2021年9月8日

京都府京都市に於ける門地差別の風習から類推した「イケズ」の分析

京都府京都市が「イケズ」という意地悪・性悪を意味する方言を持っているのは、平安時代から続く移民地区として、一帯で長年余りに犯罪率が高かったスラム地帯としての対人的経験則を意味しているのだろう。実際、『京都ぎらい』で梅棹忠夫が井上章一へ語った様なある種の門地差別は、常態的に京都市民があらゆる人々へおこなってくる代表的かつ典型的言動だが、その様な悪しき風習を持っている社会はそう多くあるわけではないし、性悪な人々がスラム地帯に長居し続けた結果、京都市民自身も気づかないうちに身に着けてしまっている中華思想・華夷秩序的な差別主義の実例という以外ないしろものなのである。京都市の一般民衆以外は、対人関係のなかで門地差別をする事自体が極めて希あるいはまったくないので、通常、京都市民自身にしか、その悪風の異様さは気づかれていない。
 また京都市民一般は郷土教育や風習から、自分達が彼らの信じる自文化中心主義・華夷秩序の上位者とあたりまえに思い込んでいるものなので、外ではその様な風習自体がないと知らない事が殆どである。

 京都市をすきこのんで住み着く人々のなかには、その様な悪風が気質に合っていると感じている人も予てからいたに違いない。仮にどれほど特定の悪習があったとしても、それを体感し痛い目にあって知ったとしても、そこが退廃したスラムと知りながら、可能だった脱出もせず住んでいる人もいるのと同じ事だからだ。
 こうして京都市にあっては長らく門地差別は当たり前の常識とされ、その残滓がいまだに部落差別問題として京都市内にすら残っているのが現実だし、事実、京都市民一般と接すると開口一番出身地で差別的言動をしてくる場合が私の経験からも或いは観察からも相対的に著しく多いのである。そしてそれを京都市外の人々はこれが世に聞く「イケズ」というものか、と感じとるが、実際には、京都市民一般がおそらく天皇家による都市計画の時点からその様な差別の悪風へ不可避にまきこまれ、或いは進んで参加するなかで、彼ら京都市民一般と天皇家自身が無意識に体化している差別主義を文化の一部に内在してきている証明だ、というべき点なのである。