鈴木雄介ブログ

2006年7月30日

遊園地化

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単なる繁殖以外を文明の目的地とする限り、その究極の姿は安寧な繁栄にある。理想の幸福は繁栄の果。環境の適度な合理的調整によって生活のなかに多くの遊びをもたらすものこそ文明。自然の促進ですら彼らのrecreativeなあそび。  人類は自然をつくりかえる。そうすることで宇宙を遊園地化...
2006年7月29日

詩学

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教育の理由は生活の文明的な優等化にだけ見いだされる。野蛮を脱し、暮らしの仕方は洗練・安寧・清潔化されずにはおかない。  Liberalismは最大の寛容が目的ではない。それは最大の寛容による自発的な競戯飽和作用に従う、啓蒙の合理化が目的。つまり、自由は文明の繁栄への仮に名づけられ...

立派さ

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例えばサルどもの巣を創る事を建築と人は呼んでいる。そもそも全て、芸術は二足歩行のサルの為に企てられたお遊びだ。繁殖活動、究極では文明としてのに程あれ協調以外に、どんな生活もできない。政経と学術。あらゆる人類の偉業ですら、繁殖の合理化へ寄与するべく設らえられた機能に過ぎなかった。 ...
2006年7月28日

建築論

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文明環境を経年優化するにあたって必要なのは風情である。それは建築的自然空間の追究による。

神聖さ

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人間が、神聖たりえる為に必要なのは、精神価値である。
2006年7月25日

Hellenism

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Hellenismの根本には哲学精神がある。

建築論

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計画の基本的定義は、構造と設備とを美学的合理のもとにまとめることである。その究極では、人工と自然とを調和のもとに置かなければならない。

建築論

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普遍空間と自然空間の建築的差異を問え。普遍空間の基準は構造によって開放された可能な限りの等質時空にある。その究極の姿は、自然空間として解しうる環境適応的な文化組成である。もし人間原理に基づくなら、普遍空間は地球文化の枠組みに属する。
2006年7月24日

環境技術の市場

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環境負荷軽減の為に、途上国の経済発展を抑圧するのは先進国民の恣意だろうか。エネルギー問題を解決しながら、彼らの自由な開発を許すような方策は見つけられないのだろうか。  最も先進的な科学技術は、環境コストを最低化しながら最大限の合理性を指導する。ならばその応用は、先ず途上国の為にこ...

建築論

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建築家の根源は棟梁の気質にある。それは様々な職人の先頭に立って、全権に渡る責任を取る為の決意である。棟梁は文明の全ての技術を、最も優れた判断による指揮の元にまとめるのでなければならない。
2006年7月23日

建築論

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人類の生活は次第に地球化されていく。というより、地球化された生活が我々の中に発生する。普遍文明の理想は地域風土個別性の脱出を志向する。にも関わらず自然空間は個別性を要求する。ここに現代建築計画にとっての、大きな矛盾がある。  近代合理主義は究極的に、完全な均質空間を創造するよう導...

建築論

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地球生態系が太陽との適当な関係のもとにのみ、暫時的に成立しているものであるのは疑えない。それは永久不変の絶対なる核でもない。環境学が持続可能性と云う理念ですら、仮設の一時的関係に過ぎない。即ち、生態系は目的ではなく方法であり、地球の生存を永久的なものへ高めるために用意された土台で...

教育と伝達

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自己教育の限界はあり得ない。それが他律的で、受動的な義務付けの範囲に置かれたならば、はじめて過剰の問題が生ずる。個人の自由権を侵すから。基本教育が国家によって現代なお義務付けられている理由は、知能格差の極端化を防ぐ為に全体統制による福祉が、私民により世論として容認されているからだ...

教育の用途

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人類個体の学習の伝承を教育と云う。研究が彼等に益をもたらすとすれば、それが人類の知的水準を向上させ得るからだ。則ち、理想の結果は疑問あたわず、教育に用いられるべきである。教育によって民度は上昇していく。
2006年7月22日

友

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猿の戯れに混ざるべからず。神のそれをこそ求めよ。

建築論

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地球が奇跡的な現象なのは驚くに値しない。それは人生の現実に驚くのと同じ程度の奇妙でしかない。驚異なるのは時空間に関する法則的関係であって、それは自然の最奥で支配的に振る舞う意志である。かつて人々はそれを神と呼び崇めた。今は、我々によってエネルギーと名づけられている。生態系の循環性...
2006年7月21日

哲学の構造

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単に生物の多様性を促進する為に生き延びるべく使命づけられた個体が君の実存だ、と言わなければならない。その自由の限界は精神と呼ばれる脳の働き方に依存する。サルトルやハイデガーの論考はすべて、その様な生物構造に依存するものにとどまる。  では、人々が文明生活を指向し、種内多岐性と生物...
2006年7月20日

言語論

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文学における目的美としての言葉と、哲学における思索の道具としてのそれとは、違う様相のもとにみいだされる同じ体系の組み換えなのだ、と知るべきだろう。  もし異言語間の差異が強調されるべきならばそれは文学による。何故なら、文化的観念のちがいは表現の多彩を誘い、個性のために重要な演出装...

言語論

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哲学が言語の使用という手段に基づくものであることは現実で、又そこで試される観念の組み合わせからのみ、理想は図りうる。人類が今より遥かに知的に進化した未来、言語は今と元通りの構造を保っているだろうか。恐らくそうではない。言語は不変でなかったし、可変であるべく意志伝達の媒介として用い...

生について

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様々の個体が独自の生活を経る。彼らは一様に種内多様性の媒介。理想人も死の事情を免れ得ず、また免れないべき所以は、彼らが有性生殖を生業とする哺乳類である所に還元しうる。或いは今日に最適化した個体よりもずっと、明日は今日の落ちこぼれが最適な環境が生ずるかもしれない。  ならば、生きる...
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