鈴木雄介ブログ
2018年7月5日
業
俗人がそう考えるのと違って、驚くべき事に、この世ではいかなるおこない全てについても、ごく小さな言行の一つに至るまで、のこらず業として因果する。聖人はこの理を知って、生あるうちの行いを塵ひとつ正しく修めようとし、それに程あれ成功した人である。
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