2021年3月30日

春の日の夢

ほととぎす鳴きて春になりにけるかも

ほととぎす春の訪れ告げにけり

ほととぎす朝ごとに歌う春の日の夢

2021年3月26日

東京崇拝者の正体

東京は地獄の環境だ
その地獄を正当化する目的で
常に嘘をつき
中華思想で外部の「よい環境」を殊更貶め
酸っぱい葡萄の論理を自慢している
東京崇拝者達は悉く死ぬほど悪意で染まり
都民らのつくこの嘘を愚かにも拡散する
天皇と称する邪教祖が
こうして千年近く関西人を騙してきた様に

2021年3月22日

人類滅亡後の世界

死が生より美しいのなら
誰も悩む事などない筈だ
では人類は日々何をしている
遠回りし何も行えない
勿論彼らは無力で愚かだが
その愚かさ故ふえている
だから彼らの亡びたあとで
漸くまことの世がやってくる

2021年3月19日

茨城県産JA常総ひかり産直研究会のレタス

レタス生協で買って食べたら涙でるか思わずニコニコするくらい美味しかったので自分がウサギか何かなのかと思ってラベルみたら茨城県産JA常総ひかり産直研究会と書いてあってそのあと別県産なの食べたらそこまでおいしくなかった

2021年3月18日

感覚論

少なくとも芸術の分野で、年齢主義みたいなのは全く有効性をもっていないことは絶対に間違いない事実だ。
 頻繁に差別的言動をとる或る女を自分は人生で初めて見て、この人とたまたま一定距離で文通していた。その結果わかったのは、差別的思考はゴードン・ホドソン論文の基本趣旨で解釈できている部分とほぼ一緒で、一人のひとの中で色々な事柄へ共通で持ち易い偏見らしい。いわばあるひとの脳は解像度の低い認知尺度をもっていて、この尺度より複雑だと、自動で差別に頼る。特に無根拠な順位づけ、格づけ、偏差値化とかに頼りがちな人々は、世界認識の解像度が低い集団である。
 そこでこの女も、学歴とか国籍とか性別とか年齢とか門地とか職業とか容姿とかブランド物とか、想像できる限りありとあらゆる差別を連発していた。勿論自分は凄く驚いたし、会話の中で段々と末恐ろしくなりもした。というか、どんなにそれは偏見だと彼女へ教えてみても、次から次に別の差別をはじめるので、その女は結局、無限に彼女の周りに墓穴を掘っている状態であった。もし十分に愚かもしくは傲慢なら、恐らくそうやって、天皇家みたいな差別主義を宗教にまでしている一門が生まれるのだろう。その人も奈良の人だったが。

 僕は芸術に関し、正にこの年齢主義が何一つ通用しない場面ばかりみた。当たり前だが何歳だからいい絵が描けるとかない。その人が何歳の時にいい絵が残せるかも全然わからないし、当然、その時点で若ければ必ずいい絵が描けるなどということもない。

 しかしこの女は、当然の如く年齢差別をしていて、他人の価値が若さで決められるとでも言いたげだった。というか実際に言っていた。もし真実そうなら世界は若者以外いなくなっている。より高齢の人々の技量に落ちると認められる余地がなければ、どんな仕事であれ、若者に全生態的地位を奪われている筈だ。要は若さは同時に、未熟さや無思慮さといった負の側面の場合があるので、何もかも幼いだけで解決できはしない。

 日本の新聞の文化欄の紋切り型の論調、「若い感性で」という表現があるが、これも本当に意味不明。勿論いわんとしていること自体はわかるが、現実の芸術はそうなってないので。大体の芸術家の仕事は単に若書きで占められているわけではない。より正確にいうと、感覚が老いるなんてありえない様に思う。鈍い人と鋭い人に差がある状態がずっと続いているだけに感じる。

