2019年2月1日

私と平成末の国政について

寝ておきて思ったのだが、きのう私は枝野幸男氏のツイッターを眺めてみて、彼は立憲民主党というのの党首なのだけれど、政権交代する為に他党と重ならないよう大同団結しようといっている小沢一郎氏の意見を、枝野氏の私利私欲・党利党略から迷惑扱いしていたので大いに呆れてしまった。
 あまりに呆れたので枝野氏に十分注意しないと、私達の国税も彼に使われていることだし、また安倍政権の傲慢な暴走に収集もつかず、国ごと亡びかねないので仕方なしに彼へ、また立憲民主党へ、私の思う政見をツイッターアカウント上で返信した。
 日本国民の政治的理解力というのは、他先進国に比べればきわめて幼稚なもので、まあ長いあいだ天皇制(いわゆる君主制度)や封建制度のもと官尊民卑でおとしめられていたとはいえ、政党政治も議会政治も全然できないのである。二大政党制など夢のまた夢という次元で、祭政一致を大真面目に信じ政教分離の意義にすら目覚めていないし、一党支配の寡頭制を最上の原理とおもいこんでいるし、都内マスコミも記者クラブというので雁字搦めな上にその内容の差別や偏見報道を含む自文化中心主義の目を覆うばかりの玩弄な稚拙さ加減は凄まじい。まあ今更日本人全般の政治的無能など世界史をみればいうまでもないことなので殊更指摘するまでもないのだが、いざ自分がまきこまれていると大層うんざりするのも確かである。そこで、枝野氏の態度である。
 二大政党制を当然と思っているのは、日本政治界で小沢一郎氏ひとり、その他の小物はそもそも政党政治を理解しているか怪しいほどの知能の程度で、全くお話にならない。自民党員もだ。しかし輪をかけてひどいのは、事態にまったく無自覚な一般日本国民のほうだから、さらに絶望的である。
 一応きのう枝野氏や立憲アカウントに一通り真意を問いただすような返信をしてみてからの反応を観察したかぎり、到底彼に政権交代を担う能力はないようだとわかり、というのも彼は二大政党制を実現する気がどうもないのである。立憲民主党単独で自公政権より議席をとれると思い上がっているのだ。
 それでまあ一応つぎのようなことを説教してみた。和を以て貴しと為すのが大事だからつまらぬ党利党略で勝率1%でも下げてたら、政権交代どころか足元もおぼつかない、政治思想の違い抜きに自分の党勢を最大化するよう務めるようにと。
 けれどもこれも焼け石に水と実際は思ったので、立憲民主党は枝野降ろしをして小沢一郎氏のもとに最大党勢を作ったほうがずっとましであろうと私には思われた。
 これらはきのう私が具体的にツイッター上で覚えた国政についての所感だが、それで私が今感じているのは次のことだ。
 私はそもそも政治というのが大分好きではない。なにが好きではないかというと、私は人生経験上、日本人の他の人らと協力するのが好きではない。なぜかというと、私より善良な気質の日本人というのには殆どお目にかかれず、私と接してきた殆どの日本人らは固有の意地悪さですぐ群れたり陰湿陰険で全然馬が合わない。私には日本で他人と協力するほうが、ひとりで行動するよりはるかに損害が大きかったのである。殆どお目にかかれず書いたが、一応これも謙遜だといっておく。それほど、全般的な日本人気質のある陰湿な全体主義性は、私には有害だった。生まれつきなのか後天的な集団主義をしつける学校教育のためか、個性を尊重するような日本人というのには先ず会えないし、会えたとしても気が合うことは少ない。
 このようなわけで私は政治には極力かかわりたくない。わけても私は15歳のとき磐城高校というところではじめの美術の授業中に、絵を一生やれそうだなと直観してからというもの、主に独創性を試される芸術界の探求者である。つまりは政治なんて私の芸術制作というライフワークを邪魔しないでくれればよいのだ。私には。
