(利益で動かない人は危険、とするツイートへ)
戦争商人(死の商人)も同じくらい危険だといえますね? 金の為にいまなお大量虐殺してますもんね、イラク、シリア。戊辰戦争だって日露戦争以後の日帝だってそうだったと思う。
勿論、宗教観念だか自分の正義の観念で殺人に及ぶのも大変危険である。
結局、危険度は個人のサイコパスさですね?
或るノルウェーの人が「最高刑は自由を奪うので十分」といっていた。死刑廃止国からみると、日本人も条件つき殺人肯定論者でしかない。
旧連合国民(米英仏中露人等)一般は何らかの理由をつけ戦争肯定し、殺人も肯定している。
命より何か(金や正義)を重視するのは人類の一般的愚かさといえる。現時点で中東が巻き込まれているのは、イスラム教の信念と、資本主義教の信念が衝突し、宗教戦争として殺人しあわされている現象ですね。私は資本主義教側の邪悪さの方が激しいと思っているから、最初のツイートをした。米軍有志が先に弱小国を侵略し徹底的に破壊工作してますからね。「スズメバチの巣作戦」としてスノーデンが暴露したとされる情報では、イスラム国は米英イスラエルの諜報機関が共同で捏造したもので、特にシオニスト国家(イスラエルのことだろう)を守るため周囲に国際的な非難の的を作り出すことが目的だったとされる。つまり資本主義教側は、素朴な信仰、又は別の宗教をもつ集団の一部を挑発し、テロリストとして汚名を着せる世界的冤罪にかけることで、戦争屋(軍事企業、主に米英企業)の懐に公金を注ぎ込む陰謀に加担している。これが危険でなくてなんなのか。私は現代商人の原罪と思うが。日本の資本主義信者が、別の宗教全体に何らかの濡れ衣を着せ、米軍傘下で米軍産複合体に公金を貢ぎ、あまつさえ安倍政権下で米軍の悪意ある中東侵略(イラクに大量破壊兵器すらなく、またシリアへの内政干渉に過ぎない侵略)に加担しているのが事実だから、他教への冤罪は看過できない禍々しい言説だ。
金のために人殺しするのと、例えば殺人罪人を正義の為に死刑にするのと、どっちが健全なの? 拝金主義者の中ではもしかしたら金のほうが人の命より重要なのかもしれない。しかもその人が法や正義、宗教上の何らかの倫理的な信仰(罪の観念)より金を至上価値だと思ってたら、余計そうなのかもしれないけど、日本であれ他国であれ、一般的には金のための殺人は容認されてないですよね? 私は拝金主義を否定してるのではなく、単に「金の為に行動するのが正義」だとする思想を、他思想より至上のものと主張するのは見苦しいといっているの。自文化中心主義というかただの傲慢でしょ? なぜなら世界の過半数はキリスト教かイスラム教の信者なのですから?
なお私はある人が拝金主義者だろうと自由至上主義者だろうと、それどころかイスラム過激派だろうと、無政府主義の極悪テロリストか何かだろうとどうでもいいけれど、金で買えないものが無数にある上に、伝統的な世界宗教では寄付や喜捨が優越してたので資本主義信者の傲慢は見苦しいといったのです。
「他人を制御」することと安全性には何の関係もない。金で殺人命じたらいいのですから。ここでいう安全性を他人に対する危害の度合いとし、危害を減らす制御の仕方を外的制御と内的制御に分けるとすると、先ず金は危害を増す方向に使えるので単なる道具にすぎず外的制御に該当するとは限らない。つまり拝金主義者の様な私利で動く人物の危害を減らすには金では足りないことになる。
資本主義(拝金主義)はただの宗教で、そこでは金が神に置き換わっているだけの話で、自教を理由に殺人する危険度は変わらない。つまり、何らかの自分の信仰対象(或いは法律信者なら法体系、何らかの宗教信者ならその教義、特に資本主義教の商人なら金儲け教義)の為に特定の行動をとるが、この危害度を外的・内的に制御しなければならないが、少なくとも利益追求の教義も他教の教義と変わらないだけの有害さがみいだせる。
因みにカネって法定通貨のことでしょう? 政府が発行している銀行券(及びその価値)を偶像崇拝する教義の為に殺人している人は、嘱託殺人か何かだとしても日本国の法律では死刑の対象で、動機自体も他の殺人の動機(宗教心とか恨みとか)と変わらない審理で裁判的には判定されるはずでしょ? 例えば全米ライフル協会は既にある程度のカネは持ってますけども、反論もあるかもしれないが、殺人の道具を色んな言い訳つけて売る為に活動していますよね。軍需産業もそうでしょう。どっちかといえばロッキードマーティン社の大金持ちの株主は戦争起きたら儲かるとしか考えてないと思いますよ。