 感性論・感覚論は恐ろしく難しい分野であり、何でもいえてしまう、人それぞれなんでもありというのが素人意見だが、これまた現実にはそうなっていない。多くの人々が共通しいいと感じる表現だの現象もあるし、一部の先鋭的な人しか楽しめないにもかかわらず凄まじい感覚値を体現している作品だの物事もある。それどころか自分も色弱だし、同時にどうも敏感さはギフテッドみたいに思うし(東京みたいな地獄的にごみごみとし空気や水から大抵の人の心の底まで底抜けに汚い場所をほめてる連中は何を褒めてるのか寸分も理解できない)、感覚自体が遺伝的に他人と受容器官の次元で違うこともよくある。
 これまたネット上の一定距離で観察してきたある別の女が、あれこれセンスがいいだのわるいだのいっているやつなんだが、僕にとってその女のいいと感じているらしいものは、良くも悪くも三級の対象で、本当にすばらしいものをこいつは何も感じ取れない分際でなんでこんな傲慢なのか、と驚きまくったというか対人文化衝撃しか受けてきていない。その女の感覚論は確かに三流なのだが、当人のオバタリアン性のせいで全く無反省なる特徴が、その女を真実から途轍もなく遠い、紛い物の領分に置いているのだった。
 じゃあその女が一流のよさに触れて感激するかといえば逆に言い訳みたいなことを言って、なにも感じとることはできないのではないか。たとえばそこらのオタクに一級アート(例えばシミュレーショニズム権化としてのクーンズのラビットみたいなの)みせても首を傾げ理解不能な表情を浮かべ、三文アニメ(深夜帯でやってる萌えアニメみたいなやつ)に大発情し必死で汗かいてんだろう。事実そういう種類のサブカル女もみた。だったら感覚論って根本から他人に閉ざされた領域を語る世界なんだから、いうまでもなく自分には未知の感性をなんらかの手段で知るとか(盲人が抽象画を、音や説明、感触から推測するみたく)世界一理解難易度の高い分野の一代表格といってもいいだろう。安易にセンスがいいだの悪いだの断定できるつもりになってるやつは馬鹿である。したがってモギケンが日々簡単に、適当な感覚でダサい連発してるのは当人の埼玉春日部劣等感(なんで春日部だか日本全体だかが劣等感なのか、なぜ西東京だのイギリスのケンブリッジ界隈だのが他のスタイルを断定的否定できるえらい評価主体になりうるつもりなのか)しか何も示していない、と思われる。英米系外人が当人達もろくにわかってないこと(浮世絵とか漫画とかへ)なんでもクールクール言ってるのも似た様な感じがする。大体、だれでも簡単に言えそうな分類が一番やばい。そういう分野のプロ次元というのは底なし沼のごとく深く、素人はボウフラみたいに池の表面に浮かんでいるのでその深淵に気づかないだけだ。深海にいるアンコウのみている世界などつゆ知らず一見ポップぶってみなに金目の興味で近づいてきている分野が罠だ。ワンタップ投資みたいなことで誰でも簡単に儲かる世界は、世界一浅はかな馬鹿どもをカモにしているだけであり、その背後から巨大なクジラが一息で養分全損失をのみこんでしまう。

 感覚論は完全にこのクジラ、アンコウ以外は全滅する様な分野と思う。それだけに芸術家として危機をあまた乗り越えてきた熟練者は、簡単にセンスいいとか言ってる人あんまりみたことない。基本的にそこに含まれる全評価要素を相対化前提で考えてるからだ。勿論なかにはいるのかもしれない。『ぼくの哲学』("The Philosophy of Andy Warhol")によれば、ウォーホルとかその点適当で、アメリカンお世辞込みで言ってただろう。でもルノワールやセザンヌや小川芋銭や横山大観がいうイイネは、普通の観客のみている表層以外のなにかを指摘しているのかもしれないし、実際そうだった筈。もしホックニーとサザーランドに何言われても彼らのイラストっぽい絵や妖怪絵みたいな実作程度になるだけかもしれないから、もしかすればあっそうっすかっていってりゃよかったのかもしれないが、ただでさえ絶対化しがたい感覚の話題中で何かを断定的にいうとは、自分の感覚がおかしい可能性を完全排除できていなければ、そして自分の感覚に器官の限界や盲点がないとはいいきれない以上、究極の精度が必要だ。感覚精度に余程の例外がなければ事実上不可能といってもいいだろう。無論、その超例外がありうるからこそ世に感覚論が試みられるのだけども、それらの99%以上はまやかしという事だ。

2021年3月17日

上位者づらゲス都民・京都人の日常

アメーバピグで規約違反しながら
出会い厨として
他人の異性関係へ悪意でぬれぎぬして
邪魔ばかりしていた長野出のクズ都民と
陰口ばかりの京都人が群れている
しかもクズ都民側は不倫出会い厨ばかりし
繁殖までしている
自称東大卒
肩書で馬鹿女をだましているらしい
成程それは見苦しい光景だ
だが連中はおごり高ぶって
なぜか自分達が上位者づら

