ゆたぼんはただの天才少年で、叩いてる人らは嫉妬と、義務教育が「義務」であるという文字面の既成観念をホームスクーリングだか家庭教育でぶっ壊されて、発狂してる凡愚の大人だろう。例外的個性に弱いのは地頭が悪いから、自分の価値観をぶっ壊されて認知的不協和に堪えられない。
明治以後の公教育は国民国家を作る為の政府都合の制度だから、もともと教育って家庭教師つける貴族の嗜みなのであって、集団教育を貧民にも押し付けるということそのものが大いに矛盾してる。寺子屋行きたくないといってる子供に無理やり行かせて自殺させる意味が全く分からないんだから。
ゆたぼんは天才なので一瞬で本質を見抜いて「ロボットみたい」と看破してしまっただけで、少なくとも科学教育はAIだか機械でもできる論理的作業をひたすら詰め込んでる面が殆どなので正に暗記ロボを作っている。で、労働者にしたてあげようという学部までの教育体制も、極論すれば政府による奴隷化が目的だ。ユーチューブにせよネットは情報産業時代で生産設備を家庭向けに卸したから、そこに最適化したければ子供の頃から型にはまらない創造力を伸ばすのがベストで、まさにゆたぼんみたいに人と違うこと、差異化をつきつめるのが正解。そこに興味が集まったらページビューだか広告収益がつくという仕組みで。
なんでゆたぼんのテーゼ「自殺するくらいなら学校行くな。命が大事」に発狂してしまう大人が大量に日本限定でいるかというと、この人達は日本政府の文科省に完璧に洗脳されたロボット人間、ロボット労働者階級だから。彼らは『1984』みたいに政府の管理人間として生きるのを是とするから。
なぜ日本政府がロボット労働者を量産する体制かというと、公教育を全国規模ではじめてやった明治政府は工業化時代に最適化しようとしたからで、工場労働者や製造業会社員は型にはまった作業をくり返すのが効率的だったからだ。トヨタも含めもう日本の製造業は落ち目だから、ゆたぼんが時代を読んでる。ゆたぼんは猛烈なJP同調圧力袋叩きで学校行きました投稿とかしてしまってこのままあきらめるかしらないが、イケハヤ氏らをみたらわかるようページビューにほぼ比例して収益があがる以上、炎上案件って寧ろ差異化された情報を生産できてるわけだから、それこそ高い労働生産性の一種です。ゆたぼんは情報産業に最適化する筋道を極めて早熟に辿っているだけだが、他のユーチューバーになりたいといっている子供からしたら先を越されていることになるわけで、嫉妬からの中傷を受け易い。しかしそれも彼の収益を上げる結果になるので、最適化の一部といえるだろう。
虐めとか同調圧力地獄とかを理由に、不登校扱いの子供を無理やり学校に通わせようとする愚かな親を持っている家庭では、ゆたぼんは認知的不協和をもたらす(工業化時代の価値観を破壊する)と同時に、子供にとっては羨ましい家庭の恵まれた子となる。だから猛烈なコメントでの衆愚的バッシングになる。
更に悪趣味なことに、コメント欄で狂乱し、子供相手に誹謗や非難で荒らしまくる集団教育匿名暴徒を観察すると称し、集団虐めを第三者としてニヤニヤ眺めている下衆も群れてくるといった具合で、ゆたぼん自身の純真さ(不登校の子の為に頑張る)とは全く違った意味で炎上ユーチューバーと化しているわけだ。
もう一ついえるのは、ゆたぼんが袋叩きにあう理由は、彼自身の義務教育批判の革命行為と全く別の点で、彼の性格が日本の謙遜の美徳と対極にあることだ。目立ちたがり屋で、人前で堂々と喋る。大人顔負けに、何も見ずに。こういう個性を単に忌み嫌うのみならず同調圧力で潰すのがいわゆる和なわけだ。
本来、もぎけん(ゆたぼんと協働した動画を自身のユーチューブにアップした、脳科学者の茂木健一郎氏)がいうべきことは、脳科学の観点から無二の個性を育むのが教育本来の目的だとかそういう自由教養的な文脈と思うのだけど、彼単独のユーチューブでの批評ではその様な中身にしていなかった。どっちかなら不登校を賞賛してるのではなく、ユーチューブクリエイトを自由研究扱いしている。つまり教育論者としてもぎけんはここでなぜか半ば保守化しているのであって、「学校なんていらないよ」「もう全部、多様性の時代で基礎だけ政府がネットにのっけとけばいい」「あとは全部単位制で」「きてもこなくても生徒の自由」ってどんどん自由教育論につなげていけばいいのに、そうしないのだ。教育は洗脳だが、洋の東西を問わず自由教養はこの逆で寧ろ貴族となるべき人が自ら考えられること、主権者としての基礎を与えるのが目的なのであり、多数政治を仕組みにしているわが国でも、勿論、自由教養の方が元々あるべき教育の姿なわけだ。義務教育は当然、これに反する。政府のおしつけなので。
