和宮の歌ったものとして引用されている短歌「空蝉の唐織り衣なにかせんあやも錦も君ありてこそ」の原典は何の本ですか? 暫く探してみたのですがでてきません。後世の捏造の可能性がありませんか?
もし後世の捏造だとすれば、それは真に和宮の心情を写したものではないかもしれず「他人の騙り」かもしれないと分かる、人文学とはそういうものと思います。
和宮が全く望まぬ結婚相手だった家茂のいる江戸にきてすぐ家茂は出兵した筈で、お土産約束するまで交情があったとは史学の時系列知識によれば不自然で、その間に詠まれたこんな和歌があった可能性は殆どない気もします。
もしあったとしたら和宮は真の婚約相手だった有栖川宮熾仁に不実な女となります。
嫁にきてすぐ好きだった熾仁を裏切り、家茂を「君」と呼び着物より交情求める阿婆擦れと和宮の心を示してしまうそんな端ない和歌が、当人から詠まれたとは、私には殆ど全然考えられない。相当高確度で後世の捏造でしょう。和歌自体は巧妙な手弱女ぶり風で一瞬感動させますが史学に照らすと嘘と感じます。
万一何かの原典があって、和宮当人の手になるものなのが殆ど確実で、しかも時系列が江戸にきて直後のものか、兄である孝明天皇から強制的に婚約破棄させられてからなら、そこで歌われている「君」は、もし和宮あばずれ説をとらなければ熾仁の事でなければならないのであり、単なる政略婚抵抗の歌ですね。
原典が不明な事と以上全てを照らし合わせると、私が現時点で推測するには、一つの可能性は家茂シンパが和宮との一瞬の邂逅に交情生活があったのだ、との喧伝のため悪意で作り上げた虚構の和歌で、政略婚で泣く泣く好きでもない相手に嫁いだ和宮当人の心とは高確率で違うもの故、相当悪質な騙り歌です。
またもう一つの可能性としてもし和宮当人がそれを歌っていたら、
1.君が熾仁説
2.君が家茂説
で分かれ、1の場合は和宮の抵抗の歌となるが、2の場合は奔放の歌となる。低人文知な人物が何かの小説や脚本などで捏造した場合は2の可能性が高く、本物だった場合は1の可能性の方が遥かに高いですね。
更に調べたが「空蝉の袈裟」なる物が和歌に添え増上寺に残されているというウィキペディアの記述を見つけた。もしその添え書きが実在なら上記推測中、和宮は一瞬の邂逅で発情してしまった2奔放説で正しいかもしれず、余り貞操観念の高い良人ではなかった様です。その観点で理解するとより興味深いかも。
和宮が家茂と正式に結婚したのは1862年2月11日、家茂が出兵したのは1863年2月13日なので、約1年間しか夫婦生活がなかったし結婚が本意でなかったのに発情風和歌を詠むという事は、武家の風儀では余り考えられないが、もし添え書きが事実なら、当時の皇女は想像を超え貞操観念のない教育だったと分かる。