2021年3月15日

京都中華思想と無名の名

京都人の相当数がなぜあれほど差別的なたちになってしまったか。
 というのも自分は生まれてからイギリス人や京都人らから面と向かって差別的言動されたことが多々ある。イギリス人からはお前らみたいな中国人もどきがUKにきてもしょうがないと見下される様なこと言われたし、なぜか僕と特に関係ない東京げすカルチャー同人誌の下品な内容でも日本括り異文化差別で中傷された。京都人達からは、特に京女からほぼ100%に近い確率で愚にもつかない偏見にみちた田舎差別された、初対面で。なにも人種差別、門地差別の被害者はメーガン妃だけではない。
 が、差別主義者の最高出現率を経験的にも、古典文学的にも(『枕草子』での庶民への身分・教育差別。『源氏物語』での田舎蔑視)、政治的にもみいだせるのは間違いなく、差別の世界チャンピオン京都だからである。
 もう一度書くが自分のしるかぎり世界一差別主義者の出現頻度が高いのは京都市であった。第一、都市名が中華思想で、既に全世界を差別する気でみちたりている。

 で、天皇という邪教祖が諸悪の根源なのだろう。だから現代東京人も段々京都人同然に傲慢の病に冒されてきている。天皇が全世界で最悪の差別因子で、諸悪の起源なのだ。
 長らく天皇一味に中枢を牛耳られていると心底までその卑しい差別主義が文化の根底に染みついてしまう。それで京都は一度完全に滅び去らない事には二度と、自分達が自明に他者に優越していなければならない、との病的虚栄心から逃れられない状態に陥ってしまっている。
 ヒトラーも自称天皇一味もこの点ではなんの違いもない。純然たる自民族優越主義者で、人種差別に依拠した禍々しい存在である。そんな魔物に国を乗っ取られてまともでいられる訳がない。当然の如く明治帝国も滅びた。都民の頭がおかしいのは大分、天皇のせいがある。原発公害に無反省で賄賂五輪を推進など信じ難い蛮行を都民総出でやってしまうだけ極悪なのは、その中枢に最悪の利己的悪魔を抱え込んでいるからでもあるだろう。

 彼らを反面教師にし、天皇一味をなるだけ遠ざけるに越した事はないが、それにもまして、イギリス王室のよう勘違いした封建領主の類もよほど注意がいる。
 名士が謙遜さで知られている場合、その名は知る人ぞ知るといった状態にあるだろうから世俗的権威をどの時代でも恐らく持っていないに違いない。だがそれが本来の名士で、他ではない。孔子のいう「己の人を知らざるを憂う」、老子風に逆説的な無名の名といったものが、根源的に京都的自称の様な中華的自意識を恥じさせる。

ごみ文明

お前は苦しみしかないこの世を儚み
今すぐしんでしまおうとした
だがこの世に溢れる下衆どもは
無限にふえつづけ今日も得意づらだ
宇宙の果てまで探してみても
あるのは似た様なサルの惑星だけなら
ヒトと称するサルに期待などするな
そこにいるのは最低未満の動物
やることなすこと最悪で不思議もない
お前がしのうが何も変わらず
続いていくのはごみの様な文明だ

サル目の分類

道徳性の欠如した人間はサルを悪質化したものである。

延命

この悪趣味で馬鹿でしかない老人は
なぜまだ生きているのだろう
早く死んだらいいのだが
そうすれば地上に一円でも回り
この老害がいなければ生まれる
あらゆる善美なる技が流通し
すべてが幸福になるだろうに
しかしこの老害は反省などできない
既に傲慢極まって年老いて
自身を客観視などできないのだから
自分が上位者であると思い込んだごみ
そして日々迷惑をまきちらしている
この老人は若い頃から若害で
死後も生前も公害だったのだろう

地球の癌

お前は馬鹿の様な人間が嫌いだという
何しろやつらとくればお前に害を為し
開き直ってつけあがるばかりか
ひたすらお前からむさぼってばかりだ
サルよりはるかに邪悪なヒト
そんなものに囲まれ
よく生きられる筈がない
だからお前は死にかけていた
しかし生き永らえようが事は同じ
人類が反省する日などとわにこない
やつらの日常をみるがいい
まがまがしくも地上を汚染し
己の悪事を正当化している
結局やつらは地球の癌なのだ

