「自称」京都といわれるのが実質、東京どころか横浜より遥かに小さい山の後ろの田舎市の急所で、794年平安遷都以来の自己中プライドにひどくこたえる。この為、与党自民の策謀と変わらない中央政界パイプ論が効くと計算づくで、京都に完璧に慣れた福山哲郎氏は語るのだろう。そして実際、大いに効いた。
問題はこの政局で哲郎氏の属する松井陣営が勝ってしまうと、逆に、全国区で立民の党勢が急減する事をまるで計算できていない山背利己主義だ。その狭い盆地では覇権をとれても、全国を失えばどうしようもないのだが、党首の盆暗さにかまけて、勝馬に乗った顔をしているのが胡乱な田舎者にしかみえない。
(なお私は一般に田舎の方が都会より好きであり、ここでいう「田舎者」は客観的に見た様子であって、否定的な意味だけではない。京都市政界は盆地で閉じていて、内々には平和なんだなぁという陰影も含まれている。威張って侵略してきたり全国差別してきたり、色々昔から大迷惑な集団ではあるのだけど)