2019年12月17日

モノノアワレ論

いまから自分がおととい経験した通称アイ・ビー事件について、自分の精神に起きたことを書く。事件の詳細は数日前のブログで辿れると思うしあとでリンクを置くかもしれないので略すが、自分はこれでいつものよう酷く傷ついた。自分より心の繊細な人は一人も見たことがないが、体を抉られる痛みである。だが自分がこの世の社交全般でそれほどの強烈な苦痛を感じていると知っている人は、おそらく誰もいない。だから自分はHighly sensitive personでも人類で最高峰に孤立している存在の様なもので、現時点の科学では内面を覗けないので全く無視されているが、いわば現代社会の犠牲者だ。

 今回おきたのは文化摩擦の一種を含むが、具体的にはあるイギリス人が僕の恋人を強姦したいなど自称英国の面白い冗談をいい、当然だが全くつまらないので呆気にとられていると隣で大爆笑する別のノルウェー人にもお前はユーモアがわからないなど罵られた。文化差というより人格差だろう。
 この2名は数年以上の結構長いつきあいである程度以上に相手に信頼関係もあったし少しより私生活についてすらしっている間柄だったのでこれだけでも凄まじく失望したわけだが、そこは自分の聖人性もあって内面で多重反射する文脈上の衝撃が大きすぎる。
 あまりに傷の要素が多すぎどれから記述(手当て)していいか分からないほどなのだが、まずこの2名は私が最も仲良くなった外国人の各々だった。特にノルウェー人の方は、自分の方はソウルフレンドかそれ以上とすら思っていたので、人に裏切られる以上の大きな衝撃を受けた。それは深い文脈がある。

 このひとは極めて孤独で、平凡とはいいがたい特殊な精神的遍歴をしており、おそらく誰とも分かりあえていなかった。もしかすれば自分にしか深い次元で、理解されていなかった可能性がある。それで自分は、まあ自主的で片務的ではあるが、なんらかの責任すら感じていた。長い時間負担を負い話を聴いた。
 実際、他にも散々、こちらが凄まじい負担をおう相手のストレスで満ちた身の上話を聴かされまくった末に、親切にも誠実にあらゆる話を聴いていると(数年とか)、いきなり相手が発狂しはじめ裏切られるという経験は、自分はこれが1度目ではない。ある長野人も、自分へかつて全く同じ行動をしてきた。
 今回違うのは、相手が外国人だったこと、そしてまだ子供に近い段階からの精神的遍歴をみていたことだ。以前話を聴かされた相手は、最初、自分に話をきいてくれといってきて延々と相談した末に、なんの前触れもなく裏切って全力で誹謗中傷しまくってきた明らかな狂人だったが、今回は途中で発狂した。

 相手が自分の前で発狂するのはそれだけでも大変怖いわけだが、それまで大変おちついてとても仲良くしていた相手だったらその何倍も怖い。しかも今度は極めて精神的に親しい相手だった。救いなのは、現実で直接体験したわけではなく、全て文通上の出来事だった事である。それでもこれだけ怖かったが。
 そのノルウェー人が発狂した経緯については「国をまたいで異なる語彙をもつ文化が接した時の話」にある程度詳しく書いたが、更に深く考えたところ、極めて文学的なある文脈が背後にあったのに気づいて、今こうして改めて、大変傷ついているのだ。
 森鴎外『舞姫』は、僕としてはエリスが哀れなだけの全くの駄作だと思っているが、これから書く実話は、小説より奇であり、というか現実の劇的要素の方が作り話より強烈な一例に違いなく、ある西洋の外国人との間の、ある種の人間関係の中で生じた悲劇なのは共通だが、『舞姫』より遥かにましだと思う。
 上述のブログ記事の様な経緯が表向きあったわけだが、既に自分は恋人があり(正確にいうと、ある少女の自殺未遂や鬱、自傷など、社会でのイジメ経験や精神疾患からきた神経症の数々を、全力で助けていたら恋人みたいになってしまった)、しかもその恋人の事もそのノルウェー人と共通の話題だったのだ。

