2022年12月20日

用・強・美・安

資本主義社会の現代建築は一般に、ヴィトルヴィウス『建築書』以来の三大要素に加え、経済合理性もあわせ鑑みるよう要請されている。

 また、経済合理性には一般のそれと、特定のそれがある。このうち、一般的な計画にかかる負荷を前者で、特定計画のものを後者で説明できる。
・一般経済合理性――一般計画に掛かる負荷
・特定経済合理性――特定計画に掛かる負荷

 以下に同時代建築からの実例を挙げる。
 ここに「京都らしさ」と称し、受領宜しく庶民からの税搾取による贅沢ぐらしを営んでいた中世世襲公家らの顕示的消費ぶりに懐古趣味を発揮する目的で、一般市民は特に使えない茶室を併設したり、地方交付税に財政面で依存しているにもかかわらず公僕たる議員らの虚栄心を増すほど華美な議事堂にしたてたり、優れた職人らの伝統工芸を保護する代わり一般市民の税負担が増す漆塗りの豪華装飾を施したエレベーターを設けたりし、同時に、役人にとっての利便性を図る地下通路を立派に建設はしてみたものの、事実上の財政破綻を伴う財政難も相まって、単に職員全員を容れる用にさえかなわなかったため世間の非難を受けた『京都市庁舎』の拡張計画がある。この計画は、一般経済合理性を大幅に軽視したことで、資本主義経済下に有る現代社会の一般要請に巧く適わなかった一例、と認識される。すなわち、設計意図が古都にふさわしい品位誇示を兼ねた利便性の向上だったものの、市民目線では「あれもこれも、もっと節約できないか?」とみなされたのである。
 またこれとは別に、総額34億円6600万円の改修費となって、却って税負担がコロナ禍で苦しむさなか世間から失望を買った『秋篠宮邸』改修工事があり、特定経済合理性の確保に失敗した一例だと考えられる。この計画は単に一家が暮らすに過ぎないにしては通常の相場に比べ余りに額が高すぎるため、国民感情を顧みれば、かりそめにも先祖たる仁徳天皇の逸話――『日本書紀』によれば、自分の家の屋根の破れも直さず一為政者として減税下の節制に務めた――があるにもかかわらず、近い将来の日本国・国民統合の象徴たる地位にふさわしい人物がはぐくまれるべき家の建設に於いて、といった、ごく特定の場面で、景気停滞期にあたる平成末期から令和初期の「今かけてよい費用負荷の設計」ではことさらなかったのである。

 他方、また別の同時代の一例を挙げる。
 初めの計画ではおもに眺めのよさをともなう内観のためだろう全面ガラス張りにするつもりだった箇所を、省エネルギー化をめざし大幅に壁面へ変えたり、市民が憩いをとれる屋外広場にヴォールト屋根を設置する箇所も、部材や空間の大きさをより経済的なものに変えたりしつつ、施主たる主権者、あるいは、一般市民の感覚とも違和感なく、総合的美観を保つ実施設計をまとめた『日立市役所』は、これら両方の経済性に成功した例といえるのだろう。
 具体的に紐解いていけば、全面ガラス張りの部屋は成程どの執務室からでも周辺の街や山、そして海までが見渡せるよい眺望が確保され、市役所を訪れた人の為だけでなく、職員の日常生活をもより開放感があるものにしたかもしれないが、同時に、公的機関でのエネルギー負荷増は絶えず懸念される公共問題ともなりえる。屋上に太陽光パネルを設置する予定であったが、優先順位を考えれば、初めの計画案を見直し、特に夏場における西日流入や、普段から全天日射しか期待できない北側窓など、必ずしも快適さを伴わない場所の壁面化で、より使用エネルギーを節減できる形で再設計するのは一般経済合理性を満たす結果なのだといえる。
 いかにも室内と地続きになっている屋外広場は、つねづね訪れた人々にとって市役所という「お堅く」「怖い」場所への敷居を下げるだろうし、このため円形を多用した柔らかな印象をあたえる流動的な屋外屋根を作る事さえできれば、内外貫流空間づくりの手段となっている部材自体は、必ずしも豪華な必要がない。市役所全体の美観と矛盾しない範囲で実用性をかえりみ、初期計画より的確な内容に費用もろとも精査できた点で、このヴォールト屋根素材のより安価な部材・形・大きさへの見直しは、特定計画上での特定経済合理性を満たした実例といえるのだろう。