清潔なイメージが大事な政治家が婚前交渉を開き直って発表したのはヤンキー的なものだからまだしも、官邸前でそれを全国公表したからブルボン王朝視が否応なくはじまるのであり、「特権階級化したセレブ議員」なるスティグマが進次郎に貼りつけられてしまった。自分で貼ったんだけど。
眞子内親王と小室圭氏のときは引き返せない懐妊までなかったから進次郎議員よりは上品っぽく月と太陽の詩まで飛び出て、完全にロミジュリ効果の象徴になった。進次郎のほうはなんらロマンティシズムの香りがなく、猿のたとえとか底の浅いやくざ上がり世襲議員の地金が出まくってて、過剰評価がばれた。
現実の眞子氏と小室氏は電車の中で写真見せてといって接近し、ぶさいくだからやだ~などいちゃつくなどただの俗人なんだけど、演技がうまい。演技力だけで皇族か、ただの議員か別れるんだから、国政の内幕ってまさに猿芝居なんだろう。しかも大和王朝の昔から。
改めて思うのは社会民主主義の欺瞞だ。一体なぜ我々、経済・社会的弱者にして現制度の犠牲者(しかも独身、子なし)がセレブ議員の子育てに彼よりはるかに少ない貯金から税を払うのか。どうみても山本太郎理論の破綻ではないのか。
経済・社会弱者を恵むのが社民主義で、それを通俗化した山本太郎人気主義だというなら、なぜその非累進的な制度で弱者がますます不利になるのか。MMTの最終負担は国債を買う銀行・保険から間接的に、全国民のうち最も貯金が少ない人々により重くかかってくるのだが。なぜまともに累進課税を目指さぬ。