京都の腐敗した売官金権政権(いわゆる受領政治)のもと、延々と民衆を酷い重税でむさぼる最悪政体の権化であった無能な天皇を、巧言令色で歯の浮く様にほめそやす歌集もどきをさらに空疎なお世辞で埋め尽くすよう編みながら、人々の命を懸けた現実の政界を見下す高慢な世襲政治家として「紅旗征戎、吾が事に非ず」と公務員職権濫用罪そのものの言質を日記に書いていた藤原定家を無益に美化している者は、無知だ。
私はこういう言動をしていた同時代人を2名しっているがどちらも記憶に留める価値もないほど倫理的無能かつ粗野で、世間体だけ立派な肩書にそぐわぬ虚栄心の激しい人物だったことを付記しておく。上記は今も昔もそういう人達の虚勢には随分お似合いのせりふらしい。
そして当時も今も、貧民の苦しみの上で驕りきった天皇政権は潰えていく。
ほぼ同時代に、民衆や真の政治家である武士側の目線から、京都で驕り高ぶるばかりで元寇にあっている国家的危機状況下で現実政治になんの能力も持たない、無能な天皇・公家一味の空威張りを暴露している『平家物語』なる嘗てうまれた日本文学史上最高傑作を残した信濃前司行長がいた(吉田兼好『徒然草』による作者推定。ほか藤原行長説あり)。
だがこの驕慢2名はそのことになんの民衆史的な共感も理解ももちあわせていない。同じよう外敵が攻めてきてもあるいは決定的な内乱があちこちで生じても、かれらはやはり天皇または当時の世襲政治屋やそれを兼ねた宗教屋の周りで不遜な上から目線に終始し、空に向かって特に意味をなさないざれごとを歌うばかりで、およそなにもできないかもしれない。まるで中華皇帝とその近侍で馬を指し鹿と為さざるを得なかった官僚の様に。かれらは歴史から学ぶことが一切できていない、純然たる有名無実の肩書俗物なのだ。