2018年7月10日

都鄙の意識

商人や公務員として(労働者としてであれ経営者や役員、投資家としてであれ)カネを儲けたと自慢し他人にそれを聞かせる俗物は、単に不愉快がられるだけでなく、当然ながら妬まれ、疎まれ、憎まれ、嫌われ、大抵の場合は怨まれる。この種の金儲けを挨拶がわりにしている人々は単なる商人階級(今日の先進国では殆どがここに属する以上、富豪を含み底辺または下層階級、下流と呼ぶべきだ)に他ならず、そうでない他人は、自身が保有したり稼いだりしたカネの量に興味がないと知らないのだ。従って、下流でない人、商人階級でない人にとってカネ儲けを唐突に自慢しだす人は日々の余裕がない事を計らずも吐露しているばかりか、欲深、貪欲という悪徳を無用にみせつけているのだし、その上相手を自身より貧しいとみなし訳なく侮辱したという最悪の記憶だけが残される。
 商人階級は都会と呼ばれる商業地区に密集して生活する傾向もあり、一定の地区でこの種の下層階級に遭遇する確率が有意に高い以上、都市生活者への軽蔑の念が自然に、中上流に属する人々の中で醸成されても疑問ではない。他方でこの種の都市部の商人自身は、先進国にあっては個々人が自由にも関わらず忙殺される奴隷的状況にある事からも大抵の場合道徳性を最高度の達成とする一般的知性も低い為、自己の境遇を自慢したり、衆愚的に傲慢な態度で非下流の人々を少数派であるという理由だけで差別したり、見下したりする傾向も並より一層激しい。資本主義が生み出す真の格差は、奴隷的職業である商人階級に属する無教養で思いあがった都会人という下流の人々と、そうでない余裕のある郊外人、当のうぬぼれた都会人からはしばしば侮蔑的な意味で田舎者と呼ばれる中上流の人々の意識の間にある。