鈴木雄介ブログ
2006年9月30日
いろどり
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重なり合って延びて行く沢山の層が、地球のあらゆる物語を相対化してしまう。人類がどの様に暮らそうと、そんなのは大世界の展開にとってどうでもよいことだ。小説は 人間 ( ジンカン ) を描くのに四苦八苦した。だがそれは、作家の人生観を読者とを対話させるような文字列の遊びだったに過ぎな...
建築論
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窓のある乗り物に入るとは、移動の主体を交換したという事。相対性原理。 建築にガラス窓を設けるという行為も又、その様な等価交代を可能にした点で風景の相対化。
2006年9月29日
素養
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芸術品位を高める土壌は文化的教養のみ。
約束の船
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天空は自由の音楽に開かれた形態を以て、地に這う様にして暮らす人類達を馴らして行く。彼らは幸福と悲惨とを食べ物にして日を暮らす。何の為に現れたか知らず、いずこへ朽ち果てるか判らぬ。日々が廻るのに合わせて社会という舞踏に戯れる。 花は咲き、萎れ、入れ換わる。波は打ち、退いては返す。...
2006年9月28日
朋
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聖者の他に朋を待つなかれ。
処世学
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あらゆる既得権益層は死亡する。
草子
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地上を幾重にも仕切る境界線、国境を乗り越えて、人心の襞を織り為す文章が在る。或いは誰が望まぬ共に、この一文がそうかも知れない。文学と時代が与える名称はこれを云った。 人間の如何を問い、世界の秩序を触り、言の葉が華やかに散る様を丁寧に拾いあげる希有な順列。併しそうして構築された世...
明日香
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やがて夜明けがやって来る。写し世の暗い喩えが熱を帯びた土地に降り注ぎ、草の子を次第に捲る。所へ旅の中途に在る役人が行き先を尋ねる。何処へ行く、太陽は答えない。只、雨中に魔法を照らすのみだ。 命は理由を持たず漂う、儚き御霊に過ぎず、世界は彼等を遊覧する揺り篭の如し。空模様は暗湛自...
2006年9月26日
夢見
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朝焼けが眩い。世界を浸す静かな音は、夢中の内に溶けて幾多もの念願を揺らす。地球は廻り続ける。 空は太陽の照りつけを写してまほろばの合間を繰り返しふらつく。海沿いのテラスに遊ぶ一対の影が体現する法は、宇宙の塵舞を尽くして流転に続く。踊り、狂う。秩序は崩れ、反り、退屈を浸す。去りし...
建築論
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建築が芸術と呼ばれうる為に要請されるものは何か。それは全体構成がひとつの美学的理念の暗喩として貫かれ、対伝統批判性を保っている場合に限る。建築芸術の高邁さはすなわち、多主体の協働作業力が一個の理想的目標へ向けられた時に発生する。 建築家の美学理念、建設原理はこの為に必須なので、...
秋風
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涼しげな秋風に香る夕暮れ
カントの人間中心さ
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私は、カントの猛烈な人間中心主義が道徳的だとは信じられない。もし人間より遥かに理性的で、ずっと善い生き物が宇宙のどこかに居たらどうするのだろう。 我々は新たな道徳標準を彼らから見習うべきであり、それがあたかも我々自身の本性に基づいたものであるかの様に振る舞わねばならぬ筈だ。
2006年9月25日
秋葉原
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秋葉原昔の姿今はなし
長袖
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長袖を着ている人が増えてきた
2006年9月24日
史学
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文明へ向かう伝統批判の精確さが文化的建設の基となる。文明と文化とは矛盾せず、両立駆動する。丁度、handleが文明であり、実地を走るtireが文化だと暗喩してもよい。基底を崩しつつカタチを変えながら進行するのが文化であり、文明は不変な目的=操作指標である。従って、文化は常に脱構築...
政治学
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民主政で哲人政治は不可能に等しい。なぜなら大衆の総意は中庸策に集まるし、寧ろ抜群の為政者を危険人物として排除する傾向にある。 現代の政治哲学は世論の量質を問うものでなければならない。
審美論
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高級な芸術を志向する試みだけが工人を美学者へと誘なうもの。美学は学問としてない。単なる人文教養の批判的総合としてのみあり、工人に不可欠の素質として芸術の入口となる。 そして考えうるかぎり最高峰の美学的基礎を伴った工人の手になる作品だけが、少なくともその時代を画する芸術となる。而...
民族主義の自己破壊性
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国際外政は常に多少干渉の関係にある。それはunited statesの内部構造がやはり国家同様なのに等しく、苟も地球に建国する限り永久に逃れられない村原則である。孤立した社会主義国群が遅かれ早かれ、干渉の道理に従って民主化されざるを得ないのは自然だ。それは直接的奴隷使役が国際法治...
維新の悪
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人々は生の限り地球社会環境を優化しようとたとえ無知による悪を積極的に為す反作用によってすら務める。それは彼らの目的化した種内競争の定式であり、文明と呼ばれる。 人知最高の性質である理性は、文明建設の為にのみ働く。しかしこの様な建設的な認識がいずれ批判に価するのは免れない。それは...
2006年9月21日
都市論
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物語は想像において築かれた都市である。そしてこの中についてのみ、都市芸術は可能。 建築は彼様な形式を擬似的に仮設する現実態である。だがこれは批判ではあるが、建築芸術の価値を幾分なりとも貶める認識ではないだろう。建設再編体系の仮代表制は文字通り民主的ではあるから。
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