2018年7月10日

幸福と快楽の差

人は善行を動機づける癖が無意識化してのみ、幸福に値する。この点で質的快楽、倫理的快としての幸福が、単なる利己的快たる量的快楽と区別される。一般的に幸福と快楽が違うと認識されるのはこの為である。
 ある人が憎まれず、愛され、しばしば感謝され、時に崇拝されるのは、善業の蓄積の為だ。つまり快楽を感じている人と、幸福に値する人とは本質的に異なっている。後者が快さとして認容しているのは、利他性それ自体なのだ。
 ミルの質的功利主義が定義しようとした質的快楽は、本来、アリストテレスによる定義に遡って快楽と区別されてきた幸福という語彙で呼ぶべきものだったのだし、アリストテレスに於いては目的それ自体であって決して他の手段とならないものを幸福と定義していたが、それが利他性だと考えて間違いない。