2024年6月10日

茂木健一郎がいない世界へ

暫く前まで僕は天衣無縫の人みたいに、すらすらと淀みなく詩が書ける人だった。だけれども、毎日書いていると特にツイッターにアップするのが面倒くさくてやっていなかった。しかし、この数週間から一か月くらいだろうか? 僕は詩がなかなか書けなくなってしまった。余りに傷つきすぎているからかな? とおもったが、それだけではないのかもしれない。

 特に僕を傷つけたのは、J-POPを口汚く全否定している茂木健一郎という人と、似た言動をしたBBC記者ルパート・ウィングフィールド・ヘイズという2人の人物の発言だったが、それに次いで、「大吉原展」をめぐって、無関係の僕へいきなり最大限の侮辱発言をしてきたひよこと称するX民も自分を傷つけた原因だった。ツイッターでもXでもいいけどね。とにかくXは呼びづらい。しかしツイッターについている悪い印象を払拭するにあたっては仕方なかった名前がえだったのかもしれない。でもまぁとにかく、僕はひどく傷ついた。
 想像しうるかぎり、僕ともぎけんの相性は最悪なんだろう。あの人物をツイッターでウォッチさえしなければ、ここまでひどい目にあわずに済んだと思えば、人間をよくみることは非常に、極めて重要におもう。僕が慎重であったこともよい結果になっているとはおもうが、もぎけんはあるとき、僕にダイレクト・メール(ことDM)というツイッターのしくみで、鎌倉での彼だかがやっている小林秀雄の勉強会みたいなのに呼んでくれたことがあったのだが僕は行かなかった。なんか直感的に行きたくなかったのもあるし、そもそも僕自身側に行くだけのカネもないし、そのころ金つかいたくなかった。当時僕はみきさん(と)の独立費用をなんとかお金貯めてつくっていたみたいなものだったから、当然といえば当然におもう。その予定はみき氏の大暴走でおわったみたいなものなので、結局、僕があまりもぎけんを信用できなかったんだとおもう。要するに、そのときももぎ氏に言ったのだけども、DMで。古市憲寿なんて庇う必要はまるでなかったのだが、自動的に古市氏の性的指向ぽいものをあおるみたいなことをいったもぎ氏に説教するみたいな形になってなぜか、DMでもぎ氏に謝られた。とうの昔のことなのだが。

 で。もぎ氏はとにかく詩というものがわからない。そう当人が言っていた。動画で。実際にそうなのではないだろうか。詩心から最も遠い人らのなかの第一人者におもわれる。端的にいえば無神経で、精神が粗雑なんだとおもうのである。長らく観察してて、その点、色々破綻していたから間違いない事に思う。そもそも外向的な性格のひとにそういう傾向がある気がするがまさに、彼がそれであった。そういう意味で僕と性格があわないし、真逆とまではいえないかもしれないが、正反対といえる面が確かにはっきりあった。
 しかし、赤の他人の性格なんて或る意味どうでもいいだろう。問題はそこにはない。

 彼とルパートという人は、隠れて人種差別的言動をしてるみたいなもんだろう、とおもうのだ。J-POPというジャンルは、割と多様性が高い方なのは間違いない。実に色々な曲があり、色々な民衆の心がうたわれている。しかし、彼らは日本人の民衆の心を全否定に回るのである。
 むかし紀貫之が『古今和歌集』の仮名序でうたは人の心だといった。
 このことを彼らはまるで知らないのだ。本当の意味で。

 あるジャンルの歌を全否定するとは、その奥にうたわれている人々の心を全否定することに間違いなく等しい。つまり、彼らは日本人一般を、特にその精神を間接的に差別的に見下して扱っている。これは間違いない。そこには自明に甚だ強い悪意がある。この点についてはこの上なく強調しておきたい。その上で、彼らには反省の見込みがまったくないのである。そして彼らをとりまく色々なものごとは、救いようがなく傲慢なイングランド文化帝国主義によって、特に軍事力とか国際政治力といった明らかな暴力によって正当化されており、あかたも彼らの粗暴さが正義かの様に国際的に語られてしまっている。ただの政治権力で文化的自由度が迫害されている。これが僕には決定的に最悪だなと感じられているのかもしれない。(似たような事は国内では自称京都勢とか東京勢とかが天皇一派と群れて、古代飛鳥時代頃から日常的にやっている気がするが、国内的な事に触れていると論考が長引くので次の機会にしよう。)
 確かに大衆歌、特に商業的流行歌は、どこの国でも必ずしも質の保証の様なものではない。しかし僕がその後も観察していたところ、ルパートというひとはイギリスのその種の大衆歌を全力で持ち上げていた様子だった。うるせー感じのロックを。まぁロックもいいけどさ。古い感じでしたよ。プログレではない。はず。これで僕は本当に驚いてしまい、この人物の心の出来の悪さ、粗雑さに呆れかえってしまい、というのかな。音楽的感性の低さ? にかな。大変絶望感をおぼえた。だって僕の思春期にはやってたのはレディヘの『キッドA』とかなのだ。最初に『アムニージアック』をきいたときも怖かった。そんなのをまったく評価できないひと、いうならば音楽的世界が狭いひとが世界中を見下す様な記事を恥知らずにも堂々と書いて、あの狭い極西の島国からうようよでてきて、茂木と共犯的にわれわれのおざけんとかスピッツとかミスチルとかYUKIとか、バンプとかセカオワとかを大馬鹿にして、大威張りしているのだ。スーパーカーやアマザラシすら馬鹿にされているとおもうと、黙っておくべきではないようにおもうのだ。まじで。本気でだ。

