2020年2月5日

なぜ少数派の国の方が民度が高くなりうるか

生にしがみついたり、こだわったりしている人達は何を目的にしているのか全く分からない。昔から分からなかった。

 元娼婦だったある東京の不倫主婦がピグにいて、自分が死について話すと発狂してきたのだが、その人の脳内で死は負の印象で満ちていて常に絶対忌避すべきものらしい。意味不明だった。
 少なくとも自分にとってこの世は今の今まで想像できるかぎり最悪の場所だったし、この点で仏陀と何の見解の違いもないと思う。
 逆に色々観察して分かったのは、生まれつき精神年齢なり一般知能なりが一定程度低い傾向の人々は、この逆で、周りが自分より優れた人達ばかりなので、生が楽しいらしい。
 確かに、もし自分が周りに同類が多いだけでなく、常に自分より優れた人達から学べる条件にいたら、そこはよい学校みたいなもので楽しいのかもしれない。
 しかし自分にとってこの世は、できの悪いサルに常に囲まれ、そいつらが濡れ衣してくるばかりでいればいるほど悪い場所だった。不快でしかない。

 自分より暗愚だったり、悪徳に満ちている人達ばかりの条件下で、人は対人接触に損害しかない。だから仏陀の様、孤高でいるしかないのである。もし接触すれば説教の機会でしかないし、愚者が説教を好む筈などない相手が悪人ならなお悪く、害悪しかない。
 つまり自分にはこの世は総じて害毒だった。
 したがって仏陀と同じで、死が救いと感じられる。衆愚のたわける最悪の学校から逃れられればやっと解放されるからだ。大体、子供の頃、3歳くらいから自分はそう感じていた。現にまた同文明に類似意識で生まれてくる個体がいる事実もあるし、進んで自殺しようと思うわけでもなかったが。

 自分の見てきた限り繁殖している人達はサルと同じで特に生存へ思慮をもっているわけではない。本能でふえている。端的にいえば性欲を抑えられず交尾し、出産子育てする。少数の例外を顧慮しても、総じて高級な面はない。
 親や年長者が子に威張りちらすのは、単なるサルとしての傲慢さである。
 生にしがみつき、死を嫌がる人達は、その種の二足歩行するエイプの延長上に進化したサルのたぐいと何の違いもない。本能でそうしているのだろう。
 そしてこの世が下らないのは、本能は基本が利己的であり、特に総じて他者理解による利他性が低い種だとこの利己的傾向がより激しくなりがちだからだ。
 もっといえば、大まかに、自分に比べ低い一般知能の人々が多い集団だと、そこはおもに自分へ害を為してくる人々が集まっているので、より高い一般知能の側は生きていくに値しないと感じられても当然といえよう。
 涅槃、無欲とはこの種の悟りで自集団に善意を期待しなくなった最終的な諦念といえる。

 自分は、IQが知的障害とボーダーの人と知り合って、色々話を聴いた。するとその様な人にとっても、少なくとも社会は生きていくに値しないらしい。なぜなら中の下くらいのIQの人々はその低IQの人を集団虐待してきたらしい。いかにもありそうな話だ。元々他者理解に一般知能の何かも使っているのだから。

 結局、この意味で最もありふれたIQが中くらいの人が、自己中心性により異質な精神年齢の人達を迫害しているからこの世は住みづらいらしい。
 IQが中くらいの人が元凶といってもその様な人達が最多なのだから、総じて人は邪悪と結論していいだろう。
 他者理解の能力が高い少数集団で集まるしかない。
 その様な少数集団の中でくらす事で、辛うじて、人というものから恒常的に受ける害はへらせる。しかしこれも緩和策でしかないが。
 低IQで虐げられがちな人々へは、少数派の思いやり深いいわば聖なる人々が、多数派の中途半端な悪人達から守ったり、救いの手を差し伸べ続けるしかない。
 帝国がなぜ失敗してきたか。それは規模を拡大すればするほど、多少あれ邪悪な多数派がふえ、自他へ及ぼす害悪で統率不能になるからといってもいいだろう。
 逆にこの世で望める最良の事柄がそうあるよう、必要最小の善良な、他者理解の優れた集団、少数派の国が望ましい文明化の向きなのである。