ここ15年から20年くらいのネットを主とした情報環境の変化をみてきて、自分が最近思ってることをまとめるが、一般論としていわれてるがクラスター化、房化していて相互交流がとても難しくなってきている。が初期の2ch的カオスを知ってると、それは邪悪な傾向だけでもないとも思う。
現時点の人達は自分と親しい情報の房にとじつつある。しかも細分化が日々進んでいるので、包括的マス情報がとらえどころがなくなるだけでなく、例えばスピリチュアル房と実証科学房は交流が断絶するなど、国交関係みたいな感じになってきているかなと思う。前よりましなのは荒らし遭遇率が下がる点だ。
最近のその種の半ば閉じた房でもやはり荒らしは出現するので完璧ではないし、例えばツイッターのブロッカーアカみたく房の開放度が低いとちょっとした批評にも発狂するわけで、個々の房によってはファシズムの傾向がある。だからこの点は前より危険だろうなとも思う。閉鎖サロンが悪質なら過激化する。
国でも、例えば東京コミケ96の来場者数は73万人とか出ているが、そこで主に取引されている同人誌(幼児性愛など含む猥褻漫画)について先日一部西洋人らに話してみたら大発狂してしまい、なぜか僕を散々に野蛮人扱いしだしたくらいで、恐らくこの点永遠に、東京と西洋の国交上の溝は埋まらないだろう。日本国内でも、東京ビッグサイトに集まる73万人と、それ以外の一般国民の間の溝は、決して埋まらない様に思う。なら非実在青少年概念をもたないがゆえ制服きた学生が交尾する漫画をHDDにもっていただけで逮捕されるイギリスやアメリカの房との溝なら猶更である。各情報房は縁起しているが孤立系だ。
日本の場合、例えば現実感として潜在的にオタク、匿名アカ、性風俗とか多すぎ、倫理・法律上に禁止されている行動(猥褻物頒布だの名誉毀損だの性売買だの)を裁く際、全て裁くと何百万人も罪人なので一部の法律が威嚇的意味をもつ。この構造は、青汁王子や堀江貴文氏の検察話とも関係すると思う。日本法と政府は常に、国民のかなりの部分を、自由に逮捕できる状況に置いている。法の作り方が中世的というか。別の言い方なら官僚支配なんだろうけど、そのせいで警察風紀は「おいこら」薩摩式官尊民卑のままである。なので空気よんだ地検が、疑わしいが威嚇効果抜群の国策逮捕なるものをするわけだ。
国民も国民で一般に中世級の意識ゆえ疑わしきを罰し、汚名をきせまくって冤罪だったとしても、何の疑義も罪悪感も持たない。容疑者という呼称も人格暗殺の一種で、いってみれば天皇政府が国民全体を奴隷化しているわけである。結局これも情報の房が外国のそれに対し閉じている副作用かなと思う。
しかし何も日本だけ情報の房が孤立系なんじゃなく、どこでも多少あれそうだろう。パリジェンヌのおおっぴらな複数愛の世界は一般イギリス人からみたら「不道徳」だが、江戸っ子や京都人からみたら若干「粋」や「もののあわれ」に近いかもしれない。情報房同士の共通要素が少ないほど分かり合いづらい。
そうなってくると、世界で最も理解力の高い情報系が、即ちほぼ神の房となるであろう。いわば無限の一般教養、森羅万象について博物学的な要素が多いほど、他の情報系ともやりとり可能になる。一般化すれば哲学がそれなわけだが、現実には俗の哲学的なことも細分化されているので、偉いのは一部だ。で、神の情報系なんて別に興味がない人々が世界のほぼ全数で、彼らは自分の認知力がパンクしない程の情報系をもっている。そして自分のに似た要素をもつ房に出入りしている。つまり、最近の情報社会でおきたのはこの現象、認知の房化だったのだ。
日本人高校生のPISA読解力が今年ぐんと下がった。
一つの理由は荒野行動やティクトクの流行とかスマホアプリ全般が時間を奪い、長文よみこむ経験が減ったからと思う。ツイッターも読解力低下の一原因を与えている。特にこうやって繋げず140文字ごと書いてる人は、読者の「文脈」を読む能力を全く鍛えられない。それで更に誤解しかできない人がふえる。
もともと日本の高校生の平均読解力は大して高くなかったが、2011年時点だがPIAAC調査で大人はいちおう世界一だった。
(PISA https://honkawa2.sakura.ne.jp/3940.html
PIAAC https://honkawa2.sakura.ne.jp/3936.html)
なにがいいたいかなら、仮に神のよう物分りのよい情報系(いわば賢者の房)が母語内にあっても、一般人がよみとれなかったら平均では、なんらかの点で暗愚な孤立系がふえるであろう。
「テレビは一億総白痴化計画」「ツイッターはバカッター」とは、ある意味いいあてていたもので、上述の中世級政府のしくみもだが、必要なのは他の情報系やそれらの房から優れた要素を学び取ることで、ブレグジット式閉鎖系の構築ではない。耳障りのよい偽報道は皇室アルバムと同級に愚民を量産する。
ついでに書いておくと、発信の方は、そもそも脳は学習した事を他人に説明する段になるとそれを再現する必要がある上に、ある人は自らに認知できる要素を使ってしか情報を再構築できない。この為ある人は発信により復習するか、創作的に情報の新結合をみつける。教うるは学ぶの半ばなりの内訳。
例えば情報を有料無料その他で、ある程度理解もできる他人に伝えると、それらの情報の房の間に共通要素がふえ落差が少なくなる。「仲間に一人賢者がいればみんな賢くなる」とか「類は友を呼ぶ」のはこの為で、政府が国民の権利を不当に害しない法制ができないわが国は、民主化の情報系が不足している。