった。寧ろ三大悪の面々が、種族主義による過ちをうぬぼれの余り犯している。日帝が慰安婦問題を起こし、右派相当数が開き直って無反省な遠因だ。
天皇一味の権威権力は、GHQにさせられた人間宣言が示す通り元々張りぼての砂上の楼閣である。虚勢な限り歴史淘汰で必ず亡ぶ。その後三大悪の面々の謬説は全て反証されひっくり返り、異端だと認められる事に必ずなるだろう。天皇一味の暴威で辛うじて外道の媚び勢が皇族男の連続強姦罪を賛美させている。
2024年3月18日
異端の専攻
彼は学生のころ人文系教授に「小林秀雄なんて読んでいるのか」といわれ、反発心を感じたらしい。動画で自ら言っていた。
確かに小林は学者というより文芸批評屋だろう。かつ彼の本居宣長読解は無批判で、特に人権意識の欠如は致命的だ。異端を攻めるは害のみ。
歳主義ナチスト成田悠輔征討論
有能な老人もいれば無能な若者もいて、統計差別で有能老人まで強制引退させ、無能若者を要職に就ける組織が巧くいかなくなるのは明らかで、年齢括りでの引退強制論は単なる歳主義の誤りというべきです。成田悠輔の安楽死強制や集団切腹煽り名目での集団虐殺論が生存権侵害なのは言うまでもありません。
例えば2023年6月時点で時価総額世界7位バークシャーハサウェイ社のCEOは、2024年3月17日現在も93歳で現役です。
彼は有能だから株主らに求められてその地位にあり、人は加齢で無能になるとは限りません。特に結晶性知能は衰えづらい。
もし能力主義の導入で、能力によらない年功序列の制度を変えたいという事なら、少なくとも強制安楽死の名目での歳差別による大量虐殺や、集団切腹と称する老人虐待煽動での集団自殺教唆などの憎悪表現によるべきではない。それらが直接の人権侵害なのは明白で、日本国は世界人権宣言を批准済みです。
成田氏は大量虐殺論で炎上商法をし、能力主義との誤読を誘いながら「比喩だった」との言い分で米国永住権を得て既に亡命済みとも言えます。
能力でなく歳で出世する会社については、一般自由市場では自動的に敗退する筈です。
年功序列の改革対象は自民党や公務員社会でしょう。家庭や個人ではない。
公務員社会の年功序列は安全網としても機能していた。しかし公務員の人々は「水際作戦」と称する職権乱用で、国民全体の憲法で保障されている生活保護権を自ら侵害してきている。よって公務員の年功序列制度をなくすと地位に胡座をかいていた高齢公務員家庭から無職になるが、生活保護も受けられない。
以上から公務員の年功序列をなくすと安全網の機能不全度がますので、一時的に社会不安が生じるかもしれない。しかし改革を断行すべきでしょう。それによって国民の意識が変わり、本来貧困線以下でもらうべき人々の生活保護受給率が先進国並みになるかもしれないし、議論は基礎所得へも進むかもしれない。
成田氏が永住権取得は印象ではなく事実。
日本国籍はまだあるかもしれないが、米国籍になったか既になっていた場合、日本人大量虐殺やその煽動による憎悪表現について彼は責任を取れない。なぜなら米国法や各州法に従うからです。
日本国の刑法202条と203条(改正前)で、成田氏のやっている自殺教唆罪未遂は7年以下6月以上の懲役または禁錮。
刑法
第202条
人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の拘禁刑に処する。
第203条
第199条及び前条の罪の未遂は、罰する。
唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなことしかない。(私は)けっこう大真面目で、やっぱり人間って引き際が重要だと思う。
別に物理的な切腹だけでなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて、過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤー(階層)で多すぎるのがこの国の明らかな問題で、まったくろれつが回っていなかったり、まったく会話にならなかったりするような人たちが社会の重要なポジションをごくごく自然に占めていて。