例えばバフェットがいってたが彼の住むネブラスカ州オマハの公教育はぶっ壊れているから格差が固定化してしまう。公教育に費用を惜しまないのが大事との話だが、義務教育は元々こういう貧困層への最低限度以上の教育を与える文脈で出てきたものなのに、現時点で横浜給食費とるとか東京ブランド服とかいう。要するに南関東(東京圏)のよう格差拡大が極端になった地域では、公教育はやはり壊れていて、私立と公立で住み分け公立は貧民向けの三流教育みたいな破滅的状況になっている。私は南関東の問題は或る意味で自分の地域ではないし(普段から中華思想なのが南関だ)、ダニクル効果か知らないが常々都会は最先端と称する南関人自身に解決して欲しいので深入りしないが。
なにがいいたいかというと、自由教育を推進すると、ゆたぼんみたいに基礎的教育をなおざりにする人間が、完全に得意分野に特化して成長していく多様化が進むが、同時に落ちこぼれは徹底して学ばないという二極化にも繋がり易い。都会の公教育で相対的に質が低下するのもこの前段階ということ。
もう一つ、日本には学歴主義者といった部類の人達がいる。この人達は偏差値教育の信奉者で、文科省が指定した大学入試までの履修課程を18歳時点でいかに最短で詰め込むかに人生を懸けていて、それ以外の成人教育とか再教育とか、それどころか留年とか、学外学習とか独学なども全部無視している。おそらくゆたぼん叩きの人達の一部にも、この種の学歴主義信者がいて、脳や知識の多様化を拒否しているわけだ。そもそも学歴主義が出てくる理由は人間を型にはめ、科挙式にペーパーテストで有能さをはかろうという些か単純化しすぎた極東的全体主義統制の意図からくるわけだが、勿論理論破綻している。
そもそも現時点の科学研究の水準だの研究者・教授の好待遇で最上位に位置する欧米圏で世界大学ランクの上位校には私立大が複数含まれ、それらの学校群は親のコネ入学を公式に認めていたり、AO入試的な面接が基本なので日本流の受験勉強なるものはないわけだ。つまり偏差値教育自体がガラパゴスである。学歴主義者一般は、端的にいうと日本の文科省が東大卒官僚で占められていて、彼らの人生を再生産させようとするガラパゴス化の後遺症から、偏差値教育の犠牲者といっていい。彼らはペーパーテストしかできない受験馬鹿で商業では平凡な成績しかあげられないかもしれないが、確証偏見で人事差別する。即ち人事差別における学歴主義者の跋扈は、いわば大企業病や官僚主義の兆候でしかなく、或る人物の商才と無関係に、シグナリングに基づく人事を行ってより無能な高学歴者を採用する結果、硬直化した非効率組織を保守する役割におちつく。一部又は一般の日本企業や日本政府が優秀な他国の組織より相対的に無能ならこの様な病弊もしばしば関係している筈である。
ゆたぼんは中卒で終わるか、その後、彼のいう大検だか高卒認定試験だかを経てハーバードの哲学博士を持つかは知らないが、どっちにしてもユーチューバーとして天才的神童なのは間違いない。その様な実力主義的人事が、組織を営利や公益のため運営するに必要だが、学歴主義者の脳には複雑すぎるのだ。
ゆたぼんの存在は、既に述べたよう日本のガラパゴス偏差値教育への強烈なアンチテーゼでもある。しかも義務教育批判を通じ、貧民の為の最低限度教育という明治の文脈そのものをぶっ壊し、自由教育時代へ一般民衆の視野を拓く役割を果たしている。都会での公私教育格差の問題へも一石を投じている。
私の立場は、国内のありとあらゆる事物の多様性を最大化するのが日本人一般の偏狭さを改善するには唯一の手立てというものなので、ゆたぼんの存在と彼の教育革命的活動は基本的に全く肯定しかしない。彼の両親もこの意味では思想的革命家といっていいのではないか? いずれにしても賞賛に値すると思う。