村上ラジオっての2年くらい前からやってたのをさっき知った。で網羅して文字起こししてあるの読んで、第一回とJAM2回だかのスガシカオ出てくる回をユーチューブで聴いたけど、やっぱり第一の感想としてこの人の音楽の趣味は驚くほどダサい。この問題についてもう少し詳しく書いてみる。
(なおスガシカオの事ではない。自分は『雨上がりの朝に』が知る限りベストだと思っている)
僕は古今東西の村上ファンの中では恐らく嘗てなく一番コアの部類(だったの)で、というのも、高校3年間の授業ってほぼ全部春樹に専従して弟子入りしてたくらいのもんで、授業中全小説読んでたのだ、僕は。しばしば繰り返し復習すらしていた様な気もする。
なんでかというと自分は既に科学(いわゆる受験勉強)→東大→大企業・官公庁、亦は研究者→ノーベル物理・化学・生物賞ルートって何度やってもこの馬鹿みたいな世の中を量産するだけと悟っていたので、その進学校的なるものに絶望していた。それで何とか抜け道を探そうとしていて小説に出会ったのだ。
同時期に、大体15才の時だけど、なるだけこの世を変えるしか生きるには道がないと物凄い焦燥感に駆られており、というか思春期の最も初期にあたる疾風怒濤の中で精神的動揺と不安のあまりなにかあったら自殺しかねない状態で、偶々美術と音楽で美術選択したので絵もいけると感じその道に入っていった。
そんで僕が15の時は内面は『15の夜』と『ニシエヒガシエ』を混雑させブッダ色を塗って優等生にしたみたいな感じなんだけども、自分は元々ほぼテスト100点でも嬉しくなければ98点で酷く落ち込む(どこ凡ミスしたんだ?)みたいな満点系人間で、いわゆる不良ではなかった。外見至極大人しい少年である。
僕がその15才で高校の進学校的な授業(とにかく機械的に受験までのルートを辿らせるみたいな雰囲気)にこんなの何の意味があるのと思っており、周りの少数友達も僕がそういう事思ってる、哲学的な事(生きるとは? みたいな根源的疑問)語るのは薄々気づいてたが、教師とかもタダの公務員であった。
公務員なんていわれたとおりの仕事を程度の低いAIみたいに作業してるだけで、要は点取りゲームして巧くやってるやつを褒めるだけだから全くお話にならない大人達であって、高校教師も99%が実質ゴミだと僕は思っていた。要は自力で思考する能力がない馬鹿連中である。一応の基礎知識は持ってるだけの。
だからといって自分は優等生系なので反抗とか一切していない。その頃、思春期少年なのでなんかかっこつけてコンタクトレンズにしだしたが、元々、小4くらいに姉がファミコンとドラクエ4買ってもらったせいで画面にへばりついて泣きながらクリアしてたので視力は大変落ち、度数高いからハードで痛い。
つまりなにが言いたいかというと、進学校によくいそうな大人しい眼鏡少年の少々思春期化した繊細バージョンにみえたであろう。外観。誰も気にしてないかと思いきや、一目ぼれ? かなんかで知らん女にいきなり告白されたのでみられていた。それはまぁいい。要は自分は、授業を私的ボイコットしていた。
その3年間の授業中、僕はいわばある種の文系大学生みたいな生活をしていたのである。ずーっと小説研究を専攻してガチめというかドラクエに夢中級の真剣さで朝一から昼もぶっ通し(通学電車1時間くらい、朝日を常磐線からみえる水平線横目にずっと)、晩まで、晩どころか深夜まで、小説を読み続けた。
それはなんでだったのか。結局、自分は手綱みたいな感じで、なんとかこの閉塞的な科学教育(のちに明治政府の陰謀だったと悟る)の枠組みの外に出なければ、日本のくそさを寸分も変えられないと焦っていた。焦っているどころか必死であった。春樹も当然の如く全作網羅し読み、研究者よりマニアックだ。
高校の授業はそんな自由度はなく、数学Aが~とか生物Bが~すいへいりーべぼくのいえが~とか。ありをりはべりいますがりとか。そういうのを素で覚えろといってくる。確かにやってはいたが、僕はこいつら馬鹿じゃねえのと斜にみて、軽めにやっていた。ただ英語だけは割と科目が好きでやっていたけども。
僕がそうやって小説(勝手に)専攻し、朝も一番電車で美術室に直行し絵を気が狂った様にぶんなぐり画き(というのは漢詩的表現で、実際にはスーパーカーのフューチュラマとかを友達の安っぽい青い組み立てスピーカーで自分のCDウォークマンからかけつつ、先生の真似しなぜかパンドルで画き)、3年になった。
その時の模試はまだもってるが、自分はどうやら地頭は決して悪くないらしく、デフォで早慶A判定みたいなの出ていた。しかし自分はかしこまって武士の子供みたいに父上の足元に馳せ参じ、拙者は芸大美大にいきたいので御座るとかいったくらいで(姉が既にいってたので真似て)そっち志望に決めた。
