2020年10月11日

個人間で異なる価値観が無数にあるのでそれらの一つのみを自己中心的に「今」と定義はできない

(kemio動画『その時代のフィルターじゃ今のウチらは盛れないの』ツイッター短縮版、についての引用ツイート集)

世代単位で分類する事による年齢主義に過ぎない。
 僕がみてきた限りどの年代だろうがろくでもないのがいるし、ある事柄または或る文化圏での感覚の合目的性も年齢とあまり関係ない。

 この自世代中心主義は老人が同じ事いったら別世代弾圧の老害な以上、若害の理屈といわれても仕方ないと思う。

 海千山千を知らない経験的未熟者は見通しのなさから刹那主義に走り易い。若者一般が社会一般に対してそうなり易い様に、老人一般に未知の分野でも起きる。いわばダニクル効果でいう自己過信。
 それに伴う無謀さには、正負両面があり、革新ももたらす場合が希にあるが、大半は凡百と同じ失敗例を作る。

 性的少数者への寛容さと若者一般の世代感にどれ程の相関性があるかだが、確かにこの点で日本の世代間断絶は大きい。
 但し、遺伝・文化のどこかにその原因があれば、今の若者が歳を取った際にやはり同じ自世代中心主義に陥る可能性があり、日本人一般の構造的摩擦かもしれない。
 自分がみるに同性愛に関する価値観の日本での世代間断絶が極端に大きいのは、主に触れてきたメディアバイアスがあるかと予想。テレビ中心の規範では同性愛者は「オカマ」として奇怪な存在に描かれていた。欧米側でこの規範が崩れてからもテレビではその描き方をやめなかったのでネット世代と断絶がある。

 ケミオが恐らく受け入れ難い価値観で、未来世代又は別の文化圏が彼彼女には理解し難い社会を作る様になったとして――規範は大幅に変革され続け、文化圏ごと異なるので当然そうなるが、やはり年齢主義的な自世代中心の見方に基づいて「今」を語るのが的外れな様に、ある時代ある文化圏の正当視も危険だ。イスラム諸国では『コーラン』に姦淫(不倫の姦通や婚前交渉。ズィナー)が鞭打ち100回と記されているが故に、日本だの欧米だのの文化圏と異なる人倫体系を持っているとして、よりそれらに寛容な「今」の自称先進国が倫理的に優れていると必ずしも正当化できない様に、或る文明の今は絶対的正義でない。
 個人単位でも、或る感覚性が特別鋭敏な人が生まれ育ちうるので、その人はしばしば一生の間、鈍感に生育した全若者達より優れた感覚を発揮するだろう。経験のみに基づいて感覚論があるわけではないし、共通経験をしていても全く違う感覚を受け取っている場合もある。この点でも今の感覚は多様なだけだ。