 よく考えると、ある人形劇SNSみたいなのの中でやり取りしていたのだが、恋人と自分が話してて、そのノルウェー人がきたら泣くアクションをしたことがあった。で、その恋人は「なぜ泣く」といった。つまり自分を独占できないのが悲しかった可能性があり、これはそのノルウェー人の無意識の文脈だった。それ以後、自分は無性だとそのノルウェー人は言い出した。前述記事の方でも書いたがおそらく性別は女性である。彼女(仮)は以前から「サポーターが必要」(体も精神も脆弱なので支えが必要なのだろう)といっていたのだが、別の初恋の人への想いも含めその最初の涙の文脈を抑圧していた可能性がある。
 自分は相手の気持ちがわかるので、流石に彼女を裏切れず見捨てるまでもいかないが、そもそも自分の恋人の方もビッグファイブ(心理学で使う性格診断)なら神経症傾向が甚だ激しく、定期的に精神の極端な不調をきたす人物で、その世話だけで自分がおしつぶされるレベルの負担なので頻繁に構えなかった。
 が、よく考えると、彼女が自分を探していた云々といっていたことなどを考慮しつつ、自分の目の前で「お前の恋人を強姦する」という誰にも全然面白くない野卑な冗談をいう英国人に向け、彼女が大爆笑したのは、暗に最初の涙が、ねたみを含んでいたと示しているのではないか。余りに直接的だっただけだ。それで自分は、薄々その様な文脈が背後にあるとは感じつつも、「かくすればかくなるものとは知りながらやむにやまれぬ常陸魂」(常陸国人なので敢えて大和ではない)で、大日本帝国ジョークで攘夷もどきしてみたわけだ。これも必然というか、恋人強姦ネタを素のプゲラスルーしてたら男が廃るのである。
 この後、ノルウェー人の方が植民地意識のままの英国人に同調して発狂したので(よく考えると何分の1かくらい演技なのではないかという節も感じられる。予てからあそこまで愚かな人物だった様にも思えないからだ)、僕は一晩寝て、一昨日の朝初めて「もののあわれ」を実感的に気づくきっかけになった。

 この辺を先ほど風呂に沈みしんしんと考えてみたに、極めて深く自分が傷ついていたのを発見した。それは次に書くことが主要な理由らしい。

 上述の文脈で、自分は過去の日本史であまり好きじゃなかった本居や式部らが、もし自分がそこにその遺伝子で置かれていたらやった行動をとっていたと気づいた。
 自分の目には下らない連中だった(例えば、源氏の実読後も『雨月物語』序文の秋成の方が正論の様に聴こえていた)本居や式部らのかんがえは、驚くべきことに彼らの京都・関西文化から随分遠いはずの自分の中でも、自発的におおかれすくなかれ再現されてしまった。下手すると民族的な人倫なのである。これ自体、自分が「虫の様な」光源氏と、ある点で近似した行動原理をとりうる、無論あそこまでの乱倫模様はとらないけれども、少なくとも本質的な人倫において、モノノアワレに基づき、一夫一妻主義を英国人式に冷酷に貫くより、同情しまくったらなんか可哀想だなくらいには感じてしまうと示している。
 これへ強制的に気づかされたのが第一に自分を傷つけた。脳の共感知能が高すぎるのが原因かと思うのだが、あの英国人(といっても20代オタク)が「浮気は悪、純潔なき恋愛は極悪非道、一夫一妻主義以外は野蛮国の無法」と、少年漫画的発想を僕の暫く前みたく維持しているのは、モノノアワレを知らない。日本の平安文学的秩序の中では、勿論そんなのイデアの世界なんだけれども、モノノアワレを知らぬ人は貴人の資格がないのに等しい。だから自分は平安貴族の本質的哲学については、本居にいわせれば「実感として」、なぜかわかってしまった。知識を知っているのと実感で分かっているのは相当違う。
 だが、あの英国人にいわせれば、モノノアワレを知る人はキリスト教の教義(イエスのアガペーでない)に従わぬ蛮族であり、大英帝国の一夫一妻秩序によって原爆投下をくりかえし潰されるべきであり(発狂しながらガチでいってた)、それだけでなく変態性欲であり、コミュニティ荒らしされるべきらしい。ここまで書くと、上で『舞姫』より遥かにましな、しかも小説でない実話だとした意味は薄々勘づいてきたかと思うが、鴎外の場合リアルモノノアワレぶっていながら唯の浮気との境界例だから同情できないんだけれども、自分の場合は完全にプラトニズムであって文通しかしていない。しかも恋ですらない。
 あの英国人の読書力や思考力がどれ程か、現実の恋愛絡み人間理解にもよるので(実体験としてなら僕だって35の今までわからんかった)将来的にやつがモノノアワレを知る人になるかはわからんし多分ならないと予想する。だが僕を決定的に傷つけているのは、ノルウェー人の方がそれに気づかない点だ。
 このノルウェー人の方は、仮に己の深層心理から目を背けるために英国発狂病人につるんで、変態仮面の画像はりつけて逃亡とか幼稚なヴァンダリズムしたかはわからんけど、どうみてもそれで6年近く相談しまくった相手とお別れでいいと算段してたら本物の馬鹿である。しかももともとそこまで愚かでない。

