これから自分のことについて書く。
しかしこれは初出ツイッターなのだが、現時点のそこはそういう場所ではない。商人が大勢きて状況が違ってしまった。金儲けの宣伝の場になっている。しかし使い方まで指定されていないので、別に自分のことについて書いても文句をいわれる筋合いはない。
自分がここ最近の世間の動きをみていて、いちばん違和感を感じたのは、次の点だ。
先ず自分は都内にかなり長い間住んでいた。しかもいちばん多感になる様な時期、思春期から青年期だった。それで自分はこの決定を自分で好奇心からしたのだが今もどちらかなら後悔している。
都会は自分には悪環境過ぎた。
人によっては環境から受ける影響は小さいのかもしれない、が、自分は極めて過敏なたちなので大変に影響される。東京という場所は、自分にとって正真正銘の地獄であった。それより悪い場所があるというかもしれないが、自分には経験できた最悪の環境だった。
そしてなぜ自分にとって東京都内が完全な地獄だったかについて説明する為この文を書いているのだが、それ以前に、違和感を感じた点とは、コロナウィルス騒ぎで大勢がいなか回帰するのではと予想されたのだが全くそうならなかった点である。茨城空港について日本人一般の風評をみていてそれが分かった。
東京都の環境はきわめて不衛生で不潔である。雑多な雑踏、どこに行っても人だらけ、騒音排気ガスひとの吐き出す息やら汚物やらで川はおよそどこもドブである。都内で生まれ育ったひとには永久にそのことはわからない。比較対象として清浄な自然環境に恵まれている日本のいなかを知らないからだ。
だが、コロナ禍がそのことを都内に集まってきている全国の田舎出身者に改めて気づかせ、(都内しか知らない都内生まれ都内育ち都民の傲慢から、大いに洗脳されている)価値の見直しを彼らがはかるのではないか? と、自分がそうなった通り大勢がなる可能性を注視していたが、全くそうなっていない。
結局、茨城空港の英語名答申の案件(これも大阪出身の戸崎肇という有識者会議の座長になっていた都民が絡んでいる)をみていたら、日本人一般は相も変わらず中華思想で、都内の完全に最悪でしかない満員電車だの、あのスラム的環境を「なんでもある」とし、いつもの謎の傲慢に耽る一方だった。
それで自分は悟った。
とにかく自分は日本人一般とは全然違う生物であるらしい。逆にいうと、自分と違って、日本人一般は不正直だったり、不誠実だったり、匿名で群れて犯罪する卑怯者ぶりを常識としていたり、都内のマスコミを信じきったり、殺人教祖にすぎない象徴を崇め奉ったり拝金行動をする。
何より、日本人一般は卑劣な嘘つきぶりが凄まじい。山口県4区からつれてきた首相とやらが日常的に嘘をつき恥じないなんて当たり前と思っているらしく、何の罪もない人を匿名集団で虐殺して虐められる方に責任があるなど、愚にもつかない戯言を言うのは毎度のこと。ウィキペディアンみたいなものだ。
それで、冒頭にいったよう、自分にとって東京は本当の地獄だったのだが、日本人一般は自分が都内で不快極まりないと感じた数多の点、例えば民度の恐ろしい低さ(殺人強姦小説屋の石原慎太郎はじめ以後知事の質を見れば完全にスラムでしかない)、腐った文化(性売買自慢)など本気で美事と信じている。
自分は、調度、日本なり東京というソドムに迷い込んだノアの様で、そこで見聞きした全てに良心を持って対面したので、どれもこれもひどい有様だと正直に感想を述べる。
