現状日本の東Asiaでの地位を鑑みれば、近い将来に予想される南北朝鮮の統一や中華人民共和国の崩壊と中華民国の確立とに期を譲らず、我々は飽くまで北側に立ち、「殆ど独立州・United Statesの一員と変わらぬもの」として一向平気に振る舞う方が得策だろう。軍備の如何、国政におけるその合理化の仕方如何に関わらず、である。とはいえこれは必ずしも万古不易の法律ではない。
少なくとも我々にとり、脱途上と先進入とは明治維新以来の宿願であった。それは利己心ばかりでなく、福祉の為の必要でもあった。実際、白色人種とされてきた者以外の先進国民とやらは未だ日本人の他にいないのだから。ならば我々の世界文明史中での一挙手一投足はすべて後輩へ発展の勇気を与えるものだと自覚せよ。それはいかなる異民族無知からの抑圧にも構わず、前進を旨として模範的文明を築く使命である。我々の活躍だけが文明史中に多民族共栄時代への突破口を開くものだと信じなければならない。
足を引っ張るものには圧倒的格差を見せつけないべきではない。