 この話は、そのノルウェー人だか英国人は、恋愛と友情の間にモノノアワレ的な濃淡とか色彩を一切感知できず、全か無か、白か黒か、0か100かと実に単純思考しかできないと示しているが、彼らの語彙中に、モノノアワレがないせいでもある。だから説明してあげたのだけど理解しようとすらしなかった。一人の絵描きとしての感覚からいうと、必要最小の三原色からでも無限の色彩が作れるし、その中間色の甚だしい多彩さがなければモンドリアン的な人工空間しか作れない。恋と愛の違いすらろくにない英語で、彼ら西洋人らは我々日本人がみている感情の繊細に揺れ動く恋愛世界を感知できていないのである。
 そして自分がわかってしまって逆に傷ついているに等しいのは、紫式部が描いたあの不倫、幼児性愛、近親相姦だの様々に「不道徳な」性愛がつめこまれた一夫多妻の非典型的世界で、なぜか女房らが光源氏を恨みもしないのは、女の野蛮さでなく確かに、本居のいうモノノアワレを知っているからなのである。
 あのノルウェー人がモノノアワレを知る日は、少なくとも文芸の研究によっては来ないであろう。そんな趣味もないだろうし、僕くらい勉強家でも、ガチで悟るまでには知識だけでなくはなはだまれな仮想体験をしなければならなかった。では彼女は、みずからの深層心理を覗くことで、それができるだろうか? なぜ彼女がみずからの深層心理、涙のわけを直視できないかなら、当然だが心の鎧の為だろう。そもそも初恋の人ぽい美青年への恋慕が、単なる乙女的妄想に終わったとて、通常の女なら次の恋に移っていけるはずが、自分に相談を重ねていた中その恋人登場で「なぜ私だけ相手がいないの」と感じたのだろう。
 その鎧は、結局、自分がこじ開けかけたものの、あの糞英人の嫉妬混じりの日帝ディスだか、オタクこじらせた強姦ジョークだかで妨害され(一体全体、己の恋人を大事にしながら、失恋相談してきた女性に哀れといってるののどこが浮気なのか理解に苦しむ)、ねたみも直視できないノルウェー人は発狂した。発狂は発狂だったけれど、勿論、現実に精神病を発症したレベルでなく(『舞姫』はそうだった気がする)、ネット上で気が狂った様なマッド荒らし的書き込みを突如はじめたとのそれよりソフトな意味だが、やはりいくらディスられようと何度考えても、あのノルウェー人の境涯に哀れさを感じざるを得ない。

 いや、もう一段かんがえると、そもそもその鎧をこじあけなんになるのか。幾ら自分が「外人にモノノアワレなんてわからないんだよ」と語る厳然たる無理解の大海の前で茫然自失していても、彼女らはあの北欧の狂信プラトニストだかキリスト教秩序だかの中で、複数愛に近い感情を容認できず発狂したのだ。あの英人が一度も読んだ試しのないウェイリー訳を読んだら発狂に変態ディスが上書きされまくり、同人誌どころの騒ぎではないはずだ。野蛮なのはどっちなのか。日本人より恋愛感情を詳しく表現したり、微細にうがって認識できない。あのフランス女にも言われた、Je t'aimeとJe vous aimeの違いの様に。あのイギリス人は、確かに私達の人倫とは大分違うのだろう。そして自分は現代日本の貴族として、モノノアワレを再現的に知る中で、表面だけまねたキリスト教道徳の残滓がすっかり洗い流され、私達の純真さが全く別の秩序を意味するのをみた。我々は本居のいうとおり性を自然だと認め、善と一致させる。そして我々は単なる一夫一妻制だとか、あるいはなんらかの性道徳イデオロギーを全て忘れ去り、単なる純心無雑な一人のひととして、ちょうど神話のイザナミやイザナギのようあらゆる性の位相を、ありのままに美とみなす。寧ろこの点について漢心だけでなく洋心も、また人の心を知らぬ邪心だったのだ。
 わたしの哲学の方が正しければ、あのノルウェー人もいずれ、己の心を閉ざしていた鎧を武装解除し、降参せざるをえまい。そしてそれが正しい。
 彼女を不幸にし、雁字搦めにしているのはキリスト教の使徒らによる歪んだ結婚管理制度であり、イエスのアガペーを全く別の意味に歪めたラブなる多義語だ。
 仮に、彼女が私に恋愛感情か、思慕を感じていると当人が認めたとしても、それはわが国の人倫にとって罪にすら全くならない。だがモノノアワレを知らぬ国であるノルウェー、或いは堅物にして愚物の強姦海賊国家イギリスでは、野蛮すぎるキリスト教が、罪悪感で洗脳済みなのだ。性が罪とは恐ろしい中世。