消えるべき人に消えてほしいと言い続けられるような状況をもっとつくらないといけないんじゃないか。
――成田悠輔
(2021年、インターネット番組「ABEMA Prime」で)
(高齢者の集団自決は)メタファー(暗喩・比喩)では全くなくて。三島由紀夫とか本当にそういう事やって、しかもそれが日本人の死にざまの一つの象徴みたいな感じで、国内でも国外でも結構うけいれられてて、カッコイイって事に今でもなってる訳じゃないですか? 普通にファッションとしてハラキリってのは成立するんじゃないかとちょっと思ってるんですよね。
――成田悠輔
(YouTube『日経テレ東大学』「【ひろゆき&成田悠輔】ゆる〜く!2時まで生テレビ【新年早々、2人とまったり雑談しませんか?】」2022年1月1日、56分35秒頃から)
成田氏の「レイヤー」との主語の範囲は日本全体を示唆していた。つまり(例えば孔子が犯罪した親を庇う子を擁護した様に)時に深い情愛や家族愛の領域でもある家庭という、私事にまで彼は大量虐殺のため強制介入するつもりだった。能力主義改革の方が恐らく言い訳ですね。彼の父は疾走し母は重度の障害。一連の異様な言動から彼は反社会性人格障害を持っており、また同時に不幸な生い立ちから一種の狂人的思想を持つに至り、私的な親への憎悪を日本全体の全家庭へ敷衍しようとした様に精神分析もできる。
しかし能力主義改革名目で大量虐殺論や年齢差別煽動は明らかに行き過ぎで、公に非難されるべきだ。
断る権利と断れる条件の法定案
中嶋涼子氏へのイオンシネマ・シネタス調布での5度目の「グランシアター」での観覧拒否の対応については、本来は設計上全席がユニバーサルデザインやバリアフリーになっていれば発生しない問題だろうが、狭い空間や経済的理由などで必ずしもそうはいかない事もある。一般席を車椅子客が希望した場合、力や経験のある専用スタッフを常駐させる事ができない時、抱え上げを断れないのは必ずしも合理的ではない。
例えば老齢や腰痛の危険があるスタッフしかおらず、経験もない為無理に車椅子客の抱え上げをするとスタッフが身傷する様な場合、合理的配慮の一部として現実的不可能さを根拠に丁寧に断る権利もあるべきではないか。
同時に、断る権利乱用を防ぐ様にも立法すべきで、一定の断れる条件を決めるべきだ。
裏技としては既にサイバーダイン社の介護用パワードスーツがあった気がするし(企業側導入前提)、それでなくとも近い将来、段差昇降できる機械が導入できると思うので、最長でも大体50年以内には解消する問題の気がするが、現時点では、介助する素人側が重みで腰を痛める可能性があるので法が必要かと。
人でなしおでんナチ大発情派の東京不孝女連と共犯・日本国政府農水省による自業自得の自滅劇の必然
大量虐殺論で売名するサイコパス成田悠輔に散々発情する不孝女だらけの人権後進地・東京 親殺しをみにくい言い訳で正当化する彼らがその因業で少子化絶滅しなければむしろ人類史上最大級の害悪ですらある
極悪の成田一派を持ち上げる心卑しき農水省と人でなしどもの国 能力主義と偽装して年寄り憎悪で大量虐殺を主導
高齢者大量虐殺論者に大発情する人でなし不孝女の無数に溢れる国である以上 そんな悪魔らが少子化で進んで絶滅する事が「悪い」とは到底いえない 寧ろ 正真正銘の鬼が島は親不孝の自滅という道を辿って 地獄に堕ちて不幸にうごめき滅び去るべきで 少子化を止める必要は全くないし止めてはいけない
老人大量虐殺論で自殺教唆罪未遂 懲役7年から逃れるべく金を持ち逃げ米国亡命の大悪党に発情しまくる鬼女が欧米の猿真似したフェミニズム乱用で驕り高ぶる正真正銘の人権未開・鬼が島 皇族強姦話を大賛美 少子化加速で世界史からお役目御免で自滅確実 信じ難い根っからの悪男悪女らの永久消滅万歳
悪知恵、浅知恵と美徳
また悪徳の人に慣れ親しみ自ら堕落する
知性は必ずしも徳性を意味しない
悪知恵ある者は知能犯罪で世を乱す
