2021年5月10日

同時代中心主義者は時間的な中華思想の持ち主

時代中心主義によって自己中心に判断する人は、空間のみならず時間についても中華思想を持っている愚物である。近代より古代を低い価値あるいは未開と見なしている人は、未来や過去から近代がそう見える面があってもそうと気づかない。これは自己愛妄想の一種なのだ。

 弥生時代は縄文時代の平和で文化的な社会を、渡来系蛮族が悪意ある暴力とケチさで破壊した面がある。だがこれを何の留保もなく進歩と考えている人は、中世よりも近世を、近世よりも近代を何らかの合理化・言い訳で、より価値が高い文明化に違いないと思い込んでいる。ある面で人やその文化的習癖は大幅に退化しうるのだし、それは特定地域に留まる事ではない。
 京都市民一般は中世移民として自分達を中華思想で日本や世界の上位者扱いしてきているが、その種の差別思想をもっていない地帯からみれば、彼らこそ常に野蛮だったのだし、世界自由文化都市宣言以後の京都市単位で自文化中心主義に耽る今でもやはりそうなのだ。