 なぜ自分が傷ついたのかは、結局、複雑すぎてよくわからなかったが、彼女自身の混乱も含め、時が癒すだろう。明日にでもより完全に、どこがどう傷ついているのか見直さなければ。
 自分に着せられた汚名は、あの2名がモノノアワレを知らぬ蛮族であっただけで、なにを傷つくのか、人類の野蛮さにか。

 モノノアワレ(もののあわれ、物の哀れ・憐れ、物哀)とは、可哀想の最上級表現の一つであり、すれすれで辛うじて性愛の範囲に含まれるかもしれない或る感情の要素である。
 別の定義もあるかもしれないが、自分に感知できたのはこの領域であり、しかも日本文学の伝統的概念にあるそれに帰一である。
 本居宣長は、『源氏物語玉の小櫛』で、この概念を紫式部『源氏物語』から抽出した。特に式部が物語前半の主人公にあたる光源氏に「蛍巻」で代弁させている物語論から、漢心(唐心)や仏教を超えて、或いは敢えて廃し、大和心と式部が定義した日本独自の精神に、この特定感情を昇華させたと解釈した。
 本居によれば日本人の天性は善であり(日本人性善説みたいな立場)、中国やインドと違いあれこれうるさく道徳的説教をせずとも、敢えて孔子でいえば「心の欲するままに従えどものりを超えず」式に、自由にしておけばうまくいく。殊更、性愛の領域でそうだ、なるのが彼の考える式部の哲学だったらしい。
 次のデータをみるに、本居が式部に習ったもののあわれとは、日本人一般(又は調査対象になった標本の一部)が恐ろしく世界41カ国の性生活から孤立している状態で、はじめて成立する美意識の可能性がある。世界一性に消極的な日本人の中では、寧ろみずからの性衝動に従うのが難しいのであろう。

 青少年の頃は気づかないが、青年から壮年以上になると自然な性衝動に翻弄される機会は徐々に減ってくる。むしろ精力剤みたいなのが存在するくらいで性衝動自体が理性を上回る場面の方が少なくなっていく。特に老年期に入れば完全にそうなるわけだが、これも重要な点だ。

 なぜ平安期の文学の中で、光源氏の乱倫級女遊びとしかいえない代物が、今日のよう「不倫」扱いで弾圧されず、寧ろ美化されていたかなら、実際、皇室へ婚姻政略をしかけた藤原道長がモデルとされるわけだが、意図的に性衝動を理性に優先させないと頑固な天皇独裁に民が食い込んでいけなかったのである。裏を返せば外国一般に比べDNAの面で共通因子がおおい日本人一般が、もし道長の立場におかれていたら、仕方なしに、天皇独裁から少数派による貴族政治への道筋をつけるため(その方がその時点では公共の正義だったのだろう)、今日の目ではほぼ強制に似た様な婚姻政略をするしかなかったかもしれない。式部は素直に、その道長様式で染まった現実を、一般民衆や地方農村をかえりみず贅沢三昧に耽る宮廷に近いゆえ手に入った当時の貴重品である紙の中で、文字の順列でたちあがるイデアにより模倣した。自分は義烈愛民思想の文化の中にあり、京都文化の寡頭性が肌に合わないのだが、式部も庶民を無視した。
 つまり平安期のもののあわれは、はじめ女官から現れたある種の貴族(特に道長の様な婚姻政略者)の美意識だった。思うに九鬼周造『いきの構造』での粋は、この美意識が江戸に辿り着き、町人の間に広がった化学変化だったのではないか。

 また奈良時代の『万葉集』にも既にモノノアワレの萌芽がある。
 万葉和歌は相当部分が恋の歌で、しかも当時の奈良人が周遊できた各地方(国)の民衆の心を主観的に模倣した形になっているので、モノノアワレが貴族化される前の素朴な状態を示しているといってもいいかもしれない。これは自分以外誰かがいってたのみたことないけど(いるのか)、きっとそうだと思う。自県なり関東(今の首都圏)でいう『常陸国風土記』つまり現存する風土記等にもその種の和歌が紛れ込んでいるのは注目に値するし、常陸国、茨城県でいう筑波の道で、そもそも嬥歌(かがい)は歌の掛け合いの起源だったと思われる。現実に筑波山のぼった感じ、まあ好きだ~何々とかいってたのだろう。どんな感じかというとジブリ版の映画『耳をすませば』で最後の頃に主人公らがしずく~すきだ~とか丘の上から叫んでいるが、まさにあんなのを山の上で解放感に浸って、のりで本音を叫びだすみたいな瞬間が、青少年というか中学高校生とかに修学旅行であの山行かせたらあってもおかしくないであろう。たまたま当時の奈良人の高級官僚が『常陸国風土記』に記述がある感じで訪問中にそれを目撃し、いわゆる中国風の畏まった歌垣(今の皇室がやってる歌会始みたいなの)との共通点を「歌の掛け合い」にみいだし、嬥歌なるものとして記録したのだろう。すなわち古代の時点でもモノノアワレの片鱗があった。
 偶然か不明だけれど『古事記』にも、ヤマトタケルが筑波とおりすぎるとき現地のお爺さん(翁)に、ああ~疲れたなとかいったら詩みたいにうまいこと返されいいね! と言う記述で、「筑波の道」が文学用語で連歌の起源にされてるわけであるが、嬥歌と同一地域だし当時奈良人は余程感動したんだろう。なぜ奈良人が筑波好きだったかなら、彼らの見知った三輪山の巨大版が日本最大平野のど真ん中にあるという筑波地域の構図は、実際、天橋立が筑波山神社の一部にあるし男体女体山がイザナミ・イザナギ国産み神体になるたとえからも、原型的モノノアワレ論者だった古代奈良知識人好みだったに違いない。