だが日本人一般は全然そうではない。
悪事をみれば誉めちぎる。醜悪なものをみれば神かのよう祭る。逆に群れていなかを貶める。
私だけが、この国で、唯一の聖人で、唯一良心を保っていて、唯一正しい心を失わなかった。これが間違いない真実だ。自分以外そういう人を一人も見たことがないほどだ。自分以外の全ての日本国民達は、恐ろしい頽廃に沈み込み、嘘をまことと取り違え、悪い者を誉めちぎり、善い者を集団抹殺していた。
日本人一般の不誠実さは凄まじい物なので、ありとあらゆる詭弁を使って、その甚だ醜い嘘を糊塗する。しかも匿名集団で、いつもの如く卑怯極まりない手を駆使してだ。
だからこそ、自分は最終結論としてこう述べる。
日本国そのものが一種の地獄なのだろうと。そこは美徳を持つ人にとって地獄だ。
現実の東京が本当の地獄なのだと述べている人は殆ど一人もいない。だがそれは現実にそうなのだ。実体験としてそうでしかありえない。満員電車におしこまれて幸せだといっている狂人達はさておき、通常の感覚で不快極まりない体験を毎日させられながら、虚栄心から嘘をつき都会自慢など想像もできない。
だが、その「想像もできない」ほど邪悪な人々が、この国の殆ど全員なのである。
恵まれた土地(例えば茨城県)を嘘をついて無理やり貶めたり、スラムでしかない場所(例えば都内)を嘘をついて無理やりもちあげたり。なぜ彼ら日本人一般がそんな嘘を本気でつくか、自分には全然理解ができなかった。
彼らが嘘をつくのは、単に、彼らが最初から邪悪な存在だからなのである。恐らく生まれ育ちのどこかで嘘をつくよう仕向けられ、嘘を突き通すのがすばらしいことだと思い込んでいる。もしくは、生まれながら嘘つきか、どちらかだ。
そういう人が圧倒多数なのでこの国では美徳は徹底して腐されている。
自分は彼ら日本人一般とは全然違って、美徳に深い関心があったし、今後もそれを追求することこそあっても、国内全般を占めている極悪人衆愚の一部になろうことなどありえない。それは死ぬより余程悪いことである。一生を嘘の中で生きるとはなんだろう? だが彼らは本当にそれを生きがいにしている。
日本国は一度亡びている。そしてその滅亡に至った第一原因が、やはり、圧倒多数の悪徳衆愚による結束主義(ファシズム)の横行である。
現行ツイッターも完全にそれで、日本人匿名モブが全体主義ファシストとして暗躍しだしたら、そこは荒らしの巣窟となって終わりである。悪貨が良貨を駆逐しだす。
匿名卑怯者達は一人の女子プロレスラーだけをあの世送りにしたわけではない。無名の人達なら既に何千万人も大虐殺されてきた。彼ら日本人一般がネットで群れるために群れ悪意で集団虐待し、人知れず心を痛め自殺していった人達について彼らがなにかひとつでも反省しているだろうか。永遠にありえない。
学校教育で「匿名で卑怯な振る舞いを群れてやりなさい、目立つ人を見つけたら善悪問わず手段を択ばず集団虐待し、場合によっては虐殺して、責任回避のため逃げなさい」とでも日本人一般は習ったとでもいうのだろうか? 天皇の邪宗に洗脳されている? 文科省の邪教に悪行でもしつけられたのか?
彼ら日本人一般が、誰からも命令されていないにもかかわらず匿名卑怯者として犯罪を繰り返すのは、生まれか育ちか問わず、単に邪悪な人達なのだと考える方がずっと妥当だろうと思う。そういう意味で、日本国は生きていくに値しない場所だ。接すると禍々しい蛮行される人達に囲まれて幸せであれようか?