その後の事は別の所で書くからここで詳述しないが(自分は春樹のお得意フレーズ、といっても多分全作で1度しか出てこないがみつけてみんしゃい、でいうと「象の様に記憶力がいい」のでやばいくらい再現できるのではあるものの紙幅が足りない上に脇道に逸れすぎる)、要は春樹の少年研究者であった。
ほんでだ。
自分がそれから随分経って、イージーリーディングというべき春樹を除く、THE古典から現代までの全文学なるものの全体像も諸々渉猟し尽くしてから、或る時、『村上春樹を聴く』? とかいうCDつきのご本を偶々購買してもうた。これでびっくりしてしまいました。
なぜ。曲が酷ください。
それまではですね。わたしもそうだったと思いますが、春樹は小説として読んでいたのでその中で、なんかおしゃれぶって出てくる曲の単体とか、別にそこまで気にしてなかった。コルトレーンのマイフェイバリットシングスを保谷図書館分館で借り椎名町で買った赤いCDROMにコピーしてずっと聴いてた位だ。
ペリエのんでも炭酸水かいな、気の抜けたダイゴの炭酸水かいな。位の感想で、当時はダイゴとかいませんが、要はおフランスごっこかいな、位のドリー文脈が漏れなくもない。それはのちにだが、ドリー以前の当時は、そういうつっこみが宇宙のどこからも出されなかったのだ。春樹批評って。内田樹指揮。
『僕たちの好きな村上春樹』とかいうムック本がある。あれに内田が文よせてたかは忘れたものの、神戸系べた褒めなのはよく記憶している。とにかく酷いのだ。批評になってなさが。そのべたべたした感じ。それで僕は春樹ってどうなんだろ、と逆に冷めだしたくらいだ。ただのポルノ褒めてる関西人かよと。
そんな中ドリーが登場。それでもう決定的に春樹的なるものの底の浅さが暴かれるきっかけとなり、それまでは東京ゲスサロンでしかない私小説文壇内で、売れてる嫉妬まじりにいじられる、独特の昔ワルだったっすの文化版、斜に構えたといおうか小山田圭吾的な立ち位置だった存在が、お洒落権威失墜した。
僕はそのドリー尖兵による大突撃より少しなりかなり前に、某CD本で余りに選曲おじさん臭にびっくりして、ええっ、この人レディヘ以外の若者音楽わかってないんかい、辛うじて十八番ジャズの趣味もなーんかなこれかい、となんともいえない気分になりまくった。なんというのか全然シャレてないのだ。
おしゃれぶってる人達の世界観って、裏原宿で重低音だけ強調したわけの分からないアングラっぽいラップとか、吉祥寺だか三軒茶屋で高いだけのへたれるTシャツ売ってる店でかけられてる様なボサノバと日曜の朝の目玉焼き的なものが混合した謎の代物(イージーリスニング)なんだろうと思うが全然違う。
春樹の音楽の趣味ってのは、モギケンが日記に筆鋒鋭く書いてたが「ジャズ喫茶の親父」のそれだ。これが本質であって最初で最後だったのである。村上レーディオとかエコー発音させちゃうのを、これはなぁとか突っ込まず使う。都築に陰湿な感じで温泉ネタ口止め。隠さなくてもいいじゃんそういうところだぞ。なんというのか2chとかまとめサイトに常駐してる匿名村人キャラの言い方を(土台好きではない言い方なので)気分が悪くなるがいわゆる京都的裏表マジックの部分なので、文脈上わざと二重スピークで模倣すると。
自分は、最初はスガシカオ宜しく、春樹の文体模倣から文芸修行はじめていた。しかしその初期作品はアリの穴に連投したの除けばもうまとめてないから公表しないかもしれないが、2chで春樹らしき(本物か不明)固定にもう文体卒業したらといわれ、春樹様式をその時点から反面教師にしてきた点が違う。
こういえる。エピゴーネン(追随者)になる人達は、その種の卒業時期が遅れている。最初はしゃーないであろう。ヒヨコはカルガモを追い駆ける。しかしそのカルガモにろくでもない部分があると分かった時点で、できるだけ早く親離れしないといけない。さもないと、内田樹みたいに謎のベタベタ感を醸す。
音楽趣味についても同じだ。ついでに書くと、僕があのCD本で疑いだした時点から彼も服装趣味もドリー式に「あれれ、これクールとかじゃないやん。そこらのプニクロ大学生ですらこんなじゃないやん」と悟って行った。
春樹ってのは文体で、素でダサい物を美化する手口が巧妙な嘘つきのキャラである。
またこうともいえよう。例えばモギケン、この人は最近の現役知識人の中では小林秀雄ラブなだけにかなり幅広く批評してて特に美術分野についてもよく参入してくるので(いわばそれが自分のテリトリー内での活動なので)僕は個人的に注意深く美学研究者の目で眺めてきたのだが、彼は本居もののあわれ論とかを無批判に信じる。
これも同じだ。追随者は、特に非科学的分野(後自然学のうち人文系)だとその時点でNGで、本質からいって全て仮構なのでできるだけツッパリ式に全否定していくのが基本流儀である。その出会いがしらの突っ撥ねが有効打だと「お前、すげーじゃん」ってソクラテス、ヘーゲル式に文脈化される世界だ。
