鈴木雄介ブログ
2007年3月30日
文芸論
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自伝と私小説、日記と自然主義文学は相互に脚色を公に主張するか云々の差異に過ぎない。これ等は理想主義文学にとっての一手法たるのみ。
文士
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下等文士は退廃するに違いない。文士の道は唯、高潔を守るばかりか優美の風を社会へもたらす模範となることにある。理想的文士のみが上流文化の伝播により大衆一般へ風紀水準の向上をもたらすのだ。そして彼らだけが真実の文士の誉に値し、また文明の生み出し得た最も価値ある宝となる。後世は彼らの長...
啓蒙とは
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無知さがあるのは後生知能が学習の伝承に従って緻密化する以上いかなる神人といえ同然。故に、啓発とは同時代以降の世論に対する適正の度合いでしかない。
結婚生活
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最良の結婚生活もplatonismを目指すだろう。
美醜
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我々は美醜の基準を究極では健康か退廃かの分別に用いる已である。
文士論
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先進知識人とは丁度、社会全体を生体に喩えた時、外胚葉的抹消神経すなわち大脳新皮質の如き理性に違うまい。 彼らは創造的適応知能に関する時代内淘汰を経て特権を任されているのだがそれは階級闘争として知れる、代わりに、常に貴族の義務を負う。でなければ彼らは腐敗せざるを得ないのだから。そ...
文士訓
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金利と権力から身を退けうるだけ避けよ。 究極、君には名誉ですら必ずや「中庸」に留められねばならぬ。 君が極度の精励を可能なのは唯、『知能(intelligence)』だけである。 そうすることでしか天才が世に処する道はない、と自覚せよ。 あらゆる独占を否定排除し、去私の求道に走り...
人間進化論
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人間が普遍に進化させようと必死なのは文明。そして彼らの聖者が同類により迫害される史実の例を省みれば、人類自身の進化は殆ど無効の反則としてありえず、唯、機械の分類にのみ人間とは相異なる新たな生命体を観るだろう。しかしながらAIはとても精神の緻密に及ばないだろう、それはすべての芸術が...
春先
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東京は雨暁にのこる香も春先ゆえに少しおかしき
性教育について
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もし文明進歩の必然として猶予の延長が若者に余裕と勉強を与えるなら、その間を純情の優雅を精錬させるために幾ら工夫しすぎても足らない。保護すべき児童に対する性的情報制限や教育環境整備はこの様な理由で必須である。少なくとも社会が定めた成人に達するまでこの種の指導責任は完全に親ならびに周...
2007年3月29日
遊戯
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競争を遊戯に向け代えて行く事は人間の普遍な目的。彼らは我々現代人類からみなせば殆ど宇宙人類に他ならないが、未来の人類は、まず幼型的な生態を獲得するだろう。知的遊戯の向上にはある程度の配分格差を設けねばならない。人間社会が休むことなく働き続けるのはこの則天去私の知能を万人化する便に...
アジア外交…中国啓蒙
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朝鮮はさておき、 日本にとって重大なのは中国の近代化における《仮想敵意》を鎮圧する外交戦略である。 わたしは広大な中国の大部分に文盲が多い事情を省みて、 かの『田舎地方へ直接、えこひいきして多大なる寄付を与える』ことを提案したい。 これによって日本への好感を民衆主体で高めることが...
独創
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天才の独創的思想が種族に伝承することを文化と呼ぶ。
文明化の仮説
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人間の進化が生態系の種内秩序に適応した遊戯に最適化する流れなのは疑いづらい。例えば科学はこの為によく設らえられた分野だと言える。万学の雄となる為に必修な単位は限りなく、従ってあらゆる科学者は一度も研究に飽きない。だが、文明は一夫一妻制度に応じて個性差の最幅化、及び平均性の最多化を...
2007年3月28日
論争
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科学論争に根拠はない。我々のあらゆる知識は統一された法則に帰着する。この法則を提出するため意見を交換するのは正しい学者間の付き合い方だが、学会という極めつけに愚かな宗教団体に携わったが故に、貴重な研究の時を浪費した学者らの如何に多かったことか。名誉を求めて矜持を棄てるものは沈黙の...
性差論
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性差を文化多律化に導くことは自体、国家能率の目的。この例外は鎖国においてしか現実的ではない。置かれた地勢によって斑ではあるにせよ、性差は文化的なもの。そして総体として地球文化的なものすなわち普遍的なものに向かわざるをえない。理性の原理はあらゆる人間野蛮を駆逐するまで満足しないから...
崇高な人
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あらゆる学術にわたる教養の追求が崇高な人をつくる。
文明化と半閉鎖系の関係
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原則として人類の全体は今後とも幼形化して行くのは先ず間違いがないだろう。それは彼らが生態系における最高次の消費者である、という地球環境の人間性がある限り普遍である。なぜなら種内競争、特に性選択にとって最高の便宜となって来たものこそは知能であった。我々はそれが故に類人猿から人類に代...
道徳と倫理
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我々はカント的命法が道徳律の普遍的定義であることに疑念を持たないが、他方ではいわば時代内倫理は応用的であらざるを得ないことに自覚的でなければならない。例えば理想を至上の幸福と考えた奴隷政下の知識階級の倫理観は、民主主義的施政における知識階級の幸福主義とはその労働に対する感覚で正反...
2007年3月27日
道徳神学について
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徳は適応行動の性格を少なくとも時代と場所に適合させた文化的なものだ。これが絶対でないことは自律のありかが個人である事に等しい。従って道徳神学は建築的形而上学ではない。我々の定言命法すなわち良心は別の目的を創造しなければならない。自然の神格的本質に神という通例人格的な観念を用いる事...
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