2024年5月17日

大吉原展弾圧犯らによる表現自由権弾圧の分析と断罪

性的不能な人々の一部は、性嫌悪を正義と混同している。女性至上主義か男性差別あるいは壮年男性差別の体裁で、性嫌悪を全体主義的に押しつけ回る人々は反社会的であり、自身の性嫌悪障害を根拠に正常な性機能をもつ人々への逆恨みを晴らそうとしているにすぎない。話が通じないばかりか、四方八方全て無関係な人々へすら彼らが一様に攻撃的なのは、彼らが精神を病み、そもそもなぜ性にかかわる議論を弾圧したり攻撃に回るのか彼ら自身におよそなんの自己反省もないせいだろう。
 大吉原展弾圧は明白な憲法違反かつ人権侵害だが、XやYouTubeなど主要な社交媒体で言論弾圧をはかっている反社会的女性主義者には、未治療の性嫌悪症の人々が反響室やサイバーカスケード状態で誤って大挙している可能性がある。過去の浮世絵展示会を弾圧した美術史など存在した試しがないし、ナチスすら展覧会弾圧などしなかった以上、今の東京の表現自由度は紛れなく世界史最悪の状況にある。その倫理崩壊の原因の一端を担っているのが上記の性嫌悪系女性至上主義者による暴徒状態での基本的人権侵害なのかもしれない。

 茂木健一郎氏や滝波ユカリ氏らは、十分な悪意を込めて、藝大美術館を攻撃している。漫画における遊郭の描写など、『さくらん』や『鬼滅の刃』など幾らでもあるし、決して女権的考察が目的とは言えない表現で溢れている。しかし彼らはわざと藝大美術館のみを攻撃している。ここには明白に悪意がある。茂木氏と滝波氏が焚きつけた無法な暴徒には明らかに性嫌悪症の人々が含まれている様子であった。つまり、両名は全体主義的権力行使の為に、意図して性嫌悪症を利用したのである。女性至上主義の体裁は言論弾圧による権力拡大の方便にすぎず、実態は新国民社会主義による自身の恣意の全体への押しつけだ。

 茂木氏は津田大介氏によるあいちトリエンナーレ2019表現の不自由展の企画を喜劇の体裁で、稚拙なものと嘲笑した事があった。滝波氏は津田氏のポリタスTVの出演者で、今度は津田陣営側が茂木氏と共に表現弾圧に回っている。この深刻な矛盾は、彼らが本質的には表現自由の擁護者でなかった証拠である。
 茂木氏に限っては、社交媒体での影響力行使に勢いを得て人権侵害に平気でふみこむ場面がごく多く、深い意図なく取り巻きらと共に表現自由権を公然と侵害している様に見える。加齢による認知力低下を考慮しても美術館展示弾圧による反社会的暴挙は常識の範囲をこえており、違法な扇動は裁かれるべきだ。