唯、先人を後追いしてるタイプってのはいる。もしくは微妙な改良に留まる人。例えば私小説家の全部。この人達、一まとめに「私小説は明治から平成までの東京文壇でおもに流行した、内面の告白表現だった」とかで終わる。恐ろしい。漱石とか一章割かれるなら、そういう追随的な模倣が少ないからだろう。
んで、春樹だが、このひと、確かに(10代後半の)僕は一時期かなりの程度、恐らく人類で一番か2番(但し判定方法がないのでお前の主観だろといわれても反論方法がないが、のちにわかるであろう)に到達するくらい本気で研究したが、特に、文章の外に出ない方がいい、この人。飽くまで文筆家だからだ。
喋りが特別上手かというと、普通のおっさんおじいさんって感じで、ちーともうまくない。つか、失望させてくれるな、って位で、じゃあ何で表に出てきたかだが、よく画家とかでもあるけど晩年になるとボケはじめガシガシ的を外し出す。それがいい味わいになってイイネってパターンもある。マティスとか。
が。私がみるかぎり春樹殿下はこれでは毛頭ない。素のボケである。元々その兆候はあった。奥さんに関西人の血が流れてるっていわれてるらしいが、ボケのつもりでくそエッセイをまきちらす。くそってのが言いすぎなら、たまに笑えるところがあるくらいの質のもの。インタビュー集も同じパターン。
そもそも序盤戦でもそうだった。柄谷がつっこむとおり『ノルウェイの森』でポルノ小説かいて俗受け狙った時点で、既に商売人の本性が見え隠れしており、それ以後はもう見る影もない堕落に過ぎ、もう最晩年の総まとめ段階にきている。総合小説がーとかいってたのに、今度は中途半端ラジオかいとなる。
しかもね。ネタが寸分も進化してない。村上さんに聴いてみようシリーズからいってることが1ミクロンも変化しないまま、同じ回答をくり返しておじいちゃん、またのんでるわねっていう銅がこびりついたステンレス製の薬缶に粉剤スポーツドリンク入れて酸化した感想しか研究者からは降りてこないのだ。
作家、美術家であれ文芸者であれ、自分の確立済み売れる様式をぶちこわして前に進むやつは、本物の前衛になりたいと評していいであろう。そこから本番がはじまる。しかし春樹が最前線に出ていたのは、俺がみるに『アフターダーク』一作だ。あれはかなり先鋭的だったが他は微妙。これが本当の話。
文化闘争の戦場を仮想空間内の命がけのサバゲーだとしよう。そこで春樹がどんな選手かというと。芥川とか漱石とかすらかなり前に出てくる人なんだけれども、春樹はたまーに前の方に出てるふりはするが、基本ヤレヤレといって、すぐ自分で車運転して勝手にプップーと鳴らし、岩に乗り上げて降りるやつ。『荒野行動』でたとえてるんだが、岩に車のりあげるってのは運転が下手だからで、そこで仲間が皆動けなくなって運転手が自分から降りてヤレヤレみたいに車を銃撃破壊して、トコトコ歩き出すみたいなやつである。前に出てるふり。現実にはそれでラジオとかやってるわけで、そんなのしてる暇ないでしょ。つまりですよ、ドストエフスキーとかガチ勢の小説家だった。それは彼が切羽詰っていたからもあるが、本気で書かないと死ぬという焦燥感に駆られての事であろう。春樹はそういうのがないのだ。やってはいるけれどもサラリーマン的な手抜き感で、まぁこんなもんでしょ、っていうのを適宜料理して出す。
それならそれで、私はビジネス小説なんで、こんなっすよ、みたいにいってりゃいいのだ。それなら納得できる。吉行淳之介ポジション。
或る意味、僕が騙されていただけともいえるが、本気出して書いて『1Q84』ならそれは才能がなかったとしかいえないのではないか。本当の小説って人間の業の描写だ。
例えば春樹も大好きな『カラマーゾフの兄弟』でも、芥川の『ある阿呆の一生』でも太宰の『人間失格』でもいいけれども、そういうメジャーの直球系みたらわかる通り、おふざけどすぇみたいなのわずかなりともない。ユーモア小説なら分かる。春樹の全小説でそれらに匹敵するくそまじめなのあるだろうか。二流の小説しか残せてないのに、おらぁもう世界的小説家だからさぁ、ノーベル賞学者さんと足軽友達でさとかいわれても。問題はそこにはない。小説を書け。しかも普通にまじめなのを一個は。
一個なりとも書けていない。一番まじめな『神の子どもたちはみな踊る』だって子供の時点で複数形だろうと。
自分の意見なんざどうでもいいだろう。しかし自分は読者の中でも最も深刻な読者の一人、というより少年研究者であったことだけは間違いない。思春期の殆どの学習時間を網羅的春樹研究に費やした人なんてそういないだろう。しかも頭も随分冴えている。そいつがいうのだ。ラジオとかいらないからって。