人類滅亡

「お前の望みはなんだ?」
「いうまでもなく、
貴様ら極悪人の亡びだ」
「だったら全人類が消えねばなるまい」
「だから?
事実全人類が亡びるべきで、
誰か生き残るべき人が挙げられるか?」
「誰もいない」
「よってこの世を終わらせるのだ」
「一体どうやって?」
「呪うのだ。
今すぐ全人類を」
「それでやつらが亡びるとでも?」
「精神は肉体より上位にあるのだ」

2021年3月14日

復讐原則

人を安易に傷つけた者はそれと同等以上の復讐を期待してよい。
 他人へ馬乗りし威張る者は、自分が弱ったところで確実に裏切られると信じてよい。
 非道な暴力で勝利を収めたと考えている者は、全方位から恨みを買っていると考えてよい。
 群れてつけあがる者は、その集団と共に滅びてよい。
 差別で上位者を気取る者は、絶対の軽蔑の為に全時代で最低以下の地位を充てがわれてよい。
 

空き地の草

石詰めの空き地に草の生えにけり

明らかに呪われている東京都民全員

東京という正真正銘の極道者のせいで福島が犠牲になったのにそこから貪ったかねで賄賂五輪で更にかねもうけしようとした因果でコロナウィルスから呪われている東京都民全員

2021年3月13日

美術や詩の原型

美しいものを生み出せる、ということは、その原型がすでに自分の中にあって、その姿を作業の中でこの世に留められるということだ。だから美術家らが何かしら美しくもなんともないものを量産している場合、その人の脳内には、この優れた原型がない。

 言語が使える全ての人は何かしらを語っているが、それらのどれも詩的な響きを伴っているわけではない。取るに足りない雑談を好む人々は一様に俗悪で、記憶するのにも不快な思い出ばかりを残していく。
 だが余りの尊さに魂を震わせ、人を感激させる忘れえない言葉は詩であり、うたであり、それはやはりこの原型を既に心の中に持っているかどうかにかかっている。