 画家志望者であったのに政治界に入って大分有名な業績を残したヒトラーという男がいて、彼の前例は私に政界を遠ざける前轍となってもいる。また私は中学校1年生のときにクラス担任になった体育教師から生徒会長選挙だか副会長選挙だかに出ろといわれ、やりたくないので泣いて断った記憶もある。私は遅生まれで当時の背は前から数えたほうが早いし、殴る蹴る暴れるといった乱暴そのものの上級生の不良だかなんだかもいる世界で、そもそも恐ろしいことなんて自分からやりたくはないので、泣いて断ったのに、なぜかその教師は私に立候補させて一応ぜんぶ手順はやったが、結局選挙は私を落としてくれたので、そう望んでいたとはいえ若干誇りが傷つきはしたものの、それ以来、私は政治と呼ぶ世界からは成るだけ離れようとして生きてきている。どうしても避けられない場面以外ではだ。高校美術部は3年になったとき皆でじゃんけんして、私が勝ってしまったので部長をした。これは私には何がしかの誇りや少しばかりの自信をもたらしているようでもあるから、組織管理のようなこと自体が苦手というでもない。哲人政治といった意味で、それをうまくやる能力に劣っているとも思わない。他に組織管理を経験したこともあってAmeba piggというSNSの中で或るアバターを使って哲学部という文化サロンを運用してきたり、政治広場という場所で荒らし退治や統治行為を試し一定以上の成果をあげてみたりしたのだが、結局、私は政治が好きかといわれても全然好きではないのである。
 枝野氏や立憲民主党の頑固な狭量さの件は改めて私に政界を馬鹿みたいだと思わせた。しかも説教のさなか、ツイッター上で変な男が私に一言、失礼じゃないかとさえずったのが見えた。万国公益に値する全人格的な演説の最中、独裁者打倒に必要な知恵、いやそれをこえた普遍的な博愛の魂を公僕に授けている賢人(私のことです)、しかもわが国主権者に対する揚げ足取りの方が失礼だろうと思ったのだが、一々かかづらってもいられないので、すぐにミュートし、その場を去った。当然だけど、私は他の日本人に関わるような政治が嫌いなんだから、当然その演説も好きでやってるのではなく、あまりに第二党が無能なのでしょうがなくお説教しないといけなくなっているのだ。私以外の人がやってくれれば一番いいのだが、だれもやらない。政治的公徳がみな低すぎるのである。
 このときの私の感情は、以下の歌で示される。

わがくにのひとおおけれどみな迷い道を知らずばさもあわれなり

まあ単純な感情である。だが真摯なそれ。全宇宙史の中でたった一人ぼっちの私のこの思いが、だれにわかってもらえるだろうか。しかも将来不安でおしつぶされそうな私を、さらに政界の混迷が襲うのである。
 自分以外の日本人ら一般に関わるとろくな目にあわない。こんなばかな話があるかと思えるだろうし、実際、ただの妄想というか対人恐怖の一種だと大体の人類から思われるであろうが、経験的にはそんな感じだったのだから仕方がない。私自身にコミュニケーション能力がないわけでもないし、むしろとても親切で気が利くのは自分でも自覚しているし、人から好かれる性格だなどと周りからよくいわれる。それどころかもっと世の中に交わるべきだという人もいる。私はSANAAというまあ国際的な場といえる場所に少しいたことなどもあって(自慢ではない)、社会経験がないでもないにもかかわらず、さきにちょっと述べたとおり徳という面で他人から習うことが少なすぎるので(勿論だれもの長所に進んで学ぼうとしているのだが)、どちらかといえば殆ど並の人間関係が私にとっては有害なのである。
 私は大体20歳の頃、神になりたいという無謀な願いをもっていた。ここでいう神というのは人を超え、全知全能全徳である様な存在だ。そんな夢をもった人類が嘗ていたかは知らない。なぜそう思ったか、多分、私は子供の頃からこの国に生きてきて、他の日本人らの蛮行(だが彼ら自身にとっては普通のふるまい)にとても呆れ果てていたからだろう。なぜ日本人と書くかというと、私はずっとこの国で生まれ育ちくらしてきたので、外国の人達がどういう暮らしをしているかよく知らないからで、他意はない。実際に私が諸外国でも同じように生まれ育ったら、あきれはてる対象は人類一般なのかもしれないが、現時点でそれは過度の一般化になるだろうし、また既に一般化しすぎなのかもしれないが、とりあえず日本人と書いてみている。科学的な認識というよりただの仮の記号と捉えていただきたい。
 全知が不可能とわかったのはそれから随分勉強してからで、そうであるからには神にも成れないようだとわかったが、では当初私がなりたかったものは、現実的には博学で万能の聖人といった程度の人間にすぎないとなる。これなら努力すれば何とか成りそうであるから、今なお修行を続けている。
 こうして思いを整理してみると、私のめざしている博学で万能な聖人といった類型は、日本人全般のめざしている何らかの夢とか範型とは相当ずれているのではないだろうか。だから彼らと気が合わない。
