2018年7月13日

比較

他人との比較を幸福の目的にしている人は、主観的な幸福を得られないのでむなしい。他人本位の一生は徒労に終わる。
 では、なぜこの種の客観幸福と呼ばれる様な要素があるのか。他人からみて恵まれた状況でも、当人には幸と感じられない場合、その人に主観的幸福の要素は欠けている。一方、当人は何かに夢中になっていて中毒状態で至福を味わっているのに、他人の目には無意味または自害的に見える場合もある。ここで客観性は常識的平衡感覚を司っている。客観幸福の機能は、自害性を避ける事にあるといえる。それは消極的機能であり、幸福を意味するというより、過度の快楽の暴走による自家中毒を避ける為の制動器でしかありえない。
 この様な客観幸福としての比較を完遂した時、その人はだれからも他よりましと見えるが、ひとの目による制動だけが働いているのに当人は大いに苦痛、という操り人形の状況になる。