愚かさ、卑しさは離れる事ができるだけ

愚かさ、卑しさは治らない。それらは癒えない病で、何らかの方法で治癒される類のものではない。

 愚か者は愚か者と、卑しい者は卑しい者となれ親しむ。こうして仲間を作る。
 愚かな仲間は愚かな結果を、卑しい仲間は卑しい結果を生む。

 愚かな仲間を得るな。卑しい仲間を得るな。それらの集まりから離れて暮らせ。

なぜ下卑た悪人がいるか

下賎な人達は否定的価値の為に存在する。悪人はなすべき道徳の反例として存在する。

2021年3月12日

醜いツイッター民の全貌解読

東京人らの傲慢さは救いがない。
 僕は東京人らにずっと失望し、また呆れ返るばかりか彼らの俗悪さ、悪質さに憎悪の念を感じる機会も相当あったが、最近のその実例は次の様なものだった。勿論彼らは全然同類ではない。
 まず自分はツイッターを発信側でも利用する様になって約3年経ったが、はっきりいってあれは愚民専用装置みたいなもので、近づかないで済めばそれに越した事はない。2chと最低民度ぶりは全く変わらない。その中で少しは芸術関連の事を言っていた奴らにちょっとした批評を返信していたら、これまた凄まじく不快な目にばかり遭った。即ち地獄なのだ。
 Mという人がいる。この人は恐らく、当人は自分を教養人の類と考えているかもしれない。しかし美術、芸術関連については素人に情けない毛が生えた程度しか知見がないので、全然会話になりえない次元であり、僕は一種の親切心で色々忠告じみた返信をしていた。何せ本当に教養に関心があったら学習機会は有難い筈だからだ。無論、これはまるで自分の勘違いだった。それに完璧に悟ったのはさっきのことだ。
 Mは論壇芸人であり、本質的に売名稼業のためツイッターに属しているに過ぎないのだ。だから彼の教養主義は振りで、単に自己喧伝の手段として演じられている偽装の手管なのだった。自分はこういう思い違いが大層多い。なぜかなら、どうも自分は生まれか育ちかいづれもかが世人の俗悪さから大差があって、自分からみると俗人達の考え方とか感じ方は当然だが全く想像の外にあるため理解は絶対にできないらしいのである。聖人君子からみればこの世は地獄に蠢く悪魔どもの集まりであろう。自分にとっても全くそうなのだ。自分はMを自分と同等程度の思慮の持ち主みたいな誤った前提を置いていたので、彼の浅ましい人間性、不道徳性、具体的にはとある重大犯罪人を褒めちぎるとかくだらない下賤な作品をやたら褒めそやすとかに一々忠告してあげていた。だって自分なら勘違い以外でそんなことはしないからだ。だが真実はそうではなかった。単に鈍いので倫理的・感覚論的判断力がない、という人がこの世にはいるらしいのである。
 いうまでもなく自分には異星人の様にしかみえない生物に、いくら自分と似た倫理観だの感覚だのを期待しようがそんなものは到底なりたたない。
 僕はこの種の非対称性、つまり僕より周りの人達が恐ろしく野蛮で、対人接触のたび彼らの甚だしい悪徳ぶりとの摩擦の被害に絶えず遭う、という経験しか、生まれて36年間、一切したことがない。自分と似た経験をしている人がどこかにいるのだろうか。聞いた事もないので自分だけ特別な生物だった可能性も十分にあると思う。僕には人類なる存在は、少なくともまだ1人の例外もなく、自分より遥かに野卑で、到底付き合えないのである。
 だったらMだって当然そうであり、何を間違ったか話が通じる前提に立っていたのが過ちの始まりだ。これで大層時間を無駄にした。ツイッターで話が通じる相手がいるなんて想像がつかない。だってどうみても全員しぬほど頭も性も悪すぎる俗物だけなのである。
 つまりこういうことだ。自分は大変な善人なので、他人を前提的によい方に捉えすぎる。この資質は、いわゆる聖人の体現しうるものなので、自分は恐らくだが聖人なのだろう。これは後世が振り返れば既に自明のことなのかもしれない。だがいづれにせよ確かに、どう見ても自分より下劣な連中ばかりが世間に溢れているので自分にはこの世は純然たる地獄なのである。
 だがそれに気づけたという事は一つの重大な進歩だ。
 今後自分は二度とMだのなんだの、ツイッターの俗悪な連中に時を取られることはなくなるからだ。自分なら絶対にやらないほど品性下劣な売名行為みたいなのをあそこの人達は常習的にやっているのだった。だから自分には最初から理解できる筈がなかったのだ。
 匿名衆愚にも全く同様のことがいえて、これまた自分には理解不能に決まっているので、彼らの客観的分析に2年以上も使われた。時間の無駄にしても計3年間も浪費されたのだからツイッターは今すぐ滅びてほしい。それだけ罪悪に満ちたサイトなど、2chくらいしか思いつかない。ピグも心底ひどい場所だったが。
 この世には知らない方が幸せな事が沢山ある。その中でもツイッターで自分がみた、人間性の汚さの山は、なるほど永久に知らない方が自分の人生を遥かに愛でるべきものにしたに違いない。ツイッター民は全員滅び去るべきであり、それだけ邪悪な言動ばかり毎日しているのだから地獄の中でも相当下の部類にいる人間達だと断定できる。

2021年3月11日

自堕落な仲間

下賎な人とつきあっている者は、その人と同程度に堕落してしまう。卑しい集団にいればその卑しさが常識になる。京都人や東京人達が殆ど例外なく、浅ましい中華思想に耽って平気なのはこの為である。
 誰かの卑しさを変えることは容易ではなく、凡そ全ての場合に不可能である。卑しい人との関わりを一切の猶予なく絶て。浅ましい集団を一刻の余地もなく即座に離れよ。さもなければ人は落ちぶれる。

2021年3月9日

賢愚は教育で大幅には変わらない

愚かな人は教育や学歴によって殆ど賢くなりはしない。教育や学歴で人の賢愚を測ろうとする試みは結局、破綻するだろう。

期待できないもの

卑しい人に尊さを期待するのは、地獄で聖人を探す様なものだ。

SNSを覗くな

我々は下賤な人達とかかわる必要がない
なぜなら彼らは同類と相交わるものなのだから
SNSを覗くな
そこにいるのは悪魔達だろうから

2021年3月6日

東電解体策

日本政府は福島原発事故の無限賠償責任を負わせる目的で、一刻も早く東電を解体しなければならない。
 また、これによって法的示しをつけ、他電力会社が安直に原発に頼る事を戒め、JCOに続き、原発関連事故を起こせば確実に会社が潰れる実例を残さねばならない。

死んだ方が良い人

毎日食をはみながらそれを作る田舎を見下したり、差別する文脈に置く人は死んだ方が良い。

2021年3月2日

山騒ぐ

山騒ぐ春の嵐