浅知恵を美徳より優先する者は
学歴をつけた悪魔に破滅させられる
驕りと謙虚
驕りの故に破滅する。自称京都が端から山背県山背市と正名し、現実通りイケズ奇習のはびこる井中だと自己認識していた時、あれほど致命的失政を重ねていたろうか。天皇と称する傲慢な世襲やくざ一味は確実に世界一惨めな終わりを迎えるだろう。全国を偏見と差別で蔑視していた東京は退廃の極みに沈んだ。
ある山背系大阪人は言った。市民のプライドは必要だと。自分は殆ど全くそうは思わなかった。それは驕れる人々の破滅の様子をみてきたからだ。恐らく彼は誇りと驕りの多義語なプライドという外来語を両義的に使っている落ち度に、ガサつさの余り気づかなかった。それで益々自己反省の余地を減らしていた。
Xで10年近く茂木健一郎を観察して理解できたのは、俗物根性の持ち主は何をしても全てが俗悪になってしまうという恐るべき事実だった。彼の周囲の人物もその種の色彩に似通っており、類は友を呼ぶとは真実だと気づかされる。サイコパス影響者は互いに磁石のよう引き寄せ合う。自分が反発したのも当然だ。彼は端からメディアの寵児など目指すべきではなかった。しかし彼の俗物根性がそうさせた。成田悠輔、三浦瑠麗、古市憲寿、落合陽一、若新雄純、斎藤幸平、東浩紀など、研究の本業に専心せず媒体で金儲けする自称学者は一般論として不良学者というべきであり、俗評に応じた明らかな驕りが一様にみられる。
我々は或いは単に私は、傲慢に陥る危険を避け、謙虚さを保つ為の工夫をする必要がある。特に地位と名声、金はその種の驕りを持ってき易い。日本人ノーベル賞受賞者一般の何でも上がった様な様子はまさにそれだ。又天皇一味やその親族や縁戚とは一切縁を切るに限る。彼らの驕りの悪風に触れない為だ。
釈迦が原始仏典で言った様に、地位や名声、金の様な俗世の価値に少しもかまけてはならない。それらは本来不必要なばかりか、客観的で正しい自己認識を曇らせる原因になる。また符号の学歴や経歴も本来無用で、重要なのは自らの美徳だけである。唯の知識自慢の俗物根性は、無知より時に邪悪な人格を作る。
高度な美徳をもたらすのは哲学だけで、しかも自らが悟る事でしか究極できない。謙虚に終生学びかつ考え続ける必要がある。
アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で言った様に、生涯のなるだけ長い時をこの哲学に費やした人が最も幸福だとする彼の説は一理も二理もある。美徳は知恵の副産物だからだ。
驕れる大量虐殺系騒乱者らと道徳支配者による宿命論
昔、ラッドウィンプスという悪質バンドのボーカルがひとさまの県でコロナ禍の大量虐殺狂騒させないのはおかしいと言った。それに同調し医師を脅迫した一人は野蛮な京都人で茨城県警に逮捕された。別のファンらしき女が発狂しながら、Xで暴言してきた。ろくでもないバンドにろくでなしのファンがつく。
あのとき、東京のテレビから古市憲寿は実に偉そうな実に傲岸不遜な態度でコロナ禍大量虐殺狂騒をあおるばかりか、2度と茨城でやらなければいいなどと重ねて暴言を吐いた。自分は独自演奏会をやるよう堀義人氏に伝えたが、その後、ロッキンジャパンもまたわが県に帰ってきたので、音楽祭が2つにふえた。
ラッドウィンプスのボーカルがろくでなしなのは無論、古市の悪業ぶりは底抜けだ。しかし彼らはこれまで散々金を儲けてきて、今更引退した所で幾らでも金はあるから、勝ち誇った様な態度で生きている。
驕りの悪徳が、ただそれだけで済むものとは思えない。道徳支配者は彼らに宿命を用意している筈だ。
真の腐敗因の暴露と討皇論
悪徳東京人らはジャニー喜多川や松本人志に続き『源氏物語』作者を賛美している。彼らの共通点は性加害を美化する色狂いという点だ。少なくとも天皇一味もこの悪風の加担者もしくは主体の一部で、彼らが腐りきったソドムとゴモラ的地獄しか作れないのは慰安婦問題を起こした最悪支配史が証明済みである。