全く同じ趣旨で、彼ら日本人一般が、禍々しいスラムをやたらと褒めちぎり、逆に恵まれた土地をやたらと差別しまくったり、何もないなど常態的に嘘をつくのも、彼らが恐ろしい悪趣味で、邪悪な人間性だからだと解釈すれば納得がいく。単なる無知なのかもしれないが、無知で犯罪すればやはり犯罪者だ。
自分は幸運にも、この国の圧倒多数の人達に洗脳されずに済んだ。というか自力で、それを解除した。
自分にも大変恐ろしい力で同調圧力は加えられ続けてきた。それは何も国民全体からだけでなく、家族などからも甚だ卑劣な方法で、邪悪で凡庸な誤った意見に従うよう全力で攻撃されたものだ。
自分は恐らくなんらかの天稟に恵まれていた。そのおかげで孟子式に「百万人と雖も吾往かん」と、周りをとりかこむ邪悪な日本人一般が全面的に悪意で攻撃をしかけてこようと、なんとか知恵と勇気でそれを切り抜ける仕方を学んでいった。自分以外の日本人にそれができたとは到底思えない。命からがらだ。
試しに「都会の自然環境は甚だ悪い」とか、「東京の民度は凄く低い」とか、真実をひとことふたこと言ってみるがいい。邪悪な日本国民全体に、徹底的に誹謗される事は目に見えているだろう。彼らの目的は嘘をなんとか糊塗することなのである。嘘つきの村に生まれた正直者が冤罪で磔にされる様なものだ。
末期の日帝はその嘘つき症候群が行き着く果てまでいったあとで実際に崩壊した。当然の報いだ。だが平成令和の日本も同じ結果になるのは目に見えている。官民一致で嘘を突き通す。真実を語る者はツイッターで集団虐殺しようと匿名卑怯者達がチンピラ自粛警察などしている。既に終わっているのである。
自分は相対的にましな場所に逃げ込んだ、そしてそれは自分の故郷で、茨城県だった。ここで真実を語っても少なくとも同県民の圧倒多数から集団虐待を受ける様な事態になったことがない。東京では頻繁にそういう目に遭ったので、自分は都内を捨てた。民度が違う場所なら真実を語りうるかもしれない。
全人類が一様に、都民全般とか日本人一般とかと同程度に不誠実で、すぐ群れて全体主義で、頭が恐ろしく固く、卑怯極まりなく、ファシズム的に不寛容といえるだろうか? 全くそんなことはないだろう、だからこそ何とか人類の文明は歩を進めてきたのだ。
相対的に有利に事を運べる場所に逃げ込もう。
この世で聖人はみな虐殺され消えてきたといえるだろうか。きちんと一生をやり終えた君子もいる。ということは、その人の知恵を生かせる場所、いいかえれば、理解力のある人々の中に居を構えれば、進歩的な能力のある人々も、日本あるいは東京でなら集団虐殺されてしまう様な事態には陥らずに済む。
自分が悟ったのはこういうことだ。
千年後も二千年後も、ちょうど進化の系統樹を別れて久しい類人猿らがそうだったよう、日本人全般は相も変わらず不寛容の極みで、善人に濡れ衣を着せてわけのわからない集団虐殺をしていて、匿名で卑怯者のままだろう。そんな集団につきあうことさえなければいい。
我々からみると、蛾とか、ムカデとか、ゲジゲジとか、ゴキブリとかいった不快害虫の類はなんでこんな恐ろしかったり醜かったりする生物が全然違う生態で生きてるんだろうと感じるが、これは実際には、はるか先祖が今の私のよう、邪悪な生態をもっていた同類から分かれて歩んだ結果なのである。
東京人一般だとか、日本人一般だとかは、それより良心や良識の高い側からみると、本当に愚にもつかない生態をもっている。それに気づいていないのは彼らだけである。より美徳の高い生態が現にあるのならば、そちらの集団に従って懐を分かたねばならない。この決断によって人は昆虫にならなかったのだ。
悪徳もちの集団はいわば人類の不良だ。そういう不良集団は自己正当化しているもので、現にネット右翼が隣国の人種差別とか、都民一般が全国田舎差別など見苦しい有様を撒き散らしているのは事実である。不良集団に属すな。単に彼らの外で、不良と交わらなければいいのだ。その結果が階級分化なのだ。
百年、千年後に私が今ここで書いたことは既に証左されている筈だ。それが正しかったと後世は既に知っているので説明するまでもないだろうが、その後世の時点でも、全く同じ集団間の軋轢がある。劣った生態をもつ者に馴染むのは、とりかえしのつかない進化の系統樹で害虫になる道を選び取る様なものだ。
