卑しい人を他人が尊くする事はできない。
卑しい人は自らの行いが悪意や悪徳で満ちているので卑しい。日頃の習慣づけで卑しさが板についた人々は、他人が美徳を勧めても拒絶しそれを身につけようとしない。
ある人が卑しくなるのは、朱に交わって赤くなるよう、悪徳に満ちた人々をまねたからだ。
普段から卑しい言行をとっている人を信用するな。彼らは単に卑しいからそうしているのだ。
性善的な人は他人が下卑た行い、言動をしていてもつい、そういった人々はなにかの偶然で間違っているとか、注意で反省するだろうと思い込み易い。しかし現実は正反対で、純粋に彼らは卑しい悪人なのである。
下賤な人になんらかの尊さを期待し、慈善心から接してはいけない。それは天地を取り違えるのと変わりがない。
下賤な人はどれほど演技していても、根っから卑しい本性を超えて行動できない。だから正しくは彼らへの慈善行為は、自らの良心の満足の為なのだ。
下賤な人は慈善を受ければ逆恨みする。
下賤な人々に好かれ、魅力的と思われるのは、悪魔に命を握られている様なもの。