鈴木雄介ブログ

2008年5月31日

力学

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考えれば考える程、キミには分かるまい。 雑魚の群れ。死ねよと思う。だが、キミも混ざれと。 キミも身応ては奴らに呑み込まれて死ぬだけだ。俗物の地表。だが産まれた。 キミは怨んだ。事実、この世に居る意味はない。誰の責任だろうか? 単に必要ないよ、と。 結局は台無しに過ぎないのだ。死ぬ...

国民経済の改良

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政治や経済は対象ではなく、ただ人間社会の活動形態への形容であって、我々は仲間が協力する間柄を政治的とか経済的とか喩えられるだけ。企業は生産的、家計は消費的、政府は調整的という区別はあってもどれも、人間社会の有り様。安定した希少価値を有すると公認された金を仲立ちとして、我々は地球生...

経済文明の定義

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定言命法とは奉仕関係の謂われであれば、礼儀作法の絶えず新たな中庸の習いとして経済美を演技させる自由が乃ち、人格の究極目的。  だから行儀ということが道徳的な奉仕関係にとっては頂極の経済性として、温故知新の目当てになる。又これは躾と呼ばれる。そして最美の為付けが集積されてはやがて目...

努力と才能の等価性について

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天才とは生得的独創性すなわち各個性に与えられた学習質量の違い。しかも生涯学習者の領域を出ない秀才とは、その個性について程度の違いしかない。どんな学問であれ消滅せず記録される限り、言葉という記号を扱う文学の才能。Aが百日で到達した理解にBは千日かけるかもしれないが、少なくともかれら...

主知主義の理解

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どの様な科学法則も究極として、建築部品の工学的基礎づけに使えるだけ。だから人間が自然の一部分であるかぎり、我々は真理を単に生活をより暮らし安くする道具と思う。

物理学

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万有引力の法則から、 F=RmM/r 2 また質量とエネルギーの等価性から E=mc 2 ここで、エネルギーとは力の言い換えなのでF=Eとすると、 RmM/r =mc よって、 RmM=mc 2 r RM=c 2 r RM=(cr) 2 Rは引力定数として一定なので消去すると M...
2008年5月30日

人類の価値

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進化の階梯の遥かさを省みれば、単に生きているというだけでも少なくとも猿類に比較した功績だとも考えられる。人類の後から来る生き物は我々をその様なものとして保護するだろう。人類の絶対数はその増殖率からしても極めて少ない、或いは各人種についてであれ。天敵が現れない限り、環境抵抗によって...
2008年5月28日

学殖の方法

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学問が後天習性である限り、狼少女の例がある様に、学殖は単に環境の教育度によって羽含まれると言える。だから非教育的な環境からはどの様にしても学者が育つことはない。たとえば一冊も本がない場所からは先ず独力で微積分の定理を導くことはないと言ってよい。逆に日常に学者が街中で討論している場...

生物学

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運命選択された個体の形質は少なくともその天性に於いて進化する。それゆえ生得的にのみ、種は分岐する。自然淘汰は突然変異が機会的浮動と相関しながら働くことによってのみ観察可能なのであり、少なくとも環境変異の事象がなければ如何なる淘汰もない。というのは、小さな突然変異が適応的となるのは...

学術の範畴

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教育・宗教・競技また報道・文化・芸能はそれぞれ、科学・哲学・芸術が時の流れで段々と崩された形。科学はやがて教育にもされ、教育はやがて報道につながる。それらのあいだには真・行・草の編み目がある。これが横のあみめ。真善美の体系である科学・哲学・芸術についても同様にすると、縦の糸がつむ...

書道の文彩

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かの文が科学的か、哲学的か、或いは文学的かというのは感覚の違いに過ぎない。書道に、真・行・草はそれぞれの習い事ゆえ。
2008年5月27日

魂のありかとしての自然

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自然は目的。文明は寧ろこの勢いを養いうるに過ぎないのに、よく勘違いする。我々は自然が示す以上に賢明な摂理を知り得ないし、理論は単に知性への慰めの意味で合法則的なのである。諺のとおり自然はつねに法則の例外を示すことで、我々の知性の成長を励ますだろう。だから科学という遊びはいわば自然...

台詞

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人生というものは夢見るのと同じだ。そこから醒めたら、人はもうこの世に居ない。夢を共有するために生きて行く。けど、どんな物語もいつか終わりが来る。起きたら別の命が待っている。宇宙がある限り。演じるために生きている、どれもこれも。花の様に、誰でも咲き誇れば散るだけだ。

アナウンサー

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今日とあるアナウンサーが自殺を図った。数日前の満月の夜のblogに、徒然草の百三十七段を引いてあった。 「花は盛りに、つきはくまなきをのみ見るものかはとかいへるは、いかにぞや。」

学問の応用

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科学と哲学、すなわち学問は文書芸術の道具。それらは文章に対して手本と呼ばれる。文書芸術が文学として特に、学識の工芸を示す名を与えられる根拠も、又ここにある。学問の流れを汲むから。
2008年5月26日

有形の論理

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実験装置は推論に制限を与える為にも科学研究の不可欠な手段だ。仮説は観測結果と照らし合わせなければ知識と迄されない。真理は実証的である。  単に有形学・physicsにおいて推論すなわち数学を自己目的化してはならない。それはありうる観測結果を予測するためにのみ有効である。

エアコンの改良

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熱交換機の体表面積を整理し、[或いは可能なら酸化チタンと紫外線ランプによる光触媒作用を持たせて]「結露升」状とせよ。 [またフィルターはHEPAなどにより単なる空気清浄器様に交換し易く、別途としておくべきである。] この「結露升」の採用により、Air Conditioningに湿...
2008年5月25日

数学の立場

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数学とは論理記述の抽象的省略であり、幾何学は図式に関するそれである。これらは科学の全体系から自立したものではなく、論理記述を言語から切り離す限りにおける経験則的学識なのである。だから数学を規範とする合理論は根本として実証主義に至る経験論と矛盾していない。それらの対立は、論理法則を...

善悪の道理

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悪とは誤解の総称。我々はあらゆる暴力を否定し、徹底的討議を重ねることで唯一、善に近づいて行ける。従って絶対的善は存在し得ない。それは妥当の解釈に依存する。にも関わらず、善悪を見分けうる我々の理性にはこの為に基準となる当然さを最高度に理想化しなければならない使命がある。哲学者の言う...

道徳教育について

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哲学教育ということは原理として不可能であり、できるのは教師の道徳レベルを生徒に批判対象として示すことだけである。つまり、かれの総合知識から結論できる義務を当たり前の行動規範として時に及び説明し、或いはその社会的実践としてかれが習慣づけてきた倫理的中庸の程合いを実例として示すこと。...
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