まあツイートの最初の人は要するに聖戦思想を否定してるのだろうと思う。しかし金儲けの為の戦争も一種の聖戦なのは変わらないだろう。資本主義教の偶像崇拝の対象が法定通貨に置き換わってるだけで神は神だ。カネという神と、別の神との戦い、何れも罪悪は変わらないのだから、理由如何に関わらず邪教は邪教である。つまりは何らかの教義のために何でもさせようという時点で、その宗教(資本主義教も)は信じるに値しないのだ。因みに、資本主義の追求している「利益」も、人間社会が提供するものを超えている概念だといえますよ。だって抽象概念であって幾ら蓄財しても足りないのだから。まあこの最初のツイートの人も資本主義教徒なんでしょ? 私は資本主義信者ではない。だからカネという偶像を信じてないし、利益追求も公平だと思ってない。そしてどっちかというと、資本主義を倫理原則だと思ってない人の方が世界では多いというか約半数以上を占めてるので、この人が特殊な信仰の持ち主なんですね。テロという意味でいえば、日清戦争や日露戦争、満州事変以後の大陸拡大も日帝による資本主義教に基づいた一種の侵略戦争といえるし、ご存知の通り欧米列強もかなり長期に渡って同様の金儲けの為の侵略戦争を世界中で起こしてきましたね。今もその余波で中東侵略していると。
「カネへの好み」も好悪感情の一種で、カネほしさに家族を嘱託殺人する保険金詐欺の殺人犯みたいなのも居る以上、宗教テロとしては資本主義教の邪悪さは甚だ大きい。カネがあろうがなかろうが、キリスト教だのイスラム教だの仏教なら金持ちは寄付しろというだけで何の落ち度もないけど。
一つの教義をこうと思い込む傾向、狂信が、そもそも他者への危害行為にまで至る第一の原因と思いますね。勿論、カネへの執着として資本主義だの拝金主義だのでは教義が植えつけられているのだけど、資本主義教徒の中ではこの金儲けが救いだという狂信を、疑い様がないのではないでしょうか。『資本論』での唯物史観以後、近代の新興宗教として資本主義が分析されてきたというのに、或いはイスラム金融世界は既に莫大な規模で成長しているというのに、社会構造と信仰に関係がないだなんて、マックスウェーバーですら資本主義が脱清教徒の新信仰だと定義していたのに遅れること何年でしょうね?
ある時代の凡人は、その時代の宗教観念を自明の前提としていて、自らの信仰を抉り出して分析の俎上にあげることができない。平成から令和初期の一般日本人にとって資本主義教や裏の顔としての国家社会主義教、神道は封建制以後の大衆宗教として大人気で、彼らはそれらを疑ってみることをしなかった。
孔子「小人は利にさとり、君子は義にさとる」
イエス「金持ちが救われるのはラクダが針の穴を通るより難しい」
利益の為に命を奪って平気な人間を安全とし、幾らカネを積まれようが決して殺人やら死刑に肯首しない人間を危険とする。認知バイアスに気づくだけ知能があれば資本主義教義も疑えたろうに。
死の商人を正当化し、イスラム過激派だの神道極右だのキリスト教原理主義者だのを差別的に扱いたいのは分かるけど、資本主義信者側の理屈を応用すれば、私に1円も渡さずなぜその教義をひいきしてもらえると? 因みに私は10兆円もらおうが、良心に従うだけのことで殺人にも戦争にも反対しますがね。そんなの当然の話で、大抵の人類の中で金儲けを倫理規範にしてるはずもないんだから、資本主義者が比較的安全な根拠になんてなりようがない。外的制御の方法の1つにカネが大きな価値を占める集団(孔子のいう小人)がいるというだけで、それ自体は大昔からいたわけで、商人の中では別の戦争だの悪事の理屈をみいだしてるだけの話だな。
カネ儲けと良心なんて全く無関係といってもいい要素を無理やり結びつけて論じていた最初の人の論旨に問題があっただけの話だ。往々にしてその様な考えをもってるのは欲深な悪徳商人くらいで、そもそもカネをもらっても悪いことをしないのが善良な商人である。
私が共産主義者ならなぜ安倍政権が日本企業の国有化(既に時価総額にして半分以上が日銀保有だが)を進めてるのに反対で、私有財産をなくす預金封鎖を避けさせようと思うのだろう? どちらかといえば資本主義信者が多いことを前提に生きている、そしてそれを狂信してないただの現代人だと思うが。
ここまでの議論をまとめる。