 で、ここからが本番だが、式部と本居は漢心(つまり中国インド思想)との弁別として、モノノアワレを定義している。これがTHE国学の考証態度、即ち国粋化で、近世なら水戸学にも当然うけつがれている。美術なら天心、倫理学なら新渡戸がその種の態度だろうし、つまりは洋心との間でも同じだったのだ。洋心(ヨウシン、にしごころ、ヨウごころ等の振り仮名がふれる)は、自分が初めて使ったと思うが、つまりはそれまでも法隆寺エンタシスみたくシルクロード経由で入ってきたとされたり、途中で宣教師きてたが幕末明治以後一気に流入した欧米思潮の全てである。これは大事な話で輸入学問の近代系譜全てが入る心だ。
 ところで私は式部や本居の意見自体には実は反対なのである。だから上でも敢えて「常陸魂(ひたちだましい)」を使い、いや~奈良の古名の大和じゃないし、と敢えて一線を置く。どういうことかならナショナリズム的発想は陳腐と思っており、日本も連邦だったし弥生人も大陸からきたじゃんというわけだ。もっといえば式部や本居は自文化中心主義者(京都中華思想論者)の一種だったと思っており、これを知るには混血または移民の末裔の可能性が高い当時の関西人に比べ、より純粋に先住日本人だったアイヌ、縄文人(蝦夷や東夷など当時の天皇界隈が人種差別していた)、琉球人のが純日本なのをみればよい。
 式部が『源氏物語』「乙女」で「なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。」と書いたこの文学用語は、やがて国学経由で人倫に転用され、いわゆる日帝の基本通念となって、天皇権力を絶対化した。絶大な同調圧力ヒエラルキーの起源に奈良旧国名とスピリチュアルが使われた。いいかえれば、義烈愛民思想の様な水戸学が内包した貴族政治の正義は、弘道館界隈で会沢正志斎らに接した吉田松陰がやがて換骨奪胎した一君万民論となったが、後者を採用した薩長藩閥らの中で愛民理念そのものは抜け落ちていき、最終的には天皇親政が国民へ自己犠牲を全体主義で半ば強要するに至った。
 大和魂との語は、無論、国学の系譜に属する水戸学では伝統的国粋化(国風化)の手法に倣って、大陸哲学との弁別に使われていた。烈公が「行く末も踏みな違へそあきつ島大和の道ぞ要なりける」と弘道館内の要石に揮毫したのがその証拠だ。だが安倍晋三氏に至る長州閥は愛民思想の方は学ばなかったのだ。全く同じ事は天皇にも言え、寧ろ歴史上、弘道館とか回天神社とかを彼らが訪問した記録をしらない。偕楽園の方はあるみたいだが。それなら、現役で偕楽園へ植樹にきた(梅の苗木あったと思う)秋篠宮くらいしか、THE愛民思想をなんとなく認知してることすらないのではないか。水戸学学んでないだろう。
 ここは是非とも大事なところなのできちんと記述するが、飛鳥時代に大化改新で天皇制確立してから、式部が大和魂語った時点まで天皇は中華皇帝の背乗りキャラだった。今もだけど、昔は余計にであり、記紀であれ風土記であればんばん一般国民を虐殺しまくって威張り腐っていたくらい野蛮そのものである。しかし奈良時代に仏教伝来があって、民衆は明らかにそんな野卑な中華皇帝もどきよりそっちに洗脳されるとみた天皇は、部下に命じて、先住信仰の自然崇拝にも、中国風の多神教で背乗りしはじめた。これが我々のよくしっている神道の起源であり、政府の手になる国民洗脳の為の奈良時代の新興宗教だった。アイヌは明治まで自然崇拝だったし(カムイなる汎神論イデアを最高神とするもの)、琉球は鹿児島の島津家が尚王家から政権強奪するまで別の多神教だったわけで(いわゆる琉球神道)、本州四国九州までが、この中華皇帝の祖先神の名義たる天皇を日本の神の末裔と定義した、新興宗教の布教空間だった。
 上述、平安文学は、中世初期この天皇政治が腐敗しきって受領に国を売っていたわけで、いまなら売国政治と化し民衆の公益など完全無視、私腹を肥やし贅に耽る一方の京都の官僚らに嫌気がさした坂東武士の将門らが、新皇を名乗り天皇以前の独立政権を回復する前、マリーアントワネット的文脈で綴られた。
 長い戦国時代の覇者となった徳川家も、250年にわたる世襲統治で遂に腐敗、少なくとも将軍を継いでいた宗家はしばしば出る馬鹿殿を次官にあたる大老らとか親戚の御三家がカバーしぎりぎり成り立っていたが、このしくみを清算したのが慶喜だったといえるだろう。いわゆる維新は将軍から天皇への禅譲だ。
 天皇は明治から敗戦まで約77年ほど、日帝体制の最高権力を握った。この間を特に西日本の人達は一般にやたら美化するが、それは徳川政府は江戸・東京にあり血縁や功労者を中心としていたのに、明治期から暫く薩長土肥と呼ばれる特定県出身者らが寡頭政治敷けたという或る種の狭量な利己心によっている。この薩長藩閥、英語なら明治寡頭政治(Meiji oligarchy)は、客観的にみたら寡頭制そのものが堕落した政体の名義であるよう決して健全ではなかった。戊辰戦争や士族反乱のしこりは無論、一番象徴的なのが大正デモクラシー弾圧だったろう。薩長藩閥は民主化を否定していたのだ。天皇が全権牛耳る体制だったので、(選挙権の制限されていた)議会がなに求めようが天皇がNOといえばダメだし、現実に明治、大正、昭和の民衆は主権を結局もてなかったのである。国連とGHQが日帝を潰し、天皇が一応とはいえ外国軍に降参してくれたので、幸運にも日本人は国民主権を憲法に記述できた。

