2010年4月7日

説法

英米人はポルトガルの侵略者が蛮人を襲った上に建てた奴隷搾取の世界を羨ましく思い、古代ギリシアと同じ自由社会を目指して後を追った。
簡単に言って、ゲルマン人はそれができなかった訳ではない。遅れてしまっただけだ。内陸で、大きな集団をもつ彼らは、アングロサクソンがあちこちで自由を建設するのを、また最大の好敵手たるフランスが西欧大陸の覇者を生み出すのを暫く眺めていた。
自由は素晴らしいことだと、奴隷を眺めつつ彼らは考えていた。実際費用を負わずそうできるものなら。我々は彼らが混血していったニグロイドが自由とやらを反面から見ていたのを知っている。自由は、裏側では「隷属」だった。

ヘーゲルは東洋では皇帝一人が自由をもち、他は隷属すると言った。和を以て貴しと為した中国に見習った祖先は、農耕社会を丸く治めるのに自由を一人へ預けてきた。

 ゲルマン人は植民地も、奴隷もとりのがした。辺境の民として、西洋史の表舞台に随分遅れてやってきた彼らは食べ残しを探し、そして見つける。
遠い海外へ多くの兵士を遣っていた西洋人はどこも身近が手薄になっていた。同じ様に遅れて暴れ出した遠い東洋の島国の民は、彼らと似た境遇にあった。
 それもその筈で、暫く前、日本政府は公家に着いた薩長藩閥のいうとおり、ゲルマン人の中へ要人を派遣していた。そこで学んだ通りのことを実践していたのだ。

 ゲルマン人は先ず自分達の集団内で最も野蛮な民を奴隷に仕立てることにした。もしそんな程度のことが悪なら英米人などは地獄に堕ちる。
本物のインドも利用しているアングロサクソンの揚げ足を取るのに、ゲルマン人はアーリア人至上主義というアジアごと包み込める民族差別を考えておいた。

ゲルマン人はそれから徐々に、植民地侵略を合理化している悪徳西洋人を懲らしめにかかった。要するに、西洋人そのものを奴隷にしようとしたのだ。
なぜかイタリア人も着いてきた。どうやら同じくらい周回遅れのロシアへの対抗の為らしかった。

 暫くして、アメリカに亡命した科学者はユダヤ人を粛清したゲルマンを懲らしめるべく原子爆弾という大量破壊兵器をつくっておいた。ところが、予想よりはやくゲルマンは降伏したので使い道がなくなった。
 極東の小さな島の民は無我夢中でアングロサクソンと戦っていた。ところが、彼らの頭の中身はからっぽだった。
他の西洋人が植民地をもっているのに我々だけ不平等だと言い、薩長藩閥と公家の御一行は軍人へ多くのアジア人を虐待させていた。彼らはどこかからちゃっかり盗んできた思想で大東亜共栄圏と言い、西洋人と並び立ちたい一心でアメリカへ喧嘩を売って行った。
言うまでもないが、原子爆弾はその小人らの頭上に落とされることになった。馬鹿は殺される。これが彼らへの説法だ。