1.或る個人の他人への危害度を下げるには外的・内的制御いずれかが有用
2.思想信条(広義で資本主義等の社会制度についての思想も含む)は外的・内的制御の正当化をはかる
3.いずれの思想信条が最も安全かをはかる客観的データが足りない
4.資本主義(狭義で拝金主義と呼ばれる私利を善とする考え)が相対的に安全な思想信条とするには死の商人や保険金目当ての殺人など例外が多いので俄かには信じがたい
5.未知、又は他の思想信条がより安全ならそれを採用するべきであり、現世利益と関係あるとは限らない
6.資本主義の追求する利益は抽象概念なので現世利益と直結していない
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」西郷隆盛(『西郷南洲遺訓』)
カネで動かせれば、政治家だの皇室だのにとっては法定通貨を刷って簡単にその人達を動かせることになるわけだから、機械みたいなもんで、これが安全だとするのは単なる愚民政治だといえるでしょう? 良心のない機械人間を意味している。良心の方が金銭より大事だといえないとおかしいよ。
因みにですね、最初の人が言おうとしてたのは、次のことだと思います。苫米地英人氏がどこかで書いてた気がしますが、オウム真理教は来世を語って聖戦を正当化していたと。で、私が思うにこれはイスラム教の教義の中でも、或いは靖国の英霊など神道教義も同様の構造をもっていると。聖戦思想の中で、輪廻の観念、生まれ変わりの教義は何らかの殺人罪など重大犯罪を命じる為に、便利な理屈として使われていると。
しかし石田梅岩の町人道以来、近現代の資本主義商人は現世利益に最適化しようとしたから生まれ変わりは信じないのだと。自分が罰を受けるなら罪を犯さないだろうと。
私が上で述べた通り、ところが資本主義は逆に現世利益の為なら侵略戦争で軍需企業に公金を流し込んで自分の株価を上げ、金儲けまでしていると。だから聖戦思想の中には危害の正当化が含まれるとしても、資本主義だってそうなんだというわけです。現世利益or来世利益が危害度の根拠じゃないんですね。原発は現世利益に最適化し過ぎた負の遺産といえますよ。次世代にとっては汚染された環境で、何万年も我慢しなければいけなくなった。しかし赤字が垂れ流される一方と。つまり現世利益に最適化すれば罪を犯さないだろうというのは、単なる利己にすぎず、罰されねば他人や次世代には危害をなすんですよ。
因みにこの議論の核心は、カントの次の概念で説明できるかもしれません。
カントは条件つきの善行(罰されたくなければ善行せよ)と、無条件の善行(自己犠牲であれ善行せよ)を区別した。前者を仮言命法、後者を定言命法と呼ぶ。カネがもらえるなら善行せよ、は仮の善、偽善に過ぎないのです。真の善行は、カントの説によればカネ含む何らかの報酬とは無関係に行わねばならない義務です。つまり現世利益、来世利益、いずれも単なる条件ですから、これらを動機にする限り真の善行にはなりえません。この意味で資本主義の利益追求であれ、神道、イスラム教その他の宗教の教義であれ、無意味です。「危害度」として反転して考えれば、条件つきなら悪行する、無条件で悪行するの2つが考えられますが、確かに条件次第で悪行しないことがありうる前者(いわば悪しき仮言命法)の方がより危険度が少ないかもしれません。恐らく最初の人は資本主義者の一部はカネで悪行を踏みとどまるといおうとした。
いいかえれば、資本主義の外的制御が有効なのは、この条件つき悪行をしがちな人達、いわば露悪者に対してだけなのではないですか? 同時に彼らは偽善者なので条件つきなら善行もするかもしれません。
また最善人と極悪人のいずれも条件に依存しないことが以上で論証できました。
資本主義の市場は何らかの善意で動いているものではなく、需給で動く。だからカネになるなら悪事(高い危害度の行動)をする類型も多くみられます。即ち市場における財とサービスの交換以外の目的で、倫理目的で外的制御をするなら、法律等で悪い商いの需給を減らし、善い商いの需給を増やすべきです。いわゆる外部不経済の内部化という経済学用語は、この種の目的をもっているものですが、資本主義信者の行動類型を利用した、社会的功利性(幸福の最大化)を目指した知恵といえるでしょう。他にも公益度の高い善い商いに助成や寄付を行うなど、もっと資本主義市場を改良していくべきでしょうね。