 およそ弥生人侵入(渡来)があって大化改新から数えると1945-645=1300年ぶりに、日本人自身が天皇から政権を取り戻した画期的出来事が、新生日本国の誕生だった。大和魂はナラ(朝鮮語で国の意味だ)の国名を借りていたし、要は天皇体制の正当化だったのから、遂に日本人は自由になるかに見えた。
 そこでいわゆる「天皇特例会見」事件がおきた。当時は副主席、既に次期主席となるのも明白だった習近平現中国国家主席が鳩山政権を通じ、天皇と面会を頼んだところ、急な申し出だとして宮内庁を通じ天皇が拒絶したわけである。これで菊タブーで自主規制網の敷かれた都内マスコミは大発狂してしまった。2009年、今から10年前の出来事だが、一言でいうと飛鳥期以来、中華皇帝背乗りやくざだった天皇一家だったが(まあ古代豪族なんてほぼ人治だから皆暴力団と変わらなかったが)、いよいよ形式的には民主化した本場中国人と、遣隋使の時なめられた前哨戦脳裏に皇帝プライドガチバトル演じちゃったわけだ。これなにを意味するかというと、単なる見栄張りマウンティング合戦という稚拙にして社交界特有のくだらねー虚栄心俗物ワールドだから、我々一般庶民(或いは文化貴族含め)からみたらほんと全体巻き込むなだが、隋の時よくもなめくさってくれましたねベジータみたいなフリーザ様的なものということだ。ドラゴンボール世代以外には意味不明なたとえで恐縮すらしないのだが、つまり天皇の方が高が中国人より上ですよという、皇室どもの一種の差別感があらわになった瞬間なわけである。ま、他の王室とかでももっと早くいってって断ったかもしれんが、歴史劇場としてはそんな文脈になっちゃったのである。
 遣隋使で先進文明に朝貢し、「倭の奴隷国(倭奴国)」金印をありがたく頂戴したはいいが、二回目だったかのとき今度は作戦考え、こっちの賢者たる小野妹子が奈良人を日が出ずる処の「天子」と書き、ガチ中華皇帝と対等形式にした外交書簡を渡したので当時中国人はこの東夷無礼なりとなったわけである。この部分をより克明にいうと、中国の政治哲学だと皇帝は全世界に1人で、しかも最高徳の者を天が自動で選び出すと考える。のちに松陰がこれをうけ水戸学を彼なりに変形し一君万民論(一天皇の下に全臣民が等しい身分をもつ体制)として断章取義したわけだが、根本が違う。易姓革命を日本では否定する。
 徳川光圀が朱舜水との共同研究から導き出した考え方になるが、日本の政治哲学だと天皇は不動のまま世襲され、次官(今なら首相、嘗てなら将軍)が上述の天が使わす徳政革命により交代する。これは水戸学で大義名分論といわれるが、中国春秋史上で周王室を守った諸侯らの共通理念を援用した用語である。つまり、わかりやすくいえば中国の歴史だと、腐敗した王朝を治める皇帝を新興勢力が丸ごとぶっ潰して、新王朝を建て新皇帝に即位なるパターンがくりかえされたが、日本はそれより穏やかな国民性だったとみえ最高権力を握った人達が天皇をぶちごろさなかった。マッカーサーもそうしたが柔和な面がある。しかし天皇は、各地にいた豪族の長を処刑しまくりなので(卑弥呼は不確定なので除くとしても、記紀ではクマソタケルとか、史実なら上記将門、アテルイ、クシャマインとか)、まあこれも臣下の徳といわざるをえず、光圀なりの哲学であって、いかにも侍らしい忠義を天皇制に一致させたと考えるべきだ。
 近代化しはじめてから日本人が気づいたところでは、光圀の思想以来、江戸時代を通じ維持された日本版「封建制」は、西洋の中世でもfeudalismとして、ある程度相似していた(但し日中版は血縁支配がある)。唯物史観でいえばおそらく生産体制が第一次産業中心だったので農奴経済状態だったのだろう。すなわち天皇や将軍が自分の血縁者を各地に移封し、彼らに国守や大名として現地を統治させる方式は、まだ王権の名残が多少あれ残っていた西洋でも土地統治の形式で使われていたので、明治以後、天皇は今でも皇族がイギリス留学してるよう思いっきり向こうの用語を直訳したりして真似てきたのである。
 なお日中の封建制は西洋の土地相続を種にしたそれに比べ、より似てはいるものの、日本は中国と違って血縁の契りより「家」制度による相続観念の方が発達していた。これが幕藩体制の中で徐々に、養子縁組が行われていた理由だが、家名に恥じざるといった武士道観念はまあこの国が独特なのかもしれない。イギリスだと『英国王のスピーチ』でみたが、王子が好きなアメリカ人と結婚したいからとかいって王座すてて分家し、そのまま王家側継いだ弟からあいつんとこは知らんみたいな、血縁による契りの弱さは明らかで、そもそも外国王室などとの混血が多すぎて家名もすぐ交代するから家制度もずっと弱い。
 裏を返せば、なんで女系天皇ごときで明治以後の右翼が日常的大発狂どころかもう日本終わりだとか極論になってしまうかといえば、ま、この点、光圀の方が大人だったと評さざるを得ないが、薩長イデオロギーは男尊女卑だったのに比べ、水戸学の中では婚姻相手の皇族は女性だったので御代が優越していた。いわゆる万代一系論というのが光圀の考証で、女性天皇も複数いてしかも女性から女性に代が継がれた(元明から元正。まあどちらも男系の女性皇族だが)こともあれば南北朝もあったと、男系血統が万世一系なるが故に天皇が尊いとする明治から令和政府までの公式見解とは違う目で、代単位でみていたのだ。すなわち、義烈両公から慶喜家の全体まで仮に入れて、(又は現当主まで)水戸の徳川家の哲学からいったら、本質的には過去にもいた女性天皇を容認しているだろうし、根本理念からするともし女系天皇が出現でも、そりゃあ女系じゃダメでもう終わりより天皇臣下としてはましだからそっちを選ぶでしょう。ここは現政府の有識者会議でも度々とりあげられてるだろうけど、男系の皇族復帰か女系天皇の容認かの選択のところで、万代一系論(代で継げば男でも女でもOK)か、万世一系論(とかくY染色体にこだわる)かの対立がある筈だ。正直、前近代的な神話論争に過ぎない。後期中世頃にいた光圀のが進んでる。実際、西洋の王室諸侯からみたら、男女差別だか性差別に他ならない万世一系論の方は、完全に時代遅れの代物であるばかりか、男尊女卑だみたいにいわれてしまう。ただ神道の最高神は女(アマテラス)なのであって、そこは明治以後の薩長藩閥が蛮風なり戎風もちこんだにすぎないと解釈されるところだ。
 まあ独立監視人的に公平を期すため、薩長陣へ最大限好意的に解釈すると、万世一系論は明治元勲が己の権勢欲を天皇制にも反映させた代物で、当時は選挙権もそうだけど女権が十分に確立されてなかった時代背景もあって、いわばマッチョイズムをごりおししていたのである。性的少数者の時代から遠い昔だ。