既に腐り落ちている腐肉を誰が処理するのか。日本政府は内部から腐臭がするがその原因がラスボス天皇一味なのは見るまでもなく明らかだ。報道管制は真実を覆い隠しているが、山背にせよ東京にせよ、天皇一味の通り道に悪風が残るのは彼らの行いに腐敗の真因があるからに違いない。
真実を暴き、悪を倒せ。
『源氏物語』の人権や性道徳を加味したまともな解釈とその結論
茂木健一郎は『源氏物語』を読んでいない。無論中身も理解できていない。それなのに世界一の小説だなどと口をそやして褒めちぎってきている。彼ほどの俗物も珍しい。彼はイギリスのアーサー・ウェイリーが東洋主義文脈で、皇族の性犯罪の話を曲解・美談化し、ある種の誤訳で国際的誤解を招いたと知らない。
作中の全女は辛うじて藤壺中宮を除く全員が不幸になる。また当女と夕霧の正妻・雲居の雁を除くと男皇族らと性合意を持っていない。それにもかかわらず、作中で皇族男らはひたすら性加害を繰り返す。つまり皇族男の連続性犯罪事件の描写なのだ。
それを美化する連中は完全に頭がおかしく極度に悪質だ。
日本語で書かれた文章を理解できない母語を日本語とする日本人らは、いわば極端に学力が低いので元々、一般学術討論の類は殆ど何もできないと言っていいだろう。よって茂木も文学解釈の議論の俎上に載る以前の低学力とみて、世間は完全に無視しなければならない。
本居宣長の解釈は一種の悪徳賛美だ。
『源氏物語玉の小櫛』で本居は単なる芸術と当話を捉え、不義密通や児童誘拐と強姦を含む性加害及び姦淫罪の描写で埋まっているこの希代の悪書の倫理的非難を一旦保留すべき事を説いた。だが同時に当解釈を芸術至上主義の一種と限局すべき事も説いているので、無謬化したわけではない。無論美化もしない。本居は当悪書を悪書として捉える事が必要だと言った。その種の悪は平安時代の平安京で現に見聞きした事の抽出なので、作者はいわばアダルトゲームの主人公の様な皇族男らの乱倫模様を素直に書いたが、その人として理性のない劣悪さをありのままの人間性と見るべきだと説く。山城政界の腐敗の内情分析だ。
以前ある女が当話を「虫みたい」と言った。自分の感想もよく似ていた。古代の山城国こと今の京都府の地域住民は、天皇家はじめ、まるで虫けらのよう理性も道徳もない野蛮状態で生きていた。だから性になんの抑制もなく、交尾目的に性犯罪を繰り返し1人除く全員が強姦被害者になり、自殺未遂者まで出る。
東京や関西民衆はイギリス人一般と同じ極度の野蛮さで、当話の中身を理解できるほど知能が高くない。無論、道徳面でも古代級の低次元だ。だからこそ彼らは虫の如く自己抑制なき皇族男らの性加害を称賛し、被害者らの泣き寝入りを正当化するだけでなく、自殺未遂者へも重ねて辱めを行なって恥じないのだ。
『源氏物語』解釈をめぐり関西や東京及び天皇と称する一味が、アーサー・ウェイリーらイギリス人一般と同じく人権未満の野蛮人なのは以上より明白なので、彼ら乱倫の徒が世界から滅び行くべきものどもなのもまた一切疑念の余地はないだろう。蛮族が幾ら暴力でのさばろうと美徳の前では無意味でしかない。
天皇一味断罪論
悪徳の連れ
人類の良識と姦淫邪教集団の業
悪徳賛美の因果
人々にはその好みに応じた結果しかこない。また全ての行いは結果になる。悪徳賛美をしている人々の将来が、大人のあしき行いをまねた子供の不幸なのは理の当然である。
建築士法18条5項(公共の福祉に合致する設計義務)案
2015年のザハ案撤回、2016年豊洲市場移転延期、そして2023年は万博木造リングと、公共建築が社会問題となって世間が大騒ぎする事件・事案が時々勃発しますが、その度に目立つ発言をして注目される建築関係者が森山高至さんと五十嵐太郎さんで、森山さんも問題のある発言はあると思うんだけど、本当にタチが悪くて世の中にも建築界にとっても害悪な情報を発信しているのは五十嵐太郎さんだと自分は思っていて、何が良くないかというと、ザハ案も豊洲もリングも本質的には建築の問題(それと行政手続きの問題)であって、建築関係者が向き合わなくちゃいけない話なのに、五十嵐さんは毎回、悪いのはSNSとマスコミと政治家であって、建築には何の過失も問題