2007年8月9日

数理学

宇宙の理由を探ることは数学の手段化を伴う。しかしその認識の限界は同時に手段に在る。総て宇宙論は何れもみな漸近的仮説に留まらざるを得ない。智恵の泉は学究過程の厳密化中にしか無い。物理は学び得ず、思想体系に参加しえるのみだ。しかし我々はこれらの体系を完成へ向かって永久に論理更新させて行く使命を負う。
 理性人の命題は真理の追求にある。真理が相対的にしか認識し得ないにせよ、我々が真理の確律を相対的にも認識しうることは則ちそれを知る経過を意味する。知ることは働きである。全知とは固定した状態では無く、知性の漸進性にとっての進化目的に他なるまい。
 源は果てについての思考と両輪されねばならない。もし片側だけ知り片側を知らない場合があれば、我々は宇宙についての概括にさえ達していないのだ。
 数学しか絶えず積み重ねて学び得ない。数学は我々現代人類が創造する唯一の科学言語である。