 モノノアワレの話から大分逸れてる様にみえるだろうが、今からきちんと本筋に帰結されてくるので心配要らない。要は、大和魂(大和心)という用語は、少なくとも平安期の思想体系ではモノノアワレを内に含んでいたのだが、前者は次第に政治イデオロギーとして全体主義になり、後者は世俗化していった。そこで漢心、洋心、すなわち外国思潮との弁別の指標として、これらの国学用語は今も使えなくはない。実際、はじめに書いたよう私が文通イデア上の実体験としてこの印の重要さに感づいたみたく、日本文学研究者以外がモノノアワレなんて知る余地はないであろう。自国民すらまず知らぬ。
 最近のサブカル美学用語なら「萌え」なるのが東京秋葉原文化にあったが、これを江戸の粋を更に改造した文脈で捉えなおすと、オタクの中で二次元か仮想化された偶像嗜癖が、しばし幼児性愛的要素を含みつつプラトニックに昇華されたものとも捉えられ、極世俗化されきったモノノアワレの一つかもしれん。なぜか性行為回数もその満足度も、上述調査対象になった国々で突出して低い日本で、特に現代東京文化のサブカルの一部で、偶像嗜癖のひん曲がったものが「変態 Hentai」としてジャンル化され、英語ウィキなどにも載っているところを見るに、元は婚姻政略から流れてきた性の自由が細分化したのだろう。ただ注目に値するのは、これは江戸で大衆文化として既に大々的に萌芽していた春画ジャンルが発展したものと英語ウィキでも当然分析されているが、都内の単なる性風俗と違い(こちらも遊郭から進化し続けているが)、イデア的なものでもある。同人誌オタクも基本、ある種のプラトニストなわけだ。
 四国方言だったと思うが「戯作な」は卑猥なとほぼ同義と或る方言辞典に載っていたけれど、既に江戸時代の間でも地方人の趣味からすれば江戸文化のある面は下品なものと認知されていた。ダニクル効果込みで中華思想に驕る面が大いにある江戸・東京人は今もこれを認めたがらないにせよ、事実でもある。東京文化のうちサブカルの一部は特に、モノノアワレを最大限に堕落(但しオタクからすると爛熟)させたらこうなるだろうという状態にある。また例えば東京で娼婦男娼らにつけられる仮名を「源氏名」と呼ぶのも、『源氏物語』でのハイブロウな貴族性を、遊郭文化で完全に抜き取った残骸といえるだろう。
 洋才(海外の学術)を学ばねば、大和魂、即ち式部の時代で彼女のみていたエスノセントリズム世界でいう「日本人らしさ」も正しく使えないと、物語の主人公にいわせた頃から遠く後世にいたり、式部や本居が現東京をみたらどういう感想をもらすか? 東京ビッグサイトの73万人に随分進んだねといえるか? 諧謔なのは、当の外国人らの相当数の方で、それらサブカルに大発情だかして大いに面白がり、まあ所詮はロウブロウゆえ半分馬鹿にしている節もあるが、京アニ事件で国連の人らまでサブカル礼賛してしまう始末に至った。ある意味、文化侵略で成功しているみたいなもんかもしれない。ジャポニズム以上だ。