私は嘗て大和王朝と名乗って全国侵略を繰り返していた場所を観察にいった。そこはもう大都市の跡形もなく、罪なき日本人達を虐殺して回っていた自称天皇の小山状の墓には草花が生えているだけで虫しかすんでいなかった。千年後の奈良人は「天皇って私達に何か関係ありましたっけ?」と私にいった。
千年後の東京人は既に荒廃して東京となのっていることもないだろうが、やはり同様の言説を吐くに違いない。天皇と称する殺人教祖も既に絶えて久しく、なぜあれほど群れて田舎差別をくりかえしていたかその時、大都市の面影もなくなった嘗ての東京人達はおぼえてもいない。それが日本人民衆の愚かさだ。
推察するに、彼ら東京人全般は全国から集まってきて、群れることでチンピラ式につけあがっているだけのことである。実に愚かしい。愚かというより呆れるほど浅はかだ。チンピラが群れてなにをするかといえば、良識的な人々に喧嘩を売って回る。それが彼ら日本の都会人一般の生態たるいなか差別である。
文献を引くかぎり、現状と変わらない陰険な邪悪さで、奈良や京都で、日本の都会人達は全く同じ事をしていた。ということは、彼らは千年後もどこかの大都市部で似たりよったりの差別や公害を傲慢にもまきちらしていることだろう。その意味で彼らに救いなどなく、救うべきでもない。同情の余地は皆無だ。
コロナ禍で都民全般がどれだけ打撃するかみていたかぎり、想定よりはるかに低い被害しか受けていない。この程度で彼らが滅亡したりはしない。流行が少し下火になったら途端に勢いづき、再び(茨城空港の答申への匿名での差別的な誹謗など)いつもどおり都民一般は悪事をはじめた。
つまり都民全般の悪事を防止するには、東京都を完全に都市として亡ぼさせ、奈良県レベルまで力を奪うしかないのである。全く同じ事は京都とか大阪とか、名古屋・愛知とかにもあてはまる。都会人がチンピラ的に蛮行するのは群れているからに他ならないので、群れられなくしてしまえば既に勝利に等しい。
情報公害とか(主観的な統計捏造による魅力度差別を典型として)、具体的な原発公害とか、東京人一般が公害をまきちらすのは、都市問題の一種だと捉えるべきで、そこがスラム的に低民度ゆえ必然に生じる点で、単に政治的防止策が講じられなければならない。説得説教とか良識に訴えるとかは無意味だ。
マキャベリ的に大都会の公害防止に、具体的権力装置を用い強制で押さえこむ。これ以外の方途で、拡大し続ける都市問題を解決することはできない(例えば性売買罪の拡散蔓延なども東京的頽廃のそれだし、同人誌を最たるものとしてサブカル漬けによる文化的な低俗化の悪影響なども無視できない)。
戦いは最低でも百年千年の期間で考え着実に勝利を収めていく必要がある。千年して東京滅亡後、いかにわが県の地位や美風を保全し、文明度を高めていくかに注力し、現時点での東京からの公害や、日本全国からの様々な嫌がらせに(無視を基本として)対処するかもその戦略の内に含まれなければならない。
専ら、わが県が永続的な競争優位性をもつ成長産業を育て、将来の東京滅亡を見越しつつ、自県の経済的地位を世界最高のものにしていくのが王道だ。この為に妥協の必要はない。
わが県の目的が単に県外からの公害防止のみならず、世界に冠たる第一等の文明として理想国の建設にあるならそれが基礎だ。
東京による蛮行、公害の山が生じている直接的原因は、彼らが悪徳まみれにもかかわらず本社や中央官庁を集めてしまっている、経済力と徳の不一致にある。石破茂はじめ官庁解体に積極的な人物を用い東京の地位を政治的に囲い込み追い落としていくのも当然の処置だが、悪徳商売を競争的に破るのも重要だ。
さらに大学の集積についてもできるだけ巧みに世論誘導で解体に繋げ、京都や東京に集まりすぎている大学をできるだけわが県にもってくる流れを作るべきである。これらの集積が背後にあって、大卒の人物が都会から差別をばらまき、悪さを繰り返しているのが現行だからである。
勿論、茨城が第二の東京とか、第二の京都まがいになってしまっては元も子もない。その前提にはできるだけ公徳の高い民度の県を作っていく、啓蒙的措置がなければならない。いわば文明化全体が課題なのである。
わが県では二極化は全く否定されるべきだ。中流の民度をいかにあげるかに注力せよ。
既に東京都民の暗面である傲慢で世間知らずの衆愚状態、あるいは拝金主義の蔓延は反面教師に違いない。これらは、単にわが県では逆張りすれば事が足りる筈だ。県政全般の指導の上で、東京の様になってはいけない、と世界全体にできるだけ開放的な社会を作り、金銭以外の価値も包摂する世間にすべきだ。