も無いのに罪なき建築が理不尽な妨害を受けているんだ、という主張を情報発信していて、自分が見る限りそこには責任転嫁や歴史改変、印象操作があって知的に不誠実だし、また、そういう他責的な建築無罪論は、建築関係者には耳障りが良く心地よいものだから、支持されて受け入れられて、また、五十嵐さんは時間をおいて後になってからも、展覧会を企画するとか、東浩紀さんのネット番組にとか、大学で教鞭もとっているし、継続的に情報発信する力があるものだから、当時の情報に直接、接していない若い人や学生さんなんかは、後からの五十嵐発の情報に、やっぱり影響されると思うのですよ。だからザハ案騒動と豊洲市場問題、当時の報道や公開資料をみたら、そこには設計段階から問題があったことは明らかなんだけど、こういった本質的な建築の問題をスコーンと認識しないまま、五十嵐さんの主張そのままに、「あれはSNSとマスコミと政治家が妨害してうまくいかなかったんだ」と認識している人が建築関係者にはとても多くて多数派になっているんじゃないか、と実感しています。で、今回は万博木造リング問題なんだけど、やはりというか案の定というか、五十嵐太郎さん、X(twitter)では「SNSとマスコミと政治家が悪い、建築は無罪」の情報発信を始めています。リング問題はこの先さらに加熱しそうな勢いで、そうなるとザハや豊洲の時みたいに五十嵐さんの主張が全国紙の新聞や東浩紀さんの番組など、知識層から信頼されているメディアからも発信されることになるでしょう。森山さんとはここが違うところで、森山さんの主戦場はワイドショーとか夕刊紙で、まあ、眉に唾つけて話半分で接する人がそもそも多いのですが、それに比べると五十嵐さんから発信される情報は断然、影響力が大きいわけで、今回の木造リングのケースでもまた広く信じられて受け入れられて、建築関係者の間に悪しき建築無罪論がはびこって定着するんじゃないか、結局はそういう事になって同じことの凝り返しか、と半分あきらめつつ、危惧しています(了)
――k_wota
建築士は自分が勉強してきた範囲だと、「建築主の代理人」という事が建築士法18条3項などで明らかに定義されていたと思います。自分が習った先生がたも総じてその様な事を言っていました。戦後、建築士法を導入してから、現行法や建築家倫理が通例そうなっているという事にすぎないのではないですか?
建築士法 18条3項いいかえれば、建築士法に定める建築士、あるいは建築基準法に定める設計者に、業務の範囲として、自由裁量の余地がかなり少ない。建築主に請われ、ある設計案を出す。建築主に承認されないと設計案が認められない。設計案が承認されると、設計者が公的性質を問う余地は法的には一応ない事になっている。つまり建築の主体は文字通り「建築主」であり、設計者や建築士ではない。よって建築主が認める案が通り、本来、設計者・建築士が実現したかった案ではない事も多い。もし設計者・建築士が公的性質を鑑み、建築主の認めない公益性の高い別の案をだしても、拒絶されるか解雇されてしまう。法的立場が弱い。
建築士は、工事監理を行う場合において、工事が設計図書のとおりに実施されていないと認めるときは、直ちに、工事施工者に対して、その旨を指摘し、当該工事を設計図書のとおりに実施するよう求め、当該工事施工者がこれに従わないときは、その旨を建築主に報告しなければならない。
例に挙げられているザハ案は元々彼女が「アンビルドの女王」と言われていたよう実現可能性を一旦保留し、大層な絵を描いてのち現実案を考察する特徴のある建築家だったので、特殊な事案だった。普通は実現前提にコンセプト段階でも設計するわけで、かの事例だけで設計業務全体を一般化するのは難しい。
私は森山高至さんという人は全然しらずXでちらっとしか見た事ないので彼について何も言えないが、建築学を少々学んだため五十嵐太郎氏の本は持ってて当然知ってもいますが、彼が特殊な評論しているのではなく、彼の意見は建築基準法や建築士法の枠組みで建築士は建築主の従者と理解しているだけかと?