 東浩紀氏の概念を援用すれば「動物化」した社畜群として生きていければそれでいい、天皇陛下万歳という日本国民が過半のようにおもえなくもない。私は最高権力や世襲の地位のようなものにはまったく興味もなければ特に尊敬の念ももたない上に、神道信者でもないので彼らの感覚と違うのである。他人と無意味に同調していれば私のめざしている聖人から遠ざかるのは孔子が同じて和せずとの旨で看破していた通りだし、だれかに管理され労働者とか商人生活をするのも望んでいないので、まあもともと志が違うのが私が日本人全般と関わりたくない理由なのだろう。
 はじめに述べたとおり、国民全般にわたる二大政党制の無理解や、寡頭政への狂信からくる甚だ稚拙な国政界。それが私の憂いの一つなのが日本でのくらしなのだが、もっと不都合なのは私の英語力が低く、金儲けの能力も低すぎ、これらが主要因となって私を国外へ自由に移住しづらくしているということだ。
 私は生まれ育ち、幼児から慣れ親しんだ地元にあたる北茨城市や、それを包む茨城県、あるいは高校時代を過ごしたいわき市といった場所には愛着をもっているし、特に北茨城市の私の町には思い出が沢山あるから、特にこれらの場所をよりよくしたいと願っている。現時点でも美しいのだが。国外に私が移住する日がきたとしても、私が地元にもっている愛着は少なくとも脳裏からなくなりはしないだろう。日本単位での国政という腐敗した低次元な場所とこれら地元での政治もまた違うと思われるので、問題は国政がわが地元に及ぼしている悪影響のほうだということもできる。
 国政や、それを包む国際政治、あるいは国連の影響をほぼどこでも受けるのも自明だから、いくら立派にくらしたいとはいっても政治をまったく無視して生活できるでもない。嫌々ながらとはいえ、必要最小限度の範囲で、私はこれからもどこかで政界に忠告しなければいけなくなるかもしれない。プラトンの哲人王という理想は、単独支配の君主制国家では全く正しく機能するだろう。だが図らずもアリストテレスが王属教師として証明したよう、公徳は諸学の上に政治哲学によって考究されるので、学問の環境が万人に開かれつつある今日、最高の公徳の持ち主も或る国民全体の中から選び抜かれるべきだろう。自分より公徳の高い者が国政の長や国連事務総長の地位にあるのでない限り、各地で政治哲学を考究する者の最後の務めは、忠言にある。私もまた例外ではないのかもしれない。自身が政治家として立候補なり推薦され活動するのでない限り、この知識人たる義務は結局免れないのではないだろうか。多数政治にあっては民衆の好みを反映した相貌や身体的頑健さ、単なるどさ回りに費やす行動力、宣伝費のような副次的要素、すなわち単なる俗受けを狙う人気取り要素がはびこってきて、最重要な公徳以外の面でまちがった人物が選ばれやすくなる。私はそのような点がある限り、国政に直接関わりたくない。実際、徳川慶喜という偉人は、公徳の面で比類がなかったにもかかわらず、当時の下衆の一部から猛烈な嫉妬を買い、単に徳川家の末裔であったという理由だけで君主の地位を永続できなかった。皇族や貴族の間ですらそうなのだから、今日の日本人一般の政治学的無知や公徳の低さがあからさまなのに、そこで立派な人物を選り抜けるとおもっているとしたら、それもまた愚かしい。寧ろ自身の公徳があればあるほど、君主制を執り得る小規模自治体の長を目指すべきだし、国政の中心に背を向けるのは今日の日本では全く賢明なことだろう。もし慶喜公が常陸国水戸の殿様であり続けていたら、おそらく下らないねたみで善政を邪魔されることなどなかったであろう。緊迫した内憂外患が状況がゆるさなかったとはいえ、また最後の将軍たる勤めを禅譲という有終の美で終わらせたとはいえ、愚かな日本国民全体のために自己犠牲を図ることは士君子の悲劇を意味するにすぎない。そのことは公自身悟っていただろうが。
 私は自分が構成できる最小の組織しか作らない。それは最善の組織を作る為だし、己の公徳がおよぶ範囲を限定することで完全な力をもち、むしろ最良の結果をもたらすためだ。その組織が私一人でも構わない。最善の政ができるなら、それが全てにまさるのだから。鶏口となるとも牛後となるなかれ、の意味がここにある。だが、枝野氏はこの任にあるのではない。政権交代を実現することが彼の使命なのに、自民党にまさる党勢を思想差別で拒否している。私にできる諫言はしたつもりだが、それで彼が変わらなければ小沢氏が政党政治本来の役割を果たしてくれるだろう。