 最終結論としては、原初のモノノアワレ文脈は、「先ず外国から謙虚に学ぶ姿勢あってこその日本人なんだわね(近頃の若いもんはそれとは違ってああいやだ云々)」という、ある意味で説教オババ的な式部の慨嘆だったのに、本居が超訳をはじめ、遂にエロフィギュア自慢の自称クールジャパン政府に至った。裸像を等身大で量産していた多神教の古代ギリシアだって今の日本だか東京だかと相似の一大偶像嗜癖に陥っていたけど、そして一部西洋人だの大体の外国人ら含め性愛に近い微妙な同情心なんて一々見分けられるほど細やかな感覚はもちあわせていないしもつ気もないだろうけど、人は高貴であるべきだ。なぜなら実体験としても諸外国からのそしりであれ、自国内の下衆だの高位高官からのろくでもない嫌がらせであれ、又は彼らの自堕落であれ、我々の本性に属する或る善に比べれば誠に卑小な単位にすぎない。その善はモノノアワレなる用語で全てを解説できないが、一部要素として知っておいても損はない。
 例えば我々自身が性衝動を抱え、それが社会規範としばしば対立するという近代日本の恋愛観テーマは、漱石の一部作品にとって一種の底流になっているわけだが、自称文明人に本能が一切無用とならないかぎり同じか似た主題は変奏されくり返される。モノノアワレを知る人は自他の性に寛容になれるだろう。