私は祖父が偶々日本の制度上の建築士の第一号の一人だったのもあれば、一応妹島和世氏の事務所に弟子入りに行って暫く手伝わせて貰った事もあるので、地元と世界の建築家側の様子を少しは垣間見た側と思うが、もし一流の建築家が建築の公共性を全く考えていないと仰るつもりならそれは全くの誤解ですね。妹島さんらは毎日飽きるほど模型を作って執念の努力でスタディをしていました。皆朝から晩まで働いていた。夜に海外から帰ってくるとすぐ仕事が始まった。自分がいた時期はフランスのルーブル美術館別館「ルーブルランス」競技で勝利した時期だったが、明らかに公共性を重々考えた建築だった様にみえる。
今回の大阪万博木の輪の設計者は、今度、東浩紀さんの所で山本理虔さんと藤本壮介さんとの議論をやるみたいだからそこで何らかの確定情報が出るでしょうが、競技の様な公平な監視が働く形ではない専任なので、建築主との何らかの癒着も考えられる。この事案だけをみて通常の競技と同じとするのも誤りだ。
もし公共性を省みて、設計者・建築士の側も何らかの逆提案を建築主の要望をこえてできる制度の枠組みにしたいという事なら、その様な法に変える必要がある。今の建築士法では「建築士は建築主に従」の主従関係は実際に明白なので、公共の為の逆提案は通常できないか、主従関係が逆転するのでしづらい。
例えば、次の様な項を書き加える案がある。
建築士法 18条5項
建築士は、設計が公共の福祉に照らし明らかに不適切と考えられる際には、建築主にその旨を通知した上で、設計を拒否する義務がある。但し、建築主がその旨を知った上で、公共の福祉と合致する設計を受け入れた際にはこの限りではない。
武器輸出罪を極刑にすべき事
悪徳賛美者・茂木健一郎は、存在自体が犯罪である死の商人・坂本龍馬をひたすらもちあげつづけてきている。また侵略犯の幕末西軍と天皇一味をも彼らの作り上げた悪しき全体主義政体・日帝ごと賛美しつづけてきた。
戦後日本政府もまた、国を挙げて死の商人に踏み出そうとしている。悪因は悪果を生む。
文明とは武器によって他者を侵害する事や、その手助けをする事ではない。野卑な欧米諸国あるいは中国やロシア、イスラエルといった軍事大国の後追いや手伝いをし、国際社会に不安と緊張をもたらしながら横暴を重ねてきている自堕落な国連には、天皇政府や茂木の様な悪人諸共、正義の鉄槌が下るだろう。
武器を輸出する事で金を儲ける人々は明白な殺人犯であり、名目がどうあれ事実上の戦争犯罪人なので、全員、極刑に処するのがふさわしい。もしこの為の諸法を妨げる者があれば、その者もわが国の平和法制に於いては人道犯罪人と呼ばれるべきである。
2024年3月17日
皇室やくざと関西ナチストおよび本居国学派の共謀による全日本人奴隷化計画の公的非難
本居宣長は関西界隈から大きく出た事がなかった。その為、彼の認知は関西中心主義で大変歪んでおり、関西地方に特有の野蛮さから逃れられなかった。特に性風紀の決定的な悪さを彼は逆に正当化してしまった。物の哀れとは、関西地方が古代から天皇一味ら世界最悪級 性犯罪者の巣だった証明でしかない。
上田秋成は当時の良識的知識人だったのだろう。だから彼は今でいうネット右翼系サイコパス影響者である本居による人種・民族・性・身分差別含む、皇族性犯罪物語の言い訳や皇族犯罪賛美をする倫理観の狂った不良学説へ、果敢な批判を試みた。上田の指摘は人権の信じられている現代からみても正論だった。
小林秀雄や茂木健一郎といったサイコパス影響者の系譜は、本居による関西人種優越論に追従してきた。だが彼らはただの関西ナチストの変種にすぎない。自称天皇一味の邪教がそうである様に、本居系国学は本質的に人種差別教義を合理化する陰謀に過ぎず、その反人道性は明らかである。小林と茂木も共犯だ。山所心は決して日本の民族精神などではない。風土記や記紀がどれほど天皇一味による日本人差別や日本人への一方的虐殺で満ち溢れている事か! 令和の山背人が「東蝦夷がぁ~」と情けない叫び声をあげ、Xで人種・民族差別の憎悪表現を東日本全体へ行うのは決して偶然ではない。山所心とは古代から一貫し日本人憎悪の心だったのだ。