 ひよこというおばさんらしきツイッター民は、それに輪をかけて酷かった。このひとは展覧会弾圧が当然だという顔をしていて、欧米ではの守、もしくは米国ではの守を気取っているのだが、一体欧米諸国のどこで浮世絵の展示会を弾圧したことがあったのか? 当然そう疑問におもうのできいてみたら、というか絡まれたのだったとおもうのだが、それで、真っ当に美術史評論的な返答してみたら、ひよこがわは要を得ない答えだった。美術素人がなにもしらないで表現自由権を弾圧している。
 この種の信じられない粗雑さを、米英、あるいは連合国勢、あるいは国連勢の粗野な暴力と自文化中心主義で補完しながら、彼女は僕へ押しつけようとしているのだ。わけがわからなかった。最悪だなと感じた。それなのに、その最悪の言論弾圧犯ひよこは、「恥を知ってください」とか、わけのわからないことにさらに輪をかけまくっていた。それは当人のことだろうよ。本当に最悪の経験ばかりする。ツイッター。おわればいいのに。イーロン時代も変わってなかった。そりゃそうだよね。やってるひとらが日本人で同じ層なんだからさ。近づかないに越したことはないね。

 茂木は彼らのボスみたいなものだ。コンニチかれほど明白な人類全般への文化的敵性を示している人物もなかなか見当たらないのではないのか。だって、日本人が自分達の心を表現する機会を弾圧して。あまつさえ。昔の、その種の心のありようすら大弾圧しているのだ。現に。
 なぜその様な蛮行がゆるされるものかは?
 ドイツという国は、というかイギリスもだが、その種の人物の言論を大いに称賛している様子がある。これも僕に大変な失望を呼んだ。前から両国そんな節はあったが、改めて絶望的な気持ちになった。まぁ英独なり欧米なりに過度に期待することそのものがおかしいんだけど。もし二流三流国家の集まりなんだったらもともと仕方がない。もぎ氏は歴史否定論とかいう、ネオナチとしかいいようがない言動をして、しかもそれは百田尚樹氏や竹田恒泰氏らの神話史観もしくは小説史観を賞美しつつ、司馬遼太郎の書いた偽物の坂本龍馬を史実と混同して無反省な時点でもそうだったんだけども、僕にとてもがっかりさせた。その点でもぎ氏はまたも日本に大迷惑をかけてきている人物だ。史実は物語ではないし、嘘ではない。あたりまえのはなしだ。ほかにもありすぎるので、彼の問題点をまとめる人がいないとダメな気がする。人として普段から悪いことし過ぎという事は、長らく観察してると本当によくわかる。賄賂五輪強行とかね。コロナ禍で。ノー・マスクをあおったりとか。それだけじゃないんだ、あまりにありすぎて、個々に列挙してると疲れきってしまう。

 もぎ氏がNHKに出だした頃なんて、そこまで異常な人物だなんて、はじめは気づかなかった。現在進行形で人類に害をなしている人物だということは、歴史否定に加えた絵画展弾圧など、特に最近の言動では一層自明におもわれる。むしろ彼の脳の異常からくるさまざまな反社会的な行動と、日本人全般は適宜闘う必要があるんだとおもう。詩の弾圧というのも、類例のないほどわるいおこないだ。ことに詩は日本もしくはひたちのくにの単位だと、文献記録にあるかぎり嬥歌や万葉和歌からきわめて伝統の長い芸術の一つに該当する。縄文土器や洞窟壁画までさかのぼれば、最古なのはほかにもあるだろうが、文字記録にないだけでたしかに歌はうたっていたろう。詩はひとのこころだ。人の心をふみにじる、ふみつぶすおこないというのは、ある意味ではナチがやったような人種差別の、よりわるい版だとおもう。ルパートもこの点ではどれほど非難してもしすぎはないようにおもう。また、ひよこもおなじだとおもう。ひとのこころは他人にたとえ少しでも統制されるべきものではないとおもう。虚構の世界である絵のなかに、何かを表現するということは、いわば人間性の解放だ。それをみて意見をいえばいいにすぎず、絵をかいたり、あらわしたり、展示したりする権利をも弾圧してくる、というところに、茂木やひよこ、あと当時つるんでいた瀧波ユカリらの、非常な悪質さがある。

 ツイッターはその様に、毎日毎日百鬼夜行のありさまで、つぎからつぎに悪役がでてきて、本当に疲れきる。しばらくみてない。でも、それだけのものだとおもう。僕は、僕の心を守る必要がある。そのためには茂木がいない世界に逃げなければならない。