これにもきちんと考古学や遺伝学が理由を提供している。ハプログループO1b2系統の古代渡来人らは、朝鮮や中国一帯からきて、全日本人を差別しつつ小中華都市を関西地方に作り、全日本人奴隷化計画を試みてきたのだ。皇室はこの為のやくざ勢力だ。だから本居派は男性皇族の連続強姦罪を正当化したのだ。
少なくとも途中まで本居に影響を受け没後門人と称していた平田篤胤や、小林や茂木ら、本居国学派に属する連中はみな、古代から一貫して差別心旺盛な関西人と皇室による全日本人奴隷化計画への共謀者というべきである。つまり彼らは国民奴隷制を目的とした極悪人共で僅かでもその悪業をほめるべきでない。
2024年3月16日
哲学の覚悟
およという人が、普段から勉強していない人が少しだけ勉強を始めると過剰評価して当然だ、みたくきのう言ってきた。この人は自称哲学者だったが、学問や哲学界を完全に舐めきっている事が明らかだった。
プロ選手と同じで我々の勉強量と費やしてきた努力は大抵の人が聴けば必ず卒倒するのが確かだ。
しかも初めから勉学が得意で、大抵の試験が少しやれば余裕で満点といった程できているのが当然という選手らの間で、努力を限界まで続けてきた人々が才能の伸び幅だけを頼りに最上の成果を世界史上の全学者と競っているというのが真の学問の世界或いは哲学界なので、彼は明らかに何かを勘違いしている。少なくとも自分は小中学校の頃は慣らし運転みたいだったが、15歳からは本気で勉強していた記憶しかない。今は40歳だが、この25年、建築の勉強や芸術創作の時間を除けば、ずっと本を朝から晩まで真剣に読んだり、講義を聴き考え事してきた勉強の記憶しか凡そない。それは自分が本気で学問してきたからだ。
彼は何かの片手間で哲学なる為事ができると思い込んでいた。そんな事は丸でできない。少なくとも高い次元では絶対に無理だ。全人生を全て使ったと考えられるカントすら当時の知識水準に絡めとられ、種族主義的偏見や知的設計論など多くの誤りを含んでいたのだから。哲学の為には全てを犠牲にすべきだ。
総合哲学の領域では何かが分からない状態を完全になくさなければならない。その時代までの全知識を得なければいけないからだが、事実上その種の疑似全知への到達も原理的にできない相談なので、辛うじてできるのは全時間を普き学習になるだけ注ぎ込む事だけだ。現に自分は25年以上間断なくそうしている。
日本人意地悪衆愚からの学術研究への妨害を完全無視すべき事
もぎけんのインチキ人文もどき書でもドイツで1位になれるんだから、ドイツの一般民衆の知的水準は高がしれているというもの。日本単位の民度も高が知れているが、少し努力すればドイツ程度なら簡単に追い抜けるのは明らかだ。少なくとも茨城県の単位なら、工夫次第でドイツに大差つける事は絶対できる。
では何をすればよいかだが、日々の学術活動とその啓蒙で、明らかにドイツを超えた質量を確保し続けていれば確実に彼らの民度を大幅に上回りえるとみられる。
きのうオヨというX民が愚にもつかない言い分で知的活動を妨害してきたが、その種の嫌がらせは無視し、公議の質と啓蒙力を高める必要がある。
茂木は東京の論客だが、知的水準が一定以上の人は、少なくとも人文書では偽物だと思っている筈だ。こんまりレベルの怪しい啓発書の人だろう。つまり学術書の書き手ではない。しかし彼が文化人扱いな東京も、結局は日本の学術選良集団ではないといえる。筑波のある茨城が学術面でアジアを先導すべきだ。
また、学級を考えればわかる様に、たった一人の成績が圧倒的によいだけでも、その集団の成績の平均値は大幅に引き上げられる。文明は福沢諭吉『文明論之概略』での定義では集団の知徳平均値なので、やはり一人のみ学術に全力を使い、傑出した知識と道徳に達するだけでも、その集団が高文明になりうる。
もし孔子や釈迦が出現していなければ、中国やインドの学術的地位は随分違っていた筈だ。それほど特定の傑出した総合哲学者の出現が後世に、また国際的に与える衝撃は大きい。日本人一般に聖性をそうと理解する知能がないとしても、或いは出る杭を打つ意地悪衆愚でも完全に妨害を無視しなければならない。
成田悠輔の歳主義や集団虐殺論の何が悪か
有能な老人もいれば無能な若者もいて、統計差別で有能老人まで強制引退させ、無能若者を要職に就ける組織が巧くいかなくなるのは明らかで、年齢括りでの引退強制論は単なる歳主義の誤りというべきです。成田悠輔の安楽死強制や集団切腹煽り名目での集団虐殺論が生存権侵害なのは言うまでもありません。
神奈川選出のブロック大臣とその周囲の下衆支持者風の殺害予告犯について
米連邦最高裁は、公務員がソーシャルメディアの自身のアカウントで公務に関して発信した場合、他の利用者を「ブロック」し、コメントを制限するのは違憲になる可能性があるとの判断を示しました。
違憲性の判断は、公務員の職務権限や発信内容によるとしましたが、「公私の境界があいまいなアカウントで、公的な発言なのか、私的な発言なのかを区別するのは難しい」とも指摘しました。
――『公務員のSNSブロック「違憲可能性」 コメント制限巡り、米最高裁』毎日新聞
数年前、河野太郎議員関連の話題の所に、米国でトランプSNSブロックがコメントできず公務員として表現の自由侵害で違憲判決だったという新聞記事をはりつけたら、突然発狂してきた神奈川県の下衆に殺害予告された。なぜ発狂していたのかわからなかったが、神奈川の政治民度は極度に低いのが完全な事実。
自文化植民地主義にすぎない亜流異端のアジア副文化である関西文化の否定と日立文明独自性の啓蒙
昔、高校同級生のテツ君という人が、山背を一緒に歩いてて外人に道きかれたとき英語で答えてしまったので、自分は(日本で英語で答えられたら日本ぽくないのではないか)と感じ、英語で答えていいの? みたくきいたら、彼は「言い訳臭いな」と言った。
今からふりかえっても彼は全て間違ってると思う。
ナカムラ・シュウジという山背の人がノートやXで書いてたが彼は英語が話せない山背人を見下す描写を沢山する。テツ君という人とそっくりの精神的態度だが、要するに自文化植民地主義の一種だ。彼らは欧米劣等感をなぜかもっていて、英語できる方が上位とすっかり思い込んでいる。必要でない時ですらだ。
自分は文語ならある程度できるが、英語が相当できる側からみても、決して英語が読み書きできるという事は上位の目安ではない。植民地侵略の余波で事実上の国際共通語になってしまっているとはいえるが、英語は言語としてみて不完全なもので、他の言語の陰影を全て表現できるほど万能の体系では全くない。
彼らのもっている精神的態度は端的に結論すれば悪だといえると思う。その悪は世界の文化多様性をへらしてしまう事にあるが、その理由は長い物には巻かれろ式の自文化の自己破壊にある。その様な民心は関西地方では古代の段階から普通だった。彼らは天皇の皇帝擬きや多神教制度を含め中国からまねた。
テツ君は大阪から福島にきた人だった。先祖は知らないが、しらずしらず自文化植民地主義を関西で身に着けたあとなのではなかったか。自分は直感的にそのおかしさに気づいていた。ナカムラ氏にもそれを軽く伝えたが彼には何を指摘されたか理解できなそうだった。
関西文化の根に致命的歪みがあるのだ。
関西地方の諸文化は中国やインドの表面だけのまねごとでできている。だからどれもこれも偽物だ。それに気づかない人々は広くアジア文化を学んだ事がないだけにすぎない。所詮は亜流なので、異端アジア副文化の位置づけに終わる。
僕はそんな悪習を身に着けたいとは思